今時のとまどい

 甲子園の西東京大会で母校が勝利しました。自分は柔道部でしたがやはり気になるものです。今年はシード校ですのでちょっと期待してみています。がんばれ後輩たち。我々の世代とは45年以上離れて頭の程度はずいぶんと差がついたが爺さん達は応援しております。

 後輩と言えば変わった男がいて、いまどき携帯を持たない主義だそうです。深い意味ではなく、せからしいのが嫌なのだそうです。それで過ごしているのだから良いのですが飲み会の連絡がとれないのは弱ったものです。多少は世の中に合わせるのも必要だと思うのですが。

 時代と言えば、仕事先の病院の現場に掃除するロボット(ルンバの業務用みたいなもの)が導入されました。清掃をしているかたに聞くとあまり好意的にはとっていないようでした。AIに対しての嫌悪もあるようですが、実際に手間は増えたのだそうです。

 子供や老人もいるので、ほっとき放しにしていることもできず気にかけねばなりませんし、二階などに移動する際は台車にのせて人が運んでいるそうです。ただ対外的なアピール効果はあり、子供たちが写真を撮ったりするのだそうです。

 経営者はAIを導入し効率を良くするコスト的にも計算されているのでしょうが現場はそうはいきません。AIに職場を奪われたり、仕事ぶりを比較されたりするわけですからたまったものではありません。これが新時代なのでしょうか?ならば前出のがんこな後輩のことも少しはわかるような気もします。

 政治家、経営者、役所などがAI導入を当たり前の世の中として動き出したのは危なくないのでしょうか?本当に人の幸せを考えた方向なのでしょうか?便利なら、効率的なら良いというだけの浮世は面白いものではありません。よくよく考えてみたいと思います。

 

 

 

 

「ぎんぎらぎん」がなつかしい?

 七月になり梅雨らしい天気が続いています。雨は嫌だといっても仕方がないので、せめて雨の中に咲くあじさいを楽しむような粋な人になりたいものです。そんなことを言っていると全国各地で大雨被害という無粋、洒落にならないニュースが流れてきます。頭のいい人も多い世の中なんだから何とかしてくれと言いたくなります。

 話は現実の世界の仕事な話になりますが、今の若い人達の仕事をすると驚くことばかりなのです。それが歳をとったということなのでしょう。昔、バブルの頃は「ぎんぎらぎんに、さりげなく」と歌の文句にありましたが、ムカつくけれどやる気のある人が多かった気がします。

 今はあたりが良く、好印象ですが流して生きている人が多いように感じています。良いことなのか、悪い事なのかは解りませんがご時世なのでしょうか。自分には無理の様です。恥をさらすかもしれませんが昔風にやって行こうと決めました。そんな天の邪鬼がいてもゆるされるでしょう。

 先日見積もりを依頼したら提出期限をすぎる言いわけがメールできました。以前校了後の商品の変更もメールできました。電話での連絡はきません。これがビジネスなら人はいりません。これは現実にそれでいいと当人も会社も思っているからです。最終的に人の首を絞めるのは人の考え方なのだと思います。数年後彼らは今の仕事をしているでしょうか?

 「ぎんぎらぎん」の時代は暑苦しいかもしれませんが、良くも悪くも結果がすぐでました。今は結果が知らないうちに、どこかで出ているのだと思います。「考え方」はとても大きな意味をもちます。ボクシングのボディブローのように回を追うごとに効いてきます。そのときはダウンするしかありません。その時もメールなのでしょうね。

 生き方に古いも新しいもありゃしません。ただ生きるのみです。どういう生き方を選ぶかを決めるのは自分自身ですから。何か愚痴を書いてしまいました。

 

                                

 

 

歳をとったからこそ歴史から学ぼう

昨年になりますがBSの番組をつけたら、池上彰氏と磯田道史氏の対談をやっていたので途中からですが見ました。歴史の専門の磯田氏が言うには、これからは「発想の経済」が大切だとのことで「え、こんなことが商売に~」というイメージでしょうか。

 「反実仮想」(もし~ならば)を考えることが大切とも言っていました。歴史から色んなことを学べるのは解っていると思っていたのですが、解っている気になっていただけなのだと思いました。政治、経済、社会、災害と全て今が進歩した一番の状態なのだと思いがちです。今年は確か明治維新から150年ということもありますが考え直してみる良い機会なのではと思います。

 日本の近代の発展は江戸時代の識字率の高さの影響が大きい。それは寺子屋が大衆に普及していて、師匠には女性も多くいたそうです。もちろん今で言うエリートは別の場所、サムライなり僧侶などでしょうが、現実の社会の発展の構成員であり、現場は大衆の文化の高さが大きい。江戸の町の風景のなかにかわら版や表札場、浮世絵、貸本などの商いがあるのがその証でしょう。

 教育は大切ですね。番組ではこれから必要な教育のことで、「発想力」「問題解決能力」「共感」と話されていましたが同感です。これからの時代はものすごい技術革新や変化がある時代と想像します。現にこの30年でさえ、ついていくのにやっとです。今、AIの進展などを考えると、人の感性が中心となる発想力、問題解決能力、共感は人間がAIに支配されずに生きて行く希望の光なんかも知れません。

 また、こんなことも言っていました。起きてもいないことを考える能力の必要性。これは戦国武将の小早川隆景を例にしていました。勝つことと、負けることを考えて臨むことの重要性です(くわしくは調べてみて下さい)。起きてもいないことを考えるというと、自分などは取り越し苦労ばかりする性格なので、困ったもんだと思うのですが、時代や場面によっては重要な人間の能力なんですね。 

 ひとつの方向やひとつだけの答えと思うことが危険な事なのでしょう。太平洋戦争などまさにその例です。小商いをなりわいとする我々は色んなアンテナをたて、模索しながら生きて行きますから、人物、政治、経済、社会、しくみ、災害などの多くの事もっと歴史から学んで利用しなければモッタイナイ。損です。

                                

 

 

時代の変化が

昨日、日経新聞の朝刊の一面記事にびっくりしました。データの世紀というのがトップ記事でした。内容はデータエコノミーが世界に実験を迫るという記事で、ネット上では不思議な事が毎日起こっているということとルール作りが必要だということが書いてある。その例として自分が個人情報の出どころを追跡していたが解らないというようなことが出ていた。

 そのなかでその記事を書いたのが29歳ということに驚かされました。経済新聞の一面記事が20代の人が書いているのです。そのぐらい若い人でないとネット関連のことは解らないのかもしれません。ともかく時代は確実に変化しています。変化の内容にはもちろん驚かされるのですが、世の中のあたりまえが変化していることを改めて考えさせられます。

 人と人のつきあいかた、会社に対する考え方、異性に対する考え方等々、あげればきりがありません。そんな中で我々昭和世代も生きていかねばなりません。我々が今まで社会の常識は変わってしまったと認識しなければ頭の中は混乱しっぱなしです。どう整理をつけるかを自分でひとつずつ決めていくしかないのです。

 自分は昭和だから仕方がないというのは通用しません。令和には令和のルールを身につけなければなりません。高齢でなかなか今までの身に着いたことを見直すのは大変な事ですが、面白がってやる方が楽しいと思うようにしましょう。若い人に解らなければ礼をつくして教えてもらいましょう。それは昭和のやり方で良いでしょうから。

 生活、仕事、人間関係、社会に関する考え方等々やることはたくさんありますので暇でないことを楽しみましょう。なにせ100年安心年金などと政府が詐欺まがいのことを平気で言い、データを改ざんする役人や役所が続出する時代です。考え方を変えざるを得ません。 

 

 

令和の時代に②

令和の時代のことを考えていると何やら色んな事が大きく変わってしまいそうで楽しみもありますが、高齢の我々は不安を感じてしまいます。ですがそんなことを言ってはいられないのでやれるだけのことはしようと思います。時代が早く進歩していくのは仕方のないことです。どう対応するかがポイントなのです。

自分は小商いで名刺、闘う名刺!を薦める仕事をしています。闘う名刺!は言葉の名刺です。自分の想い、できることを伝えるための名刺です。今まではお客様とのやりとりをして制作していましたので時間も費用もかかることになり初回の金額が高くなるのは仕方のないことと考えていました。

これからは新しい考え方でいきます。名刺はネットで作れば高品質のものが安く早くできるようになりました。ウチで制作して創るより安くできます。でも問題はウチが提唱している闘う名刺!にならなくては名刺の役割が減価してしまいます。今までは自分のノウハウなのでお客様とだけ打ち合わせて制作してきましたが、令和の時代は公開していきます。

広まることが重要なのです。時代は働き方改革とかでサラリーマンだけで一生を終えるのは難しく、しかも中々死ぬこともできません。医療は日々進歩しています。嫌でも高齢者が働かなくてはなりません。一流企業といわれるところで会社も人も勝ち残るのは全体の3パーセントにも満たないのではないかと思います。

誰もが今までの生き方や価値観を考え直すことを余儀なくされます。Wワーク、副業、起業、小商いとやらざるを得ない時代に突入したのです。国も会社も世間様もそういう生き方を認める時代になります。そしないと国、日本の制度自体がもちません。結婚しない男女が増え、多国籍な人がコミュニテーに入って来るのが当たり前の日本になります。国の規模や人口、世界での日本の有り方を若い人が決めていかねばならないのです。

前提となるのは正確なデーターを修正や思惑で公開する愚をおかさないことです。もし先日来続いている役所や有名企業が改めないなら、その人や組織に明日はキビシイものになる時代にしなければダメだと感じています。

 

 

 

令和の時代に

令和もひと月が過ぎました。これから何かが大きく変わるのでしょうか?そんな気持ちで以前読んだ本を読みかえしています。その中で森永卓郎氏の分析が一番当たっていた気がします。彼は独特のキャラクターなので軽く見られるかも知れませんが、予測は当たっています。

その中でも年収300万の時代が来るとか働き方についても彼の言ったような時代がきています。その中で無税国債の話もあったのですが、令和の時代のキーポイントになるかもしれないと考えています。国の財政とタンス預金が解決できる一手になる気がします。詳しくは彼の書いた本を読んでください。「新富裕層が日本を滅ぼす」というタイトルで新書が出ています。

むずかしいこと言う経済エコノミストはあてになりません。予測がはずれても平気で第三者委員会や外部取締役などを務めますから。マスコミもなぜか攻撃しないしくみのようです。どんなに不正な行為をした企業でもコマーシャルを出してくれるスポンサーを本気で攻めることはしません。

森永氏の分析のなかでバブル崩壊後4度のぬけだすタイミングをのがしているといっています。その中に橋本内閣の消費税の3から5%への引き上げのタイミングがありましたが、気になるのは今秋の10%への引き上げです。もう伸ばせないと政府や経済界の大物たちは言いますが本当でしょうか?

景気はかなり深刻のように思われます。米中貿易戦争もありますが、一番気になるのは国内のけん引する産業が無くなってきた事です。若者を集めていく政策をしていかないと令和も暗い時代になってしまいますから。

この令和の時代は個の活躍できる時代であって欲しいと思います。今までの日本は組織の時代でしたが残念ながら限界が来てしまいました。令和は個人が自分の名前で勝負する時代になればいいのにとつね日頃から考えています。いずれにしよ日本は変わるときなのです。

 

 

 

 

 

自分の名前で勝負する時代の名刺

自分の名前で勝負していこうと思う人には「闘う名刺!」を作って欲しい。自分の名前で勝負するということは、何で勝負するのかはっきりと見当がついているということです。そんな人が一般的な名刺ではモッタイナイと思います。「闘う名刺!」を制作してドシドシ配って下さい。

起業にしても、副業、フリーランス、Wワークなどにしても多岐な働き方が推奨される時代になるようです。それはまさに自分の名前で仕事をして行く時代になるということなのです。○○会社の誰かでなく、○○○ができる、○○○が専門のAさんということが問われる時代になります。

それは資格でもいいし、経験でもいい、こんなことしているという表明でもいいのです。あなたが何を考え、何がしたいのか、出来るのかを問われるのです。それが今までの時代と違うのは、会社側からこういうことが出来る人いませんかという呼び掛けで集まる、応募、就職するのではありません。

自分の側からこれがしたいと言う表明をして、共感する人と仕事をしていく時代といえます。そのときに今までの名刺でいいわけがありません。自分の想い、出来ることを表明した名刺「闘う名刺!」が必要なのです。闘う名刺!は自分で作ることができます。ただ名刺は対外的に配るものであり、初対面で名刺交換をする性質上、名刺制作の一般的な約束ごとは知って創ったほうが、より有効だと考えています。

そのために「闘う名刺!の作り方」(仮称)をがんばって制作しています。創って行くと、あれもこれも記載しようと思ってしまいます。でもこれは単なる名刺の制作をする為のガイドではないのです。自分が闘う為の小道具であり、武器であり、相棒になるものです。その効果をどうすればあがるかを書いていこうと思います。

単なる名前、会社、連絡先の表記だけではだめなのです。何が出来るのか、やりたいのか、あなたの言葉で表明しなければなりません。「闘う名刺!」は「ことばの名刺」なのです。どうすれば相手に伝わるかを考えて創る名刺なのです。

 

 

 

差別化するなら今がチャンス!

名刺といってもいろんなタイプのものがあります。みんなが一般的に名刺といえば想像するのは住所録に会社のロゴやISOマークなどが記されたものだろうか。銀行員が配る名刺は顔写真の入っているものが多いかな。でもネットで検索すると、まあ色々でてくる。その多さにビックリします。

 名刺を作ろうと思う時まず何を考えるだろうか?仕事のために作る人が多いとは思うが、組織に入っていればその所属している会社なりが制作して渡されるのがほとんどなのでネットで検索する人は起業する人、既に使用しているものをバージョンアップしようと思ってる人、最近ならフリーランスで仕事をしている人などだろうか。ともかくチャンスを掴もうとしている人達が多いのだと想像する。

 名刺も価格で探す人、デザインで探す人、あまり考えず発注しやすさで選ぶ人、そのほかのこだわりで探す人と千差万別だと思う。業者もとにかく安いことを売りにしているところやデザインのひな型を提示している所、業種にこだわりを持っている所などともかく色々です。

 名刺は配らなければただの紙切れだ。とにかく配るのが一番なのだが、中々それを躊躇している人もいるのではないかと思う。なぜなら自分がそういうところがあるので、いわゆる内向的な傾向の人は外交的な人には想像できぬ心の葛藤があるのです。そんな自分が名刺屋をやってなんとか暮しているのだから感謝しかない。色んな人がいるけれど自分の様な内向的な人が配りたいと思えるような名刺を創って行こうと思います。その創り方や考え方を伝えていきます。

 

 

今こそ名刺を見直そう!

何度も書いていますが名刺を効果的なビジネス上の小道具として使わなければモッタイナイ。そこで考えたのがビジネスで闘う為の小道具であり、武器として使う為の名刺に『闘う名刺!』と名付けました。 闘う名刺というのは、いわば弱者の名刺です。ここで言う弱者は大企業、有名企業、有力企業などの大きな資本・組織・人材・ルート・・・などを持つ会社に対して個人、零細、起業などのそれらをもたぬが意欲のあるもの。また、外交的で前にでれる人たちに対して、内向的で一歩ひいてしまうが、しかし自分の考えを表現して活きたいと模索している人たち。そんな自分も含めた人たちや会社を想定しています。

我々が一般的な名刺を持っても強いものには適わない。どんなに素敵なデザインの名刺を配ってみても知名度のない、何の会社か分からない処の話を聞いてくれるような善意の人達はいない。もし、いたとしても取引に至るのは稀でしょう。そこであきらめたらつまらない。そう思える人たちの名刺である。なぜ、名刺かといえば、いくら世の中がIT社会になっても人と会わない社会はまともな社会とは思えません。人と会うというチャンスにキチッと自分を伝えるツールが名刺であり、見ず知らずの人でも受取ってはくれるし、一瞬で読めるので精読してくれるので、とてもありがたいビジネスツールである。それを工夫して使わずに弱者が強者と闘うのは無謀としか思えない。だが、今までは強者の土俵の上の常識で勝負するのが当たり前の習慣にさせられていたのです。強者の強みは信用だ。あそこなら取引しても騙されないだろう。ということになるが、弱者はそうはいかない。我々が取引してもらうには信用される工夫と何ができて、何がしたいのかを伝えなければ何も始まらないのです。

ネットで調べると名刺を作成する会社は山ほどあります。でも見てみると価格とデザインが中心のものがほとんどです。それではあきたらないと思う方に名刺に関する色々なことを発信したいと思っています。

 

「ヒュッゲ」 って知ってますか

昨年テレビの番組(未来世紀ジパング:TV東京)で 「ヒュッゲ」 というのが今流行りなのだそうだ。これはデンマークの考え方で、新しいライフスタイル、あくせくしない時間の過ごし方だったり、居心地がいい、心がやすらぐという生き方を総称して言うものらしい。デンマークは幸福度ランキング世界1位の国なのだそうだ。もちろん幸せを感じる尺度は個々まちまちだと思うが、確かに福祉の先進国のイメージはある。日本と比べると人口も少ないので同じようには出来ないだろうが、確かにうらやましいと思うところが、いっぱいあるようだ。

 「ヒュッゲ」というライフスタイルは働きかたも含めて個人を中心においている。日本はどうしても組織、公共性が中心になり仕組みを作り上げてきたから、個人が組織や公共性の為に我慢を強いられることが多い。組織の一部として対等の関係ではない場合が、あたりまえという考え方が今までの一般常識みたいなものだ。会社、学校、役所、政治、スポーツ等々。最近では相撲協会などを見るとよくわかる。個人の暴行事件まで、必死になって組織の権威者を守ろうとするのだから。

 こんな日本も、今どんどん変わっていっているのだろう。若い人達のほうが柔軟に考えられるから頼もしい。「ヒュッゲ」という言葉では日本では老若男女にわかりにくいので新しい造語を考えて日本の得意とする文化の加工で馴染ませればいいと思う。

 きっと、日々の小さなことから変わっていくことが、本当に心から受け入れられることの早道だと思います。日本も来年になると平成も終わり、新しい年号となります。そろそろ、他の国と比べて追いつけ、追い越せではない日本はこんなな国だと発信できるようなライフスタイルやビジネススタイルが出てきても、何の不思議もない文化も歴史も人材も社会もあるのだから。むしろこちらから世界の国へ共通語となるような、例えば「かわいい」や「モッタイナイ」のように物でなく言葉で心が伝える事ができるはずだ。

 昨年は雑誌などに多少でていたが、残念ながら言葉としては広まっていないようです。良いと思うことでも世の中に浸透していくことの難しさを感じます。それでも必要なことはあきらめずに紹介し続けようと思って再度載せることにしました。