「弱者の戦略について(前提)」

「弱者の戦略」とは何だろうか?そもそも何を弱者と呼ぶのか?と言い出したらキリがありませんので、ここでは仕事・生計をするうえでということだと理解してください。今日に日経新聞を読んでいるとこんな記事が出ていました。

 今どきはヒラ社員でいることが勝ち組で出世は負け組と考える人が増えているというのです。要は働くことは収入や世間体ではないと考える人が確実に増えているのだと感じました。責任をもつ立場を望むのではなく自分の時間を望む人が増えているのでしょう。

 会社は色々とうまいことを言って就職させますが、昔のように終身雇用ではありません。まして社会は老後の年金だけで済まない時代が来てしまいました。どいう事かというと、今まで大人や先生、会社、政治家、評論家、有識者、社会などの責任ある立場の人たちが常識として言ってきた社会生活を豊かに安心して暮らすための仕組みが変わってしまったのです。

 社会の概念を見直す時代が来てしまったのです。目に見えるところではスマホが当たり前に社会生活に浸透しました。人口構造が前から言われている老人社会が現実になり人生100年だといい定年を延長し生活設計を考え直すのが当たり前としています。グローバル化した世界は企業を変えてしまいました。

 普通に就職して定年を迎えるはずの計画が崩れてしまいました。特別のことをした人が弱者になるのではなく、当たり前の働きを、まじめに続けてきている人が弱者になるのです。おかしな話だと思いませんか、誰も責任を取ってはくれません。どうすればよいのでしょうか。

 「弱者の戦略」を考えねばならない時代が今の現実なのです。我々の世代は会社に仕事に生きがいみたいな幻想をもって生きてきたのですが、無駄ではありませんが今の人に押し付けるほどに、その価値はありません。会社や組織がどこだから大きな仕事をできるという価値は選択肢の一つであり、むしろ個人が何をできるから発想すべき時代なのだと感じています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「弱者の戦略について」

コロナウィルスの話題は三月になってもおさまらず、益々エスカレートしているようです。学校の休校とか外出の自粛が話題になりますが零細企業やダブルワーカーのことなどは後回しにここがつぶれたと結果が出てからしか報道されないのが世の常です。

 いずれ少しずつ政府が助成金や資金繰りの融資拡大などを声高に言い始めるでしょうが、その時はすでに遅いし、動いたとしてもお金が手元に来るのは数か月かかるのではないでしょうか。でもそれを承知で生きている我々弱者なのだと割り切る必要があるのです。

 これからは弱者の戦略ともいえることについて書いていこうと思います。元々このブログは小商いと名刺からみる浮世を書こうと決めて始めたのですが書いているうちにぼやけたかもしれないので軌道修正です。

 弱者の戦略ではランチェスター戦略が有名ですがこれはほかの資料がたくさん出ているのでそちらをご覧ください。こっちのほうは下世話な話が中心です。そもそも自分が提唱している名刺「闘う名刺!」は弱者のための名刺という発想から生まれました。

 大会社で使う名刺は会社の名前がメインで個人は従となりますが、小商いや我々の名刺は自分が何をできるかを知ってもらうためのものでなければ無駄な存在なのです。それを作るためのノウハウの拡販が目的でした。まさに弱者のツールを考え直そうというのが主眼です。

 弱者こそ戦略をもたなければ生きていけないのです。今存在する企業と同じことや、やり方をしても生き残ることはとても難しいことなのです。自分は30年弱の実体験から心底そう感じています。この数年に自分と同じような小商いの仲間が店じまいをしているのが耳に入ってきます。世の流れとはいえ寂しいかぎりです。

 次回から弱者の戦略について考えていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本型の小商いを考えてみよう

小商いをする身にとっていつの時代も安心な時代はありません。浮世が安泰ならそれに越したことはありませんが、そうでないときも商いをせねば飯が食えません。どんな時代や状況でも正当に稼がねばなりません。ですから大切なのは健康なのですが、忙しいと忘れがちになりますので注意したいものです。

 浮世では働き方改革とかで騒いでいますが、本当に起業が増えたり、Wワークや副業が増えていくのでしょうか?ちょっと疑問です。実際のところは残業が減り仕方なくWワークや副業を半端な気持ちでする人が多くなるのかもしれません。それでも日本のしくみを変えていかねばならないということなのでしょう。

 起業は日本人より欧米、中国などの人が得意とすることです。日本人は新しく出来たしくみを工夫することが得意な民族です。どこかの国の人達と競う必要はありません。自分達の得意とする土俵で競いましょう。これが小商いの基本的考え方だと思っています。

 あとはいかに工夫して早く制度の良いものに仕上げるかなのです。そこに力を集中していくことこそが日本の生きる道であると思います。我々年寄り世代が小学校の時(高度成長期)に習ったことは日本の方向は加工貿易でした。今は国内でなく海外の労働力の安い地域に工場を建てて加工貿易はあいかわらず変わりません。

 これも安い労働力のいる場所に生産地が移るという浮世の定めなのです。大量に生産するものを大量に売るのは大企業の得意とするところですから、小商いはここで競うと失敗してしまうのです。つい最近まで中国で生産させていたような小企業が苦労するのは目に見えています。

 日本の小商いはマネをすることを真剣に考えるべきだと思います。ブランドのロゴを真似て模倣するのではありません。しくみや新しいビジネスを日本人と工夫して日本で軌道に乗せるのです。そして評価されれば自分よりもっとそのしくみを世に広げられるところに売ることを考えて行けばいいのです。働き方改革とはこんな事なのではと考えています。

 

 

 

 

 

 

Wワークを一年した感想

ほぼ一年前からWワークして気がついたことを書いておきます。Wワークの内容については後日詳しく書くことにします。まず理想的なWワークとは、どういう形なのでしょうか。

会社より一定の安定した収入が入ります。また雇用保険や健康保険、年金などの社会保障が補助されます。これが最大のメリットです。会社で会社以外の仕事(副業やWワーク)を認めてくれるか、暗黙の了解があることが必要です。

なぜ、こんなことを言うかというと日本の社会に根付いた制度や風習をそんなに甘く見てはいけません。今政策として働き方改革が実施されつつありますが、政策ほど当てにならぬことはありません。人気がないと変わることがしばしばあります。そして我々は忘れやすいのです。さぎにもひっかかりやすいお人よしな国民性なのです。

社会での暗黙の了解とか会社組織のインフォーマルな組織の力をあなどらないことです。なにせ人間がやっていることなのですから。暗黙の了解とは知っているけど知らないふりをしていることをお互いも周りも知っているということです。「あいつ、副業(又はWワークなど)してるんだ」ということをインフォーマルな存在にも呑み込んでもらうことです。ここ大切です。

契約社会の欧米と違い日本の場合は暗黙の了解が多く存在します。それをクリヤーにしようとするのが働き方改革だと思います。国、労使双方にとり良いことなどそうはありません。どこかで誰かがうまいことをしてしまうのが世の常というものです。

国や企業サイトのことはともかく実際に働く労働者サイトは基準をどこにおけば良いのかを考えてみました。それは「心の満足感、ここちよさ」という処にこだわることだと思います。いくら儲かってもその前提でないとうまくいきません。

 

商いが変化の予感

商いはどういう方向に流れていくのでしょうか?時代は令和になり、ひとまず令和のことを言わなくなり始めています。こうして軌道にのっていくんですね。次は来年に迫ってきた東京オリンピックです。その後はリゾート法案が通過していますからそのあたりの出来ごとと話題は移って行きます。

小商いを継続していくには浮世の動向を敏感に掴み、自分の考えをまとめていくことが大切と感じています。小商いだから、うちには関係ないというのは大きな間違いなのです。小商いだからこそ必死で考えてついていかないと明日はありません。それが小商いの現実であり、それを面白いと思わないと継続していくのは苦行になります。

最近の傾向として大企業は冒険をしなくなりました。やはり高度成長やバブルを経て創業者が減り始め、サラリーマン経営者が多くなったのでしょう。会社は株主のもので社会性のあることなどが彼らの目標になっています。すばらしいことなのでしょうが、社員の会社ではなくなりました。社員の一生を支える存在だった昔から変化しています。

政府が政策として働き方改革を推進するのは、そうするしかない現実があるからです。一生の面倒をみることが出来なくなった会社と急速な高齢化に手を打たず議論ばかりしてきたからだと思うのですが、働き方改革は賛成ですが役人が思っている考え方は労働時間や休日のことが多くて笑止でしかありません。

時代は凄まじい勢いで動いてしまっています。小商いが増える環境を応援していくしかありません。色々なチャレンジが出てきました。大型店はショールーム化して販売はスマホで買うことが当たり前になり、店舗のあり方が問われます。適正な規模も立地も内装・什器、そこに必要な社員も変わります。

少規模なお店も変わり始めています。佰食屋さんのように100食限定の店で夫婦が経営して成功する方法を考えている店とかです。コンビニも変わらざるを得ないでしょう。だれが誰に対してなにを成功としたシステムを提供できるかが今後の風潮になれば良いと思います。

 

 

 

 

 

今と昔、言い方が違うがだけ

久々に本屋をのぞいてみました。小商いをナリワイとする身として気になるのは副業、起業といったビジネス書が増えていることです。小商いを続けてきたものにとりチェックしなければと思い立ち読みをするのですが、昨今の働き方改革や年金不安のせいかわかりませんが安易な薦めのものも多いのも事実のようです。

 長い間小商いをしていますが、昔バブル前にもこんなブームがあった気がします。あの頃はフランチャイズ、ネットワークビジネス、自己啓発といったものが本屋にはビジネス書・雑誌のコーナーに並んでいました。何年かはそんな時代が続いた記憶があります。

 みんな廃刊になったりしたのでしょうね。あの時代は起業でなく独立とか脱サラという呼び方でした。今の起業、Wワーク、副業などの事ですよね。言い方が違いますが同じ様な社会現象なのでしょうか?バブルそしてバブル崩壊から安定した会社に入ることが人生の勝ち組といわれ目標みたいな時代が続きましたが、変わってきたのでしょうか?

 時代は言葉を変えて、同じような現象を生み出して行きます。前の時代のブームがなぜ終わってしまったのか、どうしてダメだったのかを考えてみることは大切なことです。そして必ず悪徳商法といわれるものが出てきます。これも同じように前のやり方の言葉を変えて繰り返す輩がいます。これも良く頭に入れておくべきです。

 小商いは長い時間、誰かの役に立つから続くものです。一気に儲かるのは稀だと思います。その長く役に立つ小商いを見つけることがこれからの新しい時代には必要だと考えています。かっこのよいことばかりではないのです。長く続けることを目標にすべきだと思います。続ける、継続こそが大切なのです。そしてきちっとした儲けがでることです。売り上げの規模ではありません。粗利を中心に考えるようにして長く続けましょう。

 

 

 

 

 

日本的な起業とは?

 先日、評論家の竹村健一氏が逝去されたという報道がありました。自分が学生の頃に活躍されていたので時間のながれを感じてしまいます。彼の書いた本で「自分の会社を持ちなさい」というタイトルの本を読んだ記憶があります。独立志向だった自分にとり少なからず勇気づけられました。

 あの40年も前に自分の会社をもてと言っていました。それは今の起業ということです。終身雇用が当たり前の昭和のバブル前のことです。時代はそこからリクルートとかとらばーゆといった転職を奨励した時代をへてバブル、バブル崩壊、消費税、コンピュータの普及、携帯、スマホの時代へと進みました。

 今は政府が働き方改革の旗を振り始めました。それは竹村氏が書いた本から40年という時代がかかっています。時代は昭和、平成をへて令和の時代になりました。かくも起業という言葉が定着するには時間が必要だったということです。それでもその方向に動いていくしかないと社会が考えはじめたのでしょう。

 それは積極的な挑戦ではなく、政策や経営の失敗、世界の勢力地図の変化といった諸事情からやらざるおえない選択なだろうと考えています。竹村氏の書いた本の時代はバブル前の昭和ですから積極的に自分を試そうという薦めでした。その時代に起業するとは言いませんでした。「独立」という言葉や「脱サラ」とい言葉でした。

 今は「起業」と言いますが、自分は社会がすぐに起業を一般的に受け入れてくれるとは思いません。なぜならここは日本ですから。でも変わって行かねばならないことを社会は理解しているのです。そこで必要なのは日本的な起業なのです。日本人は昔から文化やシステムの加工の名人ですから。

 日本的起業とは何でしょうか?自分はそれを「Wワーク」「副業」が当たり前の社会となることではないかと思います。このことが当たり前のことになることが日本的な起業になると良いなと考えています。ビッグビジネスではなく「小商い」としての普及です。

 

 

 

 

Wワーク・副業・小商い

これからWワーク・副業・起業などが盛んになるのでしょうか?政策として企業に対してもそれを奨励し始めているようです。継続した政策なのでしょうか?大きく二つ思ったことがありますので書いておきます。

一つ目は自分が賛成ということなのですが、これはあくまで短期のことではありません。長期にわたり社会が個人の個性を大切にして、それを応援してくれるシステムになることを望みます。今のようにどこかの大きな組織の下にいることが目的となる浮世では息苦しい日本が又復活するのではないかと思います。

二つ目は社会制度がもたないから政策として奨励し始めたなという思いです。人生100年と言いながら年金はあてにならず、色々な役所がデータ改ざんをしても誰も責任をとれないでいます。そして有効な代案はでてきません。世界情勢で他国の企業と渡り合うためには優秀といわれる人材を採用しなければならないので普通の人はWワーク・副業・起業もしてもかまいませんよということだと考えます。

大きな企業にいても今までのように人生は保証されなくなりました。この不安定を隠すための政策だと思います。でも我々は生きていかねばなりません。この政策を十分に利用することを考えたいものです。自分の経験から言えることは給料として少額でももらい、そこでは年金、税金、保険、雇用保険、健康診断などの事務手続きをやってもらうと割り切り、責任の仕事をこなせばいいのです。

役職や過分な報酬は期待をせず一つの安定した収入源とすればいいのです。その他にWワーク・副業を小商いとしてやるというのが一番いいのです。できるだけ2社、3社と務めるWワークでなく、小商いを始めることをおススメ致します。小商いは若いうちに会社で働くのを修業と考えて30代ぐらいから小商いを始めればいいのです。今の時代はネットがあります。若い世代なら十分勝ち目はあります。ぜひ小商いの盛んな国にしたいものです。

 

 

 

 

 

働き方を考えよう

 最近は働き方改革ということが言われ色んなことが見直されてきているようです。働き方改革とは3つの角度から考えてみないと間違った側面だけが動き出してしまう気がしています。3つの角度とは政府の政策としての一面、企業側からの一面、そして働く人からの一面の3方向の角度から見ると言うことです。

 政府としては政策として打ち出したのは労働者が主体的に働くことや起業などを国家として奨励するという側面と人生100年の時代を年金・社会保障で乗り切るのが難しいことが現実になってくるからだと思います。老人が増えて、それを支える若者が圧倒的に少ない時代に突入する現実から目をそらせる為の妖術の一つかもしれません。気をつけましょう。

 企業から見ると変化した現実をごまかす、これも妖術の一つです。残業や休日をへらすことで社員の為のことのように宣伝しますが実際の給料は上がりません。必要な分は自分で考えて何とかしなさいといことになります。その為にWワークも副業も起業も認めますという態度になります。本当は現在までの業態ややり方でこれからの令和は乗り切れないから変化せざるをえないのです。それを国の政策だからやるという姿勢に装っているのです。企業理念とは名ばかりの会社がほとんどではないでしょうか。

 働く側の感覚は国から、企業から言われると、どうにもならないので仕方がないので適当にうまくやろうという考え方が主流なのではないでしょうか。昔のように会社命みたいにするのはあり得ません。会社は一生を面倒見てくれる存在ではなくなりました。その存在は雇用関係だけです。できれば自分が嫌でない仕事に就くことが目的になります。

 一つの仕事、会社の空いた時間はスマホでさがすといくらでもアルバイトが出来るのだそうです。うまくやると月10万ぐらいになると新聞にでていました。自由なようで不自由の始まりになります。これは幸せな労働とは思えません。派遣切りが流行のようだった平成を思い出して下さい。

 小商いを皆が当たり前になるようにしましょう。アルバイトでなく自分が主体になって商いをする国民になりましょう。国はその為に援護する政策を考えることが本当の働き方改革だと思います。令和は個人が小商いで輝く世になればと願います。

 

 

 

 

習慣を変えてみよう

最近、歩き方を意識して変えています。先日テレビで巻き爪は足の親指を使わないと巻いていくと言っていたので試している。意識して歩くと、確かに親指をついていないのがよくわかる。だから靴の減り方がかかとと外側が減ってしまうのだ。親指を意識して歩くと膝にも良さそうなので続けてみようと思う。半年位で矯正できると良いのだけれど。

普段あたりまえに行っている習慣もちょっと変えるだけで、違った世界がみえる気がする。前々から妻に5本指のソックスを薦められていたのだけれど試さなかった。今度試してみよう。親指を意識して歩くことで爪や膝、靴下、靴、それらを扱っている店まで意識することになる。ここに商いのヒントがあるのではと思う。

ネットで記事(女性セブン)を読んでいたら「ミニ洗濯板」「みそこし」「いちごスプーン」など僕らの世代だと懐かしいものが売れているそうだ。洗濯板はミニにすることで部分洗いや、持ち歩きという発想がウケている。37万個3億円も売上ているそうだ。他のものも今までの習慣的な使い方とは違う新しい発想の使われ方をしている。

みそこしは、味噌汁の他に、堅さの違う野菜を茹でるのに使ったり、麺を柔らかく茹でたりすることで乳児や高齢者の世話に便利なのだそうだ。日常の習慣だと主婦の使い勝手を主にデザインや販路が決まるだけでなく、乳児や高齢者、別の素材のために使うといった視点が、今まで有る商品に別の価値を与えてくれる。

昔からあった当たり前の習慣でも使う時代と人間や国などで新しい価値が生まれてくる。形や性能のモデルチェンジをするのではなく、こんな使い方もあるということを積極的に知らせることが大事なのだ。自分たちは知っていても、肝心のお客様に知らせていない。知らせたつもりでいるのではないか。慣れというのが怖い。

自分が扱う名刺もそうだ。本来の意味は名刺交換して御縁をひろげるのが一番の目的なのに自分は何が出来るのか、したいのかを伝えられるビジネスの有効な武器になっているだろうか。名刺屋として、そのことを知らせたつもりになっていると反省させられる。商いは幾つになっても教えられることばかりだ。