おまもり①

最近”おまもり”について考えることがあります。子供の頃おばあちゃんが神社のお守りをカバンなどに入れてくれました。その時は何も思わず何だこれ位の感じでしたが、自分が歳を重ねると子供や孫が心配でなりません。そして何かあるとお守りを身につけておきたくなります。不思議なものだと思います。歳をとればとるほど自分の力でどうにもならない何かを感じてしまうのでしょうか?

今はパワーストーンを身に着けています。うちのカミさんがパワーストン作家で自分の馴染むもの考えてこさえてくれました。それについては又色々書きたいと思っていますが今はとても馴染んでありがたいと感じています。基本自分はとても弱い人間ですから、ちょっとした事でくよくよしたり、悩んだりしてしまいます。その時などそれを見たり触れたりすると何とかなると思えます。

気持ちの強い人は違うのでしょうが、自分みたいな弱い心のものには生きていく上で大切なアイテムだだと思います。これからは色々なおまもりについて調べてみたいと思います。

アイスクリームに感謝です

今日で五月もおしまいだが今月は風邪で散々な目にあった。久々に風邪をこじらせてしまった。最初はのどが痛く、次はせきがひどく眠れないのだけど熱は出なかったので仕事しながら普通に風邪薬を買って飲んでいたのだが、だましだまし仕事をやっていました。本当は医者に行けばよかったのだが、若いころからこんな感じで回復していたという油断でした。少し良くはなったと思うと目が充血してしまい三週間もかかってようやくこうして書いています。これからは体に過信せず医者に行かねばと反省しています。

この体調不良の間でアイスクリームには助けられました。のどが痛いときやせきがひどくてもアイスだけは食べられるので食べ過ぎては糖尿系にはよくないとわかっていながらも、それだけを楽しみに過ごしました。誰が何と言おうとアイスクリームの力は素晴らしい。その代わり薬を飲むので晩酌は控えました。久々に三週間も飲まずに我慢しました。これも若いころなら喉が痛けりゃ焼酎、軽い風邪ならウィスキーでしたが、さすがに老いてくると体がダメ出しをしてくれました。その分アイスクリームはありがたかった。コンビニのアイスを色々食べ比べてしまいました。明日から六月、体調は八割がた回復しましたので今月は晩酌を再開しようと焼酎を買ってきてしまいました。もちろん少しずつしか飲みませんが少しはほっこりした気分を取り戻すつもりなのですが...どうでしょうか?

 

自分の都合です

どうしてブログを又書き始めたのだろう?確かコロナ前は名刺のことをもっと知って欲しい。有効に活用するにはどうするかといったことを中心に書いていました。今は?そんなことどうでもよい感じなのです。なぜ変わったのでしょうか?

歳をとってきて書き留めておかないと忘れる自分が怖くなったというのもありますが、文章に起こすことで考えていることを整理しているのかもしれません。又いい加減ですが人に見せるわけでない(矛盾)ので思ったことをまとめているに過ぎないのですが、それで十分自分の役には立つような自分勝手な我儘な使いかってでやってます。

偶然ってあるんだな

昨日から府中は大國魂神社の例大祭(6日まで)が始まりにぎやかな状態です。昨年はコロナ明けで、またもとの生活に戻れるのかと疑いながらも嬉しかったものでした。今年は一段と祭り好きにはうれしく、楽しい数日になるでしょう。

祭日ですが郵便物を出すため本局に行きました。家から局までは大國魂神社の前を通り15分くらいの距離ですが、町はすでに祭りの準備で町内もお店も忙しくにぎやかになっていました。今日の夜から山車や駒競べなどが始まり盛り上がるなと思いながら行きました。帰りは少し別な道で戻りました。いい天気だなとか思いながらボーっとして歩いていると名前を呼ぶ声がして顔を見ると高校時代からの仲間でした。びっくりです。

実は数日前ラインをくれてやり取りをした仲間です。その時、近況のなかで両親が96歳、92歳で三月に倒れ施設から戻ってきたばかりで、今は飲みに行けないと話していた仲間でした。彼は隣の市に住んでいるのですが年二回ほどは数十年にわたり飲み会をしている仲間です。散歩をしているのは知っていましたが、今日この時間にばったりとは不思議でなりません。

郵便物を出し忘れ、祭りで賑わっている道を避けて、昼飯を買うために普段行かないスーパーにより戻るところでしたから、それも裏通りです。偶然とはあるものなのですね。これから親の処へ行かねばならず立ち話しかできず残念でしたが顔をみれ、元気そうだったので良かった。このばったりと合うというのは上の方から眺めるとどんなものなのかなどと、くだらないことを考えていました。久々に不思議だったので書いてしまいました。

 

 

認める、認められるということ

ニュースで春の園遊会を報道されていました。天皇陛下を始め他皇族の方々と招待された有名な方々とが楽しむ様子でした。今回は愛子様のデビューが話題でしたが我々年寄りは随分大きくなり、女の子は可愛くなるなあというのが感想なのですが、こういうのも〇〇ハラスメントとか言われるのかなと、ずっぽり昭和の親父としては気になる今どきです。正直な感想だから仕方ないけどね。

こういう権威のある所に招かれるのが人として認められということで名誉なことなのでしょう。自分とは縁がないことなのですが認めるというのはものすごいパワーがあるなあと改めて感じました。人にとって権威から認められること、承認されることは歴史上の人物たちも多く望みそれは当たり前のようにいきわたってきました。これをいい悪いで判断することはできないんでしょう。人間というのは承認されたいと望むものだから。

昔は権威のある権力者がそれを認めるということで世の中の一つの形みたいなものを維持してきましたが、今はSNSで注目されるというのはまさにそれがかたちを変えたパターンなのでしょうね。でも注意は必要ですね。それが何かわけのわからないもの、ことに利用され本位でない社会へ誘導されたらつまらないことになりますから、難しくても考え続けたいですね。認めるということについて。

 

再度「ヒュッゲ」を

何年か前になりますが「ヒユッゲ」というデンマーク語が取り上げられていることをブログで書いたことがありました。これは「居心地のいい時間や空間という意味」でしたが、その後に世界はコロナという最悪のヒュッゲになりました。適当な言い回しでないかもしれませんが酷いものでした。亡くならなくても良いはずの方も随分いたはずですし、お別れもできない三年間が日常になり、マスクも当たり前となりました。日本の場合は花粉症という政府も何もしない季節の厄介者もあり、自分は未だマスクをしています。

このあたりで再度「ヒュッゲ」について考えていこうかなと思っています。あれから数年の年月があり確実に歳を重ねました。自分を取り巻く環境も変わってきています。自分にとっての居心地の良さを色んな角度で考えておこうと思いますこの投稿もその一つとして考えていこうと思っています。自分にとっての頭と心のリハビリなのです。

4年の空白から又始めます

2020年4/29の書き込みから4年間の時を必要としてしまいました。コロナのショックはとても大きいものでした。もう投稿のやり方からわからなくなり、やっとのことで書き始めた感じです。ともかく今日から色々とやり始めてみますので今日は短文でお知らせという感じです。

「すべての概念が変わる時かも?」

 ブログを書くのが久々になりました。ともかく今どきはコロナウィルスで我々年寄りの持病もちは色々と考えさせられることばかりです。健康のことはもちろんですが、今までやってきた商売のことも改めて自問自答することになる時代になりました。まさか令和のはじめがこんなことになるとは思いませんでした。通常なら東京オリンピック直前で盛り上がっていただろうにと考えると人生に「まさか」という「さか」はあるなと思いました。

 しかし、我々は生きていかねばなりませんから嫌でも再起するためには自問自答して前にすすむしかありません。自分も名刺屋としてやってきましたがこれからのことを考えています。もし名刺という概念がなくなってしまったらどうすれば良いのだろうか。つまり人と会うことがビジネスでは濃厚接触となり、名刺交換が否定されてしまえば名刺屋とすればどうすることもできません。

 考えられるのはスマホに登録した名刺を交換しあうというやり方とかになるのでしょうか?人と会うことがなくなるなら世の中味気なくなりますが、そうした方向に世界は向かうのでしょうか?間違いなく言えるのは今までのように配る、ばらまく、不特定多数といった概念はなくなる気がします。

 個性がなくては意味がないツールとして生き残るしかありません。自分がそのなかでできることは今までの名刺を作ってきたノウハウを秘伝でなく公開していくことが唯一の役目のような気がしています。数年前から企画している「闘う名刺!」をまとめていくしかないと意を固めています。

 商売のやり方も、人の働き方も、男女の関係も、政治も、外交も、経済もすべて今までのような常識では生きていけないのが2020年以降の世界のような予感がしています。その中で小舟いっそうが大海にわたっていくには相当な覚悟がいることです。後半人生にはいった私ですがもう一度覚悟しなおしていこうと思います。

 

 

 

「あえて無題の日」

3/10は東京大空襲(1945年、昭和20年)から75年でその年の終戦8/15より5か月前ということになる。10万人もの民間人が亡くなったという。なぜ本土空襲が行われた時にやめられなかったのか、原爆の投下まで判断できなかったのかと今の時に考えれば不思議になる。独特の「空気感」が時を支配していたのだろう。恐ろしいことであり、今でもこの状況は考えつづけないといけない。

 3/11といえば東日本大震災(2011年、平成23年)あれから9年だ。2万人以上の人が亡くなられた日だ。あの時府中市ではあるが、この時間に営業で自動車を運転していて経験した異常な感覚を忘れることはないだろう。あの後の日本の状況は異常だった。信号は止まり、電気も停電、原発事故、経済の停滞と大変なことになってしまった。あの時も独特な「空気感」がながれていた。

 今年は2020年東京オリンピックが7月にというこの年にコロナウィルスの流行という弱った事態が中国武漢より世界中に広がってしまい、日本も大変なことになっている。オリンピックはどうなるかまだ決まらないが、この状況にもあの独特な「空気感」が気になる。この空気感は論理や感情や道徳、俗にいう正義など構わず全体を支配していく。そして日本人はこれに巻き込まれやすい人種なのだ。

 何をすればいいのかはわからないが、ひと呼吸おくことを個人がすることしかない。自分がするべきことは自分しかできないのだから。そんなことを漠然と考えています。だから今日は無題の日としました。

 

 

 

 

 

「弱者の戦略について(前提)」

「弱者の戦略」とは何だろうか?そもそも何を弱者と呼ぶのか?と言い出したらキリがありませんので、ここでは仕事・生計をするうえでということだと理解してください。今日に日経新聞を読んでいるとこんな記事が出ていました。

 今どきはヒラ社員でいることが勝ち組で出世は負け組と考える人が増えているというのです。要は働くことは収入や世間体ではないと考える人が確実に増えているのだと感じました。責任をもつ立場を望むのではなく自分の時間を望む人が増えているのでしょう。

 会社は色々とうまいことを言って就職させますが、昔のように終身雇用ではありません。まして社会は老後の年金だけで済まない時代が来てしまいました。どいう事かというと、今まで大人や先生、会社、政治家、評論家、有識者、社会などの責任ある立場の人たちが常識として言ってきた社会生活を豊かに安心して暮らすための仕組みが変わってしまったのです。

 社会の概念を見直す時代が来てしまったのです。目に見えるところではスマホが当たり前に社会生活に浸透しました。人口構造が前から言われている老人社会が現実になり人生100年だといい定年を延長し生活設計を考え直すのが当たり前としています。グローバル化した世界は企業を変えてしまいました。

 普通に就職して定年を迎えるはずの計画が崩れてしまいました。特別のことをした人が弱者になるのではなく、当たり前の働きを、まじめに続けてきている人が弱者になるのです。おかしな話だと思いませんか、誰も責任を取ってはくれません。どうすればよいのでしょうか。

 「弱者の戦略」を考えねばならない時代が今の現実なのです。我々の世代は会社に仕事に生きがいみたいな幻想をもって生きてきたのですが、無駄ではありませんが今の人に押し付けるほどに、その価値はありません。会社や組織がどこだから大きな仕事をできるという価値は選択肢の一つであり、むしろ個人が何をできるから発想すべき時代なのだと感じています。