年末の風情と小商い

平成31年も後三日となりました。昨日は月末の支払いなどで街に行きましたが思ったより銀行はすいていて助かりました。来年からは銀行のATMも三菱、三井が共同でやるとかの話が聞かれます。手数料がなくなるのは大助かりですが、どうなることやら我々小商いのものは来年も地道にやるしかありません。

 街に行くとやはり年末のあわただしさがあり、そんな中にいると安心してしまう自分がいます。商いをしているとシーンとしているよりちょっと賑やかなほうが落ち着いてしまうようです。長年の習慣は恐ろしいものです。来年は景気が上がり個人消費が大勢になってほしいものです。

 この街、東京の府中市ですが古くは武蔵の国の国府があった街です。大国魂神社のけやき並木が続く風情のある街です。毎月何かのお祭りがあり、屋台が出るといった良い感じの街なのです。残念ながら昔からの店は毎年少なくなっていってしまうようですが、まだまだ昔の日本が残る街です。

 昨日も境内のまえを行くと晦日市から初詣の準備の屋台などをみかけます。最近の若い人も以外とこの風情が好きなのではないでしょうか。小商いをするものとして考えてみなければいけません。我々の年頃になると新しい技術は使いこなすのは無理です。でも商品やサービスを工夫していくのは出来ます。ここに商機をみだしていきたいと思います。

 来年は年号が変わる年です。消費税も10%になります。働き方も変わります。外国人観光者、労働者も増えます。社会のシステムが変わらざるを得ない時代を迎えています。再来年にはオリンピックがあります。お正月は飲み過ぎずに考えてみようと思っています。まだまだ老けこんではいられません。年寄りの冷や水で結構です。我々世代には色々チャレンジしてみる最後の時代なのかもしれないのです。ともかく亥年だし動こうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

習慣も、ずいぶんと変わる

 先月だったか日経新聞の一面「春秋」のコラムに時代が昭和から平成に移る頃に役所の文章の宛名が変わりはじめ、それを「殿様改革」が進んだと書いていました。何のことかと思ったら、いかめしい「○○殿」から、やわらかな雰囲気の「○○様」へ。「ことばの行革」が進行中と当時の新聞に出ていたそうです。確かに最近はあまり殿を使ったことがないと思いながら平成最後の年賀状の表書きを書きました。

 年賀状のやり取りもずいぶん少なくなってきました。今年も喪中のハガキがかなり届きました。我々還暦を超えた世代は親が高齢になっていますから仕方がないのですが、自分と同年代の仲間が亡くなるのはショックです。年賀状の習慣も新しい時代にはもっと変わることでしょう。

 名刺や軽印刷の小商いをしていると年賀状の売上が25年前のころに比べ激減したことがよくわかります。個人もそうですが法人が年賀状を出さなくなりました。たぶん中元・歳暮も激減したと思います。我々が新入社員の頃、もう40年も前ですがこの時期は担当者の住所を聞き出すのも営業のテクニック、仕事のひとつでした。今は難しい世の中でお世話になった担当や会社に送るのをためらわねばなりません。

 年末のカレンダー、ダイアリー、手帳の名入れ、年始のタオルなども激減してしまいました。年末年始に上司と一緒に挨拶回りをしたことを時々思い出しますが、今はどうなのでしょうか?すべてがSNS、メールなどで済まされるのが当たり前と頭のデーターを書き換えるのは自分には無理なのではないかと感じています。

 この時代の流れの速さに圧倒されますが生きていかねばなりません。小商いは流れの中を安定した船があるわけではないので、浮いている流木につかまってでも呼吸しなければなりません。来年のことを言うと鬼が笑うといいますが、笑うなら笑えという気持ちでせめて筏ぐらいには乗れるように、もうひと踏ん張りしようと考えています。

 

 

 

 

 

 

キャッシュレス化?

この時期は会社勤めのサラ―リーマンはボーナスがでて懐具合も暖かいことでしょう。小商いをしていると、やはりうらやましいものです。でもその財布のひもを開いてもらうようにするのが小商いなのですが、このところずーと財布のひもは固いようです。

 先日ニュースでしたか新聞だったか忘れましたが、給料の振込がスマホになるとか出ていました。政府は日本のキャッシュレス化が遅れていることから本気でやる気の様です。色々な問題があるようですが普及してしまうのだと思って生きるしかありません。

 昔、昭和の30年代の高度成長期は現金で給料も支給されていましたから給料日のお父さんは歓迎され、子どもたちも誰が自分たちの生活を支えてくれているのかが一目瞭然でわかりました。それが40年代は銀行振り込みが主流になり、お父さんより銀行から引き出しておこずかいをくれるお母さんのほうが重要に見えだしました。

 お父さんのつらい時期が始まりました。ちなみに1968年(昭和4312月に東京府中市で起きた「三億円強奪事件」が銀行振り込み普及の転機になったと聞いたことがあります。自分は府中市の中学生で親父は東芝工場でしたから良く覚えています。ちょうどボーナスの時期でした。

 それから現金支給から銀行振り込みに日本中がなっていったのですから銀行は三億円事件に感謝しているのではないでしょうか。悪い冗談はさておき、今度のキャッシュレス化ではお父さんの地位はどう変わって行くのでしょうか?スマホで決済するのが当たり前になるということはお父さん個人の決定権がもどると言うことになるのでしょうか?個人番号などがからんでくるでしょうから、電子マネーのなかの主体は個人になるわけです。

 お父さんが家族に分配できることになるのでしょうか?それとも、もっとずる賢く何かを企てているお父さんを狙う誰かがいるのでしょうか?でも確かなことは何かが変わるとどこかが大きく変わらざるおえないということです。小商いをする身として考えていかねばなりません。

 

継続こそが「小商い」の肝

 「小商い」は続けることに意味があると考えています。おかげさまで25年になります。感謝です。最初に考えていたことを自戒も込めて思い出してみます。いくつかの事を決めていました。①ひとりでもできる。②自信をもって売れるもの。③高齢になってもできる。④リピートがある。⑤できれば自作のものを売る。⑥専門を絞る。⑦幸せを感じられる。この7つのことを実行するのが自分の商いの基本と決めています。

 小商いでいこうと決めたのは、自分の性格にはそれがいいと思ったからです。大きい金額や大きな組織を作るのは苦手なのです。また、それをやれる器でもありません。自分の幸せを感じられる小商いを、できればボケて迷惑をかけるまではやっていたいのです。それが目標です。

 これがとても難しいことなのです。恥ずかしながら、わかったのはやり始めてからでした。例えば小さな車で何かのお店を移動販売で始めたとしましょう。そこでお客様に恵まれ、軌道に乗ったとすると次に何を考えるのでしょうか。自分の店を出したくなります。しかし、今まで可愛がってくれたお客様には不便をかけてしまいます。こういった矛盾との闘いなのです。自分が主体になって、ひとりでやっていくとは簡単なことではありません。まして高齢までやることは色んな面で大変なことだと歳を重ねるほど感じます。

 それでも7つの基本を続けたい気持ちは変わりません。もう工夫しかありません。聞くこと、教えてもらうこと、自分で動くこと、仕事は必ず再チェックすること。そして、つづける覚悟をすることです。何でもそうなのでしょうが、簡単に見えることでも実際やってみると大変なものです。充実感があるのは、とても楽しいものです。まだまだ新しいことにチャレンジしようと思います。実はこのブログもその一環として始めました。年寄りの冷や水、おおいに結構。ということで。

 

 

昔、今、これからの営業考

 営業畑で40年仕事をしてきたが最近の営業のありかたの違いに驚くばかりです。良い悪いは別にして営業の守備範囲が極端に狭くなっているように感じます。お客様に対してより会社のマニュアルに忠実に正確に行動することが求められるようだ。だからそれ以外のことは自分の判断では動けないということが当たり前のことになりつつある訳です。

 自分たちの若いころと比べる気はありません。でもやはり営業がつまらなくならないのだろうかと考えてしまいます。決められたマニュアルにしたがって動くことで給料をいただけるのは有難いことかもしれません。それに従っていればアクシデントが起きた時も自分の責任ではなくマニュアルを作った会社の責任なのですから。

 精神衛生上はこの方が楽かもしれません。昔は営業の判断で成功・失敗があり、褒められることもあれば、大目玉をくらうことも多々ありました。それはそれなりに楽しかった気がしています。酒のつまみにはなりました。今は失敗が許されない時代なのかもしれません。それこそ精神衛生上つらいことです。

 時代によって営業も変わらなければならないのは良く解ります。ただ面白くないのも事実です。同じ事をいう人ばかりになってしまいます。注文はメールでして、メールで説明を受け、宅配便が納品します。営業の出る幕などありません。とりあえずこのエリアの担当は○○というものです。システムに不都合がでたら連絡ください。と言う感じが今の時代の多くの営業のようです。

 営業個人のパーソナリティなど入り込む余地はありません。あの人から買いたいということは無くなったようです。だから値段、スピード、広告媒体のアピールの善し悪しなどが決め手になってきます。これはAI時代の始まりになるのも仕方がないことのようです。AIが仕組んだのでしょうか?

 それとは別の世界に住みたいと願う人の為の営業になりたいと考えています。今の時代についていけないのもありますが、この時代のありかたが楽しくないのも大きな理由です。やはり営業としては「あの人から買いたい」といってもらうのが勲章のような気がしています。

 

師走に

 12月になり久々に新宿、お茶の水、神田と都内のお客様に年末のご挨拶に伺いました。うちの名入りのカレンダーを配ります。来年は年号が変更になる年ですのでカレンダーも休日がまだ定まったものではありません。もう少し早く対応して欲しいものです。

 カレンダーといえば20年来の配っていた海のイラストのシリーズが廃番になってしまいショックでした。お客様でも楽しみにしていてくれた人がいるのに残念でした。変わりにどうなるかわからない来年の出来事なので、一番シンプルで記入がたくさん出来るものを選びました。来年は書き込む出来事が多いと思います。年号、新しい休日、消費税と色々な大きなイベントがありますから。良い書き込みが出来る様に願います。

 年の瀬に都内をまわり思ったことは年の瀬をあまり感じなかったことです。今年の暖冬のせいか回った日もコートいらずというより熱いと感じましたから。でもそれだけでは有りません。宝くじも例年通りやっているし、クリスマスのイルミネーションもあるのですが、何か物足りなさを感じてしまったのは歳のせいでしょか?

 若いころこの街を歩き回っていたときはみんながもっと忙しいようでした。営業は誰しも自社のカレンダーを袋に入れ歩き回っていましたが今はほとんど見ません。商店街では店員さんの呼び込む声がありました。商店街にはそれぞれ気にいったクリスマスソングが流れていました。それもこれも郷愁ということなのですね。

 自分の街は府中ですが東京とはいえ古い街です。子どもの頃のこの時期は八百屋の前には白菜がたくさん積まれ、家々の軒先には干し柿とった具合で田舎というイメージでした。大国魂神社では境内でみそか市、しめなわ・お飾りを売っています。これは今も続いていますが、それを見ている自分の心もちがおおいに違います。昔だったら、クリスマス、お正月、お年玉、冬休みですが今は年末の納品、支払いのことを思いますから当然です。

 来年は小商いも少々儲けることができますようにと願いながら師走のまちを走り回ります。

 

 

 

 

一年の早いこと

 12/1になりました。今年もあっという間に師走という感じがしています。歳を重ねるたびに時の過ぎるのが早く感じられて仕方がありません。この時期になると今年やろうと思ったことが出来ないでいることに反省するばかりです。全く何十年、同じような繰り返しをしているのでしょうか。

 そうはいっても今年もひと月ですから、残りの日々をせめて有効に活用しなければなりません。小商いの一年はあわただしく過ぎてしまいますが、やらねばならぬことも多いのです。大企業のように人がいれば頼めますが、小商いの場合は自分で何から何までするのが宿命です。それを承知で始めた小商いですから、なるべく楽しくやりたいものです。

 この時期はお歳暮、年末のあいさつ回り、名刺屋ですから年末・新年の挨拶回り用の名刺、年末年始の配り物などの納品です。それでも昔と比べると激減したのも事実なのです。30年前はどこの会社でも年末の挨拶用にカレンダー、手帳、ダイアリーなどを挨拶に持っていったものでこの時期に総務課へいくと山ほどあったものでした。

 今はカレンダーを配る会社は減りましたし、手帳やダイアリーなどもほとんどもらえません。やはりバブル崩壊以後からでしょうか。名入れのボールペンなども減っているのではないでしょうか。中国で製造し始めたころからの気がします。安く作っているのが浸透してしまい安物を配るのが逆効果なイメージがあるのではと思っています。

 景気はというと大会社は史上最高などが相次ぎ、ニュースや新聞などでは新興の企業をもてはやします。でも小商いの我々のまわりの現実の感覚は全く逆だと思います。物販でも飲食業でも街かど景気は良くないはずです。仲間に聞いてみるとどうにか頑張っているところがほとんどなのです。

 景気対策などはそれほど効果的に小商いにまで波及することはないのです。政府は現実が見えていません。明るい未来があってこその人生100年なのです。つらいことばかりを想像してしまう政策がよくないのです。挑戦したら失敗しても政府が面倒みるぐらいの政策を打たない限りじり貧です。

 来年は年号も新しくなり人の気持ちも前向きになれることを信じ、師走に走り回ります。頑張ろう!

 

 

また不正

もう書くまいと思っていた日本の会社の不正、偽装、改ざん、虚偽等の事や第三者委員会のことなどですが、今度は日産のゴーン会長という世界的有名人が私服を肥やしていたという話です。ざっと言えば100億の年収を50億と申告していて、会社の金で世界中に家や別宅を購入していたそうです。

額があまりに多くて実感が湧いてこないのがくやしいですが、忘れられないのは日産の経営危機の際、多くの社員の首切りを実行して評価を得た彼が苦渋の選択のような話をしていたのはうわべだけのことだったのがよくわかります。首切りをされた人達は年収100億をどう考えるのでしょうか?

資本主義だからといえば簡単な話ですが、原理はともかく世界中でうそをついてだまし評価された経営者は存在できるのでしょうか?今後、彼は有り余る蓄えた資金でどうしたいのでしょうか?どこかの国を買い、そこで新しい宗教でも作り暮らして行くのでしょうか?

会社が大きくなれば大変な責任が生じると考えるのは小心者の自分だけなのでしょうか?小商いをしている視点でみる世界と違うのはわかりますが、犯罪をおかしてまですることなのでしょうか?どこまで金が欲しかったのでしょうか?そう考えると自分は小商いを選択して正解だったと思います。

彼らの正義が行動基準ならその企業ではとうていやっていけません。自分も15年もサラリーマン生活をしましたので会社のなかのことは解りますが企業ぐるみの犯罪に加担するのは絶対に嫌です。日産の社員たちは内部告発だといいますが、知らないでまさかと思っているのでしょうか?でも100億を1人が報酬としてもらえる会社に疑問を持たなかった責任はあります。その上社会に対して検査では偽装し、マスコミも宣伝という甘いもので究明が甘くなっていたのではないでしょうか。

自動車は必要ですが日産でなくともいいのではないでしょうか?もちろん他の不正をやったところも同じです。極端なこと言えば外国のものでもいいのです。市場原理からすれば淘汰ではなく消えることが求められている経営者もどき、大企業もどきなのではないでしょうか。

 

 

 

小商いの考え方

 「あきんど(商人)」の基本は三方善し(売り手、買い手、世間)の近江商人と考えています。これは簡単そうでなかなか難しいものだと最近思っています。儲けを第一に考えてしまうし、その為に言わなければいけないことを故意にスル―してしまったり、世間など無視してしまっていないかと考えたりします。

 世間では大企業の検査偽装や基準を満たしていないのに公共の建物や鉄道などに自分たちのエゴで自分たちだけの常識で儲けや保身のために、我々小商いでは考えられない額の売上や販売数をしている名だたる会社がぞくぞくと出てきてしまっています。残念というより悲しい気分になります。

 小商いの場合なら当然倒産します。世間からの非難をあびることでしょう。大企業は会見で頭を下げますが、心の内はどうなのでしょうか?お決まりの第三者委員会を立ち上げ、世間も国もマスコミまでも抑え込んでいると考えているようにしかみえません。

 三方悪しです。日本の商人が今まで築きあげてきた信用、日本製なら大丈夫とか、日本人はこんな事まで気にして物造りをしているという、他には変えられぬ価値まで落としてしまったことをどう思うのでしょうか?時が過ぎれば忘れると思っているのでしょうか?マスコミの追求もスポンサーにはおおらかに感じられるのは自分だけでしょうか?

 小商いをナリワイ(生業)にしているものとしてはくやしくてなりません。でも我々は生きていかねばなりません。絶対に取り上げられることのないような小商いでも基本の「三方よし」は守ります。

 

 

 

 

 

景気、大丈夫?

最近、お客様のところで景気のいい話を聞きません。日本の顔のような企業は確かに報道されるのを鵜呑みにすれば好調のようです。最高益とかのことばがよくでています。実際の日本のしくみは中小・零細企業が色んな役割を果たしています。その企業が全体的に景気が上がらないというより落ち込んでいる気がします。

 これは自分が営業に回って聞く小さな範囲のことなら良いのですが、色んなところで改ざんや虚偽の不正が発覚しています。景気状況もそうでないと言い切れるのでしょうか?昔バブルのころはオフィス家具の販売をしていたこともあり移転、増設、工場建設、支店の拡大などもあり家具・内装工事などが、どこの地方都市でも目に解るように動いていました。

 先日オフィス家具大手の業績がいいとでていましたが信じていいのでしょうか?大企業が動いたということが、昔のように下の方へ流れてくるのでしょうか?今は回りません。工場の日本回帰もつかのまのことなだと考えるべきです。資本は安い労働力を探すように出来ています。

 役所関係からの見積もり依頼はくるのですが、まともな値段で採れることはまずありません。お金は一時もとどまりません。談合は本当に悪なのか?と考えてしまいます。それより政治家が税金を形をかえて懐に入れて大臣でいるほうがおかしいし、それに忖度することのほうがもっとおかしい。

 来年は消費税が10%に上がります。世の中のアンケートなどを報道でみると、財政再建のため、子子孫孫のために致し方なしという意見が多いそうですが、本当でしょうか?世論操作は無いのでしょうか?もし本当に実行するなら中小零細企業の景気浮揚策を大々的にうつことが今なされてしかるべきなのではないでしょうか。

 また来年は元号がかわる年です。あたらしい天皇の即位があります。特需効果は多少あるのでしょうが、何とか新しい御代を好スタートがきれるようにするべきだと思います。5月の即位、10月の消費税と決定しているのなら今こそ中小・零細企業への景気対策が必要なのです。働き方改革も腰折れになってしまいます。小商いをしていて感じていることを書いてしまいました。