歴史から学ぶこと

昨日たまたまBSの番組をつけたら、池上彰氏と磯田道史氏の対談をやっていたので途中からですが見ました。歴史の専門の磯田氏が言うには、これからは「発想の経済」が大切だとのことで「え、こんなことが商売に~」というイメージでしょうか。

「反実仮想」(もし~ならば)を考えることが大切とも言っていました。歴史から色んなことを学べるのは解っていると思っていたのですが、解っている気になっていただけなのだと思いました。政治、経済、社会、災害と全て今が進歩した一番の状態なのだと思いがちです。今年は確か明治維新から150年ということもありますが考え直してみる良い機会なのではと思います。

日本の近代の発展は江戸時代の識字率の高さの影響が大きい。それは寺子屋が大衆に普及していて、師匠には女性も多くいたそうです。もちろん今で言うエリートは別の場所、サムライなり僧侶などでしょうが、現実の社会の発展の構成員であり、現場は大衆の文化の高さが大きい。江戸の町の風景のなかにかわら版や表札場、浮世絵、貸本などの商いがあるのがその証でしょう。

教育は大切ですね。番組ではこれから必要な教育のことで、「発想力」「問題解決能力」「共感」と話されていましたが同感です。これからの時代はものすごい技術革新や変化がある時代と想像します。現にこの30年でさえ、ついていくのにやっとです。今、AIの進展などを考えると、人の感性が中心となる発想力、問題解決能力、共感は人間がAIに支配されずに生きて行く希望の光なんかも知れません。

また、こんなことも言っていました。起きてもいないことを考える能力の必要性。これは戦国武将の小早川隆景を例にしていました。勝つことと、負けることを考えて臨むことの重要性です(くわしくは調べてみて下さい)。起きてもいないことを考えるというと、自分などは取り越し苦労ばかりする性格なので、困ったもんだと思うのですが、時代や場面によっては重要な人間の能力なんですね。

ひとつの方向やひとつだけの答えと思うことが危険な事なのでしょう。太平洋戦争などまさにその例です。小商いをなりわいとする我々は色んなアンテナをたて、模索しながら生きて行きますから、人物、政治、経済、社会、しくみ、災害などの多くの事もっと歴史から学んで利用しなければモッタイナイ。損です。

 

中世の職業意識について

この間ヨーロッパの中世について調べていたら興味深い情報を見つけた。それは一般庶民にどのぐらい職業意識、つまり自分はこの仕事をしているという自負があるかどうかというものである。

これについてはその時代の人でも個々に差があるため一概に全てとは言えないものの、神職などの一部の特別な職業はともかく、一般の庶民にはそこまで職業に対するこだわりというものは浸透していなかったようだ。

もし一つの仕事をしているとしてもそれはそれ以外の職につくという選択がないからであって自ら望んでということは少ない傾向にあるようだ。

それも例えば靴職人などの専門職にたずさわる人のことであって、それ以外の人は日雇いのような仕事をしたりして、固定の職につかず今日は積荷を運ぶ仕事、明日は別の仕事などとほぼなんでもするという意識でお金を稼いでいたこともあったらしい。

これは当たり前といえば当たり前でこの時代はお金を稼ぐことは今よりももっと食べることや生きることに直結しているので、職業がどうのとは言っていられないわけである。

天職とか天命という言葉は昔からあったようだが、このような歴史的事実を見ていると、本当はそのようなこだわりは作り出されたものであり、ないものであるような気がしてくる。

現代人はとかく職のチョイスで悩みがちだが、本当はもっとシンプルに考えていいのかもしれない。

 

平安時代の住居について

最近、平安時代の住居について知る機会があったのだが、私の中で平安時代は=貴族文化、立派な屋敷に住んでいるという先入観があり、一般庶民の暮らしについてまでは考えが及んでいなかった。

では一般の人達がどんな住居に住んでいたかというと、まず庶民でも都(今でいう都市部)に近い人達は木でできた家屋などに住んでいたらしいが、地方の人達は縄文時代などとは異なるものの、竪穴式住居のような家に住んでいたということである。

平安時代=貴族というイメージがありそこまで考えなかったがやはり平安時代はまだ大昔なのだということを改めて実感させられた。

教科書などでは和歌など平安の貴族文化について教えられてきたが、このことを聞くとむしろこちらの庶民の暮らしの方が気になって知りたくなってしまった。

ちなみに一般市民でも貧しい階級の人々はというと木造は木造でも名ばかりの壁も屋根もないようなほったて小屋に居住していたらしい。

何日か前に大雪が降ったが本当にこのころのこういう人びとの暮らしは想像を絶するものであったに違いない。

雪、雨、風、災害、疫病、戦災など厳しい環境で生き延びてきたご先祖に頭が下がる思いである。