名刺をパワーアップする

あなたの名刺をさらにパワーアップしてあなたの相棒として活躍してもらうにはどうすればいいのでしょうか? あなたが自分で考えて作ることが前提の話です。会社でもらうものとは区別して考えてください。まさに自腹で一から創るあなたの小道具であり、武器であり、相棒なのです。

会社から支給される名刺はたいていが社名やロゴやISOなどがカラーで刷りこまれたデザインのものが多いです。そして名前は小さく細いフォントを使用しているものを見かけます。要は会社の信用さえ相手に伝わればいいのです。そこの所属だから安心ですよという名刺だと思います。

自分で名刺を作られる人は何であれ、自分の想いを、出来ることを世に問う訳ですから会社と同じ様なパターンでは伝わることはありません。では、どうすれば相手に伝えることができるでしょうか。

それは『言葉』です。あたりまえのようなことと思われるかもしれませんが、名刺交換をして名刺が語りかけてくるような気になる名刺を使われている方が時々おられます。それはだいたいの場合、その方の想いを、出来ることを、情熱をこめて『言葉』にしているのです。

ですから自分で何かを始められる方は自分の想いを、出来ることを明確にしてください。もちろん既に「これだ」と解っている人はいいのですが、まだあやふやな人は再度見つめ直して下さい。自分の年表を作り、その時の感情を書き出してみるのもいい方法です。自分があきらめた事や、やりたかった事を思い出すことができます。

不思議なもので、時というのは置いておいたものや、あきらめたことが時間軸のなかで熟成されて、今使えるものになっている可能性もあります。あの時には資金が、経験が、環境、人脈等の諸事情が至らなかったけれど今ならチャレンジ出来ることも多々あるはずです。

それこそがあなたのこれからの「闘う名刺!」、相棒を創る種となります。

 

名刺の力を見直してみましょう

以前にも書いたのですが名刺にはパワーがあるのは確かです。近ごろ名刺の効果を過大に広告したサイトが増えた気がします。名刺はビジネスの重要なアイテムのひとつなのには間違いありません。しかし万能ではありません。名刺は有効な小道具であり、販促であり、イントログッズです。

6月半ばも過ぎると新入社員の人達も社会にでて名刺をたくさん配ってきたことでしょう。人は社会人となり名刺を持つと何かが変わる気がしませんか。会社からすると名刺を渡した社員は自分たちの会社の社員であることを認め、名刺を渡した人達が名刺交換をする人達との縁も広がって行くわけです。

社員からすれば会社から信用を貸与されるかわりに責任を負います。この信用は自分たちが思うより大きなものです。取引先での商談などはもちろん、社会的な信用、たとえば銀行でローンが組めたりするわけです。組織というバックアップがつくことになるのです。

名刺交換というのは社会との縁を広げていくための初めのことなのです。良く今の時代はSNSがあるのであまり必要がないのではと思う人がいるかもしれませんが間違いです。個人対個人ならともかく商売を継続して行うのならば名刺交換もしたことのない人とは不安になります。

TV番組の年始の社長たちの集まりなどでも名刺交換で名刺を渡さない人はいないと思います。IT産業の社長も、スタートアップ企業の社長も名刺は使います。以前TV番組で投資会社のやり手の社長が名刺をとても参考に投資をしているのに感心させられたことがありました。

人間同士が一枚の紙切れとはいえ、初対面の相手と交換するという習慣に意味があります。人間本来に備わっている力、俗に言う第六感とか好悪の感情とかAIにはない色々なものが人間に何かを与えてくれる気がします。ビジネスの習慣としては、ちょうどいいものなのではないでしょうか。だからこそ工夫したほうが良いに決まっています。そして、あなたの相棒として活躍してもらいましょう。

新しい常識を作ろう

昨日も新聞の一面に70歳まで定年延長を議論し始めたことがでていました。もちろん働き方はそれまでのものとは変わるでしょうが、今のままでは国のシステム、年金や社会制度が立ち行かないということなのです。色々な意見があるのは知っています。海外の若い人達を招へいしたり、AI化を進めるとか、女性の社会進出をすすめるとか言われていますよね。

すべてやればいいんです。日本の高齢化は世界のモデルケースです。人口が一億を超える国の人口政策と社会システムを未来のモデルケースとして提案していくチャンスととらえた方が良いと思います。

そのなかで副業、Wワーク、フリーランス、起業と色々するのが当たり前のことにしていけばいいと考えます。周りをみても元気な年寄りのほうが多いです。団塊の世代の人達はどう考えているかはわかりませんが、年寄りの遠足みたいに、みんなで、ぞろぞろ名跡を巡る位なら働きましょうよ。数の力をもつ世代なのですからこれからの世代のためにも新しい常識を作って欲しいのです。

やはり団塊の世代というのは影響力が大きいのです。70歳前後のこの世代が75歳、80歳と元気で働く社会ができればすべてのこと、常識を変えていくことができます。AIだってIoTだって何だって使えるものはすべて使えばいいんです。

新しいチャレンジをしている国が日本であって欲しいのです。戦いに参加して世界貢献をしたり、国連の常任理事国になるより世界でモデルとなりうる特異な考えかたをする国のほうが良いのではないでしょうか。明治維新から150年坂の上の雲をめざしてのぼってきた訳ですが、戦争で谷底に突き落とされてしまってから、又皆で高度成長をして駆け上った坂の上です。こんどは坂の上でなくても普通に歩いて行きましょうよ。立ち止まらなければいいのです。新しい常識を作って行くことにチャレンジしていきましょう。

小商い25年

25年前に創業したころからのお客様の注文を確認しなければならず資料を引っ張りだしました。そのころはパソコンもなく紙のデーターと印刷見本、見積りなどですがようやく見つかりました。そのときからのノートを見て、この25年を思い出してしまいました。なつかしく、ありがたく感じる一方で、こんなにお客様が変わったんだなと思いました。

小商いですからお客様あってのことなのですが、バブル崩壊からの25年はウチばかりでなくお客様にも大変な期間だったと改めて感じました。30数社が廃業、移転、倒産、買収、担当者の逝去とかショックなことの多い時間でした。ウチの取引先も仕入れ先もずいぶんと変わりました。

やっていることは名刺と販促ですが内容はズイブン変わりました。お客様も世の中も25年という時間はこんなにも変化していくのだと怖いぐらいです。その都度、自分の考えかたも変わったのだろうか? 販売方法は変化せざるをえなかったし、こんなに急速にインターネットが普及したり、中国の発展拡大が進み、又いまは次の流れがきているようですね。

国内では平成という時代は神戸、奥尻、新潟、三宅島、東北地方、熊本等々ほかにも天変地変が多く、政権交換があり、そしてリーマンショック、失われた20年とかいわれた時代でした。我々小商いの小商人はそのたびに、右往左往しながら生きてきたんだという実感だけはあります。

やりかたや商いの相手は変わりますが、基本の姿勢だけは変わることはありません。小商い、小商人として生き抜く覚悟とお客様あっての商いということです。カッコウをつけているのではなく、本当にそう思っています。しかし、ちょっとした探し物でこんなことを思うのは歳のせいかもと、それはそれとして体調管理を心がけてダイエットして頑張ろうと思いました。

不易流行

小商いをやってきたものとしておかしく感じることが最近多い。昔とやりかたが変わって行くのは当たり前だし、仕方がないと思う。システムはこれだけ世の中が変化しているのだから対応していくしかないと思っています。

問題だと思うのは商人の心のことなのです。「不易流行」という言葉があります。世の中の流行りをとらえ動いていくのが商人の仕事です。また、変えてはならない守るべきクレド(信条)もあるはずです。それは個別に色々あると思いますが、共通するところはユーザー、お客様への想いだと考えています。

古いと言われようが商人は自分の惚れた商品・サービスに適正な儲けをのっけてたくさんの人に紹介し広めていくというのが基本です。そのなかで解りやすく説明し、納得いただき、迅速に納品するのが仕事です。その部分部分がインターネットでの販売や、宅配業者へ依頼する納品、コンビニ払いのような支払い方法に変わっているだけです。

その基本はインターネットなら広く良い商品を知ってもらえるし、宅配も、コンビニ払いもお客様の便利さのことが先にあるはずです。なのにどうでしょうか。複雑な操作をしなければならなかったり(高齢者には)、金額ばかりが競争になり商品そのものを使ってえられる価値を説明がおろそかになっていたり、自分たちの都合でシステムの変更がされたりします。

商人は自分も含めて基本にもどりましょう。自分の不易流行を思い起こしましょう。そうすれば少しは何かが変わるかもしれません。小さな小商いから変えましょう。品質をうそで固めて取引を増やし、そのことを担当や経営者が変わったら引き継いでいる様な恥さらしな大企業など全くかわらないでしょう。第三者委員会をつくり検証云々というのは、ごまかしでしかないと思います。誠実にやるならまずは解体そのうえで再生でしょう。企業も学校も協会も何の為に設立し存在しているのかを考え直してもらいたいものですね。

弱者の名刺

名刺はビジネスでは当たり前の小道具です。この小道具も変わる時代がきています。いままでのビジネスの社会常識は大企業、有名企業が作ったものです。つまり大きな会社、強い会社のためのビジネスの土俵です。ですからそこへ上がるには彼らの常識に従っていました。今もまだ、ほとんどがそうです。

しかし変わってきました。ネット社会の躍進は常識をくつがえし始めています。つまりネット社会では色んなところに土俵ができて、そこのルールに従うことになります。これがプラットフォームですよね。つまり今までの強者は今までの土俵の上では彼らの常識が通用しても、他の新しい土俵に上がる時は新しいルールの中でビジネスをしていくことになるのです。これはスゴイことですよね。革命です。

新しい土俵が充実した取組みなら、古い土俵は人気がなくなり興業がなりたたなくなります。それが現在です。そんな時に今までどおりの常識の名刺を使っていていいのでしょうか? 古い土俵でだけ勝負するにしても、新しい土俵で勝負するにしても強いもの(先達)が使用しているパターンの名刺では、後から小商いをするものに勝ち目などあるはずがありません。

では弱者はどうすればいいのでしょうか? 自分たちの常識となる名刺を作るしかありませんよね。それが後からどの土俵に上がっても勝負することの出来るプレイヤーとしての心がけです。後から上がるわけですから、自分が何者で、何がしたくて、何ができるかをはっきりと伝えなければ取組みを組んではもらえません。

自分の想いを、出来ること、やりたいことを言葉化して表明した名刺を作りましょう。それが各々の土俵でプレイヤーとして商いをするものの今後の常識にならなければならないと思います。商品の購入や売り買いはネット上で完結できますが、商いの場合は少額ではなく継続して取引をするなら、やはり人対人で名刺交換は必要です。米朝首脳会談だって会わなければ何事も前に進めることはできないのです。

ましてや商いはどんな時代になろうが信用第一は変わりません。妙なところや何を考えているか解らに所と取引はしませんよね。だから自分の想いを言葉化した名刺、「闘う名刺!」(自分がそう名付けました)を創り新しい常識を創りましょう。

プレイヤーと傍観者

シンガポールで米朝首脳会談がありました。内容や思惑については報道で知るしかありませんが、違った角度で考えてみました。

まず、プレイヤー(当事者2人)と取り巻く国の首相たちが観客、我々のような庶民は傍観者と言う立場です。傍観者である我々はこれから始まる国際的な政治ゲームの結果を報道で聞きながら考えるしかありません。

プレイヤーの2人は70代の世界最強国の大統領と30代の独裁者です。結果はともかくとしてこの差でかみあうのが不思議です。世界が振り回されています。善悪はともかく日本にこの2人とやりあえるプレイヤーはいるのでしょうか。政治界、経済界に官僚にも出てこなければ、ずっと観客か傍観者でいるしかありません。

日本は過去に戦争という間違った選択をしてしまいました。それは傍観者である庶民が騙されて戦争に反対の意見を持つ者を非国民という言葉でおさえつけてしまったことが大きなながれに勢いをつけてしまったと思っています。傍観者にしかなれない我々の声、どんなおいしい話でもダメなものはダメという覚悟は必要です。

傍観者の我々は受け身ですから、実践するものからすれば弱い存在ですが、ほとんどの世界の人々は傍観者の立場なのです。傍観者は受け身で力は弱いかもしれませんが「不作為」だけはいけません。知っていて見過ごすのはだめなのです。商売でもそうです。どんなに大企業であろうが、有名大学であろうが、歴史的団体協会であろうが、ダメなものはダメなのです。まして政治家なら尚更です。

日本にも対抗できるプレイヤーをつくる必要があるのか、それとも今までにはない別の道を考えていくのかを決める時が近づいてきているのかもしれませんね。

チャレンジすること

 エンジェルスの大谷君(ファンなので君で許して)が肘のケガとのことで故障者リスト入りとか。この数カ月新しい場所で、環境でチャレンジしているのをみると勝っても負けても楽しかった。メジャーの放送なんか見なかったのに見る様になった。早く見たいがここはキッチリ直してほしい。あせらずとも二刀流は大谷君しかできないからね。

 それにしてもエンジェルスでの大谷グッズもバカ売れしているのだろうから、スーパースターは凄いし、アメリカという国も面白い国だ。やはりチャレンジする人には魅力的な国だ。日本はどうだろうか?

 日本の起業意識は世界最下位だったと記憶している。確か七割の人が無関心という記事を読んだことがある。チャレンジには程遠い数字ですね。それでもここ数年は政府の方針なのか起業や副業、Wワーク、フリーランスなどを盛んに薦めている。働き方改革の一環なのだろう。悪いことではないと思う。

 自分は小商いを家業とする身なのでチャレンジする人達が増えれば仲間が増えて大歓迎なのだが、制度もあるが意識の改革が先だと思う。アメリカのようにチャレンジする人を応援できる空気感がない。寄らば大樹の陰ということばの方があたりまえに受け入れられる国だから。

 チャレンジする人をあたりまえの国にしなければ発展もあり得ない。大谷君のような素晴らしい才能の持ち主だけがチャレンジをするんではなく、ごく普通の人が日常的に色んなことに挑んでみたり、挑んだ事に対して応援したり讃えてあげれる日本でなければと思います。

 ハードルは高くしなくても良いんです。何かにチャレンジしている人を、お店を、会社を応援しましょう。そこから始めましょう。周回おくれでも走りつづけなければ追いつくことはありません。抜かれるばかりですから。まずは身近でチャレンジしている人をさがして応援しましょう。

 

 

時代という言葉

 最近、時代という言葉をよく使っている気がしている。もちろん無意識に使っているのだけれどブログや名刺の作り方を書く際に文字でよく使ってしまっている。他でも友達と飲んだりしている時にも出ているのだろうか。

 来年は平成も最後になり、2月に新年号が発表になるとのことです。昭和も遠くなりますね。昭和で33年、平成で30年生き抜いたことになる。次の時代はどんな塩梅だろうかとか考えるので時代という言葉が多くなっているのかもしれませんね。

 この間、テレビで若い娘が歴史上でどんな時代をのぞいてみたいかという質問でバブルと答えていました。ああそうかバブルはもう歴史上の出来事のひとつなんだと思いました。まして戦争は完全に遠いむかしの出来事で、まさに歴史なんですね。

 時代というのは同世代に生きた者にしかわからない空気みたいなものがありますね。昭和には昭和の、平成には平成の空気感があります。どう伝えればわかってもらえるんだろう。自分たちも戦争を知らない子どもたちだし、大正ロマンとかのイメージはテレビ、映画、本などでみても空気感がわかりませんからね。

 明治維新も戦国もその空気感は想像でしかありませんし、登場する人物も想像でしかないわけです。きっと空気感まで感じられるといたたまれなくなってしまうでしょう。時代という言葉が増えたのには、歳をとりちょっと振り向いてしまうこともありますから注意して前を向かなくてはいけないと考えています。

 しかし、酒を飲んで騒ぐ時は同世代の仲間と同じ空気が伝わると酒もすすみ楽しいですよね。ああ、飲みたくなってきた。もう今日はこれで考えるのはお休みです。日曜日だし早めにひと風呂あびて飲んじゃおうと思います。

 

女性用の名刺について

名刺の作り方を今まとめています。最初は気楽に考えて作り始めたのですが、甘かったようです。書きたいことが次々でてきてしまいます。今日は女性用の名刺について調べてみました。

現在はほとんど注文がありませんが昔は一定量ありました。それは一般の名刺より一回り小さなサイズ49×85ミリのものです。調べてみますと1980年代に男女雇用均等法が施行され女性があたりまえに就職する時代になってからだそうです。自分が就職した頃からです。

その前は男性より小さめを持つのがおくゆかしく感じられ、相手に受け入れられる時代だったのでしょう。男性の名刺も出世すると分厚い名刺になりましたからね。今ではどちらも歴史上の話です。余談ですが日本の女性が名刺を始めて持ったのは初代総理大臣、伊藤博文の奥様(梅子)とか聞いたことがあります。かの鹿鳴館で使ったそうです。

戦前までは女性が自分の名前を売りにするのは花柳界の芸者さんたちくらいだったので手のひらに収まりのよいサイズになったとか聞きました。今もその名残りか水商売の女性の名刺にこのサイズは多いのだそうです。現在の会社の注文でこのサイズはきませんから、少しは社会も良くなったのかもしれません。

これからはどうでしょうか? むかしの女性の仕事での大変さを歴史の一部と考えている世代が活躍する時代ですから、逆にカワイイとか他と違いオリジナルとかになることも考えられますね。これは女性達に任せるしかありません。昭和な世代はこのセンスについていくのは無理があるようです。

何につけても女性が活躍してくれなければ成り立たないのです。個人的には大きさは同じにして、名刺の角を丸くするのがいいなと考えています。名刺交換をする際にやさしいイメージを与えられる気がします。これは女性だけでなく男性にもいいかもしれませんね。理由を聞かれ話題にできるかもしれませんから。