昔からの「しくみ」に想う

 お盆、お彼岸、やぶいり等の日本の風習について思う処があります。若いころは面倒くさい習慣としか思わなかったのですが、還暦を過ぎて心境が変わりました。俺も歳をとったものだという気持ちの反面、歳をとらないと気づかないことも随分あるのだということも感じています。

 お盆で嫁いだ娘が旦那と一緒にきて墓参りに行きました。ああ嬉しいものなんだなと感じました。日本の風習もいいねと感じています。この風習は生活に根付いた「しくみ」なのです。今も昔も想いどおりにいかない浮世を、なんとか生き延びていくための「しくみ」なのです。

 やぶいりなどの習慣も1/167/16に年二回、商家の奉公人や嫁いだ娘が里に返ることを認められ、店側は服装や履物などを整えて土産を持たせて帰らせたようです。つらい仕事や環境でがんばっていくには年に二回の「しくみ」が丁度よかったのでしょう。それは良い時代とは思いませんが、人が浮世で生きていくには必要なしくみだったのだと思います。

 時代は昭和・平成・令和と移り色んな風習も変わっていき、無くなったりもします。風習をなくすのはしなくなればいいのだから簡単なことです。でもなぜ、この「しくみ」ができたのかと考えてみることです。なにかしら必要だったので残っているのです。昔だれかが知恵をしぼり、しくみとして受け継がれているのです。

 そのことを考えたうえで判断していきたいものです。終戦記念日もなぜ戦争を止められなかったのかを考えるための「しくみ」にしなければなりません。みんなが嫌な、悪いとわかる戦争、人殺しを止めずに組してしまったのはなぜなのでしょうか?どこかに間違った道に進む時のターニングポイントがあったはずです。教科書には載っていない時代の空気があり、それがなぜ止められなかったのかを考えていきたいと思っています。