認める、認められるということ

ニュースで春の園遊会を報道されていました。天皇陛下を始め他皇族の方々と招待された有名な方々とが楽しむ様子でした。今回は愛子様のデビューが話題でしたが我々年寄りは随分大きくなり、女の子は可愛くなるなあというのが感想なのですが、こういうのも〇〇ハラスメントとか言われるのかなと、ずっぽり昭和の親父としては気になる今どきです。正直な感想だから仕方ないけどね。

こういう権威のある所に招かれるのが人として認められということで名誉なことなのでしょう。自分とは縁がないことなのですが認めるというのはものすごいパワーがあるなあと改めて感じました。人にとって権威から認められること、承認されることは歴史上の人物たちも多く望みそれは当たり前のようにいきわたってきました。これをいい悪いで判断することはできないんでしょう。人間というのは承認されたいと望むものだから。

昔は権威のある権力者がそれを認めるということで世の中の一つの形みたいなものを維持してきましたが、今はSNSで注目されるというのはまさにそれがかたちを変えたパターンなのでしょうね。でも注意は必要ですね。それが何かわけのわからないもの、ことに利用され本位でない社会へ誘導されたらつまらないことになりますから、難しくても考え続けたいですね。認めるということについて。

 

再度「ヒュッゲ」を

何年か前になりますが「ヒユッゲ」というデンマーク語が取り上げられていることをブログで書いたことがありました。これは「居心地のいい時間や空間という意味」でしたが、その後に世界はコロナという最悪のヒュッゲになりました。適当な言い回しでないかもしれませんが酷いものでした。亡くならなくても良いはずの方も随分いたはずですし、お別れもできない三年間が日常になり、マスクも当たり前となりました。日本の場合は花粉症という政府も何もしない季節の厄介者もあり、自分は未だマスクをしています。

このあたりで再度「ヒュッゲ」について考えていこうかなと思っています。あれから数年の年月があり確実に歳を重ねました。自分を取り巻く環境も変わってきています。自分にとっての居心地の良さを色んな角度で考えておこうと思いますこの投稿もその一つとして考えていこうと思っています。自分にとっての頭と心のリハビリなのです。

4年の空白から又始めます

2020年4/29の書き込みから4年間の時を必要としてしまいました。コロナのショックはとても大きいものでした。もう投稿のやり方からわからなくなり、やっとのことで書き始めた感じです。ともかく今日から色々とやり始めてみますので今日は短文でお知らせという感じです。