「弱者の自覚」

 今日はバレンタインデーだそうです。色んなところでドラマがあったことでしょう。若い人なら「胸がドキドキする」といえば「誰か好きな人でもできたの」と言われるのですが、我々のように還暦をすぎると「狭心症、心筋梗塞かもしれないよ」というあんばいなので悲しいものです。

 やはりこの位の歳になると同年代で集まると健康の話題が多くなります。小商いをしている者としていつも感じていることは幾つまで仕事をしていられるかを考えてしまいます。自分の場合はとにかくやれるところまで仕事をしていたいのです。最近は働き方改革だなんだのといわれ労働時間がどうのこうのといわれますが、自分で決めればいいのです。会社勤めの人も会社と自分で契約するのが当たり前と考える時代にすればいいと思います。

 小商いでも、還暦過ぎでも大切なことは「意欲」と「弱者の自覚」だと思います。意欲は解りやすいのですが継続できなければ単なる法螺です。今、自分が、ここでやらなければいつになっても夢のなかのうつろな話しでしかありません。

 弱者の自覚は出来そうで出来ないものです。小商いをしていると感じるのですが弱者には弱者のやりかたがあるのです。強い敵と同じ方法で戦っても勝てるわけがないのですから弱者だという自覚をして工夫をしていくしかありません。それを面白いと感じることこそが「弱者の自覚」だと思います。

 その戦い方のひとつのツールとして「闘う名刺!」を考えました。今、世の中では99%が一般的な概念の名刺です。それと違うものを作ることこそが、これから「弱者の自覚」をしたうえで世の中に挑んでいく武器になります。幸い世の中は名刺を製作することが誰でも高品質で安価で出来る時代です。ただそれを「闘う名刺!」にしていくには若干のコツと名刺のルール、ことばの持つ影響力を考えなければなりません。どんな良質な武器も自分に適したものにして、それを活かす技を身につけることは必要なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひとことコミュニケーション」

一周年を迎えて書こうと考えているのは名刺、小商いの記事と「ひとことのコミュニケーション」の大切さと言うことを考えてみたいと思っています。うちの小商いの中心は名刺で「闘う名刺!」を広めることだし、今まで書いてきたようにそれは言葉の名刺です。小商いは言うまでもなくコミュニケーションをどうとるかが大切な事です。

 なぜ一言のコミュニケーションをピックアップしたかといえば商売、取引、契約、友人関係、職場の人間関係など、どれをとっても昔よりつまらない?伝わらない気がするのです。もちろん自分が歳をとったというのも理由のひとつなのでしょうが、やはり伝えることをないがしろにしたくないと考えているからなのです。

 一言のコミュニケーションを考えることは自分の為なのです。たとえば先ほど宅配業者さんがきて運賃が値上げになると言ってきました。事情は人手不足やネットなどの増加があるのはわかります。でも一方的な申し入れを受入れるしかありません。何か「もやもや」が残ります。

 最近は床屋さんの廃業も増えたようで、自分も通っていた昔からのお店が廃業してしまいました。流行りの10分カットのお店に行くことにしました。確かに便利で良いのですが、そこでも会話というほどの会話はありません。それでいいお客が行くということなのです。割り切ることが求められます。やはり「もやもや」が残ります。

 今年はこの「もやもや」を少しでも取り除くことを考えてみたいと思っています。そしてそれを闘う名刺!や小商いに活かしていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

「ブログ、明日で一周年です」

 この一週間は体調を崩してブログが書けませんでした。歳と共にあちこちにガタがきているようなので注意しなければならないと反省しました。明日2/11でブログを書き出して一年が経ちます。書き続けることが出来るかどうか不安でしたが262本の記事を書くことができました。「ほっこりナビ」名刺と小商いからみた浮世の話というのがタイトルなのですが、あまりほっこりした内容ではありませんでした。

 内訳は名刺の話が138記事、小商いが70記事、その他が54記事でした。思い返してみると概念的な記事が多かったかもしれません。今年は具体的に書いていこうと思っています。そもそもブログを始めたのは歳をとっても浮世とのかかわりを持っていようと考えたことと、名刺の新しい形を広めたいとい事、小商いを選択肢に加えてもらいたいからの二つの理由がありました。

 自分は小商いで名刺屋を26年やっています。バブルのあとの失われた20年と言われた平成の時代をいきてきました。もともと独立志向で前にいた会社も15年いましたがその修行の一環という気持ちでいました。独立や起業と言っても自分にとっては大袈裟な事でなくあたりまえの事でした。

 残念なことに子供のころから組織は少々にがてで違和感がありました。強がりではないのですが起業してもひとりカンパニーしか作ることは考えていませんでした。ですから今も自分と妻がふたりでやっています。要は家業を作りたかったのです。その仕事を子供がみて自分もいずれはやってみたいと思うような仕事をするのが夢でした。子供はまだ継いでくれるかわかりませんが、期待はもっています。そのときはもちろん今の名刺屋でなく違う業種でもいいのです。

 小商いの生き方をいいなと思ってもらえればいいのです。今年は名刺と小商いについてもっと具体的に記事にしていくようにします。ブログを書くことで自分の頭の中を整理している様なものですから間違いとか正解でなく、こんな考え方もあるという理解をしてください。今年も頑張って書きます。

 

 

 

 

「言葉を中心にした名刺」

 「ことば」を中心にした名刺を広めたいと考えてどのくらい立ってしまったのでしょうか?ただただ自分の行動力のなさを思い知ります。でもあきらめていません。「ことば」中心というのは「想い」中心ということで、キャッチフレーズとは少しニュアンスが違ってきます。

 相手に対してインパクトを与えたいというよりは「自分の出来ることを正確に伝える」と言ったほうが近いかもしれません。だからデザインは大切ですが想いの方を優先して創りたいのです。いくら洗練されたデザインでも文字が小さすぎたり、認定マークばかりが目立つものとは違います。

 よく似顔絵やイラストなどをいれるほうがいいというコンサルタントの方がいますが、それでやりたいこと出来ることが相手に本当に伝わるかが問題なのです。又ご自分で名刺交換をなさるとき配りたい気持ちになるかどうかが一番のポイントと考えています。

 名刺は名刺交換をしてこそ商品価値があるものです。もっているだけでは単なる紙切れにすぎません。知らない人と紙切れ一枚ですが何かを交換するという今時にアナログな世界が大きな効果をうみます。又、この習慣が根付いているのは、ビジネスのツール、しくみとして「ちょうどいい」のだと確信しています。

 今までは自分の会社で作ろうと考えていたのですが、やめました。なぜなら今の若い人とたちの能力は凄いのです。特にSNS、パソコンなどでどんどん表現していけるのです。しかも安く、高品質、クールです。ただ何を作るにも基本が必要なのは言うまでもありません。

 私どもは長年名刺づくりに携わってきたノウハウを売ります。デザインではありません。どうすれば相手に伝わる言葉を紡げるか、名刺の基本は何かを売ることにします。これを「闘う名刺!」と名付けました。日本人には言葉を大切にする国民性があります。ほかの国にないニュアンスを大切にしてきました。それを国際的ではないから、他の国のひとにわかりにくいから簡単にすると言うのは間違いです。本当に伝えたいことが伝わりません。

 

「最近の名刺事情?」

長年、名刺の小商いをしていますと色々なパターンに出くわすものです。例えば何十年の取引をしている会社もあれば、値段だけで変わって行くお客様もおられます。会社の事情もありますが個人の力量で人間関係が変わってしまいます。経費削減は消耗品からが多いからです。確かに無駄はよくありません。

 名刺を無駄と考えている会社でうまくいっている処はあまり知りません。だって初対面の取引の可能性のあるところに無駄だから名刺交換をするなという会社の上層部はどれほど力量があるのでしょうか?

 最近多いのは首からぶらさげるIDを名刺代わりにしているところです。しかも接客でです。自分はこういうものですと見せるわけです。覚えるわけがありません。こういう処とは取引をしないほうが良いですよ。たとえば役所の場合がこれが多いのです。ですから責任をとりませんを前提に接客しているわけです。思い当たることがありませんか。

 のびている会社は名刺をよく使います。結果使用量が多いのです。考えてみればわかります。もし営業に名刺を渡してからリピートが来ないときは退職したか、よほどうまくさぼっているか、天才的営業かです。

 二月と言う時期は色々な展示会などが多いのです。そのなかで見ているとやはり名刺をうまく使う処が商機を見出します。最近の名刺はカラフルなものが多いのですが文字が小さくて読めません。若者だけを相手にする御商売ならともかく、高齢者にも購入してもらいたいのならデザインはもとよりですが文字を大きくしたほうが効果かがあがります。

 なんで最近の名刺は文字が小さくなりロゴばかりがやたら大きいのでしょうか?個人でなく会社の信用だけでは物を売るのが難しくなっているのが見えないのでしょうか。これからは名刺で個人が主張していくことが大切なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「初午って知ってる?」

 早いものでもう2月です。23日は節分、豆まきですが府中大国魂神社には毎年稀勢の里が来ています。今年は初場所で引退したのでどうかなと思っていたら来てくれるようです。また人がたくさん集まることでしょう。(ちなみに夕方の部です)

 節分はよく知られている行事ですが、22日の初午(はつうま)はご存知でしょうか?二月になって最初の午(うま)の日に行われる稲荷(いなり)神社の祭りのことです。日本の行事は五穀豊穣を願うものが多いのですがこれもその一つだときいた覚えがあります。(子供の頃)

 あまり一般にメジャーではないのですが、我々が子供の頃は(50年前位)まだ豊かではなかったのですが、初午には近くのお稲荷様を祀っている方が(有力者が多い)甘酒だったり、おでん、お菓子と色々近所の子供たちにふるまってくれていましたので、あちこちに行ってお相伴にあずかった思い出があります。今もやってくれている処はあるのでしょうか?

 聞くところによると府中はお稲荷様を祀る家が多い土地なのだそうです。むかしからの国府だった街ですから大国魂神社を中心に武蔵野の大地にも恵まれたからなのでしょうか。また豊かな農家も多かったのでしょう。江戸時代は徳川家康の保護もあったようです。

 行事とはおかしなもので記憶に残ったりするものと、全く忘れているものがあります。初午は自分のおなかの事情から忘れずにいますが、本当はもっと詳しく調べると面白い話題にできるのかもしれません。このおなかの記憶が悲しいかな凡人の現状です。

 話は変わりますが行事やしきたり、常識みたいなことは以外と明治以後のものが多かったりします。神代の昔から存在しているように思うのは間違いのようです。今常識といわれる考え方もそうなのです。戦前ぐらいに始まったことを大袈裟に歴史があるようにもったいぶっていることが多いのです。その時々の人々が都合よく使っているだけですから常識にとらわれず自分の考え方で生きるほうが気が楽です。

 

 

 

 

 

 

「今時の対応?」

 先日ネットで毛布を購入しました。届いて使ってみるととても暖かくて気に入りました。ところが品質保証のタグのところを見ると英語、日本語の表示で書かれていたのでよく見ると日本語の表記がおかしいのです。例えばアイロンがアイロソとなっていたり、品質保証が品質保證となっていたのです。

 取扱のネットショップに連絡するとおわびのメールが届き返金するというのです。こちらはクレームというより安全性が気になったので連絡したのです。そのことについて聞くと中国の製造工場が翻訳機で間違い取り付けて出荷してしまったとのことですが代理店の管理が甘いということになります。

 今までは文句は来ていないらしいのですがネットではこういう事例が多いのだと思います。なんでも在庫はこの間違ったタグのままで出荷するそうです。大丈夫なのでしょうか?せめて書面でも入れて出せばいいのにね。

 色んな会社があるもので今と昔ではクレームの処理の対応が違います。昔ならたとえネットで注文を受けてもメールだけでおわびもありえないでしょうし、すぐに返金の話もしないでしょう。これが今のクレーム処理と言うことなのでしょうか。

 それと先日税務署へ書類を提出に行った際のことです。ボールペンで記入してくださいという際に職員の女性はボールペンを渡すのではなく30センチぐらいですが投げてきました。驚きました。もう50歳ぐらいの女性でしたが唖然としました。きっと勉強はできたのでしょうが何かを学ばなかったんでしょうね。

 今の時代はこれらの小さなストレスの多い時代ですこの時代を受入れざるをえないのが現実ですが見過ごしてはいけないのも確かなことの気がします。もちろん二件とも注意はしましたが何が注意されたのかわかっていないのかもしれません。人の感じ方というのはひととおりでないのは仕方がないのですが、商いをしているものとして、ちょっとそれはないでしょと感じたので書いておきます。

 

 

 

 

 

「これからの小商いのやり方」

今日は日曜日だが郵便局の本局は営業しているので名刺を発送してきました。最近の郵便局は色んなものを物販しています。キャラクターのハガキ・封筒はもちろんですが文房具や傘、雑貨、格安スマホなども販売しています。年賀状の販売だけでなく印刷・あて名書きもでやっています。

 自分がそれらの購入をしたことはないのですが便利と感じる人も多いのでしょう。儲かっているのかはわかりませんが、昔クリーニング屋さんがDPEの写真の現像を取り次ぎとして扱っていたのと同じ理由なのかもしれません。あれは来客頻度、新規顧客の呼び込みでやっていることが多いと聞いた記憶があります。

 その後に本屋さんにも立ち寄りましたがやはり本だけでなく本の関連商品が置いてあります。昔は手帳と文具ぐらいだったのですが今はかなりのアイテムの雑貨関連が並んでいます。ヴィレッジヴァンガードのやり方の影響でしょうか。本をメインに行くとうるさい感じなのですがどうなのでしょうか。

 昔からお店のレジの横には必ず電池、ライター、ガムなどのちょっとしたスペースでも売れそうな小物が並んでいました。今もそうです。コンビニなどのレジ横はかなりの売上なのだそうです。

 あくまで私見なのですがメインの業務のほかにバラエティにとんだものを扱う形態と、ウチはこれ一つで勝負するという形態になるのかもしれません。お客はそれの方が便利なのかもしれません。それは実店舗でもネットでもそうなのだと感じています。

 自分のような小商いは後者のこれだけで勝負を選ぶしかないと感じています。だから「闘う名刺!」なのです。名刺関係の商品を扱い、商品の効果的な使用方法などを知らせるのが重要なことなのです。すべてが消費者が自分に最適で好きな売り方をしているところを選べることが大切なことなのです。

 

 

 

 

「許されちゃうの?」

 書きたくないと思いながらやはり書いてしまいます。数日前だったか新聞を読んでいると横浜事件の国賠訴訟(事件内容は書きません)が弁護団のミスで上告却下と言う記事が出ていました。単純ミスで書類の出し忘れだそうだ。

 厚生労働省では統計についての不正が発覚した。財務省の書類の改ざんも昨年あれほど問題になり、文部省でも他の省庁でも日常的に受け継がれているようだ。それに加えて役人や警察官、自衛官、教師といった信頼されるべき人々のセクハラ、パワハラ、モラハラという記事が後を絶たない。 

 昨年、安倍首相の森友問題ではしらを切った官僚が税務署長になり、奥さんの秘書は大使館への栄転というから驚きである。どうなちゃったんだ日本人と感じているのは自分だけではないと思います。政治だ、教育だと言う前に人としての根本的なものが崩れているのでしょうか。

 近隣で起きる国際紛争もダメなことはダメなのであると思います。相手の立場を考えてとかでハッキリいわないのは弱腰とかでなく日本的な丸めこもうとする態度が通じる時代だとまだ思っているのでしょうか。差別とかでなく国民の深層心理は相当切れていると思うのは間違いではないと思います。

 経済界では偽装や不正経理を何年もに渡ってやってきた大企業がTVでCMを自粛することはありません。マスコミも広告収入がキビシイ中、スポンサーにはモノが言えないと大衆は感じ取っています。だからTV離れが進むのも当たり前なのです。

 こう書いていると次から次と愚痴を書いてしまいますのでこの辺にしておきますが、要はたいがいのことは許されてしまうのです。我々のような小商いでささやかに生きている者はちょっとしたことで心に重荷を感じますが、感じることはないのです。前に書いたような国家的な失態さえ忘れてしまう時代なのですから。許されてしまうのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「サラリーマン川柳」

 サラリーマン川柳の入選作100句の発表がでていました。応募は43691句というからサラリーマンも中々粋なものです。自分も好きなので毎回楽しみにしていますがまさに世相を映すものです。女性や妻の強さが目立つのは今も昔も同じことでから人間の本質なのでしょう。

 今回はそれに加えて働き方改革やAI、世代間の差などの句が多く見られたようです。「ゴール前 延びる定年 老い越せない」などなるほどと思う秀作がいくつもあり、考えさせられます。

 日本人は昔から川柳やしゃれなどで浮世を風刺するのが好きなようです。「ジョウキセン たった四杯で 夜も眠れず」とか明治維新前にペリーが黒船で来た時も落歌があり伝わっているのですから大したものです。ちなみに蒸気船(黒船)と上喜撰(宇治の高級茶)とがかかっています。

 庶民が作っているとしたらホントにことば遊びのレベルが高い国民だと思います。俳句、和歌、落語、ドドイツなど言葉を主にした文化を大衆が面白がるというのだから素敵なことだと思います。世界に誇れる遊びではないでしょうか。自分も遅ればせながら言葉遊びを趣味にしたいと考えています。

 サラリーマン川柳のなかで「趣味探し 定年前の 大仕事」というのがありましたが、まさに数十年頑張り続けてきたお父さんたちの本音ですね。価値観が仕事を一番に感じた世代も組織から離れて自分を取り戻さなければなりません。定年の年頃を迎えたとしてもこれからまだ20年以上しないと平均年齢に追いつきません。

 人生100年の時代と言いますが大変な時代になったものです。残念ながら悠優自適な老後というわけにはいきませんので、せめて「ことば遊び」を趣味に浮世をほっこりと過ごして行きたいものです。