還暦すぎても反省ばかり

還暦を過ぎると名刺を配る、名刺交換をするということがめっきり減ってしまいました。名刺屋としてとても反省しています。60歳を過ぎると今まで出会ってきた人達や会社の関係で仕事をしてしまいます。生涯現役が目標と言ってもこの年頃に考えこんでしまう仲間も多いのも事実です。

 サラリーマンなら定年延長で退職が伸びているとはいえ、今までと同じとはいえないですし、退職後のことも考えてしまいます。我々のような小商いをしていても何かが違ってきます。今までは働けば何かが見えてくると思ってやってきましたし、正解・失敗は繰り返したものの何かやることは見えていました。

 還暦を過ぎるころの数年に同級生が亡くなることが増えてきました。同窓の仲間と会うのがお葬式ということもずいぶんあります。会えば身体の衰えの話、病気の話、歳をとった親の介護の話が多く、ちょっとばかり滅入ります。

 働き方改革とか人生100年とか世間では言っていますが、現実はそんなに勇ましいものではありません。むしろ若い時より悩みは多いのかもしれません。若いころなら多少の無茶もできましたが、身体がついていかないこともあり衰えを感じてしまいます。そうすると気持ちまで落ち込むこともあります。

 それでも我々のように小商いをしていれば誰かと接していきます。昔は当たり前のように新規の人達と名刺交換をしていたのに、それが少なくなりました。新しい場に出ていないのです。新規の取引訪問や交流会、親睦会、展示会など毎月のように顔をだしていたのが少なくなっていたのです。

 ひとりで小商いをいていると自分が気づかないと誰も注意をしてくれません。歳をとったとか、還暦を過ぎたとか言っていれば置いていかれるだけなのです。そんなこと解っていたはずなのに恥ずかしい限りです。でも気がついたら変えればいいのです。それがすぐできるのが小商いのいいところです。

 新しい経験ほど、どきどきしますが生きている実感もあります。「不安常住」「無所住心」ということです。不安は無くなることはないし、どこかに心を置けばやすまることもなく、ただただ不安は共存するものと決め、できることを懸命にこなすことが凡人のできることです。どうせ悟ることはできないと悟りました。それで十分だと思っています。

 

 

 

 

 

 

何を基準にするかを考えてみよう

今日も新聞の一面には検査不正で日立化成が載っている。社長は幅広い製品での不適切な行為にはざんきの念に堪えない。甘えた社内文化が云々とでていました。この頃ずっと大企業でおこるこのような不正行為はどう考えればいいのだろうか?

 ブログで名刺の記載する認定マークの話は何度も書きました。こういう不正が何度も繰り返されているということです。確かに取引上の制約は受けることになるだろうし、損害もでる訳だがこの位の大企業ならば国がつぶさない。過去にもバブル後に大手マンションメーカーや金融、不動産などみんなそうだった。

 数年たつと日ごろの日常に追われる庶民は忘れるというより、生きることに必死で気にしてはいられない。こんな時に追っかけてほしい新聞やテレビなどのマスコミも少し経てばこれらの大企業の広告をながし収入源となります。そしてイメージを気にする会社は名前をかえて存続します。以前のミドリ十字などがそうです。

 そして国は日本に必要な、世界に必要な会社だから大目に見ます。役人の改ざん、現職の大臣たちも皆そのパターンです。それを追求するのがジャーナリストの役目であると自分は考えますが違うのでしょうか?色んなことで注目を浴びれば良いと言うように見えてしまいます。

 我々のような小商いなら即、倒産して個人や家族まで非難を浴び、その地域に住むのは難しいと思います。やはり、大企業の幹部や政治家などになる人は面の皮の厚さが我々と格段に違います。またどんな教育や道徳をうければああいう風になれるのでしょうか?

 そしてその人達が上に立ってやる政治や教育、経済などの国のしくみはどうなって行くのでしょうか?そんなことを言っていても食べていけませんので、今できること真面目に「闘う名刺!」を広めていくしかできません。そして認証や上位伝達のしくみには、嫌なことですが疑っていくしかありません。それが日本の現状なのです。

 

 

 

 

今、買いたいものは?

今ぐらいの季節になると今年のヒット番付などが話題になってきます。歳のせいか今年に流行っていたものが思い当たらない。自分が欲しいものも、そうはない。自分だけだろうか?今度儲けたら買いたいと思う商品が見当たらない。もちろん古くなったものを新しくしたいとは考えるのだけれど、強く欲しいとは思わない。まだこれでもいいやと思ってしまう。

 こんな風に思うのが自分だけならいいのだけれど社会全体になると困ってしまう。小商いをしているものとして重大な関心事であります。昔は欲しい買いたいものがたくさんありました。今、そのすべてを手に入れた訳ではないのにあまり欲しいと考えなくなりました。どうしてなのでしょうか?

 たとえば車、欲しい車はあったのですが昔ほどドライブもしません。そしてその自動車メーカー各社の検査の偽装発覚などをみていると持つことのほうがリスクに感じられてきます。歳もとったし目的地には別の交通手段でいき車は現地でレンタカーのほうが便利に感じられます。

 自分で仕事をしているとそんなに服も買いません。作業は作業着、営業は背広で行きますがそんないなくても十分です。こぎれいにしておくことが一番と思っています。まして私服は世間が自分にどれだけ関心があるのだろうか?と考えるとそれほどたくさん持つ必要は感じません。

 妻に聞いたら買いたいものはいくらでもあるそうで、やはり自分だけなんでしょう。そのほうが小商いをするものとしては心がやすまります。みんなが色々とお金を使ってくれた方が社会全体も景気がよくなります。来年は消費税も10%になりますから駆け込み消費も年末ぐらいから始まってくれるとありがたいのですが、どうなるものやらわからないのが浮世の厄介なところです。来年は新年号にもなります。そして再来年のオリンピックもありますから期待だけは持ちましょう。

 

 

 

 

 

 

会社との取引の話

名刺屋を始めて25年がたちました。ともかく生き残っていることに感謝しかありません。そのなかでも量が多いのは会社取引の名刺です。有難いことに25年間のご愛顧をいただいているところも何社かあります。会社取引で思いだすことがあり、今回書きとめることにしました。

 会社取引の名刺は儲けが少ないのですが毎月一定量が見込めるので助かります。リピートがあるというのは小商いにとり本当に大切な要因です。そのなかでまいったことを書きます。

 一つ目は認証マークです。25年前はあまり名刺に入れているところはありませんでした。それが国際競争で日本の規格で勝負できなくなったことや役所関係が推奨し始めたことで、どこでも認証マーク(ISO等)をカラーで記載するようになりました。認証はお金がかかりますから、その分他を節約することになります。そのしわ寄せが名刺、封筒、文具などの日常的に使うものになりました。

 カラー刷りにして、制約があり、しかも価格を下げねばなりません。ただでさえ少ない利益が減ります。これはつらかったです。名刺をメイン商品でやっていただけにきつい時代でした。人は困れば色々と考えざるおえませんのでどうにか生き延びています。方法については長くなりますので後日とさせていただきます。

 二つ目は名刺を大量に使っていた会社が内部に印刷のセクションをつくり、内製化したことでした。その理由は不景気が続きリストラされる人達の受け皿として、関連会社をつくりそこに日常品を発注するという会社が何社かでてきました。また

社会全体で障がい者の雇用の問題があり、ある規模の会社は雇用を義務付けられるので先ほどのように内部に印刷のセクションをつくることがありました。内部の人に聞いた話ですが、そこは食品の大手企業でしたが工場に障がいをもつ人の為に、バリアフリーとか他の設備を見直すより安上がりなのだと聞きました。真偽はわかりませんが政府官庁が雇用していることの水増しをする問題が起きたことを考えると、あるかもしれないと思います。なにせこちらは民間ですから資金に限りがあります。

 いわゆるその流れと闘うのは、とても社会的にむずかしいことです。社会的弱者と闘うのは小商いとしてはあきらめるしかありませんでした。でも我々も社会的には充分弱者なのですが、甘いとしか思ってはもらえないのが浮世のつらいところです。「闘う名刺!」を作ろうと考えた原点です。

 

小商いのこころいき

新聞にドンキ・ホーテがユニーを子会社化するとでていました。どこでこの差がついたのでしょうか? ドンキは草創期から安売りを売りにして勢力を広げてきました。むかしは泥棒市場という名でやっていた記憶がありますが特別調べません。

 ドンキはごちゃごちゃ感がひとつの売り方といっていますが、自分はみにくく好きではありません。でも整然と陳列いているスーパーが負けたわけです。なぜでしょうか? 買い物以外のところの気がします。近くにユニーはないので他のお店との比較になりますが、お客のこころの何かに訴求するものがあるということです。

 先日、ウィスキーを買おうと酒の専門店にいくと安売り○○と看板にでていてもドンキのほうが安かったのです。それは100円程度の差でしたが安かったのです。以前専門店は持ち帰りの際のことは気にしてくれませんでした。ウィスキーと焼酎を2本買えばビンどうしがぶつかります。専門店は段ボールの端きれを間にはさみ渡してきました。一方、ドンキは紙袋と緩衝材を使っていました。それをアルバイトのレジ係がうまいタイミングで聞いてくれました。どちらが酒の専門店なのでしょうか。

 どちらで買うかは明らかです。これと似たことが色々ある気がします。つまり専門店は先に考えるべきは商品に対する愛情で勝負すべきなのを、経費削減と間違った効率化をどこからかの優良店から真似たのでしょう。こういうケースは我々小商いをするものにとり命取りになります。苦しくても踏ん張るのが小商い、小商人のこころいきです。

 ドンキはそれを知っていたのでしょうか? 真実はわかりませんがたたき上げの経営者のセンスを感じました。取扱商品は同じでもそれに対する考え方がお客の心に響いてくるのだと思います。インバウンド消費でも海外のお客をうまくとらえているのは安さとその辺の人間の心理をとらえているのだと思います。小商人としてはおもしろい事がいっぱいありそうなので研究してみます。

 

 

 

 

 

知らないうちに変わっていること

台風24号が来ています。また日本列島を横断するようです。大きな台風ということなので被害ができるだけ少なくなるのを祈るしかありません。自然現象とはいえ無力なものです。現在でさえこうなのですからご先祖様たちは本当に大変ななかで生き抜いてくれたものです。

 朝テレビをみていたら段ボールの箱の事をやっていました。強度が強くなったんですね。そういえば昔とはずいぶん強くなったものはありますよね。昔はコマーシャルで強くなったものはパンストと女性というのがありましたが、今だと女性が強いのは当たり前の常識です。

 色々な身近なことが変わって行きます。我々の商いのもとは紙ですが、これも相当変化しています。たとえば掃除をするときほこりがたたぬよう新聞紙を水にぬらし、ほうきで埃と一緒に掃き出していました。今、新聞紙は水を昔よりはじいて吸いにくいです。あれインクのこともあるのでしょうか?

 新聞を読むと手がインクで黒くなりましたが、今はなりません。紙も白くなりました。印刷もカラーが当たり前です。ときたま白黒の印刷や単色だけのものを見ると新しく感じてしまうことがあるのは、自分だけでしょうか?

 技術の進歩は変わったとビックリするのでなく、なんとなく、ちょっとずつですが変化しているものなのです。だれかが、どこかで、きっと今も変化させているんです。そして少しずつ使いやすくなっていきます。それが日本の仕事というものの一つの特徴な気がします。

 この少しずつが小商いには大切だと思っています。大きなモデルチェンジとは違い日々の使用からでてくる改善点をひとつづつ見逃さずに工夫していくこと。自分もそうありたいと思います。

 自然災害もこうしている間にもだれかが、どこかできっと被害が少なくなるように努力をしていてくれます。感謝です。自然災害は止めることがむずかしいが人の命だけは避難とかを早くすれば防げるのです。今回の台風で被害が少ないことを祈ります。

 

 

 

 

 

ちょっと振り返ってしまいました①

小商いを始めてから今月でまる25年になります。思ったようには中々いきませんでしたが、ともかく25年生き延びてきました。最初から家業を作るつもりで始めましたので人数的には夫婦2人で満足なのですが、もっと儲かっているはずでした。残念。でもそんなこと言っても何も変わらないので歳は取りましたが前を向いていきます。

 また一歩をふみだす前に、昔のことを頭に整理してから行くことにします。小商いを始めた平成5年はバブル崩壊から2年ぐらいでした。あと3年ぐらいで景気も少し上向き始めるだろうと思っていましたが、大甘でした。失われた20年と言われた時代となりました。

 そのなかで細川連立政権から始まり何人もの総理大臣が変わり自民から民主へ政権交代があり、流れが変わるかと思いきや知っての通りです。政治はあたふたとするだけで何もしなかったと同じでした。この時代の中で奥尻、阪神淡路、東日本他の災害が続き、オーム事件があったり、消費税が5%、8%とあがり、非正規社員切りがあったり、就職氷河期があり、リーマンショック(平成20)があり、まわりの会社は倒産したり、縮小したり大変でした。

 ちょっと振り返るだけでこれだけのことが浮世ではありました。自分たちの周りにも色んな事がありました。この浮世の出来ごとのなかで今でもコノヤロウと思うのは消費税5%の時です。バブル崩壊後4年どうにか光明が見えだした頃、平成9でしたが、景気はどんと下がりました。これからというお客様が合併、縮小で地道に続けてきた数年とそれからの計画がダメになりました。

 小商いを始めた頃は企業に販促品を販売していて、内装工事も一部請け負っていたのですが、この販売先が外資との合併や国内販売の不振のため縮小してしまいました。それとインターネットの普及で中間業者がいらなくなってしまいました。お客とメーカーが直に取引することが増えたからです。

 中国での製造にメーカーが移っていったことも大きかったです。メードインジャパンの力が失せてしまいました。それを仕方なしと受入れたのが多くのメーカーです。そして今国内では偽装などで信頼をなくしているのは物作りに対する姿勢の問題です。消費者は安ければいいという考え方が消えないからだと思います。長くなってしまいました。次回にまわします。

 

来年のカレンダー

今月は名入りのカレンダーを注文する季節なのです。早いようですが少々の割引になります。うちがメーカーへ発注し、お客様に確認しなければなりません。割引くには早めに確認していかねばなりません。昔と比べるとカレンダーを配る会社は少なくなりました。年末になると色んな会社のカレンダーがいっぱい貰えたのですが、今はすくなくなりました。

カレンダーは一年の間、壁に飾ってくれるので販促物にはもってこいだったのですが世の中は変わりました。メーカーのカタログをみると年々取り扱いの種類が減ってきています。ちなみに自分の所も数十年使っていたシリーズが今年から無くなり、新しいシリーズに変えます。以前は海のイラストのものでしたが、今年はそれに代わるタイプのものがあまり気に入らなかったので、あえてシンプルなものにしました。ちょっと寂しいです。

来年は5月から新年号になります。発表は2月と聞いています。ですからカレンダーには載りません。もし、決まっているのなら発表が先にあれば業界としては盛り上がったのですが、もしもの話をしても仕方がありません。年末用の品物は減って行くばかりです。正月に挨拶に行く時によく使われたタオルや年賀状も少なくなりました。あいさつ回りという習慣も減っているのかもしれません。

考えてみれば中元・歳暮もそうだし、名入りのボールペンも減っている気がします。新しく出てきたのがハロウィンでの仮装ですから、ちょっと考え込んでしまいます。やはり自分たちが楽しいと感じる習慣にはのるが、昔からあるからということだけでは、今の人達は見向きもしないのですね。

新年号になる来年からの世の中はどなるのか心配と楽しみでごちゃまぜの感覚です。平成は災害が多かった年代でした。今日も北海道で地震被害がありましたし、数日まえは台風で大阪の関空が水につかってしまいました。次から次へと災害が襲ってくるのはまいってしまいます。新年号では良い日が多いこと期待しながらカレンダーの手配をしようと思います。

 

 

 

五つの副業について

日経新聞8/28の私見卓見に50歳になったら「復業」という記事が載っていました。そのなかで副業を4つに分類していました。なるほどと思ったので紹介させていただきます。

①会社に知らせずにやる「伏業」②本業の収入を補う「副業」③NPOのような社会的事業に従事する「幅業」④複数の異なる仕事をもつ「複業」の4つとのことです。筆者は「復業」をすすめていました。特に大企業の役員定年の50代の人に提案していました。

働き方改革が動き始めて民間企業が本腰をいれだすようになると、もっと色々なパターンがでてくるかもしれません。世の中は人生100年時代がきているといいますが健康で長生きするだけでは定年後の40年は埋まりません。まして年金にすべて任かせたり、貯金や資産で安泰だという人は少ないと思います。

ならば必然的に4つの副業を考えざるをえません。小商いを営んでいる経験で言わせてもらえば国の政策では救済してはくれません。それでも今回のように働き方改革と大声でいえば、世の中の動向が動き出します。これでいいのです。後は規制をはずせば前に進みだします。それが浮世というものだと思っています。

日本人は今までの習慣、常識である会社とともにの生活を大幅にかえていくという選択は難しいかもしれません。起業とかはあまり好きではないのかもしれません。

でも、副業やWワークは受入れるはずです。主になる会社ともう一つの自分の生き方をさがして上手に生きていける国民です。

その時はじめに何をすればいいのでしょうか?自分は「闘う名刺!」を創ってみることをお薦めします。なぜなら「闘う名刺!」はそいう人達のために考えた名刺ですから。そしてこの名刺を創っていく過程で、あなたの副業は動き出して行きます。そしてこの副業があなたの5つ目の「福業」になると確信しています。

小商いの時代が来る

NHKの朝ドラで主人公が上京して、ひとりで製作してメーカーとしてやっている人達に感激している場面がありました。それを見ていて自分が学生の頃(バブルよりまえの1975年位)に大学に行く途中のマンションにアパレル関係を志す人達がいました。それは確かマンションメーカーと言われて話題になった記憶があります。

当時は寄らば大樹の陰、重厚長大な企業が人気だったのですが、ブランドの立ち上げを目指した人達もいました。またレンタルレコードとか新事業を考えて実践したひともいました。著作権の問題とかでもめたようですが、あとからピザの宅配事業で成功したということです。

レンタルやリースも普及期でした。ダスキンマットとかが広がった時期です。今はスマホもあればネットもあります。それが何もなかった時代です。工夫と根性の時代です。それから考えると、今は小商いをするには適した時代なのです。国も働き方改革の旗振り役をしていますから、それなりの成果は上がると思います。

今朝の日経の一面にアマゾンが輸出の代行を始めると出ていました。これも小商いをする我々にとってはチャンスだと思います。こだわりの商材があれば世界に売れる道が個人で出来るわけですから。小商いも儲けるという当たり前のことを除けば、色んなビジネスが浮かびます。それをどういう風にして儲かるシステムにしていくかが面白い所ではないでしょうか。

これから小商いの事をもっと紹介していきたいと考えています。とにかく思いついたことを書いていこうと思います。ヒントになればいいのですが、若いあたまで今の時代に適合するものにして世に出してもらうことができれば楽しいことです。