名刺は不思議なツール

名刺って不思議な習慣だなと感じることがあります。55×91ミリの小さな一枚の紙を知らないもの同士が交換しあうという共通のルールみたいなものですから。ビジネスでは初対面の人と何かしらの縁が生まれる時は挨拶と会話そして名刺交換という常識でやってきました。

それはなぜ?でしょうか。自分が思うに「ちょうどよい」ツールなのです。会話や挨拶をしただけでは少し時がたてば忘れてしまいます。それから一生会わないことだってあります。そこに名刺というツールが入りますと少々違います。その名刺をご自分の名刺入れから整理する時に再度見るからです。

もちろん、不要と思えば捨てられるかもしれませんが一定の時間は相手の所にとどまっています。そのうちに再度アポイントをとるのが効果的な二回目の面会には必要だと考えます。名刺交換をしたら断られるにしてもこのタイミングを考えて行動することが成果をあげるポイントなのです。

断れることを恐れる気持ちは自分も良く解ります。でも、勇気を振り絞って連絡してみます。内向的な自分みたいな人は多いのではないでしょうか。今はメールもありますから名刺に記載されていれば、名刺交換のお礼を入れてその後に電話してみることをお奨めしています。

もし断られることがあれば今は自分と縁がなかった残念な人だと思えばいいのです。そのぐらいに考えて気楽に名刺交換からメール、アポまでのながれを考えておくことです。我々小商いの商人には必要なことなのです。あまり深刻な想いでアポをとるのは絶対やめましょう。心が楽しくなりませんからね。

これからの世の中はSNSだけが生き残るようなことを言っている風潮もありますが、決してそれだけの世の中にはなりません。人は人がいなければ生きていけない生き物だから繋がりをSNSだけにすることはどこかにフラストレーションをため込む事になるはずです。

だからといって名刺は今の形式のままでは取り残されます。そこでお薦めなのが「闘う名刺!」なのです。これは自分の想い、出来ることを名刺で表明していくことです。この名刺を常識になるまで話していくのが小商いの名刺屋の自分の役目と信じています。

人と会うことを考えてみよう

パソコン、SNSなどが急速に普及した現在は昔より人と会う機会が減ってしまったのは確かです。昔といったって10~20年くらいのことです。自分も世間にならったやり方で仕事をしているのには驚きです。

営業でいうと間違いなく飛び込み営業や根性主義は少なくなりましたね。効率もよくありませんし、人がついてきませんからね。僕等の時代とは様変わりしました。長時間労働も休日出勤や夜討朝駆け的営業も接待も問題にならなかった時代です。時々過労死などの記事で労働時間がでていると自分たちもそういう状況だったと思いだされます。

人と会って打ち合わせて仕事をするパターンがメールやラインのやり取りで行われてしまいます。それが当たり前になっています。時々なんでこれがメールで済むのかと不思議に思うことがあります。でもそれを良しとしている上司や会社との取引をしているのですから、こちらでおもんばかるしかありません。

こんな時代、人と人が会って挨拶するチャンスがあれば、それこそ貴重な時間ということになります。そのとき名刺交換をしますね。この習慣はいまだ残ってくれています。きっと人にとっては丁度いい習慣なのだと思います。機械でなく人同士が紙一枚でも交換し合うというアナグロな行為がいいのではないかと思います。自分が取引しているのは人なんだと感じられるからです。

友人が会社で隣の同僚からメールがくると言っていました。話せばいいのになぜでしょうか。そういえば最近お客様のオフィスに伺うと静かな感じはします。昔のはオフィス騒がしいところが多いようでした。よくワイガヤとかいって議論していた会社もありましたからね。会社への帰属意識も高かったと思います。経営者もリストラは最低の経営と考えて取組んでいましたから。

昔のことを書き過ぎました。言いたかったのは人と会う機会が減った今、より名刺交換を効果的に考えましょうということです。

甲子園出場と浮世の変化

今日は夏の甲子園大会の抽選会なのだそうです。今年母校は西東京大会を制し出場をきめてくれました。28年ぶりとのことです。28年前ロッテの井口監督が2年の時と聞きました。今年の後輩たちには悲願の一回戦突破ができるように祈っております。

さて決勝戦はNHKで放送があり楽しみにしていたのですが録画だったようで放送時間の午後までに友達や家族から連絡が入り、嬉しい半面、映画の最後のシーンを聞いたような感じもありました。

一つ文句があります。NHKのアナウンサーへたすぎです。新人が地方大会を練習に使っているかは知りませんが、学校の名前を間違いたり、データーはありきたりのものだし、あまり野球は知らない様子だし、28年ぶりというならその時のことぐらい前もって調べるのが大人の仕事だと思いました。上司は言わないのでしょうか。

世の中は少し変わってきているようです。お隣の韓国とのこともホワイト国除外を支持する人が多数と出ていました。世の中がやっと勘忍袋の緒をきったということです。普通なら抑える側の人達も賛成にまわりました。自分の場合は高齢になってきているので次の世代に当たり前のように隣国の我儘を許すことが風潮になるのを避けたいと考えています。ただし絶対に戦争は反対です。

気分が悪くなるような隣人なら付き合わない方がましと考えます。彼らは彼らの中の理屈で人生を過ごすでしょう。それは他人、他国では変えることができません。自分たちが思う常識で歴史という時を過ごせばいいのです。でも日本は違います。子供や孫には歴史の醜さも素晴らしさも話して行かねばならないのです。うそでなく真実の出来事を知ってもらうのが我々ちょっと先に生きた人間の役目なのですから。もうすぐ、原爆のおとされた日がきます。終戦記念日もきます。もう一度、自問自答をしてみたいと思います。