今回は「場」について考えてみたいと思います。「場」とは名刺を使う場のことです。なぜ、こんなことを言うのかといえば最近きものの商標の問題について書きましたが、良く考えてみると「きもの」文化は欧米化という近代日本の流れの中で「場」を創ることが出来なかったものの一つと感じているのですが、名刺もそのような気がするからなのです。
きものは洋風化のなかで成人式、結婚式などやイベントなどで日本を演出する際に使うように見受けられます。いわゆる「特別な場」です。日常ではなくなってしまいました。原因は何でしょうか。開国維新から国をあげて洋風化してきたことが最大の原因ですが、それだけではありません。着る人間が、そのほうが活動するのに便利で動きやすくイメージがいいと感じたからです。しかも安い。
それまで着物を取り扱う店、呉服屋さんは街からどんどん消えてしまいました。なす術はありませんでした。時代とは恐ろしいものです。最近ではカメラ屋さんも街から消えてしまいました。実は私どもの関連するお店である印刷屋、印鑑屋、文房具屋さんも消えかけています。
なぜでしょうか?大衆に使う「場」を提供していけなかったからだと思います。すべての業界が昭和の高度成長やバブルに浮かれていたり、平成の技術革新を真剣に商人が考えていなかったのではないかと反省しています。景気にばかり気をとられ本来の自分の扱う商品・サービスの利用される「場」創りに手を抜いてしまったのではと考えています。
令和という新しい時代はネット、SNS、AIという恐ろしい社会が物凄い勢いで浸透しています。高齢化もまったなしです。そのなかで名刺という物が生き残るには「場」をいくつも創るしかありません。これは時代の中で創るしかありません。それには名刺というアイテムを再度考え直すことが要求されます。名刺を使う「場」を本気で作るしかありません。