中世の職業意識について

この間ヨーロッパの中世について調べていたら興味深い情報を見つけた。それは一般庶民にどのぐらい職業意識、つまり自分はこの仕事をしているという自負があるかどうかというものである。

これについてはその時代の人でも個々に差があるため一概に全てとは言えないものの、神職などの一部の特別な職業はともかく、一般の庶民にはそこまで職業に対するこだわりというものは浸透していなかったようだ。

もし一つの仕事をしているとしてもそれはそれ以外の職につくという選択がないからであって自ら望んでということは少ない傾向にあるようだ。

それも例えば靴職人などの専門職にたずさわる人のことであって、それ以外の人は日雇いのような仕事をしたりして、固定の職につかず今日は積荷を運ぶ仕事、明日は別の仕事などとほぼなんでもするという意識でお金を稼いでいたこともあったらしい。

これは当たり前といえば当たり前でこの時代はお金を稼ぐことは今よりももっと食べることや生きることに直結しているので、職業がどうのとは言っていられないわけである。

天職とか天命という言葉は昔からあったようだが、このような歴史的事実を見ていると、本当はそのようなこだわりは作り出されたものであり、ないものであるような気がしてくる。

現代人はとかく職のチョイスで悩みがちだが、本当はもっとシンプルに考えていいのかもしれない。

 

平安時代の住居について

最近、平安時代の住居について知る機会があったのだが、私の中で平安時代は=貴族文化、立派な屋敷に住んでいるという先入観があり、一般庶民の暮らしについてまでは考えが及んでいなかった。

では一般の人達がどんな住居に住んでいたかというと、まず庶民でも都(今でいう都市部)に近い人達は木でできた家屋などに住んでいたらしいが、地方の人達は縄文時代などとは異なるものの、竪穴式住居のような家に住んでいたということである。

平安時代=貴族というイメージがありそこまで考えなかったがやはり平安時代はまだ大昔なのだということを改めて実感させられた。

教科書などでは和歌など平安の貴族文化について教えられてきたが、このことを聞くとむしろこちらの庶民の暮らしの方が気になって知りたくなってしまった。

ちなみに一般市民でも貧しい階級の人々はというと木造は木造でも名ばかりの壁も屋根もないようなほったて小屋に居住していたらしい。

何日か前に大雪が降ったが本当にこのころのこういう人びとの暮らしは想像を絶するものであったに違いない。

雪、雨、風、災害、疫病、戦災など厳しい環境で生き延びてきたご先祖に頭が下がる思いである。