おごってる?のかな

今日はドジャースは負けてしまったが大谷君は38号を放ってくれたメジャーのすべての球場でホームランを記録したとのことです ここのところ調子を下げていたがメジャーでホームラントップだし今年はリハビリ中なのだから考えられないほどよくやっていると自分などは思うのだが世間というのはいいかげんだから言いたいことを言っている スーパースターの宿命なのだろう

昨夜ナイター中継 巨人対横浜を見ていて思ったのだが選手の顔と名前が分からなかった自分は巨人ファンだから古い選手は知っているのだが新しい選手は分からないと知る努力をと思い目を凝らすのだが なかなか覚えられない横浜の選手は背中に名前が書いてあり何とか区別がつくのだが巨人の選手の背中には何も書かれていないのでぶつぶつ言っていたら野球好きの妻のいうことにはヤンキースの真似らしい 要はフォアザチームとかで個人名を表記しないのではと言っていた 面倒なので調べはしないが 本当ならちょっと違うんじゃないのと思う

チームを思う前にファンが名前も覚えてくれないのはどうなのでしょうか?多分巨人以外のチームは表示があると思います 未だに球界の盟主気取りはいかがなものかと巨人ファンの自分などは思います 今年は何とか優勝してもらいたいのですが同時に色々と考えてみたらどうでしょうかね オールドファンより

 

今日は天赦日だそうです

暦を見ると今日は天赦日とのことです 天赦日とは天が万物を赦す日で大吉日だそうです 早速サマージャンボを買いに行くとどこの売り場も年配の人が並んでいました そうだよな天赦日なんて気にするのは年寄りばかりだなと思いましたが自分も十分な年寄りです でも天が万物を赦す日というのはすごいな それも契約をした信者とかでなく万物なのだから太っ腹もいいところです 感謝 それに今日は大吉で一粒万倍日でもあります 並ぶのも無理はない

天赦日という言葉はどこで聞いたのだろうと考えると最近読んだ小説あきない世傳金と銀(高田郁)の江戸時代の商人の話の中で何度も出てきたので何となく気にはなっていました どの時代も人は天に赦しを請いながら生きていくのですね人である以上罪を日々重ねながら生きていますから ちょっとでも気持ちが楽に過ごせるように昔々のどこぞの知恵者が考えて作ってくれたに違いありません ありがたく受け入れさせていただきます そう思うだけでもちょっとは古代の人に近づいている気がしてのどかになりますね

 

偶然ってあるんだな

昨日から府中は大國魂神社の例大祭(6日まで)が始まりにぎやかな状態です。昨年はコロナ明けで、またもとの生活に戻れるのかと疑いながらも嬉しかったものでした。今年は一段と祭り好きにはうれしく、楽しい数日になるでしょう。

祭日ですが郵便物を出すため本局に行きました。家から局までは大國魂神社の前を通り15分くらいの距離ですが、町はすでに祭りの準備で町内もお店も忙しくにぎやかになっていました。今日の夜から山車や駒競べなどが始まり盛り上がるなと思いながら行きました。帰りは少し別な道で戻りました。いい天気だなとか思いながらボーっとして歩いていると名前を呼ぶ声がして顔を見ると高校時代からの仲間でした。びっくりです。

実は数日前ラインをくれてやり取りをした仲間です。その時、近況のなかで両親が96歳、92歳で三月に倒れ施設から戻ってきたばかりで、今は飲みに行けないと話していた仲間でした。彼は隣の市に住んでいるのですが年二回ほどは数十年にわたり飲み会をしている仲間です。散歩をしているのは知っていましたが、今日この時間にばったりとは不思議でなりません。

郵便物を出し忘れ、祭りで賑わっている道を避けて、昼飯を買うために普段行かないスーパーにより戻るところでしたから、それも裏通りです。偶然とはあるものなのですね。これから親の処へ行かねばならず立ち話しかできず残念でしたが顔をみれ、元気そうだったので良かった。このばったりと合うというのは上の方から眺めるとどんなものなのかなどと、くだらないことを考えていました。久々に不思議だったので書いてしまいました。

 

 

認める、認められるということ

ニュースで春の園遊会を報道されていました。天皇陛下を始め他皇族の方々と招待された有名な方々とが楽しむ様子でした。今回は愛子様のデビューが話題でしたが我々年寄りは随分大きくなり、女の子は可愛くなるなあというのが感想なのですが、こういうのも〇〇ハラスメントとか言われるのかなと、ずっぽり昭和の親父としては気になる今どきです。正直な感想だから仕方ないけどね。

こういう権威のある所に招かれるのが人として認められということで名誉なことなのでしょう。自分とは縁がないことなのですが認めるというのはものすごいパワーがあるなあと改めて感じました。人にとって権威から認められること、承認されることは歴史上の人物たちも多く望みそれは当たり前のようにいきわたってきました。これをいい悪いで判断することはできないんでしょう。人間というのは承認されたいと望むものだから。

昔は権威のある権力者がそれを認めるということで世の中の一つの形みたいなものを維持してきましたが、今はSNSで注目されるというのはまさにそれがかたちを変えたパターンなのでしょうね。でも注意は必要ですね。それが何かわけのわからないもの、ことに利用され本位でない社会へ誘導されたらつまらないことになりますから、難しくても考え続けたいですね。認めるということについて。

 

4年の空白から又始めます

2020年4/29の書き込みから4年間の時を必要としてしまいました。コロナのショックはとても大きいものでした。もう投稿のやり方からわからなくなり、やっとのことで書き始めた感じです。ともかく今日から色々とやり始めてみますので今日は短文でお知らせという感じです。

「あえて無題の日」

3/10は東京大空襲(1945年、昭和20年)から75年でその年の終戦8/15より5か月前ということになる。10万人もの民間人が亡くなったという。なぜ本土空襲が行われた時にやめられなかったのか、原爆の投下まで判断できなかったのかと今の時に考えれば不思議になる。独特の「空気感」が時を支配していたのだろう。恐ろしいことであり、今でもこの状況は考えつづけないといけない。

 3/11といえば東日本大震災(2011年、平成23年)あれから9年だ。2万人以上の人が亡くなられた日だ。あの時府中市ではあるが、この時間に営業で自動車を運転していて経験した異常な感覚を忘れることはないだろう。あの後の日本の状況は異常だった。信号は止まり、電気も停電、原発事故、経済の停滞と大変なことになってしまった。あの時も独特な「空気感」がながれていた。

 今年は2020年東京オリンピックが7月にというこの年にコロナウィルスの流行という弱った事態が中国武漢より世界中に広がってしまい、日本も大変なことになっている。オリンピックはどうなるかまだ決まらないが、この状況にもあの独特な「空気感」が気になる。この空気感は論理や感情や道徳、俗にいう正義など構わず全体を支配していく。そして日本人はこれに巻き込まれやすい人種なのだ。

 何をすればいいのかはわからないが、ひと呼吸おくことを個人がすることしかない。自分がするべきことは自分しかできないのだから。そんなことを漠然と考えています。だから今日は無題の日としました。

 

 

 

 

 

「これからの働き方」

今、世間ではコロナウイルスの感染で大騒ぎになっています。中国の武漢から広まった困った病です。その終焉はまだわかりませんが我々庶民の出来ることは手洗い、うがい、マスクしかないのが現状です。

 今回この流行で思うのは、いかに世界の大企業が水平分業で自国以外、中でも中国に工場を作り依存しているかということです。価格競争という名の下で自国製造ではなく海外のコストが安くできるところに分業しているかということです。

 もちろん中小企業もいっぱいありますが世界に名だたる企業が水平分業を当たり前のように正義としてやってきたかが解りました。それらの企業は優秀な人材として高学歴の人材の人気になっているところが多いのです。

 その人たちは幼いころから勉学に勉学を重ねてその狭き門の有名大学、有名企業に入ってきたのでしょうからスゴイ努力家なわけです。その人たちは世界で活躍することをモチベーションとして生きています。本人達はそこに幸せを感じるからこそ挑戦してきたのでしょう。

 そしてこのようなコロナウィルスの流行の時も働かされています。そして日本の経営者や政治家は終身雇用を終わらせるのが世界の常識というような態度です。我々は騙されていないでしょうか?もう一度考えてみないと将来大きな禍根を残す気がしています。

 いまの常識、当たり前が本当にそれでいいのかを疑問を持つことが必要です。人それぞれの幸せは色々ありますからこれだけが幸せなのだという思い込みだけは捨てましょう。

 それに最近流行りの働き方も方法の一つだという認識を持つと同時に、すべてがそれに代わることはありえないということも考える必要がありそうです。日本人は一つの方法が正しいと思いがちな国民性が特徴でもあります。

 昨年はラクビー人気がすごく、今年はオリンピックというスポーツイベントがありますが、その人気に隠れて不正や汚職や新しい変化が見逃されないようにしたいものです。働き方改革もその一つだと思います。気をつけましょう。

 

 

 

 

 

深刻でなく真剣に

今は大学入試のセンター試験の最中だそうで、この制度は今年が最後で新しく変わるそうです。この制度は自分が大学受験のころには無くあまりよく実態は解りませんし善し悪しも論評できません。

ただ思うことは、さ中の若者は大学受験のことしか頭にないかもしれませんが世の中それだけでないのだから真剣に考えるのは善いけれど、深刻には考えないでほしいということです。深刻になるとあまり良い結果は生まれないのが世の常のような気がします。

選択肢は色々あります。自分にはこれしかないと考えるのは思いすごしです。大学受験、就職、結婚・・・と節目は色々とめぐってきますが、これしかないと決めつける時代ではありませんからね。

昨年来から政府はWワークなどを推奨していますが、センター試験の始まった我々の青春時代の風潮は終身雇用が当たり前でしたから。その次はリクルート、とらばーゆとかのことばが世の中で認知され始め転職が選択肢の一つになりましたし、バブル崩壊・失われた20年・リーマンショックなど世の中の価値は変転し続けます。

ちょっと前までは勝ち組、負け組という言葉が流行りましたし、今は一等国民と二等国民みたいな嫌な言葉が使われたりしていますから、なるだけ安全な進む道を選ぼうとするのが人情だとは思います。ニュースなどをみていると安全な人生を選んだ人達の事件もかなり目立ちます。

世に絶対はありませんから、選択肢は自分で選ばないとあの時こうしておけばよかったと後悔をくり返す人生になるとつまりません。人はやりたいことをせずに過ごすと同じ後悔を繰り返してしまう動物と聞きました。一度挑戦して失敗するとあきらめられるので繰り返し後悔せずに次の挑戦ができるそうです。

とにかくこれが全てということはありませんから深刻でなく真剣にがんばって生きていくしかありません。

 

 

 

 

新しい名刺を考える⑤

なぜ?「闘う名刺!」と名付けた名刺を作ろうと呼びかけているのかを書いてみます。世の中はどうやら変革期になどというと既に変わったんだという人が多いのかもしれません。でもどうでしょうか?本当の今まで日本の戦後を支えてきた制度や習慣は変わり始めたが正解なのではないかと考えています。

確かに情報革命や会社の有り方などは変わっているように見えますが、コアな部分は少しずつしか変わらないのが日本という国なのだと思います。余程の事がない限りちょっとずつ変化していくのが日本の良いとこであり、悪い所でもあります。例えば我々の若いころに転職があたりまえになりました。リクルートなどという会社や言葉が注目を浴びましたが終身雇用が変わって行ったのはバブル後から本格的でリストラが進みました。その間数十年かかって一般化したのです。

自分が商いとしている名刺はどうかというと未だ旧態然としたパターンの中から抜け出していないのです。なぜでしょうか?会社が主体で作成されるからです。そして制作する部署は経費削減の事しか頭にありません。名刺のパワーを感じていません。安ければいいのです。

時代はどんどん変化しています。名刺交換という風習も営業の仕方も変わり始めています。会社も少しずつですが変化してきています。昔より個人を尊重する姿勢が見られるようになりました。男女の雇用やWワーク、起業を応援するところもあるようです。要は人生100年を会社が背負えないということだと思います。だから個人で個々の名前で勝負していくしかないのがこれからの世の中なのです。

そう考えると個性のない名刺を持っているのが不安になるはずです。自分が何者で何がしたいのか、何ができるのかを直接出会った時に名刺交換の場で伝えるのが重要なテーマになります。後はほぼネットでのやり取りが常識になるのでしょうから。だからこそ一瞬の出会いが大切になるはずです。そでなければ仕事はつまらないものになります。AI任せですべてがすめば人間は不要ですからね。

 

 

 

又、始めました

9月にカミナリの為にパソコンがやられてしまい新しく購入したり、修理したり設定がうまくできなかったりして大変な思いをしてしまいました。文化系の自分にとっては最も苦手なことのひとつが機械の設定なのです。でも何とか元に戻った今日この頃です。又少しずつブログも書いていこうと思います。

この期間、半月ぐらいに色々ありました。先日ブログを書いた時はWカップラグビーで日本が連勝してすごいと書きましたが、昨日は何とスコットランドにも素晴らしい試合で勝利し、一次リーグをトップで初のベスト8を決めてくれました。

自然現象はどうしようもなく台風19号が関東を直撃し河川が氾濫し大きな被害をもたらされました。スマホの災害情報のお知らせがみんなのスマホからしつこいほど流れてきました。府中でも多摩川の決壊があるのではと非難勧告がだされていました。何とか大丈夫だったようですが、40年前に学生だったころの多摩川の増水の被害を思いだしてしまいました。

ラクビーでは人間の力の凄さに感動し、台風・カミナリなどの天災では人間の力ではどうにもできないこと知らされます。思いどおりに行かないのが人生なのだと改めて考えさせられます。目の前の出来ることを淡々とやっていくしかないのです。良いことも、悪いことも含めての人生ということなのですね。

自分が出来ることといえばパソコンが思いどおりに動いてくれない時に、しかたがないので今まで書いたブログを見直していました。反省はしないようにしているのですが、これからは少しペースを落としてでももう少し一つの話題を掘り下げて行こうと思いました。