東京ビッグサイトの展示会に行ってきた

 第29回文具・紙製品展ISOTに行ってきました。文具好きなので最初に開催した時からほとんど見ています。商売で販促品をしていますから情報収集の為にも、他にもギフトショウやその時々の○○フェアは時間が許す限り見る様にしています。

 今回は驚いたのは商品でなく、主展者でした。もちろん最初の頃と比べて変わるのは当たり前ですが、会場のレイアウトが日本の業者が少なく周りにぐるーと囲んでいる配置で内側は中国ばかりでした。以前は海外主展者とエリアが分かれていたのに日本の出店が少ない為の苦肉の策と感じました。

 最初の頃は日本の大きなメーカーも皆出店していて、コクヨ・プラス・ライオン・パイロット・三菱鉛筆など大きなブースでコンパニオンもたくさんついて説明をして、全社をあげて集客しているイメージでしたが、バブルを過ぎたころから示し合わせたように全社が出てこなくなりました。もちろん大メーカーですから自社のショールームはあるし、独自のフェアはやっていますが文具という取組みに対しての勢いがなくなったと感じるのは自分だけでしょうか。

 それに対して中国の勢いはすごいものがあります。ほとんどの大メーカーも国産の工場でなく中国やほかのアジアの工場で生産していますから、仕方がないのでしょう。日本のどこかで見たもにチョットだけなにかをプラスして展示している気がしました。でもメーカーは来ないのだから結果OKと言うことなのでしょうか。どちらに情熱を感じられますか?

 昔はISOT単独でビッグサイトでやっていたのに今は雑貨、ファッション、販促品、営業支援といったギフトショウで出てこられる業界の方も一緒にしてやっていました。文具単独では集まらない時代ということなのでしょう。さびしい。その中で営業支援、広告宣伝のスペースはにぎやかです。昔のようにコンパニオンの人達も相当数おりました。やはりSNSを使ったそれらが今の主役ということなのですね。よくわかりました。

 

谷根千、アメ横を散歩

きのう谷中・根津・千駄木そして上野というルートで散歩してきました。テレビや雑誌でよく取り上げられる場所ですが、ぶらーっと散歩したことがなかったので梅雨もきのう早々と記録的に明けたということでしたので、暑さを承知で出かけました。

まずJR日暮里で降りて西口より歩くとすぐに夕焼けだんだんという場所で、昼に来てしまったので景色を一望して谷中通り商店街にはいりました。自分は小商いをしていますから、小商いの店を観察してしまうクセがあります。今回は下町のお店はこの時期どんなかな?という興味もありましたので、ここに来ました。

商店街のお店でメンチコロッケを買いました。おいしかった。ぶらりしてみるとアイス、かき氷の店は外人さんで混んでいたのでたこ焼きで生ビールにしました。たまには昼からビールもいいですよね。ここは猫が多いと聞いていましたが、この暑さの中いるのは人だけでした。残念、動物は正直です。猫のモチーフの雑貨はたくさんありました。昨今の女性は猫好きが多いですね。

商店街自体はびっくりするほど特徴があるとは思えませんでしたが、イメージづくりが上手なんだと感心しました。残念な事に行き先の案内があまりなく、ゴミ箱が少ないのはちょっと残念でした。我々のような高齢者も外人さんもわかるようなサインがあれば良いのになと思いました。

ちょっと道に迷いながら根津神社で茅のわくぐり(健康祈願)をしてお参りをして喫茶店で一服し、不忍の池でボート、蓮をながめてから上野へ、そしてアメ横商店街から御徒町より帰途にという段取りでした。やはりアメ横のにぎわいはすごいですね。観光客アジア系、ヨーロッパ、アメリカと色々な人達が楽しそうに食べながら見て回っていました。縁日のような雑多なところに魅かれてしまうのは、昭和の人間だからしかたありません。

昔、学生時代ですから40年も前の頃はこんなに外人はいなかったと思い、インバウンド消費ってすごいなと改めて感じさせられました。それとこの観光客を他のエリアでも、もっとこの街とは別の日本としてきてもらえるようにしなければダメだというのが実感です。観光で来ても日本の日常いたいなものでも外国人にはカルチャーショックみたいなことがいっぱいあるでしょうからこちらも特別なものではなく日常的な習慣をアピールしていくことだと暑い中、電車のなかクーラーがきいた車内で考えながら帰ってきました。

小商い25年

25年前に創業したころからのお客様の注文を確認しなければならず資料を引っ張りだしました。そのころはパソコンもなく紙のデーターと印刷見本、見積りなどですがようやく見つかりました。そのときからのノートを見て、この25年を思い出してしまいました。なつかしく、ありがたく感じる一方で、こんなにお客様が変わったんだなと思いました。

小商いですからお客様あってのことなのですが、バブル崩壊からの25年はウチばかりでなくお客様にも大変な期間だったと改めて感じました。30数社が廃業、移転、倒産、買収、担当者の逝去とかショックなことの多い時間でした。ウチの取引先も仕入れ先もずいぶんと変わりました。

やっていることは名刺と販促ですが内容はズイブン変わりました。お客様も世の中も25年という時間はこんなにも変化していくのだと怖いぐらいです。その都度、自分の考えかたも変わったのだろうか? 販売方法は変化せざるをえなかったし、こんなに急速にインターネットが普及したり、中国の発展拡大が進み、又いまは次の流れがきているようですね。

国内では平成という時代は神戸、奥尻、新潟、三宅島、東北地方、熊本等々ほかにも天変地変が多く、政権交換があり、そしてリーマンショック、失われた20年とかいわれた時代でした。我々小商いの小商人はそのたびに、右往左往しながら生きてきたんだという実感だけはあります。

やりかたや商いの相手は変わりますが、基本の姿勢だけは変わることはありません。小商い、小商人として生き抜く覚悟とお客様あっての商いということです。カッコウをつけているのではなく、本当にそう思っています。しかし、ちょっとした探し物でこんなことを思うのは歳のせいかもと、それはそれとして体調管理を心がけてダイエットして頑張ろうと思いました。

不易流行

小商いをやってきたものとしておかしく感じることが最近多い。昔とやりかたが変わって行くのは当たり前だし、仕方がないと思う。システムはこれだけ世の中が変化しているのだから対応していくしかないと思っています。

問題だと思うのは商人の心のことなのです。「不易流行」という言葉があります。世の中の流行りをとらえ動いていくのが商人の仕事です。また、変えてはならない守るべきクレド(信条)もあるはずです。それは個別に色々あると思いますが、共通するところはユーザー、お客様への想いだと考えています。

古いと言われようが商人は自分の惚れた商品・サービスに適正な儲けをのっけてたくさんの人に紹介し広めていくというのが基本です。そのなかで解りやすく説明し、納得いただき、迅速に納品するのが仕事です。その部分部分がインターネットでの販売や、宅配業者へ依頼する納品、コンビニ払いのような支払い方法に変わっているだけです。

その基本はインターネットなら広く良い商品を知ってもらえるし、宅配も、コンビニ払いもお客様の便利さのことが先にあるはずです。なのにどうでしょうか。複雑な操作をしなければならなかったり(高齢者には)、金額ばかりが競争になり商品そのものを使ってえられる価値を説明がおろそかになっていたり、自分たちの都合でシステムの変更がされたりします。

商人は自分も含めて基本にもどりましょう。自分の不易流行を思い起こしましょう。そうすれば少しは何かが変わるかもしれません。小さな小商いから変えましょう。品質をうそで固めて取引を増やし、そのことを担当や経営者が変わったら引き継いでいる様な恥さらしな大企業など全くかわらないでしょう。第三者委員会をつくり検証云々というのは、ごまかしでしかないと思います。誠実にやるならまずは解体そのうえで再生でしょう。企業も学校も協会も何の為に設立し存在しているのかを考え直してもらいたいものですね。

チャレンジすること

 エンジェルスの大谷君(ファンなので君で許して)が肘のケガとのことで故障者リスト入りとか。この数カ月新しい場所で、環境でチャレンジしているのをみると勝っても負けても楽しかった。メジャーの放送なんか見なかったのに見る様になった。早く見たいがここはキッチリ直してほしい。あせらずとも二刀流は大谷君しかできないからね。

 それにしてもエンジェルスでの大谷グッズもバカ売れしているのだろうから、スーパースターは凄いし、アメリカという国も面白い国だ。やはりチャレンジする人には魅力的な国だ。日本はどうだろうか?

 日本の起業意識は世界最下位だったと記憶している。確か七割の人が無関心という記事を読んだことがある。チャレンジには程遠い数字ですね。それでもここ数年は政府の方針なのか起業や副業、Wワーク、フリーランスなどを盛んに薦めている。働き方改革の一環なのだろう。悪いことではないと思う。

 自分は小商いを家業とする身なのでチャレンジする人達が増えれば仲間が増えて大歓迎なのだが、制度もあるが意識の改革が先だと思う。アメリカのようにチャレンジする人を応援できる空気感がない。寄らば大樹の陰ということばの方があたりまえに受け入れられる国だから。

 チャレンジする人をあたりまえの国にしなければ発展もあり得ない。大谷君のような素晴らしい才能の持ち主だけがチャレンジをするんではなく、ごく普通の人が日常的に色んなことに挑んでみたり、挑んだ事に対して応援したり讃えてあげれる日本でなければと思います。

 ハードルは高くしなくても良いんです。何かにチャレンジしている人を、お店を、会社を応援しましょう。そこから始めましょう。周回おくれでも走りつづけなければ追いつくことはありません。抜かれるばかりですから。まずは身近でチャレンジしている人をさがして応援しましょう。

 

 

ヒット番付を見て思う

日経MJの2018年上半期ヒット番付の発表がありました。東の横綱は「大谷翔平」、西の横綱は「平昌五輪」でした。そのほかフリマ経済圏(メルカリ)、君たちはどう生きるか(本)、ゾゾスーツ、おしゃべりAI、強炭酸etcとありました。

今までのものより商品というよりは何か既存の常識に挑戦する人や、出来事、サービス、工夫がヒットしていると自分なりに受けとめました。若い人達の常識的なものへのチャレンジ精神は気持ちがいいですね。メジャーの大谷君、フィギアの羽生君、将棋の藤井君、卓球の張本君と今までの大人の常識を変えてしまう活躍は見事です。だれかのいいなりになって忖度している大人と大違いです。

毎年ヒット番付をみているとわからないものも多いのですが今年はあれかと解りました。自分のなかでのヒット商品は何年か前に流行った5本指ソックスです。先日、通販のカタログがきたので見ていたら色々と種類が増えていました。そのなかで女性のパンストにも5本指があるのには驚きました。さらにその5本指にネイルが印刷されているのを見てスゴイと感じました。日本まだ大丈夫だ。

まさに小商いのおもしろい所だなと感じます。爆発的ヒットはスゴイのですが、小商い的目線で見るとパンストのネイルとか、100円ショップの商品を見ていると楽しいものです。むかしはもっと色々と商品自体がおもしろアイデアのようなものがたくさんあった気がします。遊び心を忘れては人生の損だと思います。

今の時代はスマホで個人対個人の取引が簡単にできる時代です。お店や小商人は工夫するしかありません。万人にうける商品、サービスは大手に任して小商人は特定の人や集団にうける商品の開発に頭を使いましょう。海外の競争はそれが好きなバリバリの出来るビジネスパーソンにゆだねましょう。小商人は小商人なりの闘いを考え、こじんまりと噂になるようなものを考えましょう。

外国の商人が、うまいこと考えやがったなとニヤリとする商品・サービスを考えたいものですね。ここにもきっと若い世代の小商人の力が必要です。みんながスタートアップ企業になることも、最先端の経営者である必要はないのです。

 

 

 

このごろ買い物がつまらない

日常で生活していて感じることがあります。むかしよりお店で買わなくなった気がします。飲み食いも同じです。ここは東京の府中市ですから、それなりにお店もあります。自分が歳をとったということを差し引いても減った気がします。なぜでしょうか?

ひとつには若い時より購買意欲がなくなったということもあります。それにしても買わなくなりました。ときどき寄るのは本屋、100円ショップ、コンビニ、スーパーぐらいです。あとはネットで購入することが増えました。60過ぎの人間が当たり前のようにネットやスマホで購入する時代になったということでしょうか。

先に書いたときどき寄る店は、みんなチェーン店ですからどこでも同じパターンのお店です。切れているもので、すぐ使うものを買うだけです。むかしなら何があるか見たりしましたが、だいたいどこの店でも同じなので見なくなりました。金額が高めのものはネットで調べてから買います。

むかしはお弁当とか惣菜も各店で特徴のある個人店がありましたが、今は飽きてしまいますね。この店のこれが食べたいというのは家の近くの小さな和菓子屋さんの豆大福くらいです。お店でも売り場でも会話して買うということが少なくなりましたね。小商人としてはさびしい限りです。

自分の商いは会社関係の取引がメインなのですがむかしと比べるとやはり会話は減っています。今日は仕入れの業者からネットでの注文になる連絡がありました。そうなるから登録してくださいと営業の人から話がありました。説明も文書にかいてあるので読んでください。会社でそう決まりましたから、自分ではどうにもなりません。その会社や店に愛着などわきません。

要は白か黒かだけなのですね。違うものが欲しければどうぞ他を探して下さいということなのです。お客と一緒に考えてはくれません。だから同じものならどこで買っても良いというパターンの店ばかりになり、買い物がつまらなく感じるのでしょうか。小商人としては他人ごとではいられません。どう自分の店、商品を魅力的に見てもらうか真剣に取り組まねばと考えています。

 

 

 

 

床屋さんに行きました

床屋さんに行ってきました。床屋さんといっても1000円でカットしてくれるところです。数年前に子どものころから何十年も通っていた床屋さんが引退し廃業してから、いまどきの流行りのこのタイプのお店に行っています。

昔の床屋さんというと値段は高いがていねいでした。話をしながら1時間ぐらいかかりましたよね。そのかわり頭を洗い、顔をあたってくれますし、行きつけなのでいつものと同じでやって下さいとイスに座ればOKでした。混んでいるときは漫画が置いてあり読んで待っていましたね。世間話で花が咲くという感じの浮世床の世界でした。

今は安い。1000~2000円ぐらいですからね。カットだけなら1000円だし洗髪・ひげそりをしてくれるところは2000円です。チケットを券売機で購入し、カットだけなら15分ぐらいで終わります。最初にこうしてくれと頼めば話すこともありません。中の注意書きにはやらないことが色々と書いてあります。これで商いが成立する時代なのです。

空いていれば1人ぐらい待っても30分あれば終わりますので、何かの途中でやってもらえます。ちなみに今日は月末支払いで銀行に行ったついででした。割り切れば便利です。平日は空いているかと思いきや、いつも満員です。それを見ていると高齢者が多いようです。ということは社会になじんだということです。これが今時の常識になったわけですね。

味気ない気もしますが、コストパフォーマンスには勝てません。きっと対局の床屋さん、美容室もあるんでしょうね。残念ながら行ったことがないのでコメントのしようはありません。でもこういう業態がもっと色々と出来てくるのでしょう。だいたいの場合、高齢者のほうが多い世の中なのですからその世代で混んでいると、常識になってきたということなのでしょう。コンビニも、コーヒーショップもスマホもみんな使うのが当たり前になりました。小商いも高齢者の常識にならなくてはいけませんね。

 

何かが違うんだよな?

最近地元の府中駅にある書店の場所が2階から1階へ移転しました。2階にあるころは本好きなので、通過するたびに何となく寄っていました。1階に移って数か月たつのですが3回ぐらいしか行っていません。近くなったのに何が原因なんでしょうか。

1回目に行ったときはレイアウトが違うのでそれを覚えたイメージでした。2回目はいつも行くコーナー(商売関連、歴史など)に行ったのですが何か違って感じました。買いたいと思っていた本が置いていなかった事もあります。3回目は慣れてきたのですが吟味できない、落ち着かない感じでした。本好きは何となく立ち読みをしながら買う本を探しますが、どうして違和感をもってしまうのだろうか。

場所が変わると慣れないのはしかたないけれど、購買意欲が下がるのは自分も小商いをする端くれとして考えてみようと思っています。自分のことなのに今はこれだから買いにくいと思い当たりません。なぜだろう。ひとつ思い当たるのはレイアウトです。もうひとつは在庫かな。以前は売れそうにない本も結構並んでいたので色々とヒントになり良かったのですが、売れ筋が置いてある気がします。

商売としてはデーターから売れ筋を置くのが当たり前なのですが、本屋好きからすると何か物足りない感じです。これは自分の勝手な在庫の並びをみての意見ですから、気のせいかもしれません。自分のどこかにAIとかデーター管理への違和感や反発があるのかもしれません。

でも書店に限らず、これからの商売はAI、データー管理、SNSなどを駆使していかねばならぬのは小商人の自分も良く解っています。そうせざるを得ないとも感じています。でも何か人間のもつ5感、いや第六感を気にかけることも忘れて欲しくないと思います。人と人が出会う時感じるのは損得ばかりではないはずです。これからの小商いは大企業と差別化して生き残るのには、このあたりがヒントのような気がしてなりません。理屈にあわなくても応援したくなるといったことが必要なのかもしれません。

 

 

微妙なニュアンスの商い

小商いをしていて小商人として最近感じていることを書いてみたいと思います。取引をする際に物を仕入れるわけですが、昔と違って営業というイメージの人を見なくなった気がしています。もちろん、うちの担当営業の人はいますが型どおりのことしかしないようです。うちが小さいからと思っていたのですが、他の会社の社長に聞いてもそうだそうです。

自分たちが営業で回っていた頃は行くたびに何かを売り込もうと考えていたのですが、今はそれほどガツガツしなくていいという会社の方針なのですかね。それはそれでいいのですが微妙なニュアンスを解ってくれません。いわゆる白か黒かしかないのが今の時代ということと理解するようにしました。

白か黒かで、商品をどれだけ便利に注文でき、間違わないで、早く納品する。ここに焦点を合わしているのが現在です。ワンクリックで翌日納品を競うわけです。価格交渉もほとんどありません。かなりの大量の購入であっても価格は崩しません。だから営業の役割はとりあえず、あなたの地区の担当です。というだけなのです。

経営の目でみると営業は誰に代わってもまじめに訪問してさえいればいいわけで、お客の情報は報告を怠らず日報にすればいいということです。判断は違うセクションがするのでしょう。管理しやすいですから効率的なのですね。商品はデーターの分析から作りその基礎データーが集まれば良いのです。

自分みたいな昭和な商人は微妙なニュアンスにこだわり過ぎるのかもしれません。お客様のことを忖度して考えてしまうのです。昔はと言いたくないのですが、それが面白かったのかもしれません。もちろん今の人達に押しつける気はさらさらありません。でも自分たちのスタイルはそう簡単に変えることもできないので、微妙なニュアンスを商いに活かせる方法を考えていきます。白黒だけで物事が決まっていく時代は人間が幸せを感じられるのでしょうか。