たわいもない話です

歳をとると頑固になると良く言います。確かに思い当たることが多い気がします。自分の想う歳の取り方をしたいものです。まあ外見はさておき、そして健康も良いに越したことはないので置いておきます。そうすると頭の中、考え方についてです。

 望ましく思うのは「柔軟な頭と心」です。確か「マインドフルネス」といいましたか。どの位までの間にそれを維持できるかはわかりませんが、乱暴にいえばマインドフルネスな頭と心をもった奴になるんだと得意な頑固な頭で思いこんだほうが幸せそうです。

 若いころだと、ひとつずつプロセスを達成して到達することが望ましいに決まっています。でも、歳をとると残りの時間も気にすると楽しく暮らすのはむずかしい。ならば、そうなるんだと自分の心に決めて毎日を生きていく方が楽しいと思う。人生で好きか嫌いか、楽しいか苦しいかは以外と大きい問題のような気がします。

 そんなこと言っているから商いも儲からないんだと小言を言われそうですが、ホントのことだから仕方がありません。あきらめることは、あきらめて次に進むのもいいのではないでしょうか。自分が子どもの頃に想像していた大人や老人は、自分がその年になると、なんとだらしないのでしょうか。きっと昔は寿命も短かったので同年代の人はもっと人生を語れたのかもしれません。

 自分にはまだまだよくわかりません。おはずかしい。自分が気づいたことは悟ることなど、どう間違ってもできないことを悟りました。しょうがないということも生きる上での方便です。あまり出来ないことを考えたり、人と比べたりせずに目の前のできることを、どうにか楽しくこなす工夫をすることが大事な事だと思います。今日はとりとめのないことを書いてしまいました。そうだ寝不足のせいにしておこうと思います。たわいもない老人の雑念でした。スイマセン。

 

 

 

 

 

鬼のかく乱

今年になり始めて体調を崩してしまいました。昔から9月は調子を崩すことが多いのです。気をつけていたのですが還暦をすぎると今まで大丈夫だと思っていたことがキツクなるものですね。記事でWワークとか副業とか書いているので8月から試しているのですが2カ月で疲れがピークになったようです。

 頭はもともとダメとあきらめているのですが体力だけには自信がありました。残念なことに慢心でした。これからはもっと休憩をとらなければいけないと思いました。還暦をすぎても当たり前のことがわかっていないのですからバカですよね。

 9月はいつもだと夏の疲れがたまって、なんとなく調子を崩すパターンでしたが、今回はもろもろのストレス、気圧、気候変化、それとなんといっても寝不足が原因のようです。夏にやった健康診断は悪くなかったので安心していたのかもしれません。なにはともあれ健康管理には気をつけましょう。

 毎回体調を崩すと感じるのは身体のほんの一部が弱るとどうしてこんなにも精神的にもまいるのかということです。人間なんて弱いものです。そんなこんなで2日ほどパソコンの前には座れませんでした。今回復してきたので書き始めました。

 それはそうと健康食品って効いているのでしょうか?うちは夫婦そろって色々と試していますが、飲み始めるとなかなかやめないものですね。青汁、水、ごまきなこ、にんにく、ヨーグルトなんやかやと食べています。普段はすこぶる元気なのですが、たまに体調を崩すといつも気を使っているのにと八つ当たりです。

 体重が太っているので、いつも医者からはやせろ、やせろと言われています。5キロ減ればずいぶんと血圧にも、血糖、中性脂肪にも良いそうです。今回仕事が変化したこともあり3キロぐらいやせました。そうしたら体調を崩しました。どいうことだと思います。やはり太ったままでもなどと考えながら、いやいやせっかく3キロ落ちたのだから、あと2キロは頑張ってみようと思います。お医者さんの言うことを信じてみます。

 

 

 

ちょっと振り返ってしまいました②

 また一歩踏み出す為に起業して25年を振り返っています。色んな事が大きく変化してしまいました。中国の発展の速さ、ネット取引の浸透、SNSの普及、新興企業の台頭などです。販促品の取扱いは中国で生産し、ネットで価格がオープンになった時から撤退し始めました。自分で製作出来るもの以外やりません。

 印刷関連もネット通販が盛んになって来ていますので名刺に絞りました。名刺の専門店、名刺屋になりました。そして「ことばの名刺」である「闘う名刺!」広めていく道を選択しました。「闘う名刺!」は出来ることを、想いを言葉化して表明する名刺です。今はこれに集中しています。

 とにかく小商いをしていると変化に対応していくか、がんこに動かぬかを判断していかねばなりません。誰もどちらが正しいかは教えてくれません。そこがつらいけれど、小商いの醍醐味なのかもしれません。自分は変化を選択しました。取扱を絞り、そのなかで新しい試みをすることにしました。それが「闘う名刺!」です。

 25年の間に解ったことは誰かが製作した商品を売る時代ではなくなってしまったということです。他国で安く作った商品では利益がでなくなったということです。かと言って設備に金を投資しても元を取ることができません。自作したものを共感してくれる人達へ売る時代だと思います。

 競争は大企業のやることです。真似ることはありません。自分は共感してくれる人に利益がでるようなノウハウや商品を売るようにします。儲けが大きいに越したことはないのですが家業としてやっている小商いですから仕事が楽しくなくては意味がありません。共感してくれる人達を探し出すのが営業です。

 

 

いつか来た道にならないように

メーカーについて思うことがあります。以前に販促品として名入れをしたボールペンがあるのですが、日本の有力メーカーのものですが、今回使おうとしたらボールペンのインクの出が悪くかすれてしまいました。これは2年位まえに製作したものです。それと同じ場所にストックしていた名入れボールペンで、これは国内工場で生産したものです。これは10年前ぐらいに製作したものですがキッチリ書けました。どいうことでしょうか?有力メーカーは生産を海外でしています。もちろん品質管理は万全なのでしょう。でも実際何年か経つとこんなことが起きます。

自分が実際経験したことですが、それをどうのこうの調べると言う訳ではありません。ただ、一流メーカーだと言って全面的に信用出来ない時代なのかもしれません。メーカーの製品に対する想いがどのくらいなのかは、なかなか解りません。ただブランドを信じられるかは買う側にゆだねられてしまったのかもしれません。最近、大手メーカーの不祥事は作る側の事情を斟酌して、消費者をばかにしたものです。どこも大手中の大手の製品の偽装、検査のうそ、それも長きにわたり経営陣も現場も公然の秘密にしていたわけです。本当に商人の風上にもおけぬというのはこのことです。

我々のような小商いをしているものは、それを詐欺と理解しています。我々がやったら商いの存続はありえません。時間が解決するものではありません。車のメーカーでもその話が世間にでてもテレビCMは流し続けています。お金を使うのはそこではありません。不思議で仕方がありません。傲慢限りなく感じるのは自分だけでしょうか?

まじめにいいものを作っている日本のメーカーはたくさんあります。新聞やマスコミ、出版社などはそれを報道していくことが仕事なのではないでしょうか?それとも宣伝広告料というのがじゃまになり忖度するのでしょうか?もしそうならば、昭和のいつか来た道と同じようなことが始まっているのではないでしょうか?とても心配です。大袈裟でしょうか?

 

 

防災の日に思ったこと

昨日は9/1防災の日でした。関東大震災(1923年)から95年だそうです。それにしても災害の多い日本列島です。その後も地震、津波、噴火、台風、豪雨とつぎつぎやってきました。ひとつひとつは書きませんが本当に被害が多く、尊い命が失われてきました。

きっと古代から災害の繰り返しで襲ってきて先祖を苦しめたのでしょう。そして生きのびてくれたからこそ今があります。先祖は工夫して自然と共生してきたのだと思います。それが日本の技術へとつながるのだろうし、人間の考え方にも結び付くのだと思っています。

ご先祖様たちは古文書で残したり、口伝えで残したりしてくれています。それを今の技術なら大丈夫だとないがしろにしていると大変不幸な結果になってしまいます。例えばここまで水がきたとか、この高さまで津波がきたとか、灰がここまで降ったとかのいい伝えがあっても技術ですべてを屈服させることはできません。

そんな色々な知恵の集積が、今につながっていくのです。今時でないと言う前になぜ、先人がこれらの風習や道具や品物、言い伝えを残しているかを考えてみたいと思います。人は年月がたつと過去の出来事を自分の都合のよいように納得してしまう処があります。

生き残った人や物、サービスにも訳がありますが、消えて行ったものにもストーリーがあります。それを考えていくことで防災にも役立つし、商売にも役立つはずです。どんな人や物にもストーリーが存在しています。そんなことを昨日の防災の日に考えました。自分が扱っている名刺も、小商いも先人が残してくれているものなのですから大事に仕事をしなければと思います。

「障害」ということば

このところ官庁での障ガイ者雇用の水増しという、うそのような話が発覚している。この前は公文書の書き換え、そして政治家への忖度で、その前には消えた年金もありました。まだまだ信じられぬ事が出てくるだろうと思っているのは自分だけでしょうか?

それにつけても障ガイと言う言葉ですが、これも元々は戦前に救護法などで障碍という文字が使われていたそうです。「碍」の意味は、大きな岩を前にして人が思案し悩んでいるさまで、自分の意思が通らない困った状態をいう字だそうです。決して「害」ではありません。

聞くところによると、戦後この「障碍」の碍の字が当用漢字にないため、同じ音読みの害を役人があてて障害にしてしまったそうです。それでもこの字を役所も政治家もマスコミも直すという努力をしません。新聞もテレビも市役所も堂々と「障害者うんぬん」と使っています。最近はやっと心ある人達が害を使わずひらがなやカタカナで使うケースがみられますが、周知はまだのようです。

「ことば」はとても大きな力を持っているのは承知しているマスコミがキャンペーンをうたないのは官僚に、政治に遠慮しているのでしょうか?そんなゲスの勘ぐりさえしてしまいます。どこかの間抜けな官僚が別の音読みにして、どれだけ長い時間嫌な思いをされている人がいるのか考えただけで心が痛みます。

2020年にはパラリンピックも東京で行われます。メダルの数を競うより大切なことがあると思っています。それをやれる力を持った人達が政治家にも官僚にも、マスコミもたくさんいるはずです。自分たちはブログなどでこうして書くしかできませんが、世間でそういうことが話題として出てくることを切に願っています。

今度の水増しの件も、また第三者委員会を設置して、再発防止につとめるということで済まさずに「ことば」の持つ力を使うべきです。「障害」ということばを違うものに変えていく努力を、みんなでしましょう。

「外国人に響く歌謡曲」

きのうテレビをつけたら懐かしい歌謡曲がながれていたのでしばらく聞いていました。青春時代によくながれていた歌でした。ちょっと歳のながれを感じてしまいました。それはそうとその歌番組の趣旨は外国人の選ぶ日本の歌でしたので、昔に流行った曲も新しい市場がみつかると又活躍ができるなと思いました。

最近は日本の観光の誘致のキャンペーンなのかどうか知りませんが、外国人が~といった番組や書籍、商品が増えた気がします。インバウンド消費とやらでたくさんの日本製の商品を買い込む姿があたりまえになってきました。2年後に東京オリンピックということもあり、ますます加速することでしょう。

さきほどの歌謡曲にもどりますが、メロディー・歌詞ともに外国人に響くというのは注目することです。色んな形で日本に入ってきた歌、楽器などの海外の文化が日本風になり海外の人に響いているということになります。それってスゴイことだと思います。まさに文化開発ということですから。

ある外国人の方が詞の意味に魅かれていると話していましたが、あの頃に活躍した作詞家たちは本当に言葉と格闘して練り上げた作品を、商業ベースの期間というものを知りながら短期間に作りあげたことに脱帽です。それと同時に言葉の持つ力を再認識しました。

歌謡曲のなかに出てくる言葉、フレーズはメロディーがついているからより強力に心に響きますが、その言葉、フレーズは絶妙だと思います。自分は言葉の名刺である「闘う名刺!」を宣伝していますが本当に参考になります。今後は自分のノスタルジーではなく歌謡曲の詞についても勉強してみます。

言葉は伝えるだけでなく心に響くということがわかります。それも日本人でなくても母国語の意味に置き換えても響くわけですからすばらしいことです。言葉の名刺をといっていますが、もっともっと工夫しなければいけません。やることはいっぱいあるのは幸せと感じながら、老骨に鞭打ってがんばろうと頭のすみにインプットしました。

 

よわった世代

定年延長や人手不足が話題になっています。還暦を過ぎた我々に直接関係がある事なのでニュースや新聞、雑誌の記事がよく目に入るのかもしれません。我々世代は団塊の世代の人達が課長、係長でばりばり働いている頃の新入社員になります。いわゆるモーレツ社員からしごかれた世代なのです。

バブルのころは働き盛りの30前後ですから、給料は安くて投資までは出来ませんでしたが、バブルのときは接待で飲み食いができました。その頃テレビで流行ったCMはリゲイン(栄養ドリンク)で「24時間、戦えますか」というフレーズでした。自分も営業マンでしたから、日にちが変わった頃に終電やタクシーで帰宅し、3~4時間寝て出勤するような毎日でした。今でいえばブラック企業がほとんどの会社だったと思います。

そんな世代が定年退職をむかえたのです。自分の世代は各界でいうと安倍総理、野球の江川、相撲の千代の富士、明石家さんま、海外ではジョブスやビルゲイツといった世代です。特徴はなまいきです。団塊の課長に食ってかかり言うことを聞かないが売上はあげるというイメージの仲間が多くいました。

みんな以外と偉くなり、どこぞの取締役とか多いのですが、役員になったからといっても大変だそうです。世の中、なかなか思うようにはならず、人生も100年の時代とか言われています。もちろん亡くなった仲間もずいぶんといます。反面元気な仲間と飲みにいくとこれからの時間を考え直さなければという話にもなります。

隠居はできません。心がざわついてしまいます。再就職、起業、副業と考えている人ばかりのような気がします。団塊の世代のように、年金も考えたように出るわけではありませんから、団塊の世代の富裕層、浮遊層のように貴族のように暮らしを楽しむことはむずかしいと思います。またそれをまねる世代でもありません。

 

甲子園100回大会開会式

夏の甲子園大会が始まりました。今回は100回記念大会ということで話題を集めています。そのなかで開会式直後の第一試合の始球式は松井(星稜)でした。第一試合が星稜(石川)vs藤蔭(大分)でそのくじを引いたのも面白いものです。今回は甲子園で活躍した歴代の選手たちが始球式をするということで楽しみな良い企画だと思います。

桑田(PL)、坂本(中京)、坂東(徳島商)、太田(三沢)、井上(松山商)などなど甲子園ファンからするとなつかしい名前が並んでいました。我々は昭和の江川(作新)世代で学生時代野球をしていた頃は、太田と井上の18回延長再試合に熱狂したものでした。その後は箕島の島本選手にあこがれたものです。

それも遠い昔の話です。開会式で選手宣誓をみていると我々の世代の頃より宣誓の言葉が長く自分で考えてあれだけ堂々とやれるのだから頼もしいかぎりです。今時の球児はたいしたものです。なんだかんだといっても日本も次世代に期待して大丈夫と強く思わせてくれました。

開会式は猛暑のさなか挨拶が長くて困ります。国歌斉唱の後の対会主催朝日新聞社の挨拶はあの間違った戦争記事の朝日にもかかわらず戦争の話がちょっと入っていました。あれはいらないなと思いました。この時期は6日広島原爆の日、9日長崎原爆の日、15日終戦記念日と続き日本人ならだれしも想いをめぐらせますので、釈迦に説法な気がしました。

僕等世代の年頃で考えると73年前の戦争の話は明治の日露戦争です。もしあの年頃にその話をされても何のことやらと思うだけでしたから。太平洋戦争はとても重要なテーマですが甲子園大会で思い出させる歴史のテーマなのでしょうか。むしろ、きちっと伝えられる場で話すべきことだと思います。すでに歴史の一部になったことが、なぜ今だに話題になり、新聞社さえ誤報をして他国との関係を悪化させる原因にもなるのか。

そして何がこの戦争を引き起こし、なぜ止められなかったのか、どんな言葉で民衆がまきこまれ、それを利用されてしまったのかを若者たちに話す、考えてもらう場は甲子園ではない気がしました。開会式という場で話すと言う感覚がわかりませんでした。主催者の自己満足だと思います。

これからの甲子園球児の活躍を楽しみに応援しています。現場は白球だけを懸命に追い続けて練習してきた青春真っ只中の青年たちのストーリーの場です。たまには昔の気持ちに戻ってみたい大人たちのわがままで一杯でもあります。空気、場を読むのも必要だと考えます。

商工まつり(府中市)

暑い暑いと言いながら午前の納品をしていると花火が鳴ったので、何だろうと思ったら商工まつり(府中市)でした。8/3~5と三日間、大国魂神社の境内でもようされる恒例のおまつりです。この酷暑の中じゃ大変です。

昔、20年位も前のことですが自分も出店したことがあります。創業当初なので色々試してみたことの一つでした。うちは名刺、印刷関係なので境内のブースに展示するようなものは無かったのですが、地元とのつながりは重要だということから参加しました。さて商品ですが、妻がアクセサリーを作っていたので、その関係からシルバーアクセサリーにしました。価格帯は1000円から3000円ぐらいでした。あわせて妻が作った作品を展示しました。これは1万から5万ぐらいでしたか。

最初の年は通りがかった人達がシルバーアクセサリーを買っていってくれました。うる覚えなのですが3日で売上20万ぐらいだったと思います。展示料の参加費が5万ぐらいでしたので儲けは仕入れや経費でほとんどありませんでした。でも、家族で食事する分は確保できました。

2年目は1年目に来てくれてアンケートに答えてくれた方にハガキを事前に出しておきました。来場の数が全然違いました。3倍ぐらいになりました。まわりの出店者のかた達は驚いていまいた。友達を連れてきてくれました。それとハガキ持参の人に粗品を渡しました。本当に安いものでしたが喜んでいただきました。その時に「しかけ」の重要さを学びました。

それとこういうお祭りは時間帯で客層が変わる事。どういうお客様が買ってくれるのか、説明の大切さなど、知っていたはずなのに思い違いをしていることがたくさんあることも学びました。何でもやってみるものですね。5年位やったのですが、おかげさまで本業が忙しくなり参加できなくなりました。

この時期がくると、今でも妻となつかしいねと話題になります。残念ながら年齢も重ね体力的に、この暑さに出展は無理ですが、今だったら何を売ればいいだろうかと考えてしまうのは、小商人のサガというものでしょうか。時代が変わり客層もずいぶんと変わったと聞きます。又、別な方法で何か試してみようかなと考えてみたりしています。この暑いのに。