名刺をどこで作ろうか?

 名刺屋として25年やってきて、正直に思うことなのですが、どこで作ってもいいと感じています。投げやりなのではなく、最近はネットで注文することも出来れば文具通販、印刷通販、古くからの印刷屋さんと多岐にわたり良いものが、安く、早く出来てきます。ご自分が頼みやすいところで、対応のいいところを選べば良いと思います。

 今、時代は色々な常識がひっくりかえるのが、当たり前のように起きています。昔は良かった。と言っている場合ではありません。名刺もそうなのです。ハードで言えば、印刷機械の精度がアップして品質の安定したものがどこでも作れます。インターネットの普及で全国から注文を受け、宅配便で数日の納品が可能、しかもコンビニで支払いも出来ます。

 ソフトで言うと名刺のデザインも豊富なサンプルの中から選ぶ事ができるようにもなっています。又、個人でもネットで自分のオリジナルな名刺デザインをコンペによって選ぶこともできます。ただ出来れば、紙の質感や色合いという微妙に差が出るところなどは、手に取れるところにすると、より安心だと思います。

 名刺を作られる方には御商売として起業、副業、フリーランスなどとして作られる方。また会社として、全体のイメージを検討して作られる方。大きく分ければ、どちらかだと思います。どちらにしても、とことん研究されて作られることだと思います。名刺という小道具は、当たり前にビジネスで使われていますが、使い方、考え方によりますと闘う武器にもなります。個人で作成する過程では、ご自分を再発見できるという事もあります。

 名刺屋としては、どこで作られてもいいのですが、今までの常識を少しだけ見直して欲しいと考えています。名刺交換というチャンスに住所録の交換みたいな挨拶だけでなく、何が出来て、何がしたいのかを言葉化して表明した名刺交換が新しい常識として広まって欲しいという夢をもっています。ぜひ、皆さんが実践してみてもらえれば、そのことが常識になると信じています。

 

名刺はもっと自由でいい

名刺屋としての想いを書いてみます。名刺はもっと「自由」であっていいと常々感じています。名刺を制作しているとどうしても型にはまったものを作ることが多いのです。名刺は世間での一定の概念が確立している商品、ビジネスグッズだからでしょう。昔と違い高品質のものでも安く手に入れることのできる時代です。何種類か作っておいて持ち歩いてみることをお薦めします。

 時代はどんどん変化して行きます。どこであなたの運命の人に出会うかわかりません。ことわざにもありますが「幸運の女神は前髪しかつかめない」と言います。後からではチャンスはつかめないのです。出会った時にタイムリーにその場で名刺交換が出来るようにしましょう。

 今はスマホで連絡先交換をすればいいと考えるのは間違いだと思います。幸運の女神にラブレターを手渡すと考えて下さい。幸運の女神といっても実際には出会う自分にとってのメンターと言いますかキーマンになる人です。人は紙切れ一枚ですが交換し合うというアナログな行為が大切なのです。

 一般的な名刺の他に自分の為の名刺を持つことをお薦めします。その自分の為の名刺は自腹で作る名刺ですから自分のやりたいこと、出来ることをあなたの言葉で表現してください。これを「闘う名刺!」と名付けました。闘う名刺はあなた自身が中心の名刺です。

 会社や上司や仲間を気にして創るものでは有りません。あなたがあなたの名前で勝負していくために作り、持ち歩く名刺なのです。日々活動をしていると、この人の話をもっと聞きたいとか思うことが多々あるはずです。こんな時、この闘う名刺!を出して自分のやりたいこと、出来ることを表明しておくのです。

 何かが変わって行くのを感じるはずです。来年は新年号にかわり、消費税もあがる変化の年です。今考えて「闘う名刺!」を作っておけば来年に有効なビジネスツールを手に入れることができます。師走のこの忙しい時期にこそ考えてみて下さい。

 

 

 

 

 

勤労感謝の日?

11/23は勤労感謝の日で祝日ですが、勤労感謝って誰のと思い調べてみました。本来の意味とはずいぶん違うようです。自分は働く人、働くことへの感謝のように考えていたのですが1948年制定の趣旨を「勤労を尊び、生産を祝い国民が互いに感謝する日」だそうで、自分とは言葉は同じではありませんが似ているかなという感じでした。

ところが調べていくとこの制定の1948年は戦後3年しかたっていません。GHQの戦後政策のひとつなのだそうです。もともとは昔からある「新嘗祭」という宮中行事の日だそうです。それは古来より五穀豊穣を神に感謝する日本の収穫祭なのです。

それを戦後統治のGHQが日本の伝統から日本人を切り離して行く政策のひとつだということです。もうそれは70年たつと新嘗祭とかいう言葉さへ我々世代(60代)でも聞いたことはある程度ではないかと思います。日本人の大切な行事も時間をかけて変えられてしまうものなのです。

でも古来の意味は次の世代にちゃんと伝えたほうが良いに決まっています。我々のご先祖様たちが考え、行ってきた行事を外人に変えられたことも、なぜ統治されたそういう時代があったかも含めて次世代には考えてもらいたいものです。その知らせる努力は現世代のおとながすべき責任です。

このままだと別な意味が加味されてしまうかもしれません。仕事があることを感謝する日、働く人が偉く感謝する日、働き方改革の日、とかまさかとは思いますが世の中何が起こるかわかりません。失業が差別されたり、何かの理由で働けない人が差別されることにならないようにしていかなくてはなりません。

知らないうちに色んなことが起きていて、日々の忙しさから見過ごすことの多いのが浮世の常で、それを利用していくことを知っているものが権力を握るのも浮世です。ロボットが人に取って代わるかもしれない時代です。利用されることはあっても悪用や洗脳だけはされぬようにしなければと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「グレイヘアー」

髪が伸びてきたかなと思い鏡をのぞくと白髪が増えた還暦過ぎの自分がいます。苦労しようがしまいが歳を重ね髪は白くなり、しわは増え、体力は落ちていくと実感する日々です。

11/19日経新聞の春秋に「グレイヘアー」の事が書いてありました。最近では白髪と言わずグレイヘアーと言うらしい。そういえば街でみかける同年輩の人達はオシャレな人が多いとは感じていました。記事によると一般の夫婦「bonさん、ponさん」が夫の定年退職ごろから娘さんのすすめで仲の良い姿をインスタグラムに投稿し始めたことから徐々にブームになっているとのことです。

グレイヘアーとこれから呼べばいいのかな?と思ったりもするのだが違和感もあります。白髪は白髪だ。若く見せようという気もあまりないし、でも白髪で年相応より歳に見られるのも癪であります。顔と髪の毛と身体が自分の思う年代と重なるまでは家染めのヘアーカラーでやっていくでしょう。

オシャレで主張できる人はいいのですが、職業によってはお歳をめされる方が敬遠されることもあるようです。若い人に聞きたいこと、年配の人に聞きたいこと、男に聞きたいこと、女に聞きたいことがありますよね。すべてをいっしょくたにしなくとも良いのですから、それぞれの立場で生きやすいようにするのが一番です。

もちろんグレイヘアーに文句をつけているのではありませんから誤解しないでください。流行とかブームでなくグレイヘアーが歳をかさねたあかしとして素敵だなと普通に思われる世の中が良いと思うのです。グレイヘアーでもこんなチャレンジをしている人がいるんだという浮世にあこがれています。

あまり同年代がやっていなくてもしたいことがあればチャレンジしようと考えています。もちろん白髪でです。浮世の人があのグレイヘアーの爺さん、なかなか面白い人だなと感じてくれるのがいい。そんな感じです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

規格をつくろう

数日前に日経新聞にビル・ゲイツ氏のインタビューが載っていました。人が輝くAI時代へというタイトルでした。①技術を使いこなす知恵を②ロボ課税が雇用を生む③人材育成が日本の課題という内容でした。内容も興味深いのですが、何より彼が本気ならAI時代の本格的到来は近いと思いました。今の始まりの段階でさえついていくのに必死なのに。

 そう感じていたら昨日の記事にEUがAIの倫理指針を作っていると一面に出ていました。ヨーロッパというのはしたたかな人間の集まりだと改めて感じます。今世の中を動かしている「しくみ」を考え、創り、国際規格にするというやり方にたけている人間たちです。

 ISO、宗教、オリンピック、国際基準、ノーベル賞、金融、ファッション、エコ、ミシュランなどなど数えたらきりがないほどです。彼らの価値感のなかで我々は適応してきています。つまりすべてが決められた土俵にあとから登ってパフォーマンスをするのですから歩が悪くなるのが当たり前なのです。

 そして今度もAIの倫理規格に目をつけました。なぜ日本は規格を世界に広めようとしないのでしょうか?ここが世界で勝ことの肝のような気がします。相手の国や人に合させる規格を日本が主導出来なければ、近いうちに日本の没落も十分にありえるのではないでしょうか。

 そうならないためには規格づくりがうまくできないといけません。これは我々みんなが考え、知恵をだしていかないと平成の次の御代は大変な時代になってしまいます。みんなで身近な規格を考えていくことをやらなければいけません。日常的な事、例えば自転車のルール、スマホ、車イスなどたくさんあります。めんどくさがらず一つづつやりましょう。自分は名刺から始めます。

 

 

 

 

 

 

 

11月1日に何となく

11月1日はカレンダーには計量記念日とか色々あるらしい。そして今日は今年の一の酉です。毎年地元の大国魂神社の酉の市に行き熊手を買います。今年は二の酉に行くつもりです。夜に行くと灯りと業者の飾り付けの金色が輝いて良い感じです。購入した時の掛け声もいいものです。

 そんな11/1ですが自分にとっても忘れられぬ日なのです。7年前に親友が亡くなった命日なのです。友の死がこんなにもつらく、さびしく、喪失感が大きいとあの時知りました。彼は50代半ばで旅立ちましたが、自分は還暦をすぎてもまだまだジタバタと暮らしています。

 今日はいけませんでしたが、近々手を合わせに行くつもりです。そんな気になってしまう日なのですが、世間では昨日はハローウィンとかで盛り上がっていました。どうも何が何だかわからない行事が増えたものです。

 小商いをするものとしては、そこで考えなければならないのですが、どうして仮装とつながればいいのか考えてしまいます。歳ですね、いっしょにはしゃげないですからね。そんなことを思いながら今日はこのへんにしておきます。

 

 

 

 

 

 

 

弱者になった自覚が必要です

車が故障してしまい自転車で納品に行きました。自転車には何十年ぶりで乗りました。同じ市内の納品でも車でまわっていましたが、軽いものなら近くなので自転車でも十分間にあうなと思いました。

 自転車でまわってみて、遊歩道でしたのでコスモスが咲いていたりして気持ちは良かったのですが、やはりいつもと違う筋肉を使うのでひざがガクガクしました。運動不足を痛感しました。

 妻のママチャリでしたが、後ろから電動自転車のママさん達や元気な高齢者にどんどんぬかされて行きました。まさに弱者は自分でした。新しい便利な商品が普及しだすと弱者は変わるということを実感しました。

 街中で電動自転車に前後ろに子どもを乗せてかなりなスピードで走りぬけていくのに遭遇すると還暦をすぎた身としては危険を感じます。一生懸命子育てをしているのは充分に解っているのですが危険です。もうそこでは弱者は我々に変わりました。

 高齢者も又電動の車いすを乗り回しています。あれもかなりのスピードです。そして電動だから静かです。後ろから来ていても気づきません。ひやっとします。ここでも我々は弱者になります。

 運転者はしかもスマホを手にしています。社会で認められた機械ですから便利なのは承知していますが、運転者には認めてはいけません。罰則をかすべきだと思います。警官も自転車の取締をやるなら、ながらスマホの取締を強化すべきです。ここでもルールを守る我々は弱者です。

 スマホを生まれた時から使う世代と我々世代との関係でも我々が弱者になります。

今の時代は昔の時代とは違い弱者になるのは時代を嘆いてしまう我々のような人々です。なんとか自分にフィットするやり方を見つけないといけません。誰もなにもしてはくれません。自分で適応していかねばだめなのです。我々は弱者になったと自覚する必要があるのです。

 

 

 

 

 

認証マークって?何

名刺屋として認証マークに疑問をもっています。企業の名刺にはおおかたどこかの認証マークがついています。昔はこんなにも一律に同じ様なマークをつけていませんでした。むしろ企業のロゴやキャッチフレーズを誇らしげに記載していました。

 いつごろからか認証マークがどの名刺にもつくようになりました。ISOマーク、個人情報のプライバシーマークとか今では当たり前のように記載されています。バブル後の不景気のなか国際規格を取得しないと官公庁や大企業が取引に参加させてくれないという暗黙の了解みたいなものがあったのを思い出します。

 そして認定機関に高額の認定料を支払って認定マークをもらいます。印刷についてもうるさい規定がいっぱいあります。やはり天下りが機関を握っているのだと思います。役人は本当にずるい、あざといやり方を考えるものです。入札や取引がらみのことに目をむけさせて天下り先を確保するのです。だから一挙にマークが増えました。名刺屋としてそう考えています。

 最近書きましたが企業や役所でコンプライアンスが棄損しています。内容はあまり繰り返したくないのですが、偽装です。これらの企業や役人の名刺は認証マークがついていると思います。認証責任があるのではないでしょうか?多くの人に迷惑をかけたところを認証した機関があるはずです。そのマークを記載した名刺は詐欺師の名刺になります。

 なのに報道ではほとんど認証マークについての疑問は取り上げられません。報道機関も認証マーク入りのものを持っているはずです。いくらスポンサーをしている企業を報道のは勇気がいることですが、このままでいいとは思えません。認証した会社が大きなミスを犯したならば黙っていては報道ではありません。

 もし自分に名刺の注文があったならば聞き返します。そいう行為があって当然だと思います。

 

 

 

認証するということは?

 以前にも名刺の認証マークのことで「認める」?を考えるで書いたのですが、製品の品質や安全への信頼を揺るがす問題、いや事件が又発生してしまいました。今度は建物の免震油圧機器メーカーのKYBです。近くには免震ゴムで東洋ゴムがデータの改ざんの発覚したのが数年前にあり、まだ処理は完成していません。今回の改ざんはもっと規模が大きいようです。

 東京、大阪をはじめ名だたる建物に使用されているそうです。時間と金をかけて入札される物件もこういうありさまです。業者側だけの責任なのでしょうか?もちろんこんな考え方をする会社など世に存在価値を問われるべきです。でも、それにOKをだした役所や、その会社に社会的認証マークをだした機関もだまされたでは済まないのではないでしょうか。

 そういうことを見破る為に入札や認証は存在しているのです。浮世の流れはとても速く、最近次々と起こる日本の名だたる大企業、神戸製鋼、日産をはじめとした自動車メーカー各社などの検査の偽造も忘れ去られます。発表のある日もそのメーカーのCMが止まることはありません。TVも新聞もスポンサーには次々と矢を浴びせることしません。ニュース番組で事件を発表することでお役御免と思っているようです。

 偽装された建物を買った人やそこを利用する人、新幹線を利用する人、自動車を利用している人など個人の心配や迷惑、損害までは自己責任ということになるのでしょうか?1000年に一度の地震だって生きている間に起こったのです。その時の原発の責任者は裁判で危険を報告したデーターを知らなかった、読まなかったと言っているそうです。

 日本人の安全神話は完全に間違っています。他の国と比べるのでなく我々の先祖と比べてみましょう。先人が尊い命とひきかえに残してくれている伝承をも一度、再確認して欲しものです。それと日本人のこころいきも考える時なのかもしれません。これだけ組織ぐるみで隠ぺいされ続けた事実が民間大企業、役所といった広範囲の組織で発覚しているのは容易に考えてはいけません。何かが大きく変わっているのではないでしょうか?このことを見過ごすと太平洋戦争前の言論統制のようにお国の為に見逃す世論にならないかと心配です。まさかとは思いますが、日本企業や官僚の維持、景気の下降を言い訳にされないように個々人の注意が必要だと思います。何かが変です。自分たちも変な認証をしないようにしましょう。

 

 

 

ことばの話です

営業が本業なので気になるのでしょうか? 最近の色々な場所でのことばが気になって仕方がありません。この間、病院に行きましたが、専門用語が並んで表記されています。良く解らないので聞くと不思議な顔をされます。

緊急はERだそうで、他にもICUとか色々かいてありますが、たまに来る自分などにとっては何のことやら良くわかりません。病院は高齢者が多いのでと思っていると、慣れて当たり前のように会話のなかに入れている高齢者もいますので、やはりこちらが覚える必要があるのでしょうか?

平成の時代を振り返る番組をみていましたら、平成になってから多く使われることばも増えたと話していました。コンプライアンスだとかダイバーシティとかよく使われていますが、もう知っているのが当然のことばなのでしょうか?

自分など営業が長いものはことばが伝わっているかどうかが大きな問題なのですが、今は相手が知らないのがいけないような話をする営業も多いと聞きます。自分が放った「ことば」が相手にどういう風に伝わるのかを考えて話さないと、まとまるものもまとまらないと考えるのは古いのでしょうか? 決してそんなことはないはずだと信じたいものです。

名刺も自分が推奨しているのは「ことばの名刺」である「闘う名刺!」なので「ことば」はパワーがあると信じていますので、尚更大切に考えたいと思います。自分の想いも、何かを頭で考えるときもことばで考えているのですから、大切にしないとそこに影響をきたすことになると思います。

最近の若者言葉とか省略して短くすることばづかいは昔から時代時代でありますから、そんなに気になりません。ああー最近は、そういう風に使うんだとか、暗号みたいだなとか、スパイになれるぜとか思うだけです。

でも伝わらなくてはダメな「ことば」もあることを解ってほしいのです。病院とか手続きごととか日常でみんなが使う場でのことばです。そのことばが本当に世間一般に周知されていることばなのか、ある程度知られていても知らない人もまだまだいることばなのかは、そこに携わる人は考えて欲しいと思います。