やらないと後悔するぞ

 学生の頃に考えていた小商いは今成立するだろうか? もう40年も前の昭和の話になる。独立志向の学生だったので毎日バイトをしながら何をしようか考えていた。最初はテントのクリーニングを始めようかと思っていました。車と簡単な道具をそろえれば出来そうに見えました。学生の単純な発想です。お店の入り口にテントで社名看板を出すのが増えていたので考えたアイデアでした。クリーニング全般だとダスキンやサニークリンなどがありましたので、専門を絞ろうと考えました。もうひとつは換気扇でした。二つとも半年ぐらい考えている間に先を越されてしまいました。同じような事を考えている人はいるものですね。しかも、ずっとしっかりとした計画でした。その時は学生で資金もバイトで貯めたものが少々ありましたが、商売の経験も、人脈もないないづくしで、やる気だけはあるがどうしていいのか解らずあきらめることとなりました。バブルより前の話ですから頑張っていれば、少しは成立したかもしれませんね。

今、テントや換気扇に絞ったクリーニングは難しいですね。昔と違い価格競争も激しいし、個人店舗も減少してしまいました。時代はどんどん変わります。それにマッチするのは大変です。でもまだクリーニング関連のビジネスはアイデアとして考えたりします。もちろん頭のなかでのことです。未練があるわけでもないのになぜでしょうか。よほど学生時代にやろうとして実践できなかったことと、先を越されたことが、くやしくてたまらなかったのでしょう。

会社に就職したのも営業と会社組織、世間を知る勉強をするのが目的でしたから面白い時間でした。会社はオフィス全般の商品を取り扱う会社でした。文具、印刷、オフィス家具、オフィス機器、内装工事と色々なアイテムを扱えたので勉強になりました。そこから小商いを始めることになりました。

時代が過ぎるのが早すぎて、自分も歳をとり、やりたくても出来ないことが増えているのが現実です。でも、頭の中にはアイデアは湧いてきます。学生時代とは違うのは経験ばかりは増えても、今度は体力の衰えや今との認識のズレは有ると思います。ですから小商いについて思いついたアイデアをしまわないで出して行くことにします。誰かがヒントにしてくださって成功すれば楽しいですからね。

 

 

 

 

 

選択肢はひとつじゃないから

車で納品の途中に信号待ちをしていたら、横断歩道を黄色い帽子の小学一年生らしき男の子が勢いよく走ってきた。転ぶなよと見ていると横断歩道の向こう側に、お母さんがいたらしく抱きついていた。嬉しかったんだね。あれは可愛いや。まだ4月だからホヤホヤの一年生だ。

会社の方でも新入社員は配属が決まり、名刺をもらい、先輩に色々と教えてもらっている頃だろう。緊張して過ごした月だったでしょうが、もうすぐ連休なので頑張れという気持ちです。この時期になると社会に出たての時を、なつかしく思いだします。

社会人の一年生は小学生と違い、可愛いではすまないことばかりの連続でしょうが、年寄りからすると色々な失敗できるのは今だけだぞと若さがうらやましい限りです。会社でもお得意先でも訳のわからに事ばかりで、ストレスもたまり、やっと来るゴールデンウィークは初月給も入り、少しはゆっくりとしてください。

よく五月病といいますので、連休が過ぎるとウツになる人も多いのかもしれませんが、あまり考えるのはよしましょう。人生で不安のなくなることはありません。次に来る夏休みのことでも考えて過ごしてみて下さい。時が過ぎると何かが変化してくるものです。たいがいの事、会社の仕事や、人間関係も変わった展開をして行くものです。

だれでも同じような悩みやウツを経験します。あなただけではありません。ひとつ言えるのは、選択肢はひとつだけではないということです。ありとあらゆる選択肢があり、もし間違っても又、選択肢は現れます。永遠になくならないということを忘れないでください。

若い時はひつしかないように感じてしまいますが、そんなことはないので大丈夫です。とにかく今は仕事をおぼえてください。それから工夫してください。あなたなら、もっといい方法や選択肢をみつけることが出来るはずです。

 

 

 

 

小商いのチャンスかも

友人と待ち合わせて、吉祥寺で久々に一杯やった。金曜日だったのに、そんなに混み合ってはいなかった。吉祥寺は人気の街なので女性やファミリー層も多い。会社帰りのサラリーマンは最近どこで飲んでいるのかな?自分は小商いをしているので、いまどきの若い人達と飲む機会が少ない。昔(25年前)、会社勤めのころは営業ということもあり、毎日誰かと寄って帰ったものでした。

今は昔と違い居酒屋さんも大変だとききます。どうやら我々旧人類とは行動パターンが随分と違うらしい。そういえば、今は職住近接が多くなったそうです。都心の定期券の単価が下落したとでていました。我々のころは郊外のベッドタウンにもどるというイメージでしたが、今は近隣のタワーマンションということなのですね。遅くなってもタクシーで帰れる距離なら、相当飲めると考えたりするのは旧人類なのですね。

そういえばこの間、地方都市はコンパクトシティーをめざす方向と言っていましたよね。これも中々進まないそうです。確かにコストや施設などの面から考えれば中心部にまとまってくれた方が行政面のサービスは提供しやすいのはわかります。でも都合よくありませんか。人は今住んでいる環境を、そうは簡単にかえないもんです。案の定、行政の方針から政策が進むと考えた不動産業者が土地を買い始めていると聞きます。

都会のマンションの価格もかなり高いですよね。オリンピック前ということもありバブルなんでしょうか。以前のバブル期も価格が高騰し我々のような安月給のサラリーマンは手が出ないなら、何とか手の出る車とか、海外旅行、食べ物、遊び、株式投資などに向かったものでしたが、今の人達はどうなのでしょうか。

もし、昔の使い方みたいになると景気はあがるのでしょうが、堅実な若者たちは貯金とかになるのでしょうね。今は労働組合でなく政府が企業に対し賃上げを要求する時代です。消費行動も複雑で読めないことが多いです。何でまスマホで調べ、アマゾンがすぐに届けるのが当たり前になっていますし、だいたいの売れ筋商品はコンビニにおいてあります。それでも今は変革期なのですから小商いが成立するのチャンスがあります。ここ1年ぐらいの間に色々と出てくると思います。楽しみです。

 

 

 

 

 

決めたら早く、始めよう

先日、町田のお客様への納品の帰り道をニュータウン通りから南多摩尾根幹線にかえて帰ってみた。道沿いに大きな空き地があり、そこが計画では施設ができ企業を誘致するエリアになると聞いたことがある。どうやら開発が動き出したようだ。でも、ずいぶん昔だった気がして調べたら2007年2月ごろの新聞のスクラップがあった。

多摩商工会議所と都市再生機構が中心になりベンチャー企業等をよびこむとあった。そこには従来のやり方でなく、準備から立ち上げまで期間を短縮する全国初の試みと書いてある。それでも11年かかり始まるのかと思った。2008年がリーマンショック。翌年政権交代、2011年東日本大震災、消費税8%へと色々あったが、何とか生きていると思いました。

小商いでやっているものは世の中に左右されることも多いので、色々と自分なりのアンテナを張り、自分の考えで行動をします。そのなかで思うことは、事情があるにせよ計画から実行するまでが、とにかく遅いということです。良いアイデアがあっても時間がかかり過ぎるのは、小商いにとり命取りになりかねません。

今、働き方改革とかで起業をすすめ、副業もすすめ、100歳まで生きるライフプランとか言っていますが、いつまでかかるのでしょうか。建物ではなく社会制度や社会常識をかえるのに何をもって推進力にするのでしょうか。都合が悪くなれば、文書を書きかえるのでは困ります。

我々、小商いで暮らす者は必死で考え、行動を決めます。とにかく決めたことは早くスタートしましょう。暮れには豊洲に市場が移り、来年は年号が変わり、新しい天皇になり、消費税が10%にあがり、2020年は東京オリンピック、そのあとはカジノとか色々計画はありますが、阻害要因になることだけはやめてほしいと願うばかりです。小商いは懸命に生きているのですから。

 

 

循環型のライフプラン

 20年以上前になると思うが、循環型ライフプランという記事があり新聞に出ていたのを記憶している。何でこんなに前の記事を覚えていたかというと小商いを始めたばかりのころで、そこに直線型ライフプランは終わると書かれていたからだ。自分で小商いをするときに考えたことと同じだったので、不安を打ち消すようで嬉しかったからかもしれない。

 今、自分が還暦を過ぎたのであらためて思いだした。小商いを始めて25年やってきたのだが、これからの時間は老いとの付き合い方が大切になる。自分はボケる目前まで、何かしらの仕事をすることが昔からの目標なので、この時期に再度、色々なことを考えなおしてやっていこうと思っています。

 循環型ライフプランの中で印象的だったのは、直線型の場合は学校で学び、就職し、結婚、子育て、定年、残りの人生を老夫婦で仲良く過ごす。それに対し循環型は教育も、レジャーも、仕事も、恋愛も、長い人生の間に何度も、どここからでも繰り返しやれる社会がくると言っていたと思う。

 25年過ぎた今、日本では100歳までのライフプランみたいな話が出てきているし、還暦を過ぎても以外と元気に暮らしている。(ありがたいことです。感謝です。)やりたいことも、まだまだあります。もちろん年齢なりに出来ないことも増えてはいますが、経験も増えたわけですから。

 先日テレビでサウンドファンというスピーカーの会社が取り上げられていました。そこは還暦をすぎた方たちで構成された会社でした。その中の技術者は70歳を超えていましたが、視聴覚にハンディキャップを持たれた方の為の色々なスピーカーに挑戦されていました。技術を持たれたかたはスゴイなと思いました。その方が言われていたのですが、もし今の視点に若い時に気がついていればと言われたのが印象的でした。きっとヒントは誰にもあるのです。それを探してみるのも悪くないと思います。悟るのは凡人には無理と悟りましたので、あがいて、もがいてみようと決めました。

 

 

闘う名刺!って何?

闘う名刺!とは自分の出来ることを言葉化して、表明した名刺を創ることを、そう名付けました。なぜ闘う名刺!を考えたのかというと、この名刺は、いわば弱者の名刺です。

ここで言う弱者は大企業、有名企業、有力企業などの大きな資本・組織・人材・技術・仕入販売ルートなどを持つ会社組織に対して個人・零細・小商い・起業・副業・フリーランスなどの人達。又は外交的で積極的に前に出れる人達に対して、内向的で一歩引いてしまう、自分も含めた人達です。

我々が皆と同じ一般的な名刺を配っても、強いものにはかないません。どんなに素敵なデザインの名刺を配ってみても、知名度のない何の会社かわからない人の話を聞いてくれるような善意にあふれた人達はいません。もし、いたとしても取引に至るのは稀なことです。そこであきらめたらつまらない。そう思える人達の名刺です。

なぜ名刺かといえば、いくら世の中がITだ、AIだ、SNSだと言っても人と会わない社会はまともな社会とは思えません。人と会うというチャンスにキチッと自分を伝えることのできるツールが名刺です。初対面の人でも受取ってはくれるし、一瞬で読めて精読してくれるから、とてもありがたいビジネスツールである。それを工夫して使わずに弱者が強者と戦うのは無謀としか思えません。

しかし、今までは強者の土俵の上の常識で勝負するのがあたりまえの習慣となっていたのです。それが少しずつ変わり始めました。たとえば副業を認める企業が増えています。起業を奨励する企業もでてきています。個々人の働き方も、考えかたも変わろうとしています。いわゆる幸せの概念が変わろうとしているのかもしれません。色々な変化が日々なにげなく変わっている様な気がしています。

そんな時代のなかで今までとは違ったアプローチの仕方がでてくるのは当然のことなのに名刺はあまりにもポピュラーなので、単に今までどうりに住所録にロゴ、ISOマークなど刷ったもの作っています。我々のような弱者が変えられる、数少ない武器です。みなさんがそれぞれの闘う名刺!を工夫して創る時代だと思います。

 

 

 

名刺屋としての仕事⑦

 闘う名刺!(自分の出来ることを言葉化して、表明した名刺)を創る時に自分は気づきやセラーピー等の効果を感じました。その時に思ったことなのですが、自分は内向的な性格なので、色々考えて創った名刺を持っていると安心するのですが、積極的性格の人は、とにかく配ることに重点をおくに違いありません。そこに差がでるんだと思います。

 しかし内向的性格を鼓舞してみても積極的性格にはなれません。真似ても疲れてしまいます。ではどうやって、この差をちじめればいいでしょうか。それは内向的性格を受入れたうえで、性格に適した行動をとるしかありません。閉じこもっていてはチャンスをつかむことは少なくなります。かといって次々と攻めて行くことは難しい性格です。そんな人は闘う名刺!を考えてみて下さい。

 たくさんの人に、次から次へと名刺交換ができないなら、目の前にいる人へ、きちっと自分の出来ることを言葉化して表明しましょう。まずは言葉化した名刺を渡しましょう。渡してしまえば、その名刺にはあなたの出来ること、したいことを言葉化して表明してあるのです。ただ夢をみているのではなく、あなたは実践したのです。実践したというのは一歩踏み出したということであり、ナマの人生です。

 今までの社会は一般的な名刺を配ります。当然、多く配った方がチャンスをつかむ確率は多くなります。積極的な人が断然有利です。これからは変わる気がします。なぜならネット、SNSなどの普及で、どんどん今までにない常識が常識になってきているからです。内向的な人も、自分に適した起業、副業、小商いが成功しやすい環境になってきました。名刺交換の常識も名刺自体も変わらざるを得ないのです。

 名刺屋として色んなこと考えます。印刷はどこでしてもらってもいいのです。ただ、闘う名刺!を創って欲しいのです。それがお互いに名刺交換をした時に一番有意義な時を過ごせると思います。その為には闘う名刺!の創り方を広める必要があります。自分のような内向的性格で小商いをしているものが、この世の中の荒波を小舟でのりきるための武器、道具のひとつだと思っています。もうすぐ作成マニュアル(仮称)がまとまりますのでヨロシクお願いいたします。

 

 

名刺屋としての仕事⑥

 名刺屋としてのこだわりは2つです。読みやすいこと。配りたくなること。後は個々人がデザイン、パターン、紙、フォント、ロゴ、写真、イラスト、地図などを選び、お気に入りの相棒を創ってくれればいいのです。

 それとは別に、名刺を有効に活用しようと色々なところで提案させて頂いています。これは自分の出来ること、やりたいことを言葉化して表明した名刺を増やしたいからです。この名刺を「闘う名刺!」と名付けました。名刺をビジネスでの有効な小道具、武器としてとらえ、小商いでは小が大に挑む為に工夫すべきアイテムのひとつとして考えようという提案です。

 小さな小さな提案ですが、名刺交換をしたときに、この人は何が出来るのか、したいのかが知りたいと思いませんか。会社のだれそれではなく、この人のことが知りたいと思います。名刺管理のCMでは友達になりたいわけではないというフレーズがあったと思いますが、何が出来るか、したいのかを知りたくなければ名刺交換も名刺さえも必要ありません。

 ついでに言わせてもらえば、小商いでは知っている人から買う確率が高いはずです。名刺は相手の知っている人になる為の小道具なのです。小商いでは、そこから継続してお付合いが始まることになります。

 自分の闘う名刺!を創っているとき気がついたことがあります。この名刺は自分の出来ることを書きだすことから始めました。名刺を作ることが出来る、イラストが描ける、文字が書けるなどなど。それと今までやってきた出来ごとの好悪の感情なども書きだしてみました。そうすると意外なことに気付きました。

 今まで選んだ選択肢のなかで、自分に適していると思っていたことが、意外なことに一番、心に負担がかかっていたことなどです。これからの仕事のやり方、進め方のヒントに気がつきました。つまり、闘う名刺!を創るプロセスには自分にとっては気づき、セラピーなどの効果もありました。これは個人差があると思いますが、新しい自分の名刺を作るならと考えて、出来ることや、自分の歴史の好悪の感情を書き出してみると面白いですよ。これは名刺作成の別効果だと思います。

 

 

名刺屋としての仕事⑤

 ①では名刺交換が全ての始まり。チャレンジするのが常識である社会。②では自分の名前で仕事を決意した人の名刺。③では精読率の高さ。知った人になる大切さ。④ではビジネスの小道具、武器として創りこむこと。一瞬で見抜く、人の能力の高さ。などについて、さわりだけですがふれさせてもらいました。

 名刺屋のこだわりについて書きます。正直なところ読みやすさです。名刺は名刺交換してこそ意味があります。デザインやパターンは色々ありますが、これは名刺を持つ方の好みです。よくコンサルタントの方などは写真だ似顔絵だと言いますが、それで受注率が上がるとは思えません。実際、個人差はあるでしょうが自分が飛び込みで営業していたころですが10件位で12件は話して頂けました。それにその名刺は会社から渡された一般的なものでした。

 名刺は配る事に意味があります。もちろん名刺交換できればいいのですが、渡してくるだけというのもありますよね。その時、印象・興味を引くように写真、似顔絵などをというのだと思います。それもひとつの方法なのでしょう。やはりこれも個々人の好みです。

 名刺屋として、今は名刺を作るところは選択肢がたくさんあります。色んなパターン、デザインがあります。そのなかで選べば良いと考えています。ただひとつだけお願いしたいのは読みやすさです。これだけは譲れません。読みやすいものにしてください。それが一瞬で読み取る人間の能力を助けて、精読率が上がる、そして印象に残る確率をあげてくれます。

 名刺屋として心がけているのは、どうしたら配りたくなる名刺になるだろうか?見やすいか、わかりやすい表現かということです。デザイン、色、紙、パターンなどは個々人の好みですから配りたくなるものを選べばいいのです。自分の名刺は自分の出来ること、やりたいことを言葉化して表明したものにしましょう。それを配り、名刺交換をすることこそ、あなたの目標に近づく早道なのです。そうすると名刺はあなたの相棒として活躍してくれます。

 

 

昭和を小商いに

 純喫茶(昭和の空間)が、若い女性のなかで流行っているのだそうだ。我々、昭和の世代にとっては、なつかしく、ちょっと嬉しい。学生街の喫茶店とかコーヒーショップなどの歌のメロディーが頭に浮かぶ。今の人は我々と使い方は違うのかもしれないが落ち着く感覚は同じなのだろう。 

 商売で考えると、今はスターバックス、ドトール、タ―リーズなどチェーン店が人の集まる立地に軒並み出店している。昔のように個人で営業しているところは少なくなってしまった。まさに小商いの典型的パターンで、昭和世代としては寡黙なマスターにあこがれる。時代が変わりこれも対象を考えれば、自宅兼ならできる小商いのひとつなのかもしれない。そうなれば良いと願う。

 一時、ブームになったタニタ食堂の秋田県の店が撤退するそうだ。秋田の人は塩分の取り過ぎで、健康を損なう人が多いと聞く。それでの出店だったそうだが、味が物足りなく感じるようで、やはり商業ベースにのせるのは難しい。何とか工夫は出来なかったのだろうか。素人はそう思ってしまう。

 前にも書いたのだが、団塊の世代を含む高齢者の数が増えるのだからそれに合わせた小商いも増えてもいいのだ。純喫茶が好きな若い女性も増えているというし、何か考えたいものですね。いまどきの新しいものばかりが楽しめる場所ではない事を若者も、うすうす気づき始めたのではないか。東京オリンピックが終わればカジノが話題になるだろう。それもいいが違う感覚の楽しみもあるにこしたことはない。

 昭和を良く遊んだ高齢者が増えるという見方をしよう。戦後アメリカにあこがれ、高度成長を頑張って、バブルに目いっぱい遊んだ世代がたくさんの高齢者だと考えてみよう。見えてくる景色が違ってくる。介護施設で世話になる高齢者の姿ではなく、上手に遊べる高齢者、楽しみ方のうまい高齢者になりたいものだ。