「認める」を考える②

 名刺は、どうやって相手に信用され、認めてもらう小道具となってきたのだろうか? 前記したように大会社、有名会社、銀行、公務員などは名刺交換をすれば、社名で認めてもらえ信用され、取引の話に入る事が出来る。昔よくあったのが会社のロゴ、マークを型押しプレスして凹凸をつけた名刺や、墨1色が一般的な時代にカラーの名刺を使い他社と差別化していたのを思い出す。

 小さな会社は名刺まで中々お金はかけられないので、そんなに特別凝ったものはなかった。パソコンで版下を作成できるようになるまでは活字で作る活版印刷タイプだったし、少々お金がかけられて量がでるところはオフセット印刷でやるが、版下は写植してフィルムを作ってやっていた。今、思うと面倒だがなつかしくもある。

 25年前くらいからだろうかパソコン(ウィンドウズ)が一般に普及してから名刺も様変わりした。名刺の原稿版下を画面上で作成できるようになり文字のフォントもサイズもバランスも画面上で作成することができるし、お客様とのやり取りも画面上でやれるし、注文も来る。工場へも校了データーを送れば済む。印刷技術の進歩もあった。活版印刷からオフセット印刷、オンデマンド印刷とあれよあれよという間に広がった。町に昔にあった印刷屋さんは姿を消していった。

 そして今、誰もが簡単に自分のイメージにあった名刺をネットで安く、早く届けてもらえる。でも考えてみるとその素敵なクールな名刺をどう使うのだろうか?問題は内容である。その名刺を交換して相手の信用を勝ち取り、認めてもらえるだろうか。名刺だけで信用してもらおうとは思わないという声が聞こえてくるが、初対面の人に渡すというビジネス上、大切なチャンスをつかむ瞬間であることに間違いないことである。昔、先輩諸氏が苦労して工夫をしてきたこと思えば、作成そのものが安く早く簡単になった分、内容については工夫したいものである。名刺1枚にもこだわって、相手に対しているという熱意を伝えよう。我々のような小商いをするものは、そうやって認めてもらえばいい。何が出来て、何がしたいかを伝えよう。

 

「認める」を考える①

 世の中の基本は認められる所から始まる。それは出生から始まり、国家、性別など色んなことで認められねば、そこで生きて行くのが難しいように出来ている。きっと、社会が平和に暮らすための知恵なのだろう。最低限のしばりがあるのは良く解るのだけれども、それを特定の人が権威をもつ手段に使うのは面白くない。

 自分の興味対象は、小商いと名刺なのでそこから考えてみたい。まず、小商いも会社としてやるには登記が必要だし、役所への届出も必要だ。当然、税金も払うのも当たり前と考える。その社会に存在することで何かしら役に立ち、稼がせてもらうのだから、これらの「しくみ」はうまくできていると思う。扱うものによっては営業許可が必要なのも、しごく当然。問題はそれを管轄するのが役所の天下りの団体が多く、本来のしくみの健全性の為より、安易な金の徴収手段として、誰かが認めているということだ。

 昔、名刺にはISOなどが記載されていなかった。大きな会社、有名な会社、役所は信用されるが、小さな所は取引をするのに中々と大変な苦労があった。我々が子どもの頃はJISJASが規格として習ったのだが、いつのまにかISOになった。国際的になった事もあるが欧米との規格競争に負けたのだ。スタンダードを創るのが金になるのを欧米は熟知している。したたかである。

 今のネット社会もそうである基本の約束事は全て欧米で作られたものだ。そこで活躍しているのは、自分たちのプラットホームの約束事を認めることで参加が許されるという「しくみ」を創りだしたのだからスゴイ。認めるということがこれだけ凄い事とは普通に暮らしているとあまり感じないが、考えれば考えるほど認めるということの重大さに気付くことになる。

 自分の会社も有限会社として設立し、認められている訳だし、取り扱う名刺という商品も誰かに自分を伝えて認めてもらう為の小道具だ。そしてこれを書いているブログこそ認めるしくみの代表的存在なのだから。昔、むかし誰かが創った認めるという既存のしくみを、ネットというしくみで別な認める社会を創りだしてしまった。

 

名前のローマ字表記と各国の料理屋さん

前回は紙の流行りすたりについてブームに迷わされないようにという話でした。今回は流行りではなく、名前の表記をローマ字で書く場合の決まりごとの話です。

国語審議会(文相の諮問機関)によると日本人の姓名のローマ字表記について「Taro Yamada」など「名-性」の順で書くことが多いが 「Yamada Taro」のように「姓-名」の順にすることが望ましい。又これまでの慣用に基づく誤解を防ぐため「YAMADA Taro」など姓だけ大文字にするなどを提案している。

実際にうちで扱う名刺の場合でみてみると半々ぐらいと感じている。名前の下へ、るび として使ったりするには「姓-名」のほうがよい気がしている。アジアでは中国、韓国、ベトナムなど、ヨーロッパではハンガリーが「姓-名」の順なのだそうだ。最近では名刺の裏面に英語表記をしている会社も多い。海外に行くというより、あちらから来ている人達が多くなったのだろう。

話は変わるが、来日されている国とレストランの関係もあると気がついた。昔から中華料理や焼き肉などはあったが、最近はインド料理、パキスタン料理、ベトナム料理、ハラルを掲げる店などが多くなった。やはり、これらのアジアの国々の発展はめざましく、都内だけでなく色々な場所で見かけるようになった。日本で多くの国の人が活躍しているということだ。

やはりローマ字表記はしたほうが良いかなと考えている。ただ中国の人の名刺の漢字よりローマ字表記を言葉にして読むのは、とても難しい。L とかX が入る人をなんて呼べばいいのか、いつも悩む。今までの不勉強のツケなのだが、これからは名刺屋という商売柄、前記の国々等の言葉も老骨にムチ打って勉強してみるかと、調子の良いときは思う。商売はいくつになっても大変だ。がんばろう。

ブームには気をつけよう

先日、スクラップブックの2000年の頃の新聞の記事を見直していました。もちろん名刺に関するスクラップなのですが、環境の事、エコロジーなどの記事がやたらと多かった時代でした。特にケナフの名刺などの記事がたくさん出ていました。

ケナフは東南アジア、中国、アフリカなどに分布する一年生の植物で、二酸化炭素の吸収率が多く温暖化防止にも良く、56か月で育つので森林伐採をせずに済むのだと。だから自治体がその名刺を推奨している。これが2000年初めの記事、年の後半になると、量産すると排水、運搬など、国内で栽培すると外来種であり生態系が崩れる恐れがある。それほどエコとは言えず、しかも割高になる。そんな記事がありました。製紙業界が反撃したとも言えますが、ブームは過熱しすぎたのでしょう。あの頃、古紙100%の名刺は自分も使っていましたが、業界のねつ造と判明し表記がなくなったこともありました。どちらの応援する団体も嘘はいけません。

今も色々な素材(バナナ、石、再生PETなど)でつくる方はいますが、エコというよりは他の人と違うものをとか、話題性からとかの理由で作る方はいます。それのほうが健全ですね。誰かが大きな声で旗を振る時は気をつけないと、別の意図が感じられることが多いものです。名刺にたずさわる者としては、話題になるのは良いのですが本来の名刺の意味、伝えることは言葉でと思うのですが古いのでしょうか。

名刺の紙といえば、我々が働き出した昭和の時代は厚手の紙にタテ書きで、社名、名前、住所、電話位のものでしたが、今はほとんど薄手の紙にヨコ書きが多くなりました。内容も前記のほかに会社ロゴ、FAXE-MAIL、ホームページ、ラインIDISOマーク、プライバシーマーク、英文表記、顔写真、似顔絵、キャッチフレーズなどがあります。当然、スペースの問題があるので文字は小さくなり若い人しか見えないような名刺を配られています。

時代ですから仕方がないのかもしれませんが伝えたいことは絞ったほうがいいと思います。何が出来るかさへ伝われば後はホームページとか会社パンフとかブログ、SNSとかで良いのではないかと感じます。周りがやっているからでなく、自分はこうするという名刺を創りたいものですね。

 

名刺を効果的な小道具・武器にする

何度も書いていますが名刺を効果的なビジネス上の小道具として使わなければモッタイナイ。そこで考えたのがビジネスで闘う為の小道具であり、武器として使う為の名刺に『闘う名刺!』と名付けました。

闘う名刺というのは、いわば弱者の名刺です。ここで言う弱者は大企業、有名企業、有力企業などの大きな資本・組織・人材・ルート・・・などを持つ会社に対して個人、零細、起業などのそれらをもたぬが意欲のあるもの。また、外交的で前にでれる人たちに対して、内向的で一歩ひいてしまうが、しかし自分の考えを表現して活きたいと模索している人たち。そんな自分も含めた人たちや会社を想定しています。

我々が一般的な名刺を持っても強いものには適わない。どんなに素敵なデザインの名刺を配ってみても知名度のない、何の会社か分からない処の話を聞いてくれるような善意の人達はいない。もし、いたとしても取引に至るのは稀でしょう。そこであきらめたらつまらない。そう思える人たちの名刺である。

なぜ、名刺かといえば、いくら世の中がIT社会になっても人と会わない社会はまともな社会とは思えません。人と会うというチャンスにキチッと自分を伝えるツールが名刺であり、見ず知らずの人でも受取ってはくれるし、一瞬で読めるので精読してくれるので、とてもありがたいビジネスツールである。それを工夫して使わずに弱者が強者と闘うのは無謀としか思えない。

だが、今までは強者の土俵の上の常識で勝負するのが当たり前の習慣にさせられていたのです。強者の強みは信用だ。あそこなら取引しても騙されないだろう。ということになるが、弱者はそうはいかない。我々が取引してもらうには信用される工夫と何ができて、何がしたいのかを伝えなければ何も始まらないのです。

ネットで調べると名刺を作成する会社は山ほどあります。でも見てみると価格とデザインが中心のものがほとんどです。それではあきたらないと思う方に、名刺に関する色々なことを発信したいと思っています。

 

名刺の本質とは何だろう

 そもそも名刺は持っているだけでは何の役にもたちません。人と会って交換することで価値がでるのです。その時の相手は初対面の人の確立が多いのも事実です。あたりまえのことなのですが、それは思っているより意外と重要な行為なのではないでしょうか。きちっと考える必要があるのです。それが、あなたにも相手にも何かのストーリーが始まることになるからです。

 初対面のもの同士が挨拶して、紙一枚でも交換し合うというアナログな習慣にこそ意味がでてくるのではないでしょうか。信頼関係はこんな小さなことから築かれていくのです。

 次にイメージというあやふやなもの、第一印象も名刺交換で感じることが多いと思いませんか。人間同士の関係のなかで、かなり重要なことなのです。これが後々影響してくることがあるものです。

 前に書きましたように名刺交換の時、信頼関係をつくる第一歩であり、好印象を持ってもらうにこしたことはありません。忘れてならないことがもう一つあります。自分が何をしたくて、何が出来るのかを効果的に伝えるということです。これは、とても重要なことです。これこそが本質なのだと思います。

 名刺は社会に出て持つのは会社から支給されたものを、当然のように使いますが本当にそれで良いのでしょうか。特に自分で起業したり、独立したり、フリーランスで仕事をする場合は、より効果的なビジネス上の武器として持つべきなのです。単なる住所交換にしては勿体なさすぎます。チャンスが目の前にあるのに、みすみす見逃すのは愚かなことです。

 では、どうやって自分にとっての効果的な武器である小道具を創れば良いのでしょうか。これを考えて行く過程は自分と向き合わなければ、納得できるものは出来ません。向き合うことがモチベーションアップにもなるでしょうし、人によれば心のセラピー効果もあるのかも知れません。そんな名刺の創り方を一緒に考えて行きたいと思います。

 

内向的な人の起業はあり?

 起業や独立をするのは積極的な外交的で元気がある人だけではない。今までのイメージからするとそんな風に考えていました。人と積極的にアポがとれ、話題豊富で、グイグイ前に進める人、心が強く精神的にタフな人、そんな人が起業・独立の基本条件と思っていました。もちろん、こういう魅力的なリーダータイプの人が多く、チャンスをつかむのも事実です。自分は起業して25年になりますが、全く逆な内向的なタイプです。

 人と会う時はドキドキするし、前に一歩出るのが苦手だし、精神的にもへこたれやすいし、リーダータイプでもありません。ただやる気はあります。昔から起業したいと考えていたのですが、ゼロから始める程の才覚はなく、修行のつもりで就職し会社でセールス、営業畑で15年勉強させてもらいました。世の中は不思議なもので苦手な営業でも、かなりの成果もだしました。でも、組織には違和感を感じ続けていました。この辺が内向的な人の特徴なのではと思います。

 当時はバブル崩壊後で色々ありましたが、この空白の20年といわれる時代をただよいながらも生きぬいてきたのも事実です。当時はSOHO(スモールオフィス、ホームオフィス)などというのも流行りましたが、今はどうでしょうか? ネットで、SNSで、簡単に仕事を始めることは出来ます。でも、うまく軌道に乗せれるかどうかは今も昔も変わりません。ただ、特別な人が起業・独立をするのではなく普通の我々が今のインフラを利用すれば生計を得る手段として、起業が一般的な選択肢になればいいと考えています。

日本では起業に無関心な人が72%(経産省2017の調査)とのことです。アメリカにはフリーランサーとして働く人が労働人口の1/35500万人)いるとでていました。この差が良いのか悪いのかはわかりませんが、日本では就職=生計の手段ですが、起業やフリーランスで働くということが気軽にでき、失敗しても再チャレンジできる「しくみ」と社会になるほうが良いのではと思います。幸い今の若い人たちは我々の時代とは違う感覚を持つているのがオリンピックや将棋その他でも判ります。

高齢化も一つのチャンスです。内向的でいままであきらめてきた人も最後のチャレンジができる時代なのかもしれません。その時は内向的な人達の名刺を、ぜひうちで創らせていただき名刺交換したいと思います。

 

小商人(こあきんど)の小商い

 今日新聞にサラリーマン川柳の入選100句がのっていた。毎回、時代を反映している作品が多いので切なくも、楽しく拝見させていただいている。今年はAIや忖度など盛り込んだ作品、毎回ある妻や供、上司・部下との話など、自分だけじゃないんだなとニヤリとしてしう。その中に「AIが 俺の引退 早めそう」「制度より 働き方は 風土から」などは、そのとりと思ってしまう。中高年も辛いんだよ。

 働き方も色々あってサラリーマンが一般的だけれど職人、農林水産業などの他に「小商い」というのも注目しても良いのではないかと思う。小商い、小商人をマイナーなイメージでとらえるのではなく、別な価値観で生計を立てたいと思う人達も共存したほうが社会生活は面白く、選択肢も増える。

 戦後サラリーマンが当たり前のような社会構造だったが、団塊の世代の退職や若い人の人口減があるのだから考えかたを変えていくしかない。昭和の初めまで位はお店で働くとか、何かを自分で商う人は相当数いたと思う。大正、明治、江戸とさかのぼってもそうだ。時代劇でみると侍と大商家で働く人達はサラリーにあたるものを貰っていたが他の大多数の人達は自ら生計を立てていたし、今はネット、SNSだってほとんどの人達のインフラとして使える訳だから。

 若い人達にはサラリーマンとしても、公務員も、起業も、海外でも働くことも、チャンスはたくさんある。その選択肢のなかに昔の小商いの概念でない今の小商いを考えてもらえないだろうか。我々中高年も定年後にまだ相当使える時間が残っているのだから小商い起業も増えるだろうが、なにせ頭はかたい。新しい日本のライフスタイルを創りだすのは限られてしまう。ここはフレッシュな頭で中高年に「ああ、こういう生き方もあったな。うらやましいな。」と言わせて欲しい。その人達の名刺を一緒に考えて創りたい。小商いの名刺屋はそんな風に思っています。

 

名刺も色々ありますね

 名刺といってもいろんなタイプのものがあります。みんなが一般的に名刺といえば想像するのは住所録に会社のロゴやISOマークなどが記されたものだろうか。銀行員が配る名刺は顔写真の入っているものが多いかな。でもネットで検索すると、まあ色々でてくる。その多さにビックリします。

 名刺を作ろうと思う時まず何を考えるだろうか?仕事のために作る人が多いとは思うが、組織に入っていればその所属している会社なりが制作して渡されるのがほとんどなのでネットで検索する人は起業する人、既に使用しているものをバージョンアップしようと思ってる人、最近ならフリーランスで仕事をしている人などだろうか。ともかくチャンスを掴もうとしている人達が多いのだと想像する。

 名刺も価格で探す人、デザインで探す人、あまり考えず発注しやすさで選ぶ人、そのほかのこだわりで探す人と千差万別だと思う。業者もとにかく安いことを売りにしているところやデザインのひな型を提示している所、業種にこだわりを持っている所などともかく色々です。

 名刺は配らなければただの紙切れだ。とにかく配るのが一番なのだが、中々それを躊躇している人もいるのではないかと思う。なぜなら自分がそういうところがあるので、いわゆる内向的な傾向の人は外交的な人には想像できぬ心の葛藤があるのです。そんな自分が名刺屋をやって,なんとか暮しているのだから感謝しかない。色んな人がいるけれど自分の様な内向的な人が配りたいと思えるような名刺を創って行こうと思います。その創り方や考え方を伝えていきます。

 

起業、副業の名刺はどうするか?

政府は今後の日本の働き方を変えるとズイブン大きな声で宣伝している。起業を増やし、定年延長を促進し、女性の雇用を増やし、海外からの就労を増やし、副業も認めてダブルワーカーも増やす、etc それに伴う色々な政策も実行していくと言っている。企業に通達をだし、普及を促したり、保育園や介護施設を増やしたり、就労ビザを長くしたりすると新聞などでは頻繁に話題になっている。

これが実際に動き出せば大したものだ。ぜひ、半分でもスピードアップで進めて欲しいものだ。日本は転換期というのは誰でも判っていることだが世界はそれを待ってくれるほど甘くない。技術の進歩は凄まじいし、発展途上の国々の台頭も目覚ましい。ダイバーシティだ仮想通貨だと価値観の転換が現実に起きている。高齢化、年金崩壊、人口減少と日本は課題山積のままで、ゆっくりしてはいられない。

ビジネスでも起業、副業と簡単にいうけれど簡単なことではない。まず、今までの社会習慣を切り替えていかねばならない。小さなことから変えていくしかない。その一つが名刺だと考えている(自分が名刺屋だから)。今すぐに各人が自分が出来ることから始めるしかないと思います。政策に期待はしても中々進まないのが日本の仕組みですから。

名刺でいうと今まではどこかのグループに所属していたので、その頭の名前の信用を借りてデザインすれば良かったけれど、今後はそうはいかない。より相手に自分が何者で、何をしたくて、何が出来るのかを伝えられる名刺でないとダメ。住所や連絡先は他の手段でいくらでも伝えられる。しかし、自分自身のビジネスに対する想いは名刺交換というアナログな習慣で初対面という絶好のチャンスの時に伝えるべきである。どんな時代になっても人が人と良好な関係を持つことの大切さは変わる事がない。それを信じよう。