商いが変化の予感

商いはどういう方向に流れていくのでしょうか?時代は令和になり、ひとまず令和のことを言わなくなり始めています。こうして軌道にのっていくんですね。次は来年に迫ってきた東京オリンピックです。その後はリゾート法案が通過していますからそのあたりの出来ごとと話題は移って行きます。

小商いを継続していくには浮世の動向を敏感に掴み、自分の考えをまとめていくことが大切と感じています。小商いだから、うちには関係ないというのは大きな間違いなのです。小商いだからこそ必死で考えてついていかないと明日はありません。それが小商いの現実であり、それを面白いと思わないと継続していくのは苦行になります。

最近の傾向として大企業は冒険をしなくなりました。やはり高度成長やバブルを経て創業者が減り始め、サラリーマン経営者が多くなったのでしょう。会社は株主のもので社会性のあることなどが彼らの目標になっています。すばらしいことなのでしょうが、社員の会社ではなくなりました。社員の一生を支える存在だった昔から変化しています。

政府が政策として働き方改革を推進するのは、そうするしかない現実があるからです。一生の面倒をみることが出来なくなった会社と急速な高齢化に手を打たず議論ばかりしてきたからだと思うのですが、働き方改革は賛成ですが役人が思っている考え方は労働時間や休日のことが多くて笑止でしかありません。

時代は凄まじい勢いで動いてしまっています。小商いが増える環境を応援していくしかありません。色々なチャレンジが出てきました。大型店はショールーム化して販売はスマホで買うことが当たり前になり、店舗のあり方が問われます。適正な規模も立地も内装・什器、そこに必要な社員も変わります。

少規模なお店も変わり始めています。佰食屋さんのように100食限定の店で夫婦が経営して成功する方法を考えている店とかです。コンビニも変わらざるを得ないでしょう。だれが誰に対してなにを成功としたシステムを提供できるかが今後の風潮になれば良いと思います。

 

 

 

 

 

今と昔、言い方が違うがだけ

久々に本屋をのぞいてみました。小商いをナリワイとする身として気になるのは副業、起業といったビジネス書が増えていることです。小商いを続けてきたものにとりチェックしなければと思い立ち読みをするのですが、昨今の働き方改革や年金不安のせいかわかりませんが安易な薦めのものも多いのも事実のようです。

 長い間小商いをしていますが、昔バブル前にもこんなブームがあった気がします。あの頃はフランチャイズ、ネットワークビジネス、自己啓発といったものが本屋にはビジネス書・雑誌のコーナーに並んでいました。何年かはそんな時代が続いた記憶があります。

 みんな廃刊になったりしたのでしょうね。あの時代は起業でなく独立とか脱サラという呼び方でした。今の起業、Wワーク、副業などの事ですよね。言い方が違いますが同じ様な社会現象なのでしょうか?バブルそしてバブル崩壊から安定した会社に入ることが人生の勝ち組といわれ目標みたいな時代が続きましたが、変わってきたのでしょうか?

 時代は言葉を変えて、同じような現象を生み出して行きます。前の時代のブームがなぜ終わってしまったのか、どうしてダメだったのかを考えてみることは大切なことです。そして必ず悪徳商法といわれるものが出てきます。これも同じように前のやり方の言葉を変えて繰り返す輩がいます。これも良く頭に入れておくべきです。

 小商いは長い時間、誰かの役に立つから続くものです。一気に儲かるのは稀だと思います。その長く役に立つ小商いを見つけることがこれからの新しい時代には必要だと考えています。かっこのよいことばかりではないのです。長く続けることを目標にすべきだと思います。続ける、継続こそが大切なのです。そしてきちっとした儲けがでることです。売り上げの規模ではありません。粗利を中心に考えるようにして長く続けましょう。

 

 

 

 

 

どうなっているの?

参議院選挙の翌朝、テレビをつけると参議院選挙の結果の報道かと思っていたのだが、吉本興業のウラ営業の会見の話ばかりでした。もちろん人気タレントの所属する日本最大級のエンターテイメント会社のスキャンダルなので面白いのはわかるのだけれどマスコミとはいい加減なものだと改めて思いました。

 参議院選挙の結果は予想どおり与党の勝利で国民の安定志向が、いかに強いかが印象的でした。日本の場合は急激な変化は望まないのでしょう。でも考えてみると今のままでは自分たちの暮らしは不安だらけの気がしています。若い人達はもっと不安になると思います。若い時は未来があるので切実感は我々のように定年前後の世代より楽観しているのかもしれません。

 世の中は思ったようにはなってくれませんから少しずつでも概念を変えていくしかありません。大きなことではなく小さなことでも概念が変わって行くことが大切だと考えています。自分の場合は名刺です。詳しくはブログで名刺について書いていますので興味があればご覧くだされば嬉しく思います。

 今回のウラ営業の話はタレントがからみますので皆が興味をもたれますが、企業の不祥事、隠ぺい、偽装はどれほどあるのでしょうか。しかも一流企業ばかりです。自動車の検査偽装や住宅の性能隠ぺい、資料の書き換えなどきりがありません。そんなことをする為に優秀な大学をでて就職して何十年も過ごしてきたのでしょうか。

 それを報道する側も有力なスポンサーの不祥事は報道してもCMをキャンセルすることはありません。いままでどおり高感度の高いタレントを使いイメージアップ広告を流しています。見ていてうんざりします。

 最近の若者がスマホでユーチューブなどをみてTV以外で情報をとっているのが良く解る気がします。これも情報というなかの一部の概念が変わって行くことなのです。つまり莫大な広告費を使う企業は偽装や不祥事、反社会的勢力とのつながりをマスコミを利用して国民をだましているのでしょうか?

 

 

 

 

日本的な起業とは?

 先日、評論家の竹村健一氏が逝去されたという報道がありました。自分が学生の頃に活躍されていたので時間のながれを感じてしまいます。彼の書いた本で「自分の会社を持ちなさい」というタイトルの本を読んだ記憶があります。独立志向だった自分にとり少なからず勇気づけられました。

 あの40年も前に自分の会社をもてと言っていました。それは今の起業ということです。終身雇用が当たり前の昭和のバブル前のことです。時代はそこからリクルートとかとらばーゆといった転職を奨励した時代をへてバブル、バブル崩壊、消費税、コンピュータの普及、携帯、スマホの時代へと進みました。

 今は政府が働き方改革の旗を振り始めました。それは竹村氏が書いた本から40年という時代がかかっています。時代は昭和、平成をへて令和の時代になりました。かくも起業という言葉が定着するには時間が必要だったということです。それでもその方向に動いていくしかないと社会が考えはじめたのでしょう。

 それは積極的な挑戦ではなく、政策や経営の失敗、世界の勢力地図の変化といった諸事情からやらざるおえない選択なだろうと考えています。竹村氏の書いた本の時代はバブル前の昭和ですから積極的に自分を試そうという薦めでした。その時代に起業するとは言いませんでした。「独立」という言葉や「脱サラ」とい言葉でした。

 今は「起業」と言いますが、自分は社会がすぐに起業を一般的に受け入れてくれるとは思いません。なぜならここは日本ですから。でも変わって行かねばならないことを社会は理解しているのです。そこで必要なのは日本的な起業なのです。日本人は昔から文化やシステムの加工の名人ですから。

 日本的起業とは何でしょうか?自分はそれを「Wワーク」「副業」が当たり前の社会となることではないかと思います。このことが当たり前のことになることが日本的な起業になると良いなと考えています。ビッグビジネスではなく「小商い」としての普及です。

 

 

 

 

わかりやすいが一番

 誰が名刺を作るのだろうか? 誰もが、社会人になるとだいたい持っている。就職すると会社から支給されるというのが一般的だ。日本では、就職関連のセミナーで名刺交換の作法を教えたりするのを良くみかける。ネットで名刺を検索すれば選り取り見どりである。自分も名刺に携わっているが、どこで作っても良いと思う。

 ネットで名刺をさがす人は個人が多いのだろうか? 会社が多いのだろうか?価格なのか、デザインなのか、注文のしやすさなのか、スピードなのか、ホームページの見やすさなのか、別のこだわりなのか、色々考えても良くわからない。個々の思惑であり、自分のセンスが光る名刺を作りたいし、色んな配る状況もあるのが名刺であるから。

 名刺屋としてのアドバイスは「誰に配る事が多いのかを考えて作った方がいいですよ」 ということです。例えば、最近多いのはデザインにこだわり過ぎて文字が小さい名刺。我々高齢者は余程のことが無い限り二度と見ないでしょう。名刺は交換し合うと精読率の高いビジネスの武器なのに勿体ないことです。若い人との取引が多いならいいのですが、中高年の人も対象なら考えるべきです。まして中高年が決定権のある場合が多いのは事実ですから。

 この間、昔務めていた会社の人と久々に名刺交換をしました。20年ぶり位でしょうか。オフィスの内装・家具・事務用品などを扱う会社ですが自分が在籍していた頃はオフィス事業部でした。今はオフィスソリューション、○○ディレクターと名刺に書いてあったので、何をやっているのか聞きましたが昔とやることは、あまり変わっていないようでした。経営者が若くなり、事業部のトップもその関連の人に変わったとのことでした。取引先のお客様は変化の問題解決が出来たのでしょうか。

 部署名、役職はわかりやすいものの方が信用されると思います。名刺は何より名刺交換してこそ意味のある商品です。その時、なるだけ色々説明するより簡単に、何ができる人か、会社かを理解してもらう方が効果は出ると思います。名刺はあなたの相棒です。

 

 

 

 

今時のとまどい

 甲子園の西東京大会で母校が勝利しました。自分は柔道部でしたがやはり気になるものです。今年はシード校ですのでちょっと期待してみています。がんばれ後輩たち。我々の世代とは45年以上離れて頭の程度はずいぶんと差がついたが爺さん達は応援しております。

 後輩と言えば変わった男がいて、いまどき携帯を持たない主義だそうです。深い意味ではなく、せからしいのが嫌なのだそうです。それで過ごしているのだから良いのですが飲み会の連絡がとれないのは弱ったものです。多少は世の中に合わせるのも必要だと思うのですが。

 時代と言えば、仕事先の病院の現場に掃除するロボット(ルンバの業務用みたいなもの)が導入されました。清掃をしているかたに聞くとあまり好意的にはとっていないようでした。AIに対しての嫌悪もあるようですが、実際に手間は増えたのだそうです。

 子供や老人もいるので、ほっとき放しにしていることもできず気にかけねばなりませんし、二階などに移動する際は台車にのせて人が運んでいるそうです。ただ対外的なアピール効果はあり、子供たちが写真を撮ったりするのだそうです。

 経営者はAIを導入し効率を良くするコスト的にも計算されているのでしょうが現場はそうはいきません。AIに職場を奪われたり、仕事ぶりを比較されたりするわけですからたまったものではありません。これが新時代なのでしょうか?ならば前出のがんこな後輩のことも少しはわかるような気もします。

 政治家、経営者、役所などがAI導入を当たり前の世の中として動き出したのは危なくないのでしょうか?本当に人の幸せを考えた方向なのでしょうか?便利なら、効率的なら良いというだけの浮世は面白いものではありません。よくよく考えてみたいと思います。

 

 

 

 

Wワーク・副業・小商い

これからWワーク・副業・起業などが盛んになるのでしょうか?政策として企業に対してもそれを奨励し始めているようです。継続した政策なのでしょうか?大きく二つ思ったことがありますので書いておきます。

一つ目は自分が賛成ということなのですが、これはあくまで短期のことではありません。長期にわたり社会が個人の個性を大切にして、それを応援してくれるシステムになることを望みます。今のようにどこかの大きな組織の下にいることが目的となる浮世では息苦しい日本が又復活するのではないかと思います。

二つ目は社会制度がもたないから政策として奨励し始めたなという思いです。人生100年と言いながら年金はあてにならず、色々な役所がデータ改ざんをしても誰も責任をとれないでいます。そして有効な代案はでてきません。世界情勢で他国の企業と渡り合うためには優秀といわれる人材を採用しなければならないので普通の人はWワーク・副業・起業もしてもかまいませんよということだと考えます。

大きな企業にいても今までのように人生は保証されなくなりました。この不安定を隠すための政策だと思います。でも我々は生きていかねばなりません。この政策を十分に利用することを考えたいものです。自分の経験から言えることは給料として少額でももらい、そこでは年金、税金、保険、雇用保険、健康診断などの事務手続きをやってもらうと割り切り、責任の仕事をこなせばいいのです。

役職や過分な報酬は期待をせず一つの安定した収入源とすればいいのです。その他にWワーク・副業を小商いとしてやるというのが一番いいのです。できるだけ2社、3社と務めるWワークでなく、小商いを始めることをおススメ致します。小商いは若いうちに会社で働くのを修業と考えて30代ぐらいから小商いを始めればいいのです。今の時代はネットがあります。若い世代なら十分勝ち目はあります。ぜひ小商いの盛んな国にしたいものです。

 

 

 

 

 

自然体?

自然体という言葉は、高校の柔道部で初めて教えてもらいました。肩の力を抜いて、すうーっと立つ基本姿勢のことです。その時は何とも思っていなかったのですが中々むずかしいと知りました。相手と組み合えば身がまえますし、柔道は自然体の相手を崩さねば技をかけられません。でも、最終的には自然体に戻り、礼をして終わります。何事にも区切りがあり、その初めと終わりは自然体ということなのでしょうか。講道館は自他共栄、精力善用が根本理念ですから、加納治五郎先生は大したものです。

自分が小商いをする際に屋号を自然堂にしました。これは自然体という概念が好きだったからなのですが、よく自然食品の会社や整体の治療院と間違われてしまいます。その方が儲かったかもしれませんね。でも名刺屋です。自分があるがままの状態でいれるしくみ、場所という意味でつけました。あらためて難しいと感じる今日この頃です。

何年か前に読んだ本、篠田桃紅著「103歳になってわかったこと」のなかで自然体について書かれていたことがあります。「誰か式、誰か風ではなく、その人にしかできない生き方を自然体という」とありました。著者は題名どおり103歳で現役の芸術家であるが、まさに自然体を語るにふさわしいと感銘しました。まだまだと思い知らされるばかりでした。

自分が思い描いた「あるがままでいられる場」をつくるのは大変です。世の中、色んなことが起こり、思いもよらぬ事の連続で、あたふたするばかりの毎日ですが、「不安常住」「無所住心」「事実唯真」(森田正馬先生・森田療法)と心に受け入れることで、とにかく小商い、スモールビジネスの名刺屋をつづけています。

103歳で現役と言う人からみれば、孫のようなものですから、まだまだ弱音をはきながら凡人のチャレンジを続けて行こうと思います。肩の力を抜いて、すうーっとは立てていないかもしれませんが自分式の自然体で。

 

 

 

 

 

見方を考えてみよう

物の見方は人、国で随分と違います。当たり前のことですが忘れがちな事だと思います。今読んでいる本(日本語教のすすめ・鈴木孝夫著)の中に出ていたのですが虹の色といえば七色が日本では当たり前なのですが、西欧の多くは五色と認識している人が多いのだそうです。

 所変われば品変わると言いますが、実際に見えるものさえ差があります。不思議ですよね。りんごといえば赤を想像しますが、フランスでは緑なんだそうです。自分たちの意識と全く違うことが多々あります。だから自分の出来ることや想いなどはもっと相手は勘違いしても仕方がないのです。

 何度も確認しながら相手に伝えることが大切なのです。それは名刺というビジネスツールの役割だとも考えています。相手が自分のことをきちっと理解してくれる努力はすべきです。時代がどう変わろうが必要なことなのです。これからは日本人だけで暮らす社会ではありませんから尚更、相手に何が出来るのか、したいのかを伝えることは意味を増してくるのです。

 そんな社会の今こそ名刺というアナログなツールを工夫して利用していかねばなりません。何と言っても名刺交換の良い所は余程の変わり者でなければ受取ってくれます。そして精読率高いツールなのです。今までのような住所録ではダメです。また管理を目的とした名刺も効果は定かではありません。

 個人が輝く時代が令和の御代にしなければなりません。だれも100年生きても助けてくれそうにありません。自分がなにかを表明して相手に伝えることから始めましょう。そういう個人が既に増えています。見えない流れの中で社会は変化していきます。気づいた時はもう変わってしまっているものです。

 

 

 

 

 

 

 

名刺作成の考え方②

 名刺はどういう風に変わっていけばいいのでしょうか?それとも無くなっていくのでしょうか?名刺屋としていつも考えていることをまとめてみようと思います。名刺屋ですからなくなったら困るのですが現状をみていると十分にありうることだと思います。

 名刺の役割の大きな部分である初対面の挨拶のときの名刺交換ということが減っている気がします。昔なら名刺を交換しておかないと連絡先も事業状況を確認するのも始まらず、ビジネスにならなかったのですが今は違います。ネットやSNSでググれば済んでしまいます。

 便利になるのと同時に手放したものも大きい気がします。SNSで何万人とやり取りする場も大切ですが、数人でも安心できる仲間と取引をしあうことも人生の楽しい時間のように思います。時代はどんどん変わりますが、それとは別に変わらぬものがあるのも豊かな気がします。まさに「不易流行」ということですね。

 名刺屋として思うことはこれからの名刺は会社から受取るのではなく自分が主体性をもって作るようになるほうが良いと思います。会社は個人と雇用契約を持つ際に基本的に会社で業務を行う際の名刺のしばりをはっきり規定しておき個人が作った際に補助すればいいのです。交通費や定期代とおなじ収支にすればいいのです。

 個人が自分で名刺交換をしたくなるよう名刺を作る方が良い名刺になると思います。会社は内容を承認すればそれを使い業務をすることを認めるようにすればいいのです。もちろん会社が取得した認証や会社のロゴなども承認したら使用を認めるようにした方が管理しやすいのではないでしょうか。

 名刺を作るのも個人で製作した方が真剣に内容にこだわるはずです。社会全体がそういうのが当たり前の風習となれば今のように便利だが味気ない社会でなく、人と人が会うことが楽しみになるのではないでしょうか。今日会う人はどんな工夫をした、センスの人だろうかと思うようになります。その自分の実際に出会った人とのつながりが始まって行けばなんと素敵なことでしょうか。