歳か?

時の過ぎるのの早い事、今年は特に早く感じてしまった一年でした そういえば昨年のこの時期に八代亜紀さんが亡くられてびっくりしたのを覚えています 歳を重ねるからなのでしょうか 実はブログの投稿も今月初めに書いたのですが操作をあやまり今日又書いています すぐに書けばいいのでしょうが少し経つと書いた内容もおぼろげで面倒になります 歳はとりたくないと思います でもこのことは自分の性格のほうが強いかな?

歳をとるのは嫌なことも多いのですが若い時に感じなかったことも分かることも増える気もしています それが良いのか悪いのかは分かりませんが鈍感になるのもありかなと考えています もうすぐ新しい年となりますが 自分はそれほど変わらなくても世の中はものすごい勢いで変わっていることも うっすらと思いながら過ごしていこうとおもいます

肩こりキツイ

10月になってから肩こり痛でまいっています 昔からこの時期9月、10月は季節の変わり目で体調をくずしてしまいます わかっているのになぜでしょうか?やっと10月も月末になってきて回復に向かってきました よく肩こりをしないという人がいますが羨ましいかぎりです 亡くなった親友がそうでしたもうすぐ命日がきます 寂しいと近頃よく思います

ともかくまだ生かされている身としては歳をとるたびだましだまし生きています今を頑張るしかありませんからね 何か愚痴を書いてしまいました こんな日もあります 明日からまたがんばろう

自分も敬老?

なんの連休なのかと思えば「敬老の日」が9/16でした 自分も立派な老人であるがこの日はちっとも嬉しくない 歳を重ねるたびに誕生日を迎えると複雑な想いがわきあがる自分と同じ想いの人も多いはずだ 調べてみると元は昭和25年頃の兵庫県の老人会の行事が広がったとか このころは戦後で家族を亡くした人も多かったので意味があることだったのかもしれない 呼び名は「としよりの日」と言っていたそうです それが昭和39年に「老人の日」となり41年(1966)に国民の祝日となりもっと良さげな呼び名はないかで「敬老の日」となったそうです

1966年ころは高度成長期だから敬老でもなんでも休日を増やさないと休めなかったのかもしれないね 今は自分が年寄りといわれる歳になったが平均寿命は延びて自分の親も90代で頑張っているのだから 敬老はそちらからになるわな ともかく色々なことが日々大きく変わる時代だしついていくのも大変だというのが現状だ どうやら敬われるのはまだまだ先のようです 先ほど調べたいと思って本を探したのだが無い見つからない とりあえずそれを探すのが先決のようです ほんとにどこにしまったのだろうか?

記念日?祈念日

今日は8/6です 79年前に広島に原爆が投下された日なのです この時期になると平和や戦争のことが色々な報道で注目されます この時期だけというのが気にはなりますが忘れられるよりは良いことだと毎年思っています 新聞の記事で原爆の日、そして平和記念式典と出ています この記念が気になります 細かいことでと思いますが気になって仕方がなく書き留めておこうと思いました 記念とは主に思い出に残すという意です 字をあてるなら「祈念」ではないのでしょうか 祈念は神仏に祈るです 平和祈念式典のほうが自分にはピタリととくるのでこれからはこう記そうと思いました そしてこれはテストだと間違いになるなあと考えながら書いています

歳を重ねるといろんなことが気になります いやだねと思う反面、自分はこう考えていますということは伝えておきたいと思いました そのことが何になるかでなくこういう人もいるということを 前に書いたか忘れましたが「障害」という言葉も戦前は「障碍」だったと聞きました最近では「障ガイ」などの表示を良く見るようになりましたが戦後に役人が碍ではなく害を当てたそうです それを認めた人や子供たちに教えた人も気にならなかったのでしょうか?ちなみに碍は道に岩がおいてあり、ちょと足がとまるような意味と記憶しています 害という悪のイメージではありません

気にされ始めたのは最近になって取り上げられることがちらほらあるようです 多様性の時代と言われるからでしょうか おかしいと思うことは自分がおかしく思わぬようにするしかありません 誰かに指摘されたら自分の思いを話せばいいのです そこで分かち合える人とそうでない人で頭の整理をすればいいと思っています そこで同じ方向に歩く人とただすれ違う人とが決まるのではないでしょうか ふと思ったことを書いてしまいました

食べ物の記憶

今日から7月、この時期になると「うなぎ」を食べたくなる。実際には冬場に食べるほうがうまいと聞いたことがあるけれどその時期に食べたことがない。この時期のうなぎを食べる習慣は江戸時代平賀源内という知恵者のプロデュースだそうだが最近は広まりすぎてなかなか手が出る食べ物ではないようだ。なのに初ガツオと同じで見栄をはって財布を開いてしまう。まんまとはまっている。

「うなぎ」の記憶はもう60年ぐらいたつが子供のの頃におふくろに立川のデパートの食堂で食べさせてもらったのが自分の記憶の始まりだと思います。そのぐらい前のむかしの事なのによくもまあ覚えているものだ。家は今も昔も裕福でないので、きっと無理して食べさせてくれたのだろう。ほかにも食べ物のの記憶は忘れられないもののようだ。まさに貧乏人のなせる業といったところだ。

今は何でもある時代だけれど昔60年前はまだまだ日本は貧しく高度成長に入るかぐらいで子供にとり食べ物の記憶は腹が覚えているようだ。さて今年はどこで食べようかと軽い財布と相談してみよう。でもあの時のうなぎを超えるのは難しいだろうな。

「初午?」

早いものでもう2月です。23日は節分、豆まきは当たり前のような季節の行事ですが、29日の初午(はつうま)はご存知でしょうか?二月になって最初の午(うま)の日に行われる稲荷(いなり)神社の祭りのことです。日本の行事は五穀豊穣を願うものが多いのですがこれもその一つだと子供の頃に聞いた覚えがあります。今年は明日が初午です。

 あまり一般にメジャーではないのですが、我々が子供の頃は(50年前位)まだ豊かではなかったのですが、初午には近くのお稲荷様を祀っている方が(有力者が多い)甘酒や、おでん、お菓子と色々近所の子供たちにふるまってくれていましたので、あちこちに行ってお相伴にあずかった思い出があります。今もやってくれている処はあるのでしょうか?

 聞くところによると府中はお稲荷様を祀る家が多い土地なのだそうです。むかしからの国府だった街ですから大国魂神社を中心に武蔵野の大地にも恵まれたからなのでしょうか。また豊かな農家も多かったのでしょう。江戸時代は徳川家康の保護もあったようです。

 行事とはおかしなもので記憶に残ったりするものと、全く忘れているものがあります。初午は自分のおなかの事情から忘れずにいますが、本当はもっと詳しく調べると面白い話題にできるのかもしれません。このおなかの記憶が悲しいかな凡人の現状です。

 話は変わりますが行事やしきたり、常識みたいなことは以外と明治以後のものが多かったりします。神代の昔から存在しているように思うのは間違いのようです。今常識といわれる考え方もそうなのです。戦前ぐらいに始まったことを大袈裟に歴史があるようにもったいぶっていることが多いのです。その時々の人々が都合よく使っているだけですから常識にとらわれず自分の考え方で生きるほうが、気が楽です。