小商いが浮世を変える

3月になるとスーツの広告が増える。今季は売り手市場で学生は引く手あまたで良かったなと思う半分、選択肢はそれだけじゃないので、数か月後に心を折るなと切に祈る。雇用は完全雇用状態に近いと世間はいうが、政府のいうことはうわべのことが多い。それぞれがフィットしているとは思えない。まあ、新入社員も気張らずに数年の間、世間をみるつもりでシッカリと働けばいい。自分に適していれば、そこで頑張ればいいし、違うと思えば別の道はいくらでもあるのだから。

 別な道の一つに「小商い」も入れてほしい。今は昔と違いネット、SNSでお客様とつながれる時代なのだから、企業がする大きな商いでなくとも生計の道はある。我々が考える小商いと、若い人の考える小商いとはズイブンと違うはずだ。彼らのアイデアに驚かせられたい。自分が思っている 「小商い」 はキチッとしたものを、キチッとした人に、ちゃんと売る。というイメージでやってきました。何を取り扱ってもこれだけは守っています。

 小商いを目指して色んな人がチャレンジしてくれると、勝手ながらうちのような名刺屋も色々なアイデアのカードを創れて楽しいだろうなと思っています。現代は少子高齢化であるとか、グローバル化だとか、AI、IoTの時代だとかいわれます。確かに、その通りで高度成長、バブルの時代とは世間の空気が違います。でも、人が楽しくなければ世間がおかしいと思った方が健全な気がします。自分と皆が考えも、行動も違っているのが当たり前なのですから。会社がつまらなければ自分で小商いを始めて下さい。

 小商いを考えた時、名刺で自分をアピールすることを試してください。今までの与えられた名刺ではなく、あなたが主役で、あなたの名前で生きて行く為の名刺を考えてみてください。屋号は何にしますか、個人でやりますか、会社にしますか、何を、だれに、どこで、いくらで商い、どの位儲けますか、名刺のロゴやデザインはどうしますかと次から次へとでてきます。それをひとつずつ自分で決断していくのが小商いの始まりです。いつか、あなたの名刺を創りたいものです。

 

 

「江戸の小商い」

 前回「江戸時代」の小商いについて調べてみたいと書きました。基本的な考え方が人はそんなに進歩していないという思いからなのです。もちろん技術的のものは変わっていますけれど、心の想いや悩みはそんなに違っていないのではと感じています。

 小商いからその辺のことが見えてくるような気がしています。前に書いた質屋の変形パターンもそうですが庶民の求めているものは今の時代と相通ずるものが多いのです。現代は発達した技術はありますが心の方はそんなに変わってはいません

 例えばレンタルやリースなどもあれば産直小売りもあるし寺子屋のような教育機関もあります。レンタルやリースは損料屋なるものができていて時節に合わせて購入していたそうです。ふとんなどもそうだったようです。寒い時に借り熱い時は返せば良いという考え方です。まさに合理的でクールです。

 宝くじも富くじと言っていました。庶民のみる夢は同じものです。税の取り立てもあれば、金貸しもいるし、人気の○○小町の浮世絵もありました。歌舞伎や曲芸などのエンターテーメントだってスポーツは相撲もあるわけです。郵便は飛脚があったわけだから届く時間は違っても手立ては存在していることになります。

 火事は火消しが消防だったし、建築は大工がいるし、飲み屋もあれば繁華街もあることになる。今と同じようなものです。病気は困るが医者はいたわけですから何かしかのことはできる。平均寿命は短いけれど長生きの人もいました。葛飾北斎などは90歳を超えていたと言いますからね。生き死には悩んだところでどうにもならぬということです。

 人々、我らが祖先の庶民の貧しい人々もその中で懸命に生きてくれて繋がった今を我々は次に伝えなければなりません。歳をとるとこんなことを考えるようになりました。

 

 

 

 

「シャッター通り」

 朝、散歩をしていると、まだ街は始業前なのでお店のシャッターはおりているのですが、そのシャッターも楽しませてくれるイラスト入りのものもあったりします。これはやはり新たに金がかかる訳ですから、まだまだ少数です。それもお客様サービスのひとつと考えてくれると世の中も少しは「ほっこり」するのではないでしょうか。

 最近では24時間営業のコンビニが街で幅をきかせていますのでオープンしていることが当たり前で良いことのような風潮です。本当にそれで良いのでしょうか?利便性ばかりを追っかけると見失うものもあります。街にはコンビニのチェーンがいくつかあるのですから持ち回りで一店舗あいていれば十分だと思うのですが。

 今日も新聞でコンビニの加盟店が24時間営業や人手不足、本部との契約条件で申し入れをしているが却下されているという記事がでていました。大手の企業は傘下のコンビニ経営者より消費者の為みたいにいいますが、自分は傘下の経営者のほうが正常な考えだと思います。コンビニを利用する消費者も健康な余裕をもった店主の店が増えることを望むと思うのですがどうでしょう。

 前のシャッターの話にもどりますがこれは若い人達が工夫してくれることを願います。商店街や役所が中心になるとつまらないというと失礼なのですが、最大公約数のものが出来あがります。いわゆる特徴や個性がありません。健全な小学生の絵のコンクールみたいなもになることが多いのです。それは別なところに任せましょう。

 今日みたシャッターのなかで大黒屋のものですが「○に質」という文字が大きく書いてありました。そうだ昔の質屋さんの進化系だったんだと思いました。何でも買い入れ安く売る商売の原型は質屋さんですからね。質屋さんは質ぐさを取り現金を貸してくれましたが、それが変わったところですね。今度から江戸時代の小商いを調べてみようと思っています。

 

 

 

 

 

「一身独立~」

 「一身独立して、一国独立す」という福沢諭吉の言葉がある。今の時代、小商いの我々に求められる気概はこいうものではないかと思います。堅い話になるけれどあまりにいい加減な世の中になっていないだろうか。統計の不正などみていると誰も信じられなくなる。それをもとに中小企業への政策がたてられたりしていると思うと腹立たしい想いで一杯になります。

 しかし我々小商人は自分で生き延びる道を模索してきたものがほとんどなのです。間違いや失敗などは誰でもありますが、故意にやっていることは国家的な詐欺行為です。どうせ誰も責任はとりません。せいぜい第三者委員会とかで再発防止策がでてきておしまいです。だれも期待しないのです。

 小商人は自分の指針で生きていくしかないのです。自分で考えた方針で行動していきましょう。小商人は小商人なりの幸せを追求することに価値をみいだしましょう。まさに独立とはそういうことだと思います。そういう価値観をもった人達が増える社会しか日本が世界で生き残ることは出来ないのではないでしょうか。

 大袈裟かもしれませんが本気で思います。日本人は団結しても大きな力を発揮しますが大きな間違いもしてしまいます。個人が個人として責任を持てない集団は恐ろしいものです。戦争の時代の社会のイメージです。誰かの声で、自分とは違う方向に動くのは危ないことの始まりです。

 小商いが小商人が商品や販路をしぼり責任をもつように誰が何ができて頼りになるかを社会が考え直す必要があります。本来はマスコミや学者や政治が発案すべきなのでしょうが待っていれば時代はどんどん進んでしまいます。みんなが独立した気概で動くしかありません。なにか偉そうなことを書いてしまいましたが、小商人として誇りを持って生きて行こうと思います。

 

 

 

 

 

 

「ひとことコミュニケーション」

一周年を迎えて書こうと考えているのは名刺、小商いの記事と「ひとことのコミュニケーション」の大切さと言うことを考えてみたいと思っています。うちの小商いの中心は名刺で「闘う名刺!」を広めることだし、今まで書いてきたようにそれは言葉の名刺です。小商いは言うまでもなくコミュニケーションをどうとるかが大切な事です。

 なぜ一言のコミュニケーションをピックアップしたかといえば商売、取引、契約、友人関係、職場の人間関係など、どれをとっても昔よりつまらない?伝わらない気がするのです。もちろん自分が歳をとったというのも理由のひとつなのでしょうが、やはり伝えることをないがしろにしたくないと考えているからなのです。

 一言のコミュニケーションを考えることは自分の為なのです。たとえば先ほど宅配業者さんがきて運賃が値上げになると言ってきました。事情は人手不足やネットなどの増加があるのはわかります。でも一方的な申し入れを受入れるしかありません。何か「もやもや」が残ります。

 最近は床屋さんの廃業も増えたようで、自分も通っていた昔からのお店が廃業してしまいました。流行りの10分カットのお店に行くことにしました。確かに便利で良いのですが、そこでも会話というほどの会話はありません。それでいいお客が行くということなのです。割り切ることが求められます。やはり「もやもや」が残ります。

 今年はこの「もやもや」を少しでも取り除くことを考えてみたいと思っています。そしてそれを闘う名刺!や小商いに活かしていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

「今時の対応?」

 先日ネットで毛布を購入しました。届いて使ってみるととても暖かくて気に入りました。ところが品質保証のタグのところを見ると英語、日本語の表示で書かれていたのでよく見ると日本語の表記がおかしいのです。例えばアイロンがアイロソとなっていたり、品質保証が品質保證となっていたのです。

 取扱のネットショップに連絡するとおわびのメールが届き返金するというのです。こちらはクレームというより安全性が気になったので連絡したのです。そのことについて聞くと中国の製造工場が翻訳機で間違い取り付けて出荷してしまったとのことですが代理店の管理が甘いということになります。

 今までは文句は来ていないらしいのですがネットではこういう事例が多いのだと思います。なんでも在庫はこの間違ったタグのままで出荷するそうです。大丈夫なのでしょうか?せめて書面でも入れて出せばいいのにね。

 色んな会社があるもので今と昔ではクレームの処理の対応が違います。昔ならたとえネットで注文を受けてもメールだけでおわびもありえないでしょうし、すぐに返金の話もしないでしょう。これが今のクレーム処理と言うことなのでしょうか。

 それと先日税務署へ書類を提出に行った際のことです。ボールペンで記入してくださいという際に職員の女性はボールペンを渡すのではなく30センチぐらいですが投げてきました。驚きました。もう50歳ぐらいの女性でしたが唖然としました。きっと勉強はできたのでしょうが何かを学ばなかったんでしょうね。

 今の時代はこれらの小さなストレスの多い時代ですこの時代を受入れざるをえないのが現実ですが見過ごしてはいけないのも確かなことの気がします。もちろん二件とも注意はしましたが何が注意されたのかわかっていないのかもしれません。人の感じ方というのはひととおりでないのは仕方がないのですが、商いをしているものとして、ちょっとそれはないでしょと感じたので書いておきます。

 

 

 

 

 

「これからの小商いのやり方」

今日は日曜日だが郵便局の本局は営業しているので名刺を発送してきました。最近の郵便局は色んなものを物販しています。キャラクターのハガキ・封筒はもちろんですが文房具や傘、雑貨、格安スマホなども販売しています。年賀状の販売だけでなく印刷・あて名書きもでやっています。

 自分がそれらの購入をしたことはないのですが便利と感じる人も多いのでしょう。儲かっているのかはわかりませんが、昔クリーニング屋さんがDPEの写真の現像を取り次ぎとして扱っていたのと同じ理由なのかもしれません。あれは来客頻度、新規顧客の呼び込みでやっていることが多いと聞いた記憶があります。

 その後に本屋さんにも立ち寄りましたがやはり本だけでなく本の関連商品が置いてあります。昔は手帳と文具ぐらいだったのですが今はかなりのアイテムの雑貨関連が並んでいます。ヴィレッジヴァンガードのやり方の影響でしょうか。本をメインに行くとうるさい感じなのですがどうなのでしょうか。

 昔からお店のレジの横には必ず電池、ライター、ガムなどのちょっとしたスペースでも売れそうな小物が並んでいました。今もそうです。コンビニなどのレジ横はかなりの売上なのだそうです。

 あくまで私見なのですがメインの業務のほかにバラエティにとんだものを扱う形態と、ウチはこれ一つで勝負するという形態になるのかもしれません。お客はそれの方が便利なのかもしれません。それは実店舗でもネットでもそうなのだと感じています。

 自分のような小商いは後者のこれだけで勝負を選ぶしかないと感じています。だから「闘う名刺!」なのです。名刺関係の商品を扱い、商品の効果的な使用方法などを知らせるのが重要なことなのです。すべてが消費者が自分に最適で好きな売り方をしているところを選べることが大切なことなのです。

 

 

 

 

「こだわり」

昨日の日経新聞の「ヒットのクスリ」というコーナーにこだわり力ということで昨年日経MJヒット番付にランクインした1000円食パン(乃が美:大阪市)の話が出ていました。それを考えるのに「赤福」など老舗が生き残った理由を考えたそうです。結論は一つの商品に特化し代名詞になるような商品を作ることでした。

 次に食感はTVのレポーターを参考にしたそうで、レポーターが決まっていう言葉の「甘い」「柔らかい」を実現できる分野をさがしてみつけたのが食パンだったとのことです。スゴイと思ったのは彼が米屋さんということなのでライバルともいえるパンに手をつけたマインドフルネスな考え方です。

 世の中で何かをヒットさせるのはこだわりの商品なのかも知れませんが、その裏には頭の中のがんこなこだわりを捨て新たな観点で考えてみることが大切なのだと思います。これだという商品を発見できればその商品にこだわりをもって磨きこむ覚悟をするということだと勉強になりました。

 商品の特徴や何かについてはあえて書きません。興味のある方は調べてみて下さい。自分が言いたいことは考え方ひとつでどんな商品でも新たな力を身につけられるかもしれないということなのです。ここでも書かれていましたが消費者のこだわりは大手だけでは対応しきれないということなのです。

 高くて売れる世の中には稀なものですが、そんなものそうそうありません。日常的に「あるもの」のなかにあると書いていましたが同感です。小商いをしている人達はこだわりをもっているはずですが、そのこだわりを一度外してみて、新しいこだわりを持ってみたらどうでしょうか。

 自分ももう一度こだわりを外して自分の商売、商品などをみつめてみようと思います。もし、我々が再度考え方を変えたら新しい流れが出来るかもしれません。そう信じて挑戦してみます。

 

 

 

 

 

「こあきない」

 「小商い」という言葉は謙遜でも卑下して使っているのではありません。あえていえば「堂々と小さな商いをできる時代が来ている」と言いたいのです。またビジネスマンというより「あきんど」でありたいと考えています。「あきんど」の自分のイメージは人を相手に工夫している姿なのです。ビジネスライクなスタイルではありません。

 大きなビジネスをするのは大企業、有名企業に任せればいいと考えています。大きな資本で、世界的な販売競争に勝ち抜いていくのは凄いことですが、自分の器量では楽しくできません。小商いで良いものを、サービスを同じ感性をもつ人達へ広めていきたいと考えています。

 今は昔と違い小商い、無店舗商売が当たり前に出来る時代なのです。我々高齢者には中々手ごわいがインターネットやSNSを若い人だけの特権と思わず慣れて行けば年寄りの世界も、想いも広がっていきます。今年は改めて教えてもらおうと考えています。

 大きなビジネスには意味もありますが、小さなビジネスには意義があります。どちらも役割があるのが面白い所で天秤にかけてもつりあうのが好景気なのだと思います。どちらかに振れ過ぎるのは経済政策をちょっと考える必要があると政治家の人達には考えていただきたいものです。

 今年は元号が変わり消費税が上がり、来年は東京オリンピックがあります。大きなビジネスは色々な話が新聞などで報道されますが、小さな商いについては中々宣伝してくれません。でも確実に変わってきているのです。それが表だってくる年になればいいなと期待しています。

 自分も小さな小さなことですが名刺の概念のなかに「闘う名刺!」を広められれば幸せです。頑張ろう。

 

 

 

 

小商いの生きざま

 小商いについて考えてみました。小商いは自分の一番相性のいい生き方なのです。ところが昨今のご時世なかなかゆったりとはしていられません。あまりに色々な事が変化していきます。まるで革命のときの時代のように思われます。いや、戦ではありませんが革命が起きているのでしょう。

 技術の進歩、社会の価値観、人の生き方など10年前とは違いがすごいと思います。自分の好きな「小商い」という生き方も日々色々な出来ごとに遭遇して右往左往しているのが現実です。そんな時代ですから改めて整理をしなければ根本の考え方が揺らいでしまいます。

 まず自分の思う小商いとは何でしょうか?それは自分の器に合った生き方が出来ることが第一です。よく人は器が大きいひとを目指しますが、自分は違うと思います。自分の器にあうことが最適だと思います。大きな器には大きな器の使い方がありますし、小さな器には小さな器の使い方があると言うことです。

 酒をのむのも大きな杯でのむのを見せる大相撲の優勝のときもありますし、家で晩酌を妻と一杯やるのはお猪口が良いのです。同じ酒でも使う器があるのです。どちらの器で人生を生き抜くかは自分で決めるしかありません。自分は小さな器で酒を飲むのを選びました。そこに迷いはありません。

 それなのに時代はあまりに多くの選択肢、器がある事を知らせてくるのです。インターネット、SNS等今まででは考えられないくらいの選択肢を自動的に送ってきます。自分も消費者も便利ですが迷います。商品そのものの価値より示される選択肢に頭を使いすぎてしまいます。それが今の世の中です。

 このなかで小商いを生業(ナリワイ)として生きていくのは簡単ではありません。自分がどの位置でどの器なのかを見極めながら生きていかねばなりません。昔よりはるかに便利な世の中ですが小商いは難しくなったのかもしれません。今年は元号が新しくなり、消費税も上がり、選挙もあり、来年の東京オリンピックを控える時代なのです。小商いは小商いなりに生きざまを見せて行く時なのかもしれません。