発信の仕方?

「きもの」という言葉がアメリカで補正下着の名前として商標登録されたというニュースが報道されていました。こころ穏やかでないのは着物に携わる人達、会社でしょう。中国だけでなくアメリカでもこんなことが起きるんですね。詳しい内容は読んでいないので成り行きを見守りたいと思います。

 このニュースで思ったことは日本の伝統文化や日本のイメージを海外ではどういう風にとらえているのか?ということです。昔は日本といえば「フジヤマ、ハラキリ、ゲイシャ」というイメージだと良く言われていました。日本政府も随分と宣伝はしているのでしょうが思いどおりの成果は見られない気がします。もしそんなことないというならば商標や知財などのことで国が必死になっているはずですから。

 事が起きてから問題にするのは後手後手の証ですから。なぜでしょうか?自分が考えるに日本人の自信のなさなのかもしれません。自分をもっと積極的に相手に知ってもらう努力をしないといけないのに、日本的奥ゆかしさを美徳と考えているのではないでしょうか。

 日本には思ったより凄いポテンシャルがあるのです。言葉にしたって英語や中国語をならわせようと国は考えているように見受けられますが、母国語の日本語をきちっと大切にすることをしたうえで政策をすすめるべきなのです。一億以上の人々が共通語として話す言語は世界でも有数です。ちなみに世界での言語は6000種類以上と聞いたことがあります。まずそこからの気がします。

 今回は着物でしたが他にも色々なものがあるはずです。それをどう守るかでなくどう発信していくかが日本人としての一番の問題なではないかと思います。その発信する一つとして「闘う名刺!」も使っていただきたいと考えています。

                                

 

歳をとったからこそ歴史から学ぼう

昨年になりますがBSの番組をつけたら、池上彰氏と磯田道史氏の対談をやっていたので途中からですが見ました。歴史の専門の磯田氏が言うには、これからは「発想の経済」が大切だとのことで「え、こんなことが商売に~」というイメージでしょうか。

 「反実仮想」(もし~ならば)を考えることが大切とも言っていました。歴史から色んなことを学べるのは解っていると思っていたのですが、解っている気になっていただけなのだと思いました。政治、経済、社会、災害と全て今が進歩した一番の状態なのだと思いがちです。今年は確か明治維新から150年ということもありますが考え直してみる良い機会なのではと思います。

 日本の近代の発展は江戸時代の識字率の高さの影響が大きい。それは寺子屋が大衆に普及していて、師匠には女性も多くいたそうです。もちろん今で言うエリートは別の場所、サムライなり僧侶などでしょうが、現実の社会の発展の構成員であり、現場は大衆の文化の高さが大きい。江戸の町の風景のなかにかわら版や表札場、浮世絵、貸本などの商いがあるのがその証でしょう。

 教育は大切ですね。番組ではこれから必要な教育のことで、「発想力」「問題解決能力」「共感」と話されていましたが同感です。これからの時代はものすごい技術革新や変化がある時代と想像します。現にこの30年でさえ、ついていくのにやっとです。今、AIの進展などを考えると、人の感性が中心となる発想力、問題解決能力、共感は人間がAIに支配されずに生きて行く希望の光なんかも知れません。

 また、こんなことも言っていました。起きてもいないことを考える能力の必要性。これは戦国武将の小早川隆景を例にしていました。勝つことと、負けることを考えて臨むことの重要性です(くわしくは調べてみて下さい)。起きてもいないことを考えるというと、自分などは取り越し苦労ばかりする性格なので、困ったもんだと思うのですが、時代や場面によっては重要な人間の能力なんですね。 

 ひとつの方向やひとつだけの答えと思うことが危険な事なのでしょう。太平洋戦争などまさにその例です。小商いをなりわいとする我々は色んなアンテナをたて、模索しながら生きて行きますから、人物、政治、経済、社会、しくみ、災害などの多くの事もっと歴史から学んで利用しなければモッタイナイ。損です。

                                

 

 

時代の変化が

昨日、日経新聞の朝刊の一面記事にびっくりしました。データの世紀というのがトップ記事でした。内容はデータエコノミーが世界に実験を迫るという記事で、ネット上では不思議な事が毎日起こっているということとルール作りが必要だということが書いてある。その例として自分が個人情報の出どころを追跡していたが解らないというようなことが出ていた。

 そのなかでその記事を書いたのが29歳ということに驚かされました。経済新聞の一面記事が20代の人が書いているのです。そのぐらい若い人でないとネット関連のことは解らないのかもしれません。ともかく時代は確実に変化しています。変化の内容にはもちろん驚かされるのですが、世の中のあたりまえが変化していることを改めて考えさせられます。

 人と人のつきあいかた、会社に対する考え方、異性に対する考え方等々、あげればきりがありません。そんな中で我々昭和世代も生きていかねばなりません。我々が今まで社会の常識は変わってしまったと認識しなければ頭の中は混乱しっぱなしです。どう整理をつけるかを自分でひとつずつ決めていくしかないのです。

 自分は昭和だから仕方がないというのは通用しません。令和には令和のルールを身につけなければなりません。高齢でなかなか今までの身に着いたことを見直すのは大変な事ですが、面白がってやる方が楽しいと思うようにしましょう。若い人に解らなければ礼をつくして教えてもらいましょう。それは昭和のやり方で良いでしょうから。

 生活、仕事、人間関係、社会に関する考え方等々やることはたくさんありますので暇でないことを楽しみましょう。なにせ100年安心年金などと政府が詐欺まがいのことを平気で言い、データを改ざんする役人や役所が続出する時代です。考え方を変えざるを得ません。 

 

 

名刺屋として考えること①

小商いとして始めた名刺屋ですが何とか27年生き延びています。昔は販促品や文具、印刷物などの割合が多かったのですが今は7割が名刺関係の仕事なので、まさに名刺屋です。妻と自分とふたりでやっているからこそ続けられたのです。最初の創業から目標は家業をつくることでしたので良いのですが、もう少々儲かるはずでした。

 名刺屋として考えることが多くなりました。昔と様変わりしてしまったことが増えてきました。自分の歳のせいもありますが平成から令和の流れの中で名刺というビジネスツールも変わっているのです。おかげさまで名刺というビジネスツールはいまだに存続していますが、これからはどうなるかわかりません。

 名刺は人間関係が存続しているからこそ価値があるという性質があります。人と人が初対面で自分の持ち物を交換しあう訳です。すごいことだと思います。しかし、今はネットで消費者が品物を買うだけでなく、企業間での取引がやり取りされてしまいます。そこには人の顔がみられません。

 そこでは名刺などで人と仕事をする為の関係をつくるより価格が中心になっています。価格だけならネットで充分です。説明やフォローアップというのもネットでここまでですと記載されていればいいのですから。当然企業も人を雇うより安上がりということで安易な方向にながれていきます。それが現実です。

 それでいいのでしょうか?そんなことをずっと考えています。商いをしていて楽しくありません。もちろん古い考え方というのは承知しています。会社というのはかかわる人達を幸せにしなければつまらないと思っています。それこそが会社の価値です。今までと同じやり方では存続できないのは小商いをして生きている者として十分過ぎるぐらい解っています。

 そこで提唱しているのが小商いのすすめです。個人が主体になってやることが令和の時代の主流にしたいのです。まさに価値の多極化です。企業に入ることばかりが価値ではなく、小商いやWワーク、起業といった価値を大切に思う人が増えることが大切なのです。それを応援する名刺が「闘う名刺!」なのです。

 

 

 

習慣を変えてみよう

最近、歩き方を意識して変えています。先日テレビで巻き爪は足の親指を使わないと巻いていくと言っていたので試している。意識して歩くと、確かに親指をついていないのがよくわかる。だから靴の減り方がかかとと外側が減ってしまうのだ。親指を意識して歩くと膝にも良さそうなので続けてみようと思う。半年位で矯正できると良いのだけれど。

普段あたりまえに行っている習慣もちょっと変えるだけで、違った世界がみえる気がする。前々から妻に5本指のソックスを薦められていたのだけれど試さなかった。今度試してみよう。親指を意識して歩くことで爪や膝、靴下、靴、それらを扱っている店まで意識することになる。ここに商いのヒントがあるのではと思う。

ネットで記事(女性セブン)を読んでいたら「ミニ洗濯板」「みそこし」「いちごスプーン」など僕らの世代だと懐かしいものが売れているそうだ。洗濯板はミニにすることで部分洗いや、持ち歩きという発想がウケている。37万個3億円も売上ているそうだ。他のものも今までの習慣的な使い方とは違う新しい発想の使われ方をしている。

みそこしは、味噌汁の他に、堅さの違う野菜を茹でるのに使ったり、麺を柔らかく茹でたりすることで乳児や高齢者の世話に便利なのだそうだ。日常の習慣だと主婦の使い勝手を主にデザインや販路が決まるだけでなく、乳児や高齢者、別の素材のために使うといった視点が、今まで有る商品に別の価値を与えてくれる。

昔からあった当たり前の習慣でも使う時代と人間や国などで新しい価値が生まれてくる。形や性能のモデルチェンジをするのではなく、こんな使い方もあるということを積極的に知らせることが大事なのだ。自分たちは知っていても、肝心のお客様に知らせていない。知らせたつもりでいるのではないか。慣れというのが怖い。

自分が扱う名刺もそうだ。本来の意味は名刺交換して御縁をひろげるのが一番の目的なのに自分は何が出来るのか、したいのかを伝えられるビジネスの有効な武器になっているだろうか。名刺屋として、そのことを知らせたつもりになっていると反省させられる。商いは幾つになっても教えられることばかりだ。

 

 

「なれ」を恐れろ

長年小商いをしていますと「ナレ」というおごりが出てくる時があり、その都度反省しています。ありがたいことに創業(27年前)に飛び込み営業をして出会ったお客様といまだにお付合いさせて頂いております。まさに感謝です。長年お付き合いをさせていただいているからこそ「ナレ」はいけません。令和という時代になって初心を忘れないようにやっていきます。

昔は飛び込みの営業でどれだけ名刺を配ったでしょうか。それなのに今はどうでしょう、継続のお客様との取引をしていると名刺を配りまわっていた時代に考えた「闘う名刺!」も工夫に欠けてしまったかもしれません。もう一度見直してみようと思い、今新バージョンを創ろうと頭をひねっています。

「なれ」とは怖いものです。特に小商いを生業として1人または家族でやっている場合は忙しさにかまけて改善、工夫を後回しにしてしまうことが多い気がしていています。家族の助言もないがしろにしがちです。健康についても過信、慢心していることもあります。まさに俗人の極致の自分を感じています。

「闘う名刺!」は自分がライフワークとして広めようとしている名刺の概念なのです。名刺は名前や連絡先を刷り込んだ単なる小さな紙という認識や、名刺は会社が作ってくれるものという認識を変えたいのです。名刺は個人が工夫して創るもので、その紙面には個人の想い、出来ることを言葉化して表明しているという概念に変えたいのです。

そうすることで個人が輝ける時代になるひとつの「しかけ」になるのだと信じています。それなのに「なれ」に平気になっていてはいけません。歳は年々、嫌というほど感じますが年寄りの図々しさを武器に新しいことに挑戦したいと思っています。もう今更かっこよくは生きれませんからね。

 

 

 

 

 

 

 

小商いの予感

昭和・平成と生き抜いてきて思うのは先のこの時代のようにすそ野の広い影響力のある産業に政策的にひっぱっていってもらうやり方は令和の時代は通用しない気がしています。戦後の昭和は電気・機械・建設・不動産と好景気を演出しました。平成はバブル後30年にわたり沈んだ時代が続きました。IT産業がこれだけ発達したにも関わらず民衆は貯蓄にまわりました。

不安なのです。どすればいいか解らなくなってしまったのです。今までの価値観では会社という組織が中心にあり、そこで勤め上げれば一生を終えることができました。そのよりどころのシステムが変わってしまいました。これからは自分の才覚で生活していかねばなりません。

Wワーク、副業、起業、小商いと自分で考えていかねばなりません。政府は100年安心といった年金に破たんがきているのに本当の事実を隠してデーターをつくり国民をだましてしまいます。それがまかり通るのが今の時代の日本なのかもしれません。高齢化が進み暗い未来を考えたくないから、誰かが今まで何とかしてくれたから今度も何とかなると思っているのでしょうか。

時代は変わりました。政府も会社も組合も銀行も誰も助けてくれません。自分で考えていかなければなりません。当たり前のことが始まったのでしょう。今まではあまりにも他の何かに頼り過ぎてきたのが戦後の日本の現実です。それは昭和までしか通用しなかったのは平成でよく解ったはずです。

令和は小商いの時代にしましょう。個人個人が自分のこだわりを商売として大きく儲けるのではなく、かろやかに生きることを目標にしたらどうでしょうか。自分と好きな人、方向性の同じ人と小商いをしていけばいいのです。それができる数少ない国が日本なのです。日本人なのです。今までの企業中心でやりたい人はすればいいのです。そこは国際競争の世界で緊張感の連続です。それに耐えられる人、望む人しかやれません。大きな覚悟が必要です。そして大きな富を手にすればいいのです。

でも、それに適さない自分のような人間は小商いを生業として生きていくことを考えようではありませんか。いや、すでに色々なところでその芽は育ってきているようです。昨日も昼の時間帯にTVで狭い分野の業界誌を番組で特集していました。もう始まっています。

整理、整理あああ

六月のこの季節は五月に決算の提出や税金などの支払が何とか終わり、書類関係や名刺の整理などをする時期にしています。ちょうど梅雨で外も雨なので、しょうがないとあきらめもつくのでそうしています。

毎年のことなのですが整理をしながら反省しきりの日々です。どうして、こうも貯めこんでしまうのでしょうか。お金ならありがたいのですが未整理の色々な書類、資料などばかりです。年々増えている気がしてなりません。自分では良く捨てる方だと思うのですがたまってしまいます。

整理することで話題になっている方が多いのもわかる気がします。そのなかで確か、ときめかないものは捨てるというのがあったと思います。確かに使わないものや、いつか使うかもと思う物まで取っておいたらきりがありません。思い出は心にとどめて物は捨てるしかありません。

名刺も昔のものは捨てにくいものですが、商売柄資料として必要なもの以外は捨てることにします。本当に付き合いのあった人以外で名刺交換をしただけの人も随分と多いことに気がつきます。名刺をデータベースとして使うという会社がありますが本当にコマーシャルのように社内で使われているのでしょうか。

名刺屋としては利用されて名刺の価値が上がれば嬉しいことなのですがどうでしょうか?むしろこれからの名刺はデータベースとして扱われることより名刺としての個性を組織の中で出せるかどうかが大切な気がしています。会社のネームバリューと個人の個性が反映される名刺が広がる事を望みます。

令和という時代は個性がいきる時代になると確信しています。そうでなければ日本は沈む国になっていきます。個性とは自分に何が出来るか、したいのかを相手や社会に伝えなくてはなりません。そんなことを考えながら整理をしているのですが、まだまだ終わる気配がみえないので溜息がでます。

 

 

 

 

 

 

名刺の効用

新聞のコラムに漢の劉邦の名刺の話がでていました。劉邦はもともと田舎の下級役人でしたが、その地方に有力な豪族が泊った際に土地の有力者たちは手土産として金を持参したそうだが、劉邦は無一文であったので会ってもらえるはずがありませんでした。その時、劉邦は謁(名刺の原型)に無一文のくせに「銭万をもて賀す」とウソを堂々と書いて差し出したのだそうです。そして会ってもらい有力な豪族は見どころのあるものとして自分の娘を嫁がせたと言うのです。

名刺には姓名だけでなく、時には相手に対する挨拶や要件なども書き添えられていたのだそうです。その名刺を発明した中国も30年位前はビジネスマンでも名刺が普及していなかったと書いてありました。そして中国も世界の国々と関係を広めていく中で名刺が改めて普及しています。

日本は良い発明を工夫するところ、自分のもにし発展する技術に優れています。今の名刺はどうでしょうか?デザインや安さに目を奪われて名刺本来のもつ効果をないがしろにしているようです。名刺は名刺交換をしてこそ効果を発揮できるビジネスツールです。そしてそこには何が必要なのでしょうか?

まさに劉邦ではありませんが自分の存在を、出来ることを、やりたいことを伝えるということなのです。しかもこのネットの時代に人と人とが初対面で相手の持ち物と自分の持ち物を挨拶しながら交換しあうという風習なのです。これは思いのほかスゴイことなのです。そうは思いませんか。

令和という時代は個人が個人として主張していかねばやっていけない時代になると考えています。それは昭和、平成が組織のなかの個人であったのとは真逆で個人の為の組織、団体以外は認められない世間の空気になるような気がしてなりません。それは自分の想像の世界だけでないと感じています。そうなった時、名刺の効用は重大なポイントになると思います。さあ、一緒に名刺を、あなたが令和を「闘う名刺!」を考えていきましょう。

 

 

新しい取組みを応援しよう

6/1の日経新聞にでていた記事で新宿の丸井グループが新しい取組みとして体験型の物を売らない店を増やしていくというのがありました。丸井Gは分割払いの百貨店として成長した会社です。今までも百貨店型からテナントの家賃収入を軸にしたショッピングセンター型へ、そして今度は体験型の物を売らない店へシフトしていくというのです。

とても面白く、興味深い取組みと感じています。体験型というのは今の時代にかけている要素の一つの気がします。今はネットで何でも調べられるし注文も決済も出来る時代です。でも物足りないのは実際の感覚やイメージ、ニオイという体験だと思います。それを考えると駅近の一等地の百貨店にあると消費者にとってとてもありがたいことなのではないでしょうか。

百貨店、生命保険、銀行は日本全国どこでも駅近の一等地にあります。これを使わないのはモッタイナイことです。バブルの頃のようにそこがオフィスを増床するところばかりで取り合いになるとか、社員が増えて入りきれなくなるなら話は別ですが、働き方改革がすすめば今より会社のリストラは増えると思います。リストラではなくWワークや副業を認めることで起業を応援するという形になる訳です。そうすれば、会社の社員は選ばれた一握りの人達ですみますから。

空いたスペースがでるのは必然なのです。話は変わりますがバブルの頃にオフィス家具や内装工事を仕事にしていた自分の感覚はビルの周りに大型トラックが何十台も並び搬入をし、徹夜で工事の仕上げをしている光景なのですが、もうありえません。

府中市の伊勢丹も撤退するのですがその後どういうアイデアになるのでしょうか?たぶん役所や銀行、地元の有力者が考えているのでしょうが、本当に面白い取組みを考えられるのは柔らかな頭をもつ小商いの若者や起業家だと思います。日本全国の駅前の一等地で同じ様な事が起こると思いますが、平成の31年間のどうにもならなかった人間(自分も含めて)にプランニングさせるべきではないと考えます。若い柔らかな発想を応援していきたいものです。