近況報告です

久々にブログを書いています。というのも先日カミナリの為にパソコンが壊れてしまいました。それからというもの修理もダメで仕方なしに新しいパソコンを買いましたが中々うまく設定ができずに、やっと設定したらプリンターが動かないという事になり散々の目にあいました。

何とか火災保険で出費はまかなえるようなのですが今まで当たり前に安全に思っていたことでもこんなに大変なのですから千葉で災害にあわれた人達はどれほど困っているのかと思います。早く復旧することを祈るばかりです。

九月は書きたいことも随分とあったのですが気が抜けてしまいました。今月で小商いも27年目に入ります。気を取り直してがんばろうと思っています。昨日ラクビーのワールドカップで日本が優勝候補のアイルランドに勝利しました。すばらしい試合でした。

ロシア、アイルランドと二連勝は見事です。次のサモアに勝てば初の予選突破です。それにしても観客の多いのにはビックリです。味の素スタジアムに申し込んでもダメでしたし、日本戦だけでなく全国での会場も満員なのです。いつからこんなにラクビーのファンが増えたのかと驚いてしまいます。

自分は高校がラクビーでは強豪の久我山ということもあり、昔からラクビーは好きなのです。自分は柔道部でしたがラクビー部のとは何か気があうようで今でも飲みに行ったりしています。卒業してから45年にもなるのに不思議なものです。高校時代というのは特別なものなのかもしれません。

来月は柔道部の先輩から集合がかかりましたので会うのが楽しみです。ただ、昔のように大酒を飲むという訳にはいかない身体になりましたが旧友とは良いものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

コーヒーのお話

この間テレビでコーヒーの話が取り上げられていました。自分もコーヒーはお茶より飲んでいます。いつ頃からこんなに日本でメジャーな飲み物になったのでしょうか。番組ではファーストウェーブからセカンド、サード、今はフォースウェーブなのだそうです。

子どもの頃はネスカフェのインスタントコーヒーにミルクと砂糖をたっぷり入れて飲んでいました。あれが普及期だったんでしょうか。宣伝は違いがわかる男というフレーズを記憶しています。それから学生時代になると喫茶店、純喫茶に友達とたむろして過ごしました。何かちょっと大人になった気がしました。

その次は会社に入ってから、現場でも休憩室でも自動販売機の缶コーヒーをやたらと飲んでいました。自動販売機の普及もすごい勢いがありました。そしてスターバックスやドトール、タ―リーズなどのコーヒーショップの時代がきて、コンビニのコーヒーも定番になりました。

自分たちはコーヒー好きにされたのかもしれませんね。最近の商店街にはお茶屋さんは少なくなりましたが、コーヒーの焙煎店はどこでもみるようになりましたね。今度は味だそうです。当たり前ですが、あまり有名な産地でないところの貴重な豆を商社が開拓しているそうです。自分などはコーヒー好きですが味音痴なので申し訳ないが飲んでみたいとは思いました。一回はね。

コーヒーや紅茶が日本で広まったのは明治のころだと思いますが、自分の興味はその時コーヒーカップを作った日本の窯元がいたことに興味をそそられます。それまでは湯飲み茶わんを作っていた職人さんが、どんな気持ちで作ったのでしょうか。コーヒーカップの歴史は調べてみたい。今は残念ながら思っただけですが、現場にいってみたいです。

そういえばNHKでなまえの話をしていました。コップとカップの違いのことを話していましたが英語だとカップと発音しますがオランダ語ではコップというそうで、日本では鎖国時代に言葉が入っているものはオランダ語が多いのですかね。カップは持ち手のあるもので、コップは筒状のものだそうです。あまり考えてみたこともないのですが色々な観点でみると面白いものですね。

 

 

 

 

並木のランキングをみて

昨日は台風15号が関東を直撃するということで都内の電車は月曜日の始発から止まり大変でした。今日、車で府中市内を営業していたら桜並木の桜の古木が根から倒れていました。残念です。

 府中と言えば大国魂神社参道になる天然記念物のケヤキ並木がありますが、枝はずいぶん落ちていましたが無事のようでした。つい最近全国の並木のランキングがでていたのですが入っていませんでした。

 神宮外苑のイチョウ並木、北海道大学のイチョウ・ポプラ並木、仙台定禅寺通りのケヤキ、滋賀県マキノ町のメタセコイア、秋田角館武家屋敷通りのもみじ、河口湖のカエデ、立川昭和記念公園のイチョウ、大阪万博公園のプラタナス、福岡柳坂曽根のハゼ、栃木大山参道のイロハモミジと続いていました。どの場所も日本の代表する景色です。

 でも府中で生まれ育ったものとしては何とか皆に知ってもらいたいものだと思います。ケヤキ並木は平安時代から続いていると聞いています。自分が子供のころは並木のまわりにそれなりの商店街があり自分からすると良い感じでしたが、今はショッピングモールと銀行、マンションが目に付きすぎます。

 時代だから仕方がないと言えばそれまでなのですが工夫が足りなかった気もします。その場所の持つ意味は不動産価値だけで測れないものがあると思いますが、地元の大地主の方々も相続やバブル、バブル崩壊とあり代替わりするたびに中途半端な街並みになった気がします。あくまで私観ですのでご容赦ください。

 先ほど出ていたランキングをみると公園が多いのですが、府中は街のど真ん中にあるわけなのですから人間の感情が街並みになるのも解る気もします。でもやはり魅力的な場所になればと願っています。やはりこれからはケヤキ並木を有効に次世代へと継承する為にもどんなグランドデザインを描いてここで生きられる街にできるかでないでしょうか。ケヤキ並木のある良い街だと言わせたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昔からの「しくみ」に想う

 お盆、お彼岸、やぶいり等の日本の風習について思う処があります。若いころは面倒くさい習慣としか思わなかったのですが、還暦を過ぎて心境が変わりました。俺も歳をとったものだという気持ちの反面、歳をとらないと気づかないことも随分あるのだということも感じています。

 お盆で嫁いだ娘が旦那と一緒にきて墓参りに行きました。ああ嬉しいものなんだなと感じました。日本の風習もいいねと感じています。この風習は生活に根付いた「しくみ」なのです。今も昔も想いどおりにいかない浮世を、なんとか生き延びていくための「しくみ」なのです。

 やぶいりなどの習慣も1/167/16に年二回、商家の奉公人や嫁いだ娘が里に返ることを認められ、店側は服装や履物などを整えて土産を持たせて帰らせたようです。つらい仕事や環境でがんばっていくには年に二回の「しくみ」が丁度よかったのでしょう。それは良い時代とは思いませんが、人が浮世で生きていくには必要なしくみだったのだと思います。

 時代は昭和・平成・令和と移り色んな風習も変わっていき、無くなったりもします。風習をなくすのはしなくなればいいのだから簡単なことです。でもなぜ、この「しくみ」ができたのかと考えてみることです。なにかしら必要だったので残っているのです。昔だれかが知恵をしぼり、しくみとして受け継がれているのです。

 そのことを考えたうえで判断していきたいものです。終戦記念日もなぜ戦争を止められなかったのかを考えるための「しくみ」にしなければなりません。みんなが嫌な、悪いとわかる戦争、人殺しを止めずに組してしまったのはなぜなのでしょうか?どこかに間違った道に進む時のターニングポイントがあったはずです。教科書には載っていない時代の空気があり、それがなぜ止められなかったのかを考えていきたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

終戦記念日に

今日は74回目の終戦記念日です。朝刊(日経)の一面の記事は「就職氷河期の世代の就職支援」の記事でした。コラムの春秋のところに戦争に関することが載っている程度です。自分達世代も戦争を知らない子供たちで戦後10年後の生まれです。もはや戦後ではないという言葉がスローガンとなっていたのが昭和30年に生まれた我々の時代でした。

我々の育った時代は高度経済成長という言葉を旗頭にしてモーレツに働くことが当たり前の時代でしたが、戦争のことは親や祖母からよく聞く話題でした。お盆になれば戦死したおじさんの話やお祭りに行けば傷痍軍人姿の障害をうけた方が寄付を求めて立っている姿がありました。それだけでもとても嫌な気持ちになったものでした。

戦後74年になると戦争は歴史になってしまいました。新聞さえも一面にはしません。良いのか悪いのかは解りませんがとても不安な気持ちになります。あの頃の話を子供のころに聞いて嫌になることが大切に思えるのです。どうして戦争が起きてしまうのかはこの歳になっても解りません。

人間はひとつ間違うと狂気になります。「狂気の時代」が世界中のあちこちで起きてしまったのが先の第二次世界大戦、太平洋戦争だったのでしょう。そのことを検証するのは歴史家の役目なのでしょうが、我々個人としてどうして、なぜ止められず参加してしまったのかはそれぞれの心の中で考えていかなければ犠牲者に対しても申し訳がたちません。

人間の狂気は戦争だけではありませんから日々考えていたらおかしくなりますがせめて終戦記念日ぐらいは考えてみてはどうでしょうか。誰が良い悪いでなくて、なぜ起きてしまうのかを考えてみましょう。人それぞれが違う意見があっていいのです。それぞれがそのことを考えてみることが大切な事なのだと思います。

 

 

 

 

ライフプランは循環型で

20年以上前になると思うが、循環型ライフプランという記事があり新聞に出ていたのを記憶している。何でこんなに前の記事を覚えていたかというと小商いを始めたばかりのころで、そこに直線型ライフプランは終わると書かれていたからだ。自分で小商いをするときに考えたことと同じだったので、不安を打ち消すようで嬉しかったからかもしれない。

今、自分が還暦を過ぎたのであらためて思いだした。小商いを始めて25年やってきたのだが、これからの時間は老いとの付き合い方が大切になる。自分はボケる目前まで、何かしらの仕事をすることが昔からの目標なので、この時期に再度、色々なことを考えなおしてやっていこうと思っています。

循環型ライフプランの中で印象的だったのは、直線型の場合は学校で学び、就職し、結婚、子育て、定年、残りの人生を老夫婦で仲良く過ごす。それに対し循環型は教育も、レジャーも、仕事も、恋愛も、長い人生の間に何度も、どここからでも繰り返しやれる社会がくると言っていたと思う。

25年過ぎた今、日本では100歳までのライフプランみたいな話が出てきているし、還暦を過ぎても以外と元気に暮らしている。(ありがたいことです。感謝です。)やりたいことも、まだまだあります。もちろん年齢なりに出来ないことも増えてはいますが、経験も増えたわけですから。

先日テレビでサウンドファンというスピーカーの会社が取り上げられていました。そこは還暦をすぎた方たちで構成された会社でした。その中の技術者は70歳を超えていましたが、視聴覚にハンディキャップを持たれた方の為の色々なスピーカーに挑戦されていました。技術を持たれたかたはスゴイなと思いました。その方が言われていたのですが、もし今の視点に若い時に気がついていればと言われたのが印象的でした。きっとヒントは誰にもあるのです。それを探してみるのも悪くないと思います。悟るのは凡人には無理と悟りましたので、あがいて、もがいてみようと決めました。

 

 

 

 

 

 

 

名刺を「しかけ」として使う

名刺を「しかけ」として使うことを考えてみませんか。名刺は今でも有効なビジネスツールのひとつなのですが、これからの時代は今までの常識が変わってゆく時代だと思います。名刺も単なるビジティングカードから「闘う名刺!」として生まれ変わる必要があるのです。

今までの時代昭和~平成は旧企業の時代、お役所の時代でしたが、令和は個人の時代になるのではないかと考えています。昔の社会のしくみではもたないのです。もう高度成長でもバブル不況でもありません。社会のしくみが変化していくということはそこで生きる我々のやり方も変えていかねば消え去るのを待つだけになります。

名刺はビジネスでは当たり前のように使われるツールの一つですが変わる時が来ています。今はまだ少数の気がついた人が変えているだけですがこれからはみんなが変わっていくでしょう。TVなどで宣伝している会社全体で名刺の人脈を共有するしくみが売れているのもその一つだと思います。

管理することから発想したやりかたが名刺管理システムなのでしょうが、自分達は人の出会いから発想しています。それは会社組織というのが今までの常識であったことのチャレンジかもしれません。個人の感情から発想することも有りだと思えるからです。

「闘う名刺!」個人が出会いをして行くことからの発想です。個人が何ができるのか、したいのかを堂々と表明していくことが大切だと考えています。会社がどうするのではなくて個人がどうしたいかのほうが大切なのではないでしょうか。

「闘う名刺!」は万能ではありません。「しかけ」なのです。その「しかけ」をどうするかはまさにあなたの腕の見せ所ということです。これから詳しいこと説明していきたいと思います。

人と会うことを考えてみよう

パソコン、SNSなどが急速に普及した現在は昔より人と会う機会が減ってしまったのは確かです。昔といったって10~20年くらいのことです。自分も世間にならったやり方で仕事をしているのには驚きです。

営業でいうと間違いなく飛び込み営業や根性主義は少なくなりましたね。効率もよくありませんし、人がついてきませんからね。僕等の時代とは様変わりしました。長時間労働も休日出勤や夜討朝駆け的営業も接待も問題にならなかった時代です。時々過労死などの記事で労働時間がでていると自分たちもそういう状況だったと思いだされます。

人と会って打ち合わせて仕事をするパターンがメールやラインのやり取りで行われてしまいます。それが当たり前になっています。時々なんでこれがメールで済むのかと不思議に思うことがあります。でもそれを良しとしている上司や会社との取引をしているのですから、こちらでおもんばかるしかありません。

こんな時代、人と人が会って挨拶するチャンスがあれば、それこそ貴重な時間ということになります。そのとき名刺交換をしますね。この習慣はいまだ残ってくれています。きっと人にとっては丁度いい習慣なのだと思います。機械でなく人同士が紙一枚でも交換し合うというアナグロな行為がいいのではないかと思います。自分が取引しているのは人なんだと感じられるからです。

友人が会社で隣の同僚からメールがくると言っていました。話せばいいのになぜでしょうか。そういえば最近お客様のオフィスに伺うと静かな感じはします。昔のはオフィス騒がしいところが多いようでした。よくワイガヤとかいって議論していた会社もありましたからね。会社への帰属意識も高かったと思います。経営者もリストラは最低の経営と考えて取組んでいましたから。

昔のことを書き過ぎました。言いたかったのは人と会う機会が減った今、より名刺交換を効果的に考えましょうということです。

甲子園出場と浮世の変化

今日は夏の甲子園大会の抽選会なのだそうです。今年母校は西東京大会を制し出場をきめてくれました。28年ぶりとのことです。28年前ロッテの井口監督が2年の時と聞きました。今年の後輩たちには悲願の一回戦突破ができるように祈っております。

さて決勝戦はNHKで放送があり楽しみにしていたのですが録画だったようで放送時間の午後までに友達や家族から連絡が入り、嬉しい半面、映画の最後のシーンを聞いたような感じもありました。

一つ文句があります。NHKのアナウンサーへたすぎです。新人が地方大会を練習に使っているかは知りませんが、学校の名前を間違いたり、データーはありきたりのものだし、あまり野球は知らない様子だし、28年ぶりというならその時のことぐらい前もって調べるのが大人の仕事だと思いました。上司は言わないのでしょうか。

世の中は少し変わってきているようです。お隣の韓国とのこともホワイト国除外を支持する人が多数と出ていました。世の中がやっと勘忍袋の緒をきったということです。普通なら抑える側の人達も賛成にまわりました。自分の場合は高齢になってきているので次の世代に当たり前のように隣国の我儘を許すことが風潮になるのを避けたいと考えています。ただし絶対に戦争は反対です。

気分が悪くなるような隣人なら付き合わない方がましと考えます。彼らは彼らの中の理屈で人生を過ごすでしょう。それは他人、他国では変えることができません。自分たちが思う常識で歴史という時を過ごせばいいのです。でも日本は違います。子供や孫には歴史の醜さも素晴らしさも話して行かねばならないのです。うそでなく真実の出来事を知ってもらうのが我々ちょっと先に生きた人間の役目なのですから。もうすぐ、原爆のおとされた日がきます。終戦記念日もきます。もう一度、自問自答をしてみたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

どうなっているの?

参議院選挙の翌朝、テレビをつけると参議院選挙の結果の報道かと思っていたのだが、吉本興業のウラ営業の会見の話ばかりでした。もちろん人気タレントの所属する日本最大級のエンターテイメント会社のスキャンダルなので面白いのはわかるのだけれどマスコミとはいい加減なものだと改めて思いました。

 参議院選挙の結果は予想どおり与党の勝利で国民の安定志向が、いかに強いかが印象的でした。日本の場合は急激な変化は望まないのでしょう。でも考えてみると今のままでは自分たちの暮らしは不安だらけの気がしています。若い人達はもっと不安になると思います。若い時は未来があるので切実感は我々のように定年前後の世代より楽観しているのかもしれません。

 世の中は思ったようにはなってくれませんから少しずつでも概念を変えていくしかありません。大きなことではなく小さなことでも概念が変わって行くことが大切だと考えています。自分の場合は名刺です。詳しくはブログで名刺について書いていますので興味があればご覧くだされば嬉しく思います。

 今回のウラ営業の話はタレントがからみますので皆が興味をもたれますが、企業の不祥事、隠ぺい、偽装はどれほどあるのでしょうか。しかも一流企業ばかりです。自動車の検査偽装や住宅の性能隠ぺい、資料の書き換えなどきりがありません。そんなことをする為に優秀な大学をでて就職して何十年も過ごしてきたのでしょうか。

 それを報道する側も有力なスポンサーの不祥事は報道してもCMをキャンセルすることはありません。いままでどおり高感度の高いタレントを使いイメージアップ広告を流しています。見ていてうんざりします。

 最近の若者がスマホでユーチューブなどをみてTV以外で情報をとっているのが良く解る気がします。これも情報というなかの一部の概念が変わって行くことなのです。つまり莫大な広告費を使う企業は偽装や不祥事、反社会的勢力とのつながりをマスコミを利用して国民をだましているのでしょうか?