情報をどう整理しようか?

最近悩んでいることは情報の整理がうまくいかなくなっていることだ。今までは新聞などの切り抜き、メモなどでひと月に一度見直して取捨選択していたのだが、どうも間に合わなくなってきました。自分の老いのせいもありますが、調べなくては解らない言葉が増えています。

 特にSNS、AIなども略ですが略字や新しい技術のこと、最近流行りの言葉など一回聞いただけでは思い出せません。ググルっていうのもそうですよね。そうして調べることで時間がかなり取られてしまいます。何か考えなくてはと思っているのですが時間ばかり過ぎていきます。

 そこで特に興味のあるものは詳しく調べますが、それ以外はいつでも調べることができると考えるようにしました。ただ、何をそうしたのかが解るようにしないとそれさえ忘れてイライラしますから、小さなノートにメモる事にしました。当分この方法でやってみます。

 名前、気になった事柄、ことば、媒体、日付だけをメモっておいて思い出した時に調べるようにしました。とりあえず何とかこれでやっていますが、もう少し時間を頂いて善し悪しを報告いたします。老人も生活するのは中々大変なものです。

 自分の場合は仕事を、小商いをどこまで続けられるかをライフワークのひとつとしていますので情報の整理は死活問題でもあります。残念ながら頭はよくないのでアナログな工夫をしていかねばやっていけません。昔は単純に商えて良かったなどと放っておけばおしまいになるのが小商いということだけは解っています。

 今までの方法はいくつかの項目の袋ファイルに投げ込んでおいてひと月に一度整理をして取捨選択していたのですが、そのあたりも新しい整理法では変えねばならいのでしょうか?やってみないと解りませんが、令和の初めにやり始めることにしました。

 

 

令和になった②

令和になって10連休も後半になりますが良いイメージで令和は始まることができているようです。平成から令和になり何かがすぐ変わる訳ではないけれど全体が良いムードで受入れたというムード、気は大きなことかもしれません。何かわからなくても良いことが始まりそうと思うのは浮世では大切なことだから。

今は何でも令和初の○○○という見出しがおどります。野球でも令和始のホームランとか勝利とか書かれていますね。野球もホームランも勝ち星も存在はずっと続いているのに人の心は不思議なもので、何となく楽しい気になるものです。こうして心は令和になじんでいくのでしょう。

5/3から5/5は府中の大国魂神社のくらやみ祭りです。これも令和始のお祭りです。そういえば先日、御朱印を趣味にしている方に聞いたのですが大国魂の社務所でも行列ができているそうです。この時期だと明治神宮、靖国神社、浅草寺なども大変な混雑が予想されますね。

ブームとか気の勢いとかは凄いものです。これも今まで地味にやってきた人達にすれば何を今頃に気づいたのという風に思うことでしょうね。だれかが何かのきっかけで始めたことを誰かがいいなと感じ、自分もやってみる、人に話す、今ではSNSで拡散するということなのでしょう。

ブームや気は過ぎ去ると静かになりますが、そこに価値を見出した人達は新たにファンになりその物事の底辺が広がります。そして残るものと無くなるものも出てきます。浮世の風はどこに吹き、どこへ流れるかは常人ではわからないものです。今も存在している物事はそうして残ってきたのでしょう。

今存在していても次の時代に無くなってしまう物事も当然でてきます。その中でも懸命になって生きていくのが浮世の定めなのでしょう。今自分がしている名刺の小商いもどうなるかなど考えてもわかりません。それでも好きなら小商いなりに工夫をして変化してついていこうと令和の初めに考えています。

 

 

 

 

令和になった

5/1令和元年となりました。令和に何をしようと考えてみました。平成は壮年期でしたから成果はともかく良く働きました。令和は自分にとっての老年期です。働くのは何と言われても好きですから続けますが、昔と同じ働き方はできないので好きな事に絞っていきます。

今まで趣味といったものが特になく生きてきましたが、仕事の有る部分を切り捨てると趣味になる気がしています。つまり売るという発想から自分が楽しいという発想に切り替えたいと思います。

楽しいと思うことは散歩、歴史、商い、絵、文字、ことばなのですが、今までの商いのなかでも関連があるのですが自分本位で調べたり、見たり、描いたり、歩き回ろうと思います。何かを集めることも残すこと有りません。人から見ると何が楽しいのだろうと思われるのが趣味の醍醐味です。

「小商い」このブログもサブタイトルに小商いと名刺から浮世を眺めるとしていますが、自分にとっての「小商い」は成功しているか否かではありません。1人で続けているかどうかです。業態、業種、年商などは関係ありません。生業をたてていて続けているかどうかが基準です。

そんな「小商い」をしている商人、職人、Wワーカーなどのことを知りたいのです。自分の小商い(名刺屋)に役立てる為ではありません。とにかく調べてみたいのです。いつから、なぜ、どこで始めたのか、なぜ続けているのか、なぜその屋号なのか、どうしてその文字でそのデザインなのかと聞きたいことが山ほどあります。

そのことを自分のことばや心象風景をイラストで描いたりしてみたいのです。どうすればいいかも解らないのですが、令和は自分にとって限られた時間の時代となるのは仕方がないので、ともかくこういうことを始めたと宣言することから始めようと文章にしてみました。

 

 

 

 

平成も明日でおしまい

明日で平成の31年間が終わります。平成は戦争に巻き込まれなかった貴重な時代でしたが東日本大震災を始め奥尻、阪神淡路、中越などの地震や各地で天災が相次いで起き、たくさんの人命が失われてしまいました。そしてバブル崩壊から長い不況のトンネルに入り抜け出せず経済大国といっていた時代と異なりリストラがあたりまえになってしまった時代でした。

会社は社員のためにではなく株主(資本家)に対して向いてしまい、日本的慣行は時代遅れとなりました。技術革新がものすごいスピード進みました。今では誰でもがスマホにむかって何かを聞いているようになってしまいました。便利と引き換えに何かを見失ってしまった時代なのかもしれません。

それが原因かは解りませんが自殺者が一年に2万人でるのを何年も見過ごされている現状です。これは幸せな国とは言えないのではないでしょうか。災害や自殺者で数万の人が亡くなります。その平成が終わり令和に移ります。報道はどうしても平成をおしみ、令和を歓迎するムードで湧いていますが、やはり忘れてはならない失敗の連続があったのです。

世の中の動きは自分ではどうにもならないことがほとんどでしょうが、それが歴史になって行くわけですから、その中で確実に生き抜いてきた事実を検証して、次の令和の時代に身を委ねていきたいと考えています。自分は平成に起業し小商いをしてきました。名刺屋という形をなんとか継続しながら令和に進みます。

平成の時代をジタバタしながら生き抜いたように、令和の時代にもジタバタとしながら、しぶとくしがみついて、格好わるくても生きてやると思っています。

 

 

 

格付け、評価について

今の時代はネットの中で個人、会社、商品、人気など様々なものが評価、格付けされてしまいます。それを基礎にAIが活動し、それを当たり前のように利用する時代です。それを牛耳るのがアメリカのご存知のIT企業(4社)であり、それにチャレンジしていく中国企業という構図のなかに巻き込まれなければ生きていけないご時世です。

それを考えたのはまさしく革命といえますが、皆がそれをちゃんと利用して幸せになるかは不明です。もちろんこれを最初に考え広めた人達、それを使える資金をもった人達はどんどん富を蓄えるしくみですから格差はどんどん広がります。こういう時に歴史は動乱にむかうのではないでしょうか?心配です。

我々に時勢を読むのは難しいことです。わかるのは評価、格付けを与えられるのを当たり前と考えないことではないでしょうか。評価経済学という記事を読んだ際に自分たちのつくる評価や格付けが大切な事なのだと思ったのを思い出しました。与えられる格付け、評価は確かに強い影響力をもっています。

お金を借りる、会社を選択する、将来を考える、結婚など人の節目の大きな出来ごとには必ず前に書いた企業や資本家が何かの思惑をもってかかわり合っていること思い出しましょう。せめてもの自己防衛はしましょう。個人情報はすでに彼らの手の中にあると知って行動しましょう。

我々のしなければいけないことを考えました。正しいかどうかはわかりません。自分がしているのは自分にとっての評価、格付け、優先順位をもつことです。その基準となるのは好き嫌いです。して楽しいかどうか、嫌な気持ちにならないかが行動の基準の大きな部分を占めています。わがままというのではありません。断る自由を持っていたいということです。

だれがどう言おうと自分にとっての価値は大切なことです。世の中が評価しているからするのではなく自分が評価しているからやる。しないから断るということが今までより大切な時代になった気がしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日はメモについて…

何かを考えている、思いつくという小さな時間を大切に感じます。それは長い時間でなく瞬間だったりしますが、何かを考え、思いついたという事実があるのは確かなことなのですが、少し過ぎると忘れてしまうものも多いのです。でも、何だか気になっているのに思い出せないもどかしい状態がありませんか。

歳をとると特に多い気がしていますが、若いころも良くあった気もします。そこでメモをマメにとる習慣があるのですが、今までそれをどうしたかを考えてみました。もちろん備忘録としてメモしたものは役が済めば廃棄しますが、思いつき・ひらめき・感情などは整理しないでそのうち解らなくなってしまうことが多いようです。

その中に色々と大切なキーワードもあるはずです。人間の頭の中は不思議なもので、その場・その時でなく少し熟成させておいたほうが良いということもあります。メモも即必要な事、熟成期間が必要な事もあるようです。この文章もその熟成期間をおいたなかで考えたことのひとつです。

自分のメモの中には「メモる・ひととき・これから大事に」と数年前に書いたものがありました。どうやら還暦になって名前が出ずらいと感じた時にメモったようです。自分は小商いで名刺屋をしていますので「ことば」をメモることが多いのですがひと月に一度ぐらい(不定期)整理をします。

普段はメモをとったら箱に投げいれておきます。有る程度の量になると整理をしますが、かなりのスピードでします。そしてその時に引っかからなかったメモは捨ててしまいます。ピンとこないが気になるものは残して次回の整理に回します。そこで商いのネタや、言葉を発見することもあるのです。

メモについても色々な本がでたりしますが、成功した人達のものは参考になりますが中々できません。だから成功できないのですが、大多数の方達が自分と同じ経験をしているのだと思います。ずぼらな自分でもメモは役にたちますから自分の方法を整理するつもりで紹介していこうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

新元号:令和に決まる

今日の浮世は盛りだくさんです。4/1と言えば年度替りで新入社員が日本中で働き始める日です。働き方改革も開始ということになります。良い結果に期待するしかありません。

 そしてエイプリルフールの日でもあります。可愛い気のきいたうそならいいのですが、このご時世オレオレ詐欺や最近はアポ電による詐欺という具合で物騒でなりません。対策はとにかく悪い輩は捕まえることです。

 今日は外に出ると桜が満開でまさに春満開といった感じです。これで花粉症さえなければと毎年願って何年がたったことでしょうか?この時代になぜこれまで時間がかかるのでしょうか。

 そして今日のメインは新元号の発表があったことです。新元号は『令和』『REIWA』『れいわ』『レイワ』に決まりました。なんでも中国の書からでなく日本の万葉集の中の一首からとりあげたそうです。遅きに逸す観がしますが、良いことです。日本の元号なのですから。

 来月5/1から令和の時代になりますから、どうやら昭和・平成・令和と三世代を生きれらることになりそうです。各時代にそれなりの想いはありますが令和は自分にとって締めの時代になるでしょうから良い時代になることを切に願います。

 戦争、大災害などが起きない時代でありますようにと誰もが思っていることでしょう。この時代は人類がまだ見たことのない進歩の時代です。ついていくのは大変な事ですが、傍観者の立場に立つのはイヤです。最後の締めの時代になるのですから、どれだけプレイヤーとして過ごせるかを考えていかなければなりません。

 歳をとるとできないことも増えますが、見えてくることも増える気がします。そこが現役として生きていくポイントだと考えています。もう恥ずかしがる歳ではないのでどんどんチャレンジしたいと思います。人生が旅ならば旅の恥は、はき捨てでいいのではないかと思います。あまり良い言葉ではありませんがやろうと思ってせずに後悔は絶対に面白くありませんから。

 

 

 

春がきたかな?

今年は何日か前に桜の開花宣言がでました。今日桜並木をのぞいてみましたが、まだちょっとという感じで二分咲き未満というところでした。今週温かさが続くと週末からが見ごろになりそうです。

 街を歩いていると卒業式にむかう人達が目に付きます。やはり圧倒的に女性は気合が入っていますね。桜に着物は日本の景色によく似合います。来月からはそれぞれが新しい環境でがんばっていくことになります。

 毎年書いていますが、あまりきばらず頑張ってほしいものです。今の若い人はそんなことはないと思いながらも毎年新しい環境になじめずウツになる人がいると聞きます。もし、自分に適さない環境なら変えることは後ろ向きではありません。一つだけが選択肢と考えないでほしいものです。

 名刺屋をやっていますのでこの季節からゴールデンウィーク明けまでが人の動きが多いのはわかっています。新入社員で入った人の名前のリピートが注文で入ると頑張れと応援したくなります。何割かはその名前をリピートすることがありません。これが現実なのです。

 桜はきれいに咲いて散って行きますが、翌年また咲きます。一度目の環境で咲くことができなくとも悲観することはありません。自分にあわない環境がひとつ解ったぐらいの感覚で生きて下さい。そうでないと心も体も持ちませんから。

 特にまじめな人、内向的な人は気をつけて下さい。真剣に考えるのはいいですが深刻に考えるのはやめましょう。どうにかなるぐらいの気持ちでいきましょう。時間が解決することも多々あります。春はウツになることも多いといいますからお互いに気をつけましょう。

 

 

 

「近い将来の~浮世は?」

 3/11が今年もまた来ました。平成は来月の4月で終わり、5/1からは新元号になります。でも平成の記憶から東日本大震災を忘れてはなりません。2万人が亡くなり、今もまだ復興の道のりは半ばです。

 そんな中、景気回復が戦後最長とか政府は言っていますが本当なのでしょうか?これは2012.12月からだそうですが、2011.3/11に震災がありその翌年からの統計だとのことです。統計は今問題になっているようにウソが多いので信用できるのだろうかと誰もが思っているはずです。

 しかも昨年からの森友問題や役所の不祥事を考えると何やら別の意図が感じられてなりません。小商いをするものとしては偏った景気回復が続いているとしか思えません。大企業のようにグローバルな展開をしている処とそれに所属する人、グループ、団体に偏った政策が続きすぎな気がします。

 一般の労働者の給料をみるとバブルの前ぐらいと変わっていません。これでは国内の消費が伸びないのは仕方ありません。働き方改革は今の仕事の効率をあげて空いた時間を有意義に過ごせるのが狙いのように言いますが、実際はWワークをしないと一つの職場の給料で生計を得るのは難しいということなのです。

 だから他で働いても構わないのを一般常識に使用ということだと思います。そこには昔のような愛社精神などはでてくるはずがありません。人はたぶん職能で扱われるようになります。一つの会社に一生所属して生計を得て家族をもつのは極少数の人達の特権になるかもしれませんね。

 多くの人は個人で考え、生計をたてるしかないのです。会社は所属するのではなく、取引相手と考えることを常識にしたほうがいいと思います。1人1人が個人事業主になる世の中が近づいているのです。そこで必要なスキルと人間関係、地域社会はどこなのか、そして腹をくくって生きるしかない世の中になっていくと考えてはどうでしょうか。

 

 

パワーナップって知ってる?

 春はどうしても眠い。パワーナップ(power nap)という言葉を聞いたことがありますか。15分から30分ぐらいの短い昼寝タイム、仮眠のことをそう呼ぶらしい。アメリカNASAの研究でも効果が実証されているとのことです。厚労省も推奨しているというからあやしいかもね。

 自分の場合は自分で商いをしていることもあり、昼飯のあと20分ぐらい仮眠することが多い。よく考えるとサラリーマンの頃もしていました。営業でしたので昼飯のあと午後の訪問の前、なるだけ時間を作って喫茶店で仮眠していました。もちろんイスでウトウトですがね。これは本人の感覚ではサボりとは思っていませんでした。結果は出していましたから。(自慢)

 30年前ぐらいは携帯電話もまだなく、ポケベルでした。今は会社で携帯を与えられることも多いので、位置情報とかでやりにくいでしょうね。人間の昼の眠気は生理現象なのだそうです。飯の後の20分を惜しんでミスをするより余程いいですよ。昼飯のあとの会議なんてどう考えても、眠くなります。やるなら仮眠後にした方が良いアイデアが出ますよ。こんなこと言うとだからおまえは小商人なんだ。と叱られそうですね。

 大きな会社の人達はスケジュールにおわれ大変です。昼にファミレスやコーヒーショップなどにいくとパワーナップでなくノートパソコンをたたく人を、よく見かけますから、大したものです。体が資本ですから十分注意しましょう。そう言えば昔のワイガヤの仕事、各部署の人間が意見を出し合い、ケンケンガクガクで仕事を仕上げて行くスタイルがアメリカの開発者たちは見直していると聞いたことがあります。日本はMBAだとか何とかを取り入れてやってきたのに。昔の日本のスタイルが評価されているとはどいうことなのでしょうか。 

 よくグローバルスタンダードとか言われますが特殊な国のやり方や生き方があっても良いと思うのですが。常に大国の二番手、三番手で行くより独自のものを世界に解ってもらう努力のほうがいいのではと考えるのはパワーナップの夢ですかね。