新しいオーラの色について

私の母は実は昔から多少霊能力的なものがあるらしく、それによるといつもではないが、まれに人のオーラのようなものが見えるとのこと。

今日朝、母が気がついたことらしいのだが、今までは私のオーラはほとんど白と青で形成されていたらしいのだが、そこにまだ控えめではあるが、紫の色が加わったらしい。

ちなみに前に母意外のオーラを見る人に鑑定してもらったところ、白とピンクのオーラだったらしい。

これは私見ではあるが、おそらく白はベースカラーなのだろうが、そこに赤と青のオーラがあり、これが白+赤=ピンクか、赤+青=紫という風に私の精神状態によって出てくる色が変わっているのではないかと思うのだ。

オーラの解説によれば白は全ての要素を吸収する色だが、赤は情熱、青は冷静さや知性などを表しているらしい。

だとすると以前は情熱の赤が強かったが、現在ではそれよりも状況を知性的に静観している、つまりは冷静に考えていると解釈できるかもしれない。

その結果、今は白+赤で合成されたピンク=愛とか感傷というよりも、青の力が強まり赤と合わさることで紫が出てきたのではないかと考えている。

紫は情熱と冷静、つまり赤と青を包括した色である。

ちなみに紫はスピリチュアルとか精神性とかを表す色でもあるそうだ。

これには思い当たるふしもあり、最近のことではあるが、突然、気持ちの持ち方が今までの夢追い人的思考から、人の生き方にはもっと大切なものがあるのではないだろうか?という考えに変化してしまったのである。

情熱的で夢ばかり追うだけではなく、もっと静かでやすらかな人生もこれもまたよし。

そう思えたことが赤の色にうまく折り合いをつけ、私のオーラに違う色を生み出したのかもしれない。

 

 

 

 

 

理屈で考えることの弊害

最近感じていることを一言で表すならば「理屈で考える癖」をどうにかしたいということである。

頭でなんでも考えることは良い意味合いの言葉だと哲学的であるとか、理論的であるとかいう言い方をするが、悪く言えば頭でっかち、理屈っぽいということになる。

この理屈で考える癖というのは厄介でなんでも物事に意味を求めたり、疑問を持ちすぎる傾向がある。

哲学者やそれを仕事に結びつけている一部の人ならいざしらず、これを突き詰めすぎると、全ての物事、自分の行動に何も喜びのようなものを感じられなくなってしまうように思える。

私の場合、長く人生に悩み、神秘学、心理学、哲学、宗教学、その他文学などの芸術にも答えを求めたが、どの分野においてても確たる意味でこれが必要であるとか、自分のしていることがこの世の中や人のために必要かという意味は見いだせなかったような気がする。

こういうとても絶望的に感じられるがたぶんそれは「ない」のである。

ではどうすればいいかと言えば、はっきりした答えは見いだせないが、少なくとも私の場合は、理屈や正しさだけではなく単に物事を「楽しめるか」ということに主眼を置こうかということに至った。

好きなら物事にチャレンジしてみるし、嫌だったりつまらなければなるべくしないのである。

これほど長く悩んできた結果がたったこれだけのことと悲しくもなるが、どんなに理屈で物事の意味を考えても答えはないことが分かったので、今、できる判断法はただこれだけである。

そう考えるとあまり意義を見出せずに頓挫したことももう一度やってみることができる気がしてきた。

今はまだ完全に理屈で考える癖が抜けていないが、いつかまた子供の時のように心で楽しんだり、素直に表現できる日が来るといいと思っている。

バースマークについて

最近、知り合いが変わったところにアザというか、傷のようなものが生まれつきあるということで、その点についてちょっと調べてみた。

これはスピリチュアル的な目線で見るとバースマークといって生まれる前、つまり前世などで自分の体験したことなどが印として表れるものらしい。

その人の場合は肩付近で、自分の場合は首のうなじの部分に貯金箱みたいにアザのようなものが生まれつきついている。

ちなみに変わった生まれつきのほくろなどもバースマークに含まれるらしいとのこと。

バースマークがある理由は他にもいくつかあって、例えばパートナー同士で同じ部分にそれがある場合、前世でなんらかの関りがあったので、今世でも目印となるようにこれが分かりやすくついているらしい。

もう一つは生まれ変わる前に今世でも自分の子孫だと分かるように(これは使命を果たすとかの場合もあるらしい)印がついているということもあるのだとか。

本当かどうかは分からないが実にロマンチックで面白い考え方だと思う。