今年のイメージ

今年初めの投稿です 本当は正月ごろに書いたのですが操作を間違い今になりました 今年もいっぱい間違いや失敗を繰り返すのでしょう そんな自分ですから仕方がありません

さて去年のブログを読み返していたのですが年齢のこと、歳に関する話が多くて随分と気にしているのだとあらためて感じました 今年は違う観点で色々なことを見つめていきたいと思います 今興味があるのは古代です 歴史は前々から好きで戦国時代・維新・江戸時代などは本で良く読んできたのですが最近は縄文や邪馬台国のことが気になって仕方がありません 今年はそんな感じで行ってみようと考えています 忘れぬように書いておきます

中途半端な年寄りより

先日、久々にカミさんと居酒屋に行きました カミさんは飲めないのですが居酒屋の雰囲気は好きなようで時々は夕飯がてらに二人で近所の駅周辺の店に顔を出してみるのです 今度友達と〇〇の会とかをするとのことなので偵察もかねて寄ってみました 今は個室の居酒屋が多いようですね今日入ったところはきれいな店でしたが迷路のような個室でした 料理は和食中心で我々年寄り向きで良かったのですが注文がスマホでQRコードでアクセスして注文するのだそうです カミさんは慣れているようでしたが自分はテーブルの上に注文するための店の端末があってその画面のメニューを頼むところで止まっていました それに気づかされましたまさにいつの間にかこうなってしまったのでしょうか 進み方が早すぎます 我々の先輩方も大変ですが、達観してあきらめても許されるお年頃ですがまだ自分は中途半端な年寄りで何とかついていこうとするのですが厳しくなってきているようです 生活にかかわることは少し丁寧に変わってくれるといいのですがマイナンバーカード、インボイス制度とあれよあれよと平気で変わってしまいます なにか浦島太郎の心境の今日この頃ですが年寄りの冷や水ですが意地も見せたい気持ちで日々過ごしています 今の自分の目に映る糸つの景色として書きました

おまもり②

最近、お守りや古代のことがやたらと気になっている。俗にいうマイブームです。お守りは今まで初詣や旅行でどこかの神社仏閣、お土産などの際に購入すること位の感覚でしかなかったのですが自分がパワーストーンを身に着けるようになってからとてもいいと想い始めました。随分と心が助けられている気がします。

どこかの神社仏閣などのお守りやお札は、例えば学業成就・家内安全・交通安全等々の何かのお願い事が主ですよね。それに対してパワーストーンを身に着けるのは自分の心・メンタルの強化ということがメインのお守りと言えるのかわからりませんが自分にとってはお守りです。そういう観点で考えて整理していこうと思います。

老いてくると何もかもがどうでもいいと思えることがありますが、まだどれほど時間があるかを考えてもどうにもならないので思いついたことをダラダラと書きながら頭の整理をしているというのが現状です。

おまもり①

最近”おまもり”について考えることがあります。子供の頃おばあちゃんが神社のお守りをカバンなどに入れてくれました。その時は何も思わず何だこれ位の感じでしたが、自分が歳を重ねると子供や孫が心配でなりません。そして何かあるとお守りを身につけておきたくなります。不思議なものだと思います。歳をとればとるほど自分の力でどうにもならない何かを感じてしまうのでしょうか?

今はパワーストーンを身に着けています。うちのカミさんがパワーストン作家で自分の馴染むもの考えてこさえてくれました。それについては又色々書きたいと思っていますが今はとても馴染んでありがたいと感じています。基本自分はとても弱い人間ですから、ちょっとした事でくよくよしたり、悩んだりしてしまいます。その時などそれを見たり触れたりすると何とかなると思えます。

気持ちの強い人は違うのでしょうが、自分みたいな弱い心のものには生きていく上で大切なアイテムだだと思います。これからは色々なおまもりについて調べてみたいと思います。

アイスクリームに感謝です

今日で五月もおしまいだが今月は風邪で散々な目にあった。久々に風邪をこじらせてしまった。最初はのどが痛く、次はせきがひどく眠れないのだけど熱は出なかったので仕事しながら普通に風邪薬を買って飲んでいたのだが、だましだまし仕事をやっていました。本当は医者に行けばよかったのだが、若いころからこんな感じで回復していたという油断でした。少し良くはなったと思うと目が充血してしまい三週間もかかってようやくこうして書いています。これからは体に過信せず医者に行かねばと反省しています。

この体調不良の間でアイスクリームには助けられました。のどが痛いときやせきがひどくてもアイスだけは食べられるので食べ過ぎては糖尿系にはよくないとわかっていながらも、それだけを楽しみに過ごしました。誰が何と言おうとアイスクリームの力は素晴らしい。その代わり薬を飲むので晩酌は控えました。久々に三週間も飲まずに我慢しました。これも若いころなら喉が痛けりゃ焼酎、軽い風邪ならウィスキーでしたが、さすがに老いてくると体がダメ出しをしてくれました。その分アイスクリームはありがたかった。コンビニのアイスを色々食べ比べてしまいました。明日から六月、体調は八割がた回復しましたので今月は晩酌を再開しようと焼酎を買ってきてしまいました。もちろん少しずつしか飲みませんが少しはほっこりした気分を取り戻すつもりなのですが...どうでしょうか?

 

自分の都合です

どうしてブログを又書き始めたのだろう?確かコロナ前は名刺のことをもっと知って欲しい。有効に活用するにはどうするかといったことを中心に書いていました。今は?そんなことどうでもよい感じなのです。なぜ変わったのでしょうか?

歳をとってきて書き留めておかないと忘れる自分が怖くなったというのもありますが、文章に起こすことで考えていることを整理しているのかもしれません。又いい加減ですが人に見せるわけでない(矛盾)ので思ったことをまとめているに過ぎないのですが、それで十分自分の役には立つような自分勝手な我儘な使いかってでやってます。

再度「ヒュッゲ」を

何年か前になりますが「ヒユッゲ」というデンマーク語が取り上げられていることをブログで書いたことがありました。これは「居心地のいい時間や空間という意味」でしたが、その後に世界はコロナという最悪のヒュッゲになりました。適当な言い回しでないかもしれませんが酷いものでした。亡くならなくても良いはずの方も随分いたはずですし、お別れもできない三年間が日常になり、マスクも当たり前となりました。日本の場合は花粉症という政府も何もしない季節の厄介者もあり、自分は未だマスクをしています。

このあたりで再度「ヒュッゲ」について考えていこうかなと思っています。あれから数年の年月があり確実に歳を重ねました。自分を取り巻く環境も変わってきています。自分にとっての居心地の良さを色んな角度で考えておこうと思いますこの投稿もその一つとして考えていこうと思っています。自分にとっての頭と心のリハビリなのです。

循環型のライフプラン

 20年以上前になると思うが、循環型ライフプランという記事があり新聞に出ていたのを記憶している。何でこんなに前の記事を覚えていたかというと小商いを始めたばかりのころで、そこに直線型ライフプランは終わると書かれていたからだ。自分で小商いをするときに考えたことと同じだったので、不安を打ち消すようで嬉しかったからかもしれない。

 今、自分が還暦を過ぎたのであらためて思いだした。小商いを始めて25年やってきたのだが、これからの時間は老いとの付き合い方が大切になる。自分はボケる目前まで、何かしらの仕事をすることが昔からの目標なので、この時期に再度、色々なことを考えなおしてやっていこうと思っています。

 循環型ライフプランの中で印象的だったのは、直線型の場合は学校で学び、就職し、結婚、子育て、定年、残りの人生を老夫婦で仲良く過ごす。それに対し循環型は教育も、レジャーも、仕事も、恋愛も、長い人生の間に何度も、どここからでも繰り返しやれる社会がくると言っていたと思う。

 25年過ぎた今、日本では100歳までのライフプランみたいな話が出てきているし、還暦を過ぎても以外と元気に暮らしている。(ありがたいことです。感謝です。)やりたいことも、まだまだあります。もちろん年齢なりに出来ないことも増えてはいますが、経験も増えたわけですから。

 先日テレビでサウンドファンというスピーカーの会社が取り上げられていました。そこは還暦をすぎた方たちで構成された会社でした。その中の技術者は70歳を超えていましたが、視聴覚にハンディキャップを持たれた方の為の色々なスピーカーに挑戦されていました。技術を持たれたかたはスゴイなと思いました。その方が言われていたのですが、もし今の視点に若い時に気がついていればと言われたのが印象的でした。きっとヒントは誰にもあるのです。それを探してみるのも悪くないと思います。悟るのは凡人には無理と悟りましたので、あがいて、もがいてみようと決めました。

 

 

自然体というのは中々、難しい

自然体という言葉は、高校の柔道部で初めて教えてもらいました。肩の力を抜いて、すうーっと立つ基本姿勢のことです。その時は何とも思っていなかったのですが中々むずかしいと知りました。相手と組み合えば身がまえますし、柔道は自然体の相手を崩さねば技をかけられません。でも、最終的には自然体に戻り、礼をして終わります。何事にも区切りがあり、その初めと終わりは自然体ということなのでしょうか。講道館は自他共栄、精力善用が根本理念ですから、加納治五郎先生は大したものです。

自分が小商いをする際に屋号を自然堂にしました。これは自然体という概念が好きだったからなのですが、よく自然食品の会社や整体の治療院と間違われてしまいます。その方が儲かったかもしれませんね。でも名刺屋です。自分があるがままの状態でいれるしくみ、場所という意味でつけました。あらためて難しいと感じる今日この頃です。

何年か前に読んだ本、篠田桃紅著「103歳になってわかったこと」のなかで自然体について書かれていたことがあります。「誰か式、誰か風ではなく、その人にしかできない生き方を自然体という」とありました。著者は題名どおり103歳で現役の芸術家であるが、まさに自然体を語るにふさわしいと感銘しました。まだまだだと、思い知らされるばかりでした。

自分が思い描いた「あるがままでいられる場」をつくるのは大変です。世の中、色んなことが起こり、思いもよらぬ事の連続で、あたふたするばかりの毎日ですが、「不安常住」「無所住心」「事実唯真」(森田正馬先生・森田療法)と心に受け入れることで、とにかく小商い、スモールビジネスの名刺屋をつづけています。

103歳で現役と言う人からみれば、孫のようなものですから、まだまだ弱音をはきながら凡人のチャレンジを続けて行こうと思います。肩の力を抜いて、すうーっとは立てていないかもしれませんが自分式の自然体で。

 

 

 

 

高齢者の「あそびの場」を作ろう

 後期高齢者(75以上)がまもなく高齢者全体(65以上)の半分を超えるのだそうだ。重老齢社会と新聞にでていた。あと数年すると高齢者の仲間入りだ。色々と頭を悩ますことが書いてあるが、考えてもどうにもならない。みんな歳は取るんだ。むずかしいことはそれを専門に考えている人達に、ひとまずお任せして提示された社会プランを選択していくしかない。それにしては政治家も官僚も頼りない。出てきたプランに「そりゃダメだ」と言うには年寄りも元気でボケずにいないといけない。そうしないと間違った方向にいくことが怖い。昔の日本や、どこかの国のように大多数の意見に流されぬようにしないといけない。

 昨日、BSテレビで裕次郎の東京ナイトクラブを歌っていたが、昔のようなナイトクラブが今あればいいのにと思った。自分はちょっと後の世代なので映画などで見た記憶しかないけど、お酒を飲みながらプロの歌をバンドで聞いたり、ダンスしたりをできる大人の場。高齢者は金を使うと思うよ。東京オリンピックが過ぎると、どうやらカジノという動きみたいだが、ギャンブルは怖いよ。それを景気浮揚策としてマスコミが盛り上げるのは昔の日本のような気がします。注意、注意。

 今はバブルのころの遊びをうまく取り入れて、その時を過ごした高齢者たちに元気に遊んでもらえばいい。昔のようにディスコは無理にしても、ナイトクラブは意外に良い気がします。自分はレジャー産業には未経験なので無責任に書いていますが、近くにあれば妻や仲間と行きたいなと思います。うちの前の大通りが史跡めぐりのコースらしく高齢者が遠足のように通りますが、自分は夜の一杯を楽しみたい。

 これから元気で楽しく長生きするには自分自身はもちろんですが、国が率先して今までの政策を考えなおしていくことが必要です。病気もボケもなるときはきます。そこばかりを言うのではなく、楽しめる場を作れば自然と元気な年寄りや仕事を続けて稼ぎ、お金を使う年寄りが増えます。ただ100年生きる時代になったといわれても、戸惑うばかりですよ。年金制度は不安定、楽しめる場所は若い人や金持ちの外国旅行者、ギャンブル好きの人達では元気な国にはならないと思います。高齢者の「あそびの場」は大切なことだと思います。