また不正

もう書くまいと思っていた日本の会社の不正、偽装、改ざん、虚偽等の事や第三者委員会のことなどですが、今度は日産のゴーン会長という世界的有名人が私服を肥やしていたという話です。ざっと言えば100億の年収を50億と申告していて、会社の金で世界中に家や別宅を購入していたそうです。

額があまりに多くて実感が湧いてこないのがくやしいですが、忘れられないのは日産の経営危機の際、多くの社員の首切りを実行して評価を得た彼が苦渋の選択のような話をしていたのはうわべだけのことだったのがよくわかります。首切りをされた人達は年収100億をどう考えるのでしょうか?

資本主義だからといえば簡単な話ですが、原理はともかく世界中でうそをついてだまし評価された経営者は存在できるのでしょうか?今後、彼は有り余る蓄えた資金でどうしたいのでしょうか?どこかの国を買い、そこで新しい宗教でも作り暮らして行くのでしょうか?

会社が大きくなれば大変な責任が生じると考えるのは小心者の自分だけなのでしょうか?小商いをしている視点でみる世界と違うのはわかりますが、犯罪をおかしてまですることなのでしょうか?どこまで金が欲しかったのでしょうか?そう考えると自分は小商いを選択して正解だったと思います。

彼らの正義が行動基準ならその企業ではとうていやっていけません。自分も15年もサラリーマン生活をしましたので会社のなかのことは解りますが企業ぐるみの犯罪に加担するのは絶対に嫌です。日産の社員たちは内部告発だといいますが、知らないでまさかと思っているのでしょうか?でも100億を1人が報酬としてもらえる会社に疑問を持たなかった責任はあります。その上社会に対して検査では偽装し、マスコミも宣伝という甘いもので究明が甘くなっていたのではないでしょうか。

自動車は必要ですが日産でなくともいいのではないでしょうか?もちろん他の不正をやったところも同じです。極端なこと言えば外国のものでもいいのです。市場原理からすれば淘汰ではなく消えることが求められている経営者もどき、大企業もどきなのではないでしょうか。

 

 

 

「グレイヘアー」

髪が伸びてきたかなと思い鏡をのぞくと白髪が増えた還暦過ぎの自分がいます。苦労しようがしまいが歳を重ね髪は白くなり、しわは増え、体力は落ちていくと実感する日々です。

11/19日経新聞の春秋に「グレイヘアー」の事が書いてありました。最近では白髪と言わずグレイヘアーと言うらしい。そういえば街でみかける同年輩の人達はオシャレな人が多いとは感じていました。記事によると一般の夫婦「bonさん、ponさん」が夫の定年退職ごろから娘さんのすすめで仲の良い姿をインスタグラムに投稿し始めたことから徐々にブームになっているとのことです。

グレイヘアーとこれから呼べばいいのかな?と思ったりもするのだが違和感もあります。白髪は白髪だ。若く見せようという気もあまりないし、でも白髪で年相応より歳に見られるのも癪であります。顔と髪の毛と身体が自分の思う年代と重なるまでは家染めのヘアーカラーでやっていくでしょう。

オシャレで主張できる人はいいのですが、職業によってはお歳をめされる方が敬遠されることもあるようです。若い人に聞きたいこと、年配の人に聞きたいこと、男に聞きたいこと、女に聞きたいことがありますよね。すべてをいっしょくたにしなくとも良いのですから、それぞれの立場で生きやすいようにするのが一番です。

もちろんグレイヘアーに文句をつけているのではありませんから誤解しないでください。流行とかブームでなくグレイヘアーが歳をかさねたあかしとして素敵だなと普通に思われる世の中が良いと思うのです。グレイヘアーでもこんなチャレンジをしている人がいるんだという浮世にあこがれています。

あまり同年代がやっていなくてもしたいことがあればチャレンジしようと考えています。もちろん白髪でです。浮世の人があのグレイヘアーの爺さん、なかなか面白い人だなと感じてくれるのがいい。そんな感じです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小商いの考え方

 「あきんど(商人)」の基本は三方善し(売り手、買い手、世間)の近江商人と考えています。これは簡単そうでなかなか難しいものだと最近思っています。儲けを第一に考えてしまうし、その為に言わなければいけないことを故意にスル―してしまったり、世間など無視してしまっていないかと考えたりします。

 世間では大企業の検査偽装や基準を満たしていないのに公共の建物や鉄道などに自分たちのエゴで自分たちだけの常識で儲けや保身のために、我々小商いでは考えられない額の売上や販売数をしている名だたる会社がぞくぞくと出てきてしまっています。残念というより悲しい気分になります。

 小商いの場合なら当然倒産します。世間からの非難をあびることでしょう。大企業は会見で頭を下げますが、心の内はどうなのでしょうか?お決まりの第三者委員会を立ち上げ、世間も国もマスコミまでも抑え込んでいると考えているようにしかみえません。

 三方悪しです。日本の商人が今まで築きあげてきた信用、日本製なら大丈夫とか、日本人はこんな事まで気にして物造りをしているという、他には変えられぬ価値まで落としてしまったことをどう思うのでしょうか?時が過ぎれば忘れると思っているのでしょうか?マスコミの追求もスポンサーにはおおらかに感じられるのは自分だけでしょうか?

 小商いをナリワイ(生業)にしているものとしてはくやしくてなりません。でも我々は生きていかねばなりません。絶対に取り上げられることのないような小商いでも基本の「三方よし」は守ります。

 

 

 

 

 

年末年始をうまく活かそう

今年も11月中旬になりました。近くの大国魂神社を通りましたら11/15は七五三でした。おめかしした子どもたちとお母さん、お父さん、おばあさん、おじいさんが嬉しそうにしているのを見るのは良いものです。

 この時期ぐらいから年末年始にむけて、あっという間に過ぎていきます。今年こそこれはしなければと思いながらも残念なことに日々は過ぎていきます。この時期は一年の中でも人と接することが多くなる時期です。これをチャンスとするか否かは我々のなかにあります。

 昔ですと年末はあいさつ回りが忙しく上司ともども伺うことが当たり前のようでしたが今時はどうなのでしょうか?昔なら、名入れのカレンダーや手帳、タオルなどを渡したのですが今はあまりなくなったようです。年末の風物詩が消えていくとちょっと寂しいものです。

 でも,あいさつ回りの時に名刺交換は間違いなく増えます。この時に今年のお礼はもちろん来年の計画や予定など自社への要望を聞き出す絶好のチャンスなのです。それに沿って営業活動も有効に行うことができますし、上司を連れて回るのは儀礼はもちろんですが違った担当に合うことのできるチャンスでもあります。

 自分はサラリーマンの時はあまり上司が好きではなかったのですが、この時期は上司が又かと言うぐらい連れだしました。ビジネスランチなども上司持ちでお客様と親しくでき、腹も満たせる訳で大いにやったほうが良いに決まっています。これはバブルとかとは関係なく人と人のお付合いをする上で大切な事だと感じます。

 これらの年末年始の人と会い名刺交換をする時を大切にしましょう。今度こういう名刺「闘う名刺!」にしました。といって新しい名刺を使い自分出来ること、やりたいことを表明することが大切なのです。会社の名前やその他の役職など変わらなくても名刺が変わると新しい目で自分を見てくれるものです。この心理をうまく名刺を小道具として使いましょう。その為の「闘う名刺!」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょうどいい感覚」が名刺です

 名刺交換をする場を考えてみました。名刺交換ですから、相手がいてお互いに交換しあうということです。ただやみくもに配るのではありません。そいう時には別の名刺を用意しておく方が得策です。

 名刺交換をする場というのは、やはりビジネス又はそれに準じた場ではないでしょうか。特に今の時代は連絡先を交換するならスマホで十分ですから。それなのに名刺を交換するのはなぜでしょうか?もちろんビジネス上の慣習だからというのが一般的な答えだと思います。

 前にも書いたのですがビジネスなどで名刺交換というのは「ちょうどいい感覚」なのではないでしょうか。初対面で挨拶して紙切れですがお互いの持ち物を交換しあうというアナログな行為が人同士の取引にちょうどいい感覚があるのだと考えています。

 「ちょうどいい感覚」というファジーな感覚は人独特のものの気がします。まして見ず知らずの人と名前の入った持ち物を交換するのです。しかも年齢、性別、役職らの違う人達と名刺というツールを使えばそれなりの格好がついてしまうのです。ちょっと不思議なビジネスツールなのです。

 例えば親子ほど違う相手や社長と新入社員などでも名刺交換は行われます。こんな面白いビジネスツールはめずらしいと思いませんか。名刺というツールは当たり前のビジネスツールとして世の中に浸透しているので定型のパターンのものがほとんどという状況なのです。だからチャンスなのです。

 今は今までの既得権益をもった会社の土俵で取引がされています。名刺交換はこいうものだと新人研修でもやっています。今までの創られたイメージを変えましょう。自分の出来ることを、やりたいことを表明しましょう。その名刺がやり取りされるようになると働き方も当然変化します。

 今、自分たちが住んでいる世界は昔と様変わりしているのは時代に疎い自分でもわかります。では、我々はどうやってその世界に向き合えばいいのでしょうか?それは身の回りの習慣を見直していくことです。名刺に限らず昔作られたルールややり方を見直していくことが本当に新しい世界を享受することだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やはり女性が変えるだろう

 二三日前に名刺交換をした方は女性の経営者でした。私どもと一緒の有限会社とあったので20年前後やられているのだと思う。今は有限会社をつくれないので長い年月をがんばってきたことが想像できました。何人かの方とご一緒でしたのであまり詳しい話は出来なかったのだけれど今度お会いしたら聞いてみようと思います。

 女性の起業は当たり前のように報道される時代なのですが、現場のご苦労は大変な事がわかります。なにせここは日本です。男社会で会社が成り立ってきた国です。そして、我々の世代を含めて口では女性の時代とかいいますが、心のどこかでわだかまりを持っているのも事実です。

 還暦をむかえたころ昔を振り返ると小学校で言われた、教わったことで覚えているのは「男女平等」「少数意見の尊重」「加工貿易」が頭に浮かびました。もはや戦後ではないと言われた時代から高度成長へと向かうさなかの小学校です。この3つは自分に少なからず影響がありました。

 その頃から一般の女性が社会に出始めて仕事をするようになってきたのです。そんなに昔のことではありません。そして偏見をうけながらも仕事をつづけ今の女性の立場、仕事をするのが当たり前とおもわれる社会が出来てきました。女性は粘り強くしたたかでもあります。

 そんな女性が名刺の世界も変えてくれるはずだと思っています。男性社会の名刺は会社の名前や役職、そして会社の社会的立場を重んじた昔から有るタイプのものを好みます。ですから大切な事が伝わらないのです。まさに重厚長大の名刺です。社会的に認められた大企業、有名企業だから取引してあげますという名刺にみえます。

 名刺がこれからの世の中で存在できるとしたら何ができるのか、どういう想いなのかを言葉化した内容で個人がそれを表明したものでなければ存在する意味がなくなると考えています。単なる消耗品なら安いに越したことがないし、住所録ならメール交換で十分なのですから。

 そんな今までと違った観点から名刺を役立ててくれるのは男性より女性の方が気づいてくれると期待しています。そして知らないうちにそんな名刺を世の中で当たり前の存在として認知させてくれるのではないでしょうか。

 

 

 

 

景気、大丈夫?

最近、お客様のところで景気のいい話を聞きません。日本の顔のような企業は確かに報道されるのを鵜呑みにすれば好調のようです。最高益とかのことばがよくでています。実際の日本のしくみは中小・零細企業が色んな役割を果たしています。その企業が全体的に景気が上がらないというより落ち込んでいる気がします。

 これは自分が営業に回って聞く小さな範囲のことなら良いのですが、色んなところで改ざんや虚偽の不正が発覚しています。景気状況もそうでないと言い切れるのでしょうか?昔バブルのころはオフィス家具の販売をしていたこともあり移転、増設、工場建設、支店の拡大などもあり家具・内装工事などが、どこの地方都市でも目に解るように動いていました。

 先日オフィス家具大手の業績がいいとでていましたが信じていいのでしょうか?大企業が動いたということが、昔のように下の方へ流れてくるのでしょうか?今は回りません。工場の日本回帰もつかのまのことなだと考えるべきです。資本は安い労働力を探すように出来ています。

 役所関係からの見積もり依頼はくるのですが、まともな値段で採れることはまずありません。お金は一時もとどまりません。談合は本当に悪なのか?と考えてしまいます。それより政治家が税金を形をかえて懐に入れて大臣でいるほうがおかしいし、それに忖度することのほうがもっとおかしい。

 来年は消費税が10%に上がります。世の中のアンケートなどを報道でみると、財政再建のため、子子孫孫のために致し方なしという意見が多いそうですが、本当でしょうか?世論操作は無いのでしょうか?もし本当に実行するなら中小零細企業の景気浮揚策を大々的にうつことが今なされてしかるべきなのではないでしょうか。

 また来年は元号がかわる年です。あたらしい天皇の即位があります。特需効果は多少あるのでしょうが、何とか新しい御代を好スタートがきれるようにするべきだと思います。5月の即位、10月の消費税と決定しているのなら今こそ中小・零細企業への景気対策が必要なのです。働き方改革も腰折れになってしまいます。小商いをしていて感じていることを書いてしまいました。

 

 

 

 

 

 

規格をつくろう

数日前に日経新聞にビル・ゲイツ氏のインタビューが載っていました。人が輝くAI時代へというタイトルでした。①技術を使いこなす知恵を②ロボ課税が雇用を生む③人材育成が日本の課題という内容でした。内容も興味深いのですが、何より彼が本気ならAI時代の本格的到来は近いと思いました。今の始まりの段階でさえついていくのに必死なのに。

 そう感じていたら昨日の記事にEUがAIの倫理指針を作っていると一面に出ていました。ヨーロッパというのはしたたかな人間の集まりだと改めて感じます。今世の中を動かしている「しくみ」を考え、創り、国際規格にするというやり方にたけている人間たちです。

 ISO、宗教、オリンピック、国際基準、ノーベル賞、金融、ファッション、エコ、ミシュランなどなど数えたらきりがないほどです。彼らの価値感のなかで我々は適応してきています。つまりすべてが決められた土俵にあとから登ってパフォーマンスをするのですから歩が悪くなるのが当たり前なのです。

 そして今度もAIの倫理規格に目をつけました。なぜ日本は規格を世界に広めようとしないのでしょうか?ここが世界で勝ことの肝のような気がします。相手の国や人に合させる規格を日本が主導出来なければ、近いうちに日本の没落も十分にありえるのではないでしょうか。

 そうならないためには規格づくりがうまくできないといけません。これは我々みんなが考え、知恵をだしていかないと平成の次の御代は大変な時代になってしまいます。みんなで身近な規格を考えていくことをやらなければいけません。日常的な事、例えば自転車のルール、スマホ、車イスなどたくさんあります。めんどくさがらず一つづつやりましょう。自分は名刺から始めます。

 

 

 

 

 

 

 

還暦すぎても反省ばかり

還暦を過ぎると名刺を配る、名刺交換をするということがめっきり減ってしまいました。名刺屋としてとても反省しています。60歳を過ぎると今まで出会ってきた人達や会社の関係で仕事をしてしまいます。生涯現役が目標と言ってもこの年頃に考えこんでしまう仲間も多いのも事実です。

 サラリーマンなら定年延長で退職が伸びているとはいえ、今までと同じとはいえないですし、退職後のことも考えてしまいます。我々のような小商いをしていても何かが違ってきます。今までは働けば何かが見えてくると思ってやってきましたし、正解・失敗は繰り返したものの何かやることは見えていました。

 還暦を過ぎるころの数年に同級生が亡くなることが増えてきました。同窓の仲間と会うのがお葬式ということもずいぶんあります。会えば身体の衰えの話、病気の話、歳をとった親の介護の話が多く、ちょっとばかり滅入ります。

 働き方改革とか人生100年とか世間では言っていますが、現実はそんなに勇ましいものではありません。むしろ若い時より悩みは多いのかもしれません。若いころなら多少の無茶もできましたが、身体がついていかないこともあり衰えを感じてしまいます。そうすると気持ちまで落ち込むこともあります。

 それでも我々のように小商いをしていれば誰かと接していきます。昔は当たり前のように新規の人達と名刺交換をしていたのに、それが少なくなりました。新しい場に出ていないのです。新規の取引訪問や交流会、親睦会、展示会など毎月のように顔をだしていたのが少なくなっていたのです。

 ひとりで小商いをいていると自分が気づかないと誰も注意をしてくれません。歳をとったとか、還暦を過ぎたとか言っていれば置いていかれるだけなのです。そんなこと解っていたはずなのに恥ずかしい限りです。でも気がついたら変えればいいのです。それがすぐできるのが小商いのいいところです。

 新しい経験ほど、どきどきしますが生きている実感もあります。「不安常住」「無所住心」ということです。不安は無くなることはないし、どこかに心を置けばやすまることもなく、ただただ不安は共存するものと決め、できることを懸命にこなすことが凡人のできることです。どうせ悟ることはできないと悟りました。それで十分だと思っています。

 

 

 

 

 

 

何を基準にするかを考えてみよう

今日も新聞の一面には検査不正で日立化成が載っている。社長は幅広い製品での不適切な行為にはざんきの念に堪えない。甘えた社内文化が云々とでていました。この頃ずっと大企業でおこるこのような不正行為はどう考えればいいのだろうか?

 ブログで名刺の記載する認定マークの話は何度も書きました。こういう不正が何度も繰り返されているということです。確かに取引上の制約は受けることになるだろうし、損害もでる訳だがこの位の大企業ならば国がつぶさない。過去にもバブル後に大手マンションメーカーや金融、不動産などみんなそうだった。

 数年たつと日ごろの日常に追われる庶民は忘れるというより、生きることに必死で気にしてはいられない。こんな時に追っかけてほしい新聞やテレビなどのマスコミも少し経てばこれらの大企業の広告をながし収入源となります。そしてイメージを気にする会社は名前をかえて存続します。以前のミドリ十字などがそうです。

 そして国は日本に必要な、世界に必要な会社だから大目に見ます。役人の改ざん、現職の大臣たちも皆そのパターンです。それを追求するのがジャーナリストの役目であると自分は考えますが違うのでしょうか?色んなことで注目を浴びれば良いと言うように見えてしまいます。

 我々のような小商いなら即、倒産して個人や家族まで非難を浴び、その地域に住むのは難しいと思います。やはり、大企業の幹部や政治家などになる人は面の皮の厚さが我々と格段に違います。またどんな教育や道徳をうければああいう風になれるのでしょうか?

 そしてその人達が上に立ってやる政治や教育、経済などの国のしくみはどうなって行くのでしょうか?そんなことを言っていても食べていけませんので、今できること真面目に「闘う名刺!」を広めていくしかできません。そして認証や上位伝達のしくみには、嫌なことですが疑っていくしかありません。それが日本の現状なのです。