「弱者の戦略について(前提)」

「弱者の戦略」とは何だろうか?そもそも何を弱者と呼ぶのか?と言い出したらキリがありませんので、ここでは仕事・生計をするうえでということだと理解してください。今日に日経新聞を読んでいるとこんな記事が出ていました。

 今どきはヒラ社員でいることが勝ち組で出世は負け組と考える人が増えているというのです。要は働くことは収入や世間体ではないと考える人が確実に増えているのだと感じました。責任をもつ立場を望むのではなく自分の時間を望む人が増えているのでしょう。

 会社は色々とうまいことを言って就職させますが、昔のように終身雇用ではありません。まして社会は老後の年金だけで済まない時代が来てしまいました。どいう事かというと、今まで大人や先生、会社、政治家、評論家、有識者、社会などの責任ある立場の人たちが常識として言ってきた社会生活を豊かに安心して暮らすための仕組みが変わってしまったのです。

 社会の概念を見直す時代が来てしまったのです。目に見えるところではスマホが当たり前に社会生活に浸透しました。人口構造が前から言われている老人社会が現実になり人生100年だといい定年を延長し生活設計を考え直すのが当たり前としています。グローバル化した世界は企業を変えてしまいました。

 普通に就職して定年を迎えるはずの計画が崩れてしまいました。特別のことをした人が弱者になるのではなく、当たり前の働きを、まじめに続けてきている人が弱者になるのです。おかしな話だと思いませんか、誰も責任を取ってはくれません。どうすればよいのでしょうか。

 「弱者の戦略」を考えねばならない時代が今の現実なのです。我々の世代は会社に仕事に生きがいみたいな幻想をもって生きてきたのですが、無駄ではありませんが今の人に押し付けるほどに、その価値はありません。会社や組織がどこだから大きな仕事をできるという価値は選択肢の一つであり、むしろ個人が何をできるから発想すべき時代なのだと感じています。