「変わり始めている?」

 昨年春までにTVコマーシャルをたくさん流していた名刺管理のSANSANを最近見ないなと思っていたら、新聞広告で久々に見ました。冬眠人脈の活用というタイトルでした。ちょっと安心しました。よくTVのCMを出していたのがやらなくなると大丈夫とか思ってしまうのは浮世の常です。

 広告が出てくるというのは又春が来ているということなのでしょう。年始挨拶もすぎてこれから春になると各種イベントや人事異動といった名刺を多様する時期がやってきます。それを有効に使おうという趣旨です。名刺を仕事にしているものとして、有効活用はうれしいものなのです。

 毎年考えるのは管理して活用するのもやり方ですが、これからの時代はもっと自分の主張をした名刺に変わって欲しいと思う名です。その為に「闘う名刺!」を叫び続けています。会社の場合は大きな会社ほど自分を主張できないようです。そこに小商いの勝機があると考えるのです。

 大きな会社には大きな意義がありますが小さな会社には意味があります。その自分たちの想う存在の意味を知らせていくことこそ商機になるのです。誰もが知っている会社ではないのです。知っていると思うのは思いあがりです。やっていること、出来ることを世間に知ってもらおうではありませんか。

 今がチャンスなのです。大企業も有名企業も気が付いていないのです。時代は働き方改革、人生100年、定年延長とかに目がむいていますが、本質は働き方、生き方の概念自体が変わろうとしているのだと思います。また厚生労働省がウソ統計で話題になっているのですがあきれるよりあきらめの気持ちです。

 役人は自分がないのでしょうか?それならAIのほうがどれだけ有能なのかわかりません。取って代わられるのは役人、政治家からかもしれませんね。まさに政治改革をしようとわざと役人や政治家などの頭のよい人達の手なかもしれません。でなければこんなにも無責任で無秩序で無知な間違いが何度もあちこちの役所や政治家が起こすはずがないと考えています。

 

 

 

 

 

「こだわり」

昨日の日経新聞の「ヒットのクスリ」というコーナーにこだわり力ということで昨年日経MJヒット番付にランクインした1000円食パン(乃が美:大阪市)の話が出ていました。それを考えるのに「赤福」など老舗が生き残った理由を考えたそうです。結論は一つの商品に特化し代名詞になるような商品を作ることでした。

 次に食感はTVのレポーターを参考にしたそうで、レポーターが決まっていう言葉の「甘い」「柔らかい」を実現できる分野をさがしてみつけたのが食パンだったとのことです。スゴイと思ったのは彼が米屋さんということなのでライバルともいえるパンに手をつけたマインドフルネスな考え方です。

 世の中で何かをヒットさせるのはこだわりの商品なのかも知れませんが、その裏には頭の中のがんこなこだわりを捨て新たな観点で考えてみることが大切なのだと思います。これだという商品を発見できればその商品にこだわりをもって磨きこむ覚悟をするということだと勉強になりました。

 商品の特徴や何かについてはあえて書きません。興味のある方は調べてみて下さい。自分が言いたいことは考え方ひとつでどんな商品でも新たな力を身につけられるかもしれないということなのです。ここでも書かれていましたが消費者のこだわりは大手だけでは対応しきれないということなのです。

 高くて売れる世の中には稀なものですが、そんなものそうそうありません。日常的に「あるもの」のなかにあると書いていましたが同感です。小商いをしている人達はこだわりをもっているはずですが、そのこだわりを一度外してみて、新しいこだわりを持ってみたらどうでしょうか。

 自分ももう一度こだわりを外して自分の商売、商品などをみつめてみようと思います。もし、我々が再度考え方を変えたら新しい流れが出来るかもしれません。そう信じて挑戦してみます。

 

 

 

 

 

「いいわけ」

 昔、親父に「いいわけするな」と怒られたものです。でも懲りずにいいわけしています、残念。以前名刺交換の数が歳を重ねるとともに減っているという記事を書きました。やはり若いころの量と比較すると激減です。

 自分が若いころと言うと40年くらい前になりますが営業畑ですので、飛び込み、ルート、コンサルティング営業と色々経験しました。そのころはとにかくガムシャラに名刺交換をしていた気がします。昔の名刺を見直してみると若造がずいぶんと役職の上の決定権の有る方へ会っていたのがわかります。

 かなり無理をしていた自分が気恥ずかしい思いもありますが、頑張っていたんだなというふうにも感じます。その頃のようにはいきませんが名刺交換はしなければなりません。名刺は持っているだけでは何の意味もありません。ただの小さな紙切れに過ぎません。

 歳を重ねると自分に言い訳するのが上手になります。経験が邪魔をすることもあります。これは昔試したがダメだったとか、あの人は話を聞いてくれないとか自分に言い訳ばかりしています。昔そうだったように試してみないと何も始まらないと知っているのにです。

 人の潜在意識はやらないでおくと、あの時やっておけばとずーっと後悔し続けると聞いたことがあります。思い当たることも幾つもあります。名刺交換をして結果を出して行かないと前に進むことはできません。ダメならダメという結果をだしていかないと何度も同じところを堂々巡りすることになります。

 凡人の自分には多くの事を望むのは無理です。小さな事、出来そうなことをやって行くしかないのです。今年は一週間に1人と言いたいところですが、一か月に1人は知らない人と名刺交換をしようと思います。続ければ年間12人の新しい関係が生まれる可能性があります。こんなことから始めてみます。

 

 

 

 

「こあきない」

 「小商い」という言葉は謙遜でも卑下して使っているのではありません。あえていえば「堂々と小さな商いをできる時代が来ている」と言いたいのです。またビジネスマンというより「あきんど」でありたいと考えています。「あきんど」の自分のイメージは人を相手に工夫している姿なのです。ビジネスライクなスタイルではありません。

 大きなビジネスをするのは大企業、有名企業に任せればいいと考えています。大きな資本で、世界的な販売競争に勝ち抜いていくのは凄いことですが、自分の器量では楽しくできません。小商いで良いものを、サービスを同じ感性をもつ人達へ広めていきたいと考えています。

 今は昔と違い小商い、無店舗商売が当たり前に出来る時代なのです。我々高齢者には中々手ごわいがインターネットやSNSを若い人だけの特権と思わず慣れて行けば年寄りの世界も、想いも広がっていきます。今年は改めて教えてもらおうと考えています。

 大きなビジネスには意味もありますが、小さなビジネスには意義があります。どちらも役割があるのが面白い所で天秤にかけてもつりあうのが好景気なのだと思います。どちらかに振れ過ぎるのは経済政策をちょっと考える必要があると政治家の人達には考えていただきたいものです。

 今年は元号が変わり消費税が上がり、来年は東京オリンピックがあります。大きなビジネスは色々な話が新聞などで報道されますが、小さな商いについては中々宣伝してくれません。でも確実に変わってきているのです。それが表だってくる年になればいいなと期待しています。

 自分も小さな小さなことですが名刺の概念のなかに「闘う名刺!」を広められれば幸せです。頑張ろう。

 

 

 

 

名刺交換の効果?

 名刺の効果を最大限に発揮するには名刺交換をたくさんするしかないのでしょうか?出来ればそれにこしたことはないと思います。そしてただ単に配るのではなくて有効訪問を増やすことが営業的に会社で求められる事です。しかも効率よくです。

 そんな事が誰にも出来るのでしょうか?自分にはとても無理です。自分もトップセールを会社で続けていましたが、効率で考えると無駄な事が多かったし、喫茶店で一服しながら飛び込み訪問をしたりするのが精神衛生上良かった気がします。バブル前の話ですから昔話です。

 名刺も効率で測れないところがあります。でも確かなのは名刺交換をしなければ人と人の縁はイエスかノーの選択しかないのです。テレアポなどが良い例です。買うか買わないか、必要か不要かです。名刺というビジネスツールが人と人の間に介在すると妙なことが起こります。

 商品はいらないのに、その人と話していたいとか、そこでは売れないのに何となくその人とウマがあうといったことがあるのです。名刺交換をする際にちょっとだけ頭にいれておくと商談が成立しなくともいらだちません。これは自分だけのことではないと思います。人がAIでなく人たるゆえんだと思います。

 世の中には積極的に前へ出られるタイプの人と内向的で一歩踏み出すのに躊躇してしまう人がいます。自分などは後者なので名刺交換をするのにもかなり勇気が必要です。次から次へと名刺交換ができる人がどれだけ羨ましいかわかりません。よくそれではビジネスはダメだから直せ、変われと言う方もおられますが、それが出来るようなら苦労はいりません。

 生まれ持った性分というのは中々変えることなどできないのです。もし変えられたとしても無理をしているので心の負担は相当なものなのです。自分は変えられないのでその為に「闘う名刺!」を考え使うようにしています。闘う名刺!には出来ること、自分の想いを言葉化して表明してありますのでとにかく配ることに専念すればいいのです。

 話せるチャンスがあればもちろん話しますが、そうでなければきちっと挨拶してくるだけです。それでも不思議と繋がる人とは繋がるものです。AIであれば分析して効率をもとめて成約率をあげる努力がされるのでしょうが、残念ながら自分は昔タイプの営業しかできません。それでも何とか幸せに生きてきましたのでこれからも闘う名刺!というツールを活かす方法を考えながらやって行きます。

 

 

 

 

今年はどんな名刺と出会うのか?

毎年正月明けから名刺の注文が入ってきます。長年のごひいき頂いている法人のお客様から注文が入ると今年も頑張るぞという気になります。小商いを始めて26年目になりますが長い間ご注文を頂けるのは本当にありがたいことです。この26年は法人のお客様を中心に名刺を制作してきました。

 3年位前から個人というよりご自分の名前で生きていきたいという方達の名刺を考えてきました。それを「闘う名刺!」と名付けました。闘う名刺!は自分の想いを言葉化して表明する名刺です。ご自分は何ができ、何をしたいのかを表現する場として、名刺というビジネスになくてはならないツールを利用します。

 名刺という商品の特性として持っているだけでは役に立ちません。名刺交換をしてこそ威力を発揮するのです。そして初対面の人と紙一枚ですがお互いの名前の書いたものを交換するのです。このアナログさがビジネスにちょうど良いのです。又名刺は余程変人でない限り受取ってくれ保管してくれます。

 名刺は91×55ミリという小さなサイズですから持ち歩くのに便利ですし、色々なグッズに忍び込ませることもできます。何よりも精読率の高さです。自分の関係の分野ならもちろんですが違っても読んでくれて頭の片隅に残してくれます。これが手渡しの物々交換というアナログの効果だと自分は考えています。

 まだまだ名刺屋の自分には色々と書きたいことはあるのですが、それは次回ということにさせていただいて、ともかくこのツールで最大限に威力を発揮してもらうことの出来る世の中であればと思います。今世の中は人生100年とかで定年延長や起業、副業など様々なかたちで働く世の中にする方向で進み始めています。

 この時代に今までの概念の名刺を、ご自分の名前で生きようと思う人が使うことはリスクでしかありません。ご自分の想いを、出来ることを表明した「闘う名刺!」を持つことです。それが新しい時代に一歩を踏み出す最初の仕事です。そう信じています。そして今年はどんな名刺を創るのかを楽しみにしています。

 

 

 

 

小商いの生きざま

 小商いについて考えてみました。小商いは自分の一番相性のいい生き方なのです。ところが昨今のご時世なかなかゆったりとはしていられません。あまりに色々な事が変化していきます。まるで革命のときの時代のように思われます。いや、戦ではありませんが革命が起きているのでしょう。

 技術の進歩、社会の価値観、人の生き方など10年前とは違いがすごいと思います。自分の好きな「小商い」という生き方も日々色々な出来ごとに遭遇して右往左往しているのが現実です。そんな時代ですから改めて整理をしなければ根本の考え方が揺らいでしまいます。

 まず自分の思う小商いとは何でしょうか?それは自分の器に合った生き方が出来ることが第一です。よく人は器が大きいひとを目指しますが、自分は違うと思います。自分の器にあうことが最適だと思います。大きな器には大きな器の使い方がありますし、小さな器には小さな器の使い方があると言うことです。

 酒をのむのも大きな杯でのむのを見せる大相撲の優勝のときもありますし、家で晩酌を妻と一杯やるのはお猪口が良いのです。同じ酒でも使う器があるのです。どちらの器で人生を生き抜くかは自分で決めるしかありません。自分は小さな器で酒を飲むのを選びました。そこに迷いはありません。

 それなのに時代はあまりに多くの選択肢、器がある事を知らせてくるのです。インターネット、SNS等今まででは考えられないくらいの選択肢を自動的に送ってきます。自分も消費者も便利ですが迷います。商品そのものの価値より示される選択肢に頭を使いすぎてしまいます。それが今の世の中です。

 このなかで小商いを生業(ナリワイ)として生きていくのは簡単ではありません。自分がどの位置でどの器なのかを見極めながら生きていかねばなりません。昔よりはるかに便利な世の中ですが小商いは難しくなったのかもしれません。今年は元号が新しくなり、消費税も上がり、選挙もあり、来年の東京オリンピックを控える時代なのです。小商いは小商いなりに生きざまを見せて行く時なのかもしれません。

 

 

名刺の有り方も変わる

 新年の始めなので名刺の近未来について考えてみました。ビジネスツールとしての名刺を扱い始めてから26年になりますが、お恥ずかしい話ですが予想がとても難しいのです。ご承知のようにSNS、AIを始めとした技術の進歩と普及の速さが予想を超えるスピードなのです。もちろん予測し対応するのが当たり前なのですが、技術の進歩と普及に加えて多岐にわたる使い方が多方面で進んでいるのが現実であり社会システムや常識まで変化せざるおえない時代に突入した気がします。

 そんな中で名刺というビジネスツールだけ今までどおりの形式・考え方という訳にはいかないと強く感じています。ただ単にカラフルになったりデザイン性にたよるのもイマイチの感じですし、有名な社名やロゴに頼るのも情けない気がします。特に社名に頼ると昨年の超有名会社らのように偽装、不正、改ざんと何でもござれに与したものともとられかねません。もし自分の名前で仕事をされるならとても大きなリスクになります。

 では名刺はビジネスツールとして有効なものでなくなるのでしょうか?今までの形式の名刺では役に立たなくなると思います。なぜなら技術の進歩、普及による社会変化が常識を変えていきます。でも名刺は人が人と初対面で直接相対する時に、ちょうどいいツールという性質があります。このことが重要になって来るのです。

 社会はどんどん人のいないところでビジネスが成立してしまいます。働くことが善であるという考えから、AIなどに働いてもらうことが善に変わるかもしれません。でも、全体がそうなるのでしょうか?そういうやり方で成功を収めた人が脚光を浴びることがマスコミなどでピックアップされることになり、全体と感じるのだと思います。

 逆に人対人でなくては嫌な人達も半数はでると思います。浮世の天秤は振れながらもどこかで均衡を保ちます。前者には名刺は不要に近くなるかもしれません。しかし後者には新しい名刺の活用法と充実感がもてるようにしなければなりません。それが「闘う名刺!」です。自分の想いを、出来ることを、言葉化して表明してそれに共感してくれる人と取引をし縁を深めあうということに価値があると思う人達がもう一つの名刺、いや社会を作って欲しいと夢見て行動していきます。

 

 

浮世の渡り方を考える

年末から新年にかけての記事をみていると時代がかわると皆誰でも言うけれど、どう変わるかは決め手がないようだ。予測なんていうのはそんなものなのだろう。その中に人間が150歳まで生きる可能性を書いた記事を読みました。技術や医学の発達はすごいものですが、死因はというと自殺なのだそうだ。恐ろしい話と思いました。何でも出来るからと言って置き去りにするものが多いのではないでしょうか。

 正月らしからぬめでたくない話ですが考えさせられてしまいます。技術はどんどん進み置いてけぼりをくらう人間という構図はまさかと思いますがありえます。人は便利に弱く、権力、金にも弱いのですからAIなどが操りやすい対象のはずです。知らないところで色々な事が進み始めている怖さを感じます。

 AIや他の先進技術の進歩は隠さず報道されたとしても、その意図はわかりません。誰が何のために使うのかが解らないと、とてつもないことになる気がします。自分の頭では解決できませんが、昔人間の自分としては笑われても「第六感」を大切にしようと考えています。

 そんな中で闘う名刺、小商いなどを通してよく解らない浮世を観察していこうと思っています。ままにならぬ浮世ですが、ここで生きているのですから生き抜く手立てをみつけるしかないのです。流されて生きる道もあれば、大船にのる道も、筏や小舟で生きる道もあります。

 どれが正しいかは人それぞれ違いますが、色々な例や経験は知っていた方が流されても息ぐらいはできるたしになります。何が正解か不正解はわからないのが浮世というものなのでしょう。浮世をわたるナビはありません。自分が考え、作る事しかないのです。この一年はそのことを出来の悪い頭で考えて行こうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

新年に

平成31年が始まりました。1/1には毎年早朝に大国魂神社に初詣に行きます。今年は少し遅れて出かけるとものすごい人が並んでいたのでお札を納め新しいお札を頂き帰りました。体調もあまりよくないので無理はしないようにしました。もちろん近くの神社なのでお参りは翌朝いくことにしました。

 1/25時ぐらいに起きたので用意して6時前に着くと門がまだ閉まっていて、その前に20名位すでに並んでいました。6時から開門でしたが知りませんでした。正月三が日はずーっと開いていると思っていましたが63歳になるまで知りませんでした。

 6時に開門して本殿前で参拝することができました。いつもとちょっと違う気持ちでお参り出来たような気がしました。それにしても知らないで過ごしていることは多いものなのだと思いました。勘違いや思いすごし、知らなければならないのに知らないでいることがどれほどあるのでしょうか。

 今年は知ったかぶりをせず、もう一度色々な事を見つめ直すようにしようと思います。歳をとると頑固になるようなので柔らかい頭でいられるようにしたいものだと考えています。歳は嫌でもとりますが少しでも柔軟な発想を受けいられるようにしなければ人生つまりません。

 新年はいつも計画をたてるのですが、なかなか思いどうりにいくことはないのが現実です。歳をとると色々な現実を受け入れなければなりません。良い事より悪い事の方が多いのも現実なのです。以外に大変な事なのです。それをじたばたしながら過ごす覚悟をするのが歳を重ねることなのでしょう。

 どうせ悟ることなど凡人にはできないのですから、あわただしくジタバタして格好悪くても生き抜くことにします。でもきっと良いこともあると信じて目の前のことを乗り越えて行こうと決めています。