名刺の本質を知りましょう

そもそも名刺は持っているだけでは何の役にもたちません。人と会って交換することで価値がでるのです。その時の相手は初対面の人の確立が多いのも事実です。あたりまえのことなのですが、それは思っているより意外と重要な行為なのではないでしょうか。きちっと考える必要があるのです。それが、あなたにも相手にも何かのストーリーが始まることになるからです。

 初対面のもの同士が挨拶して、紙一枚でも交換し合うというアナログな習慣にこそ意味がでてくるのではないでしょうか。信頼関係はこんな小さなことから築かれていくのです。次にイメージというあやふやなもの、第一印象も名刺交換で感じることが多いと思いませんか。人間同士の関係のなかで、かなり重要なことなのです。これが後々影響してくることがあるものです。

 前に書きましたように名刺交換の時、信頼関係をつくる第一歩であり、好印象を持ってもらうにこしたことはありません。忘れてならないことがもう一つあります。自分が何をしたくて、何が出来るのかを効果的に伝えるということです。これは、とても重要なことです。これこそが本質なのだと思います。

 名刺は社会に出て持つのは会社から支給されたものを、当然のように使いますが本当にそれで良いのでしょうか。特に自分で起業したり、独立したり、フリーランスで仕事をする場合は、より効果的なビジネス上の武器として持つべきなのです。単なる住所交換にしては勿体なさすぎます。チャンスが目の前にあるのに、みすみす見逃すのは愚かなことです。

 では、どうやって自分にとっての効果的な武器である小道具を創れば良いのでしょうか。これを考えて行く過程は自分と向き合わなければ、納得できるものは出来ません。向き合うことがモチベーションアップにもなるでしょうし、人によれば心のセラピー効果もあるのかも知れません。そんな名刺の創り方を一緒に考えて行きたいと思います。

 

 

道具を有効に使う工夫を

名刺にパワーがあるのは確かである。しかし万能ではない。大切なのは名刺という道具をどう使って人とのご縁を広め、自己実現をして行くのかだ。名刺はそのイントログッズなである。有効な販促品であり、単なるバラマキではない。かと言って、とてつもない効果をうたう名刺もあるようだが惑わされないで欲しい。

 人は社会人となり名刺を持つと何かを自分の中に感じるのだと思う。会社からみると所属させたということで仕事に対して責任を持ってのぞめと伝達する効果がある。個人で考えると誰かに認められている。組織というバックアップができた。この紙を交換することが初めての相手と何がしかの取引をする入口になる。

 世の中おかしなもので、この一枚の紙の交換が色々な事の始まりとなる事は事実なのだ。だから信用のおける大会社や有名企業、銀行、役所などの名刺は良く皆が知っている社名、製品名、ロゴ、キャラクター、ISOなどを全面にだす。要はウチと取引すれば安心ですよ。だましませんよ。というわけである。だから、本人の名前はやたらと小さいデザインが多い。高齢化で老眼の多いこの日本でだ。そして同じパターンのデザインが多くなる。

 名刺は会う人に無意識に信用を判断する材料を提供する小道具に使われている。世間も常識としてその習慣を便利に使う。それは社長どうしでも、新入社員でも同じように、この瞬間にも気の遠くなるほどの数の交換がされている。まさに丁度いいビジネスの小道具なのである。それなのに同じパターンのものしか使わないでいいのか?

 前記したような大企業などはそれでも取引がこまることは無いのだろうが、個人や我々のような小さいところはそういう訳にはいかない。工夫しなければ生き伸びる事はできない。何ができて、何をしたいのかを伝えなければ名刺交換という初対面の人とのチャンスをつかむことは難しい。できるだけ我々のような小さいところが名刺交換でチャンスをつかめるような工夫とかをブログで紹介したいと思っています。令和という新しい時代は工夫する個人の時代にしたいものです。

 

 

令和の名刺を考えよう

我々が社会人として名刺を持った40年前は、厚手の紙でタテ型タイプが主流でした。内容は社名、所属、役職、名前、住所、電話が書かれたもので、それを鉛の活字を一文字づつ拾い制作する活版印刷でした。パソコンも携帯もFAXだって無いし、コピー機だって、そうは普及していませんでした。リピートはともかく新しい注文は単価が安くて、儲けは少なくとも打合せに行かなくてはならないので営業は大変でした。そんな時代の中で名刺交換はとても大切な仕事のルールの一つでした。そこで信用してもらうのに必要なのは、どこの会社の所属で、実際ちゃんと存在しているのか? 何の為に来た誰なのか? 名刺を調べられても大丈夫な社会人ですよという事だった気がします。

 時代は流れFAX、携帯、パソコン、SNS等々、会社はもちろん個人、それも小学生でも扱えるインフラとなりました。その進化は驚くばかりです。それに伴い名刺に記載される事項も増えました。FAX、携帯、メール、ホームページ、LINEISOマーク、郵便番号、英文表記、写真、バーコード等々どんどん増えていきました。名刺もヨコ型タイプの薄手のカラー印刷が主流になりました。もちろん、これだけの情報量を記載するので文字は小さくなり、老眼の我々は解読するのが大変です。

 印刷技術も活版からオフセット、オンデマンド印刷と多様になりました。納品のスピードも変わりました。昔は最低一週間位あたり前でしたが、今は翌日出荷の所も多くなりました。そして注文先も印刷屋・文具屋さんからネット通販の文具、印刷だったり、大企業の場合は広告代理店経由だったりと多岐にわたり、デザインや紙質も色々流行りがあります。ではなぜ、この目まぐるしく変化する時代の中で、いまだに名刺は生き残って存在しているのでしょうか? 名刺交換という行為は、IT社会、SNS全盛、AI化というこの時代にどうして存在しているのでしょうか?また進化していくのでしょうか?

 人と人が実際に初めて会ってビジネスのきっかけだったり、自分の大事なキーパーソンになるかもしれない。その時にアナログな名刺交換という風習、ルールが存在している。それは思うに、ナマの感覚というか緊張感、今まで会ったことない人と会話して、紙一枚だが相手の持ち物と交換するという行為自体が意義のあることなのだ。考えてみると単にデーターの交換なら今の時代は色々ある。なぜ、名刺なのだろうか? 人と人が出合い、何かの縁が始まるかもしれない時に形のあるものを交換しあうという行為が理屈ではなく人には安心感、緊張感、直観だったりを与えてくれるのである。それは丁度いい習慣、距離感で我々世代からすると、これが人と仕事をしているのだという「ほっこり」を感じられる。

 令和という時代は個の力の時代になるのではないだろうかと思います。昭和は組織力で高度成長を成し遂げ、平成は組織力が通用しない時代になり個の力を考えだした時代でした。その個の力が発揮されるのが令和なのだと考えています。その個の力を発揮するビジネスツールの一つに名刺がならなければ名刺は過去のツールになり消えてしまいます。その為にも「闘う名刺!」が必要なのです。

 

 

令和になった②

令和になって10連休も後半になりますが良いイメージで令和は始まることができているようです。平成から令和になり何かがすぐ変わる訳ではないけれど全体が良いムードで受入れたというムード、気は大きなことかもしれません。何かわからなくても良いことが始まりそうと思うのは浮世では大切なことだから。

今は何でも令和初の○○○という見出しがおどります。野球でも令和始のホームランとか勝利とか書かれていますね。野球もホームランも勝ち星も存在はずっと続いているのに人の心は不思議なもので、何となく楽しい気になるものです。こうして心は令和になじんでいくのでしょう。

5/3から5/5は府中の大国魂神社のくらやみ祭りです。これも令和始のお祭りです。そういえば先日、御朱印を趣味にしている方に聞いたのですが大国魂の社務所でも行列ができているそうです。この時期だと明治神宮、靖国神社、浅草寺なども大変な混雑が予想されますね。

ブームとか気の勢いとかは凄いものです。これも今まで地味にやってきた人達にすれば何を今頃に気づいたのという風に思うことでしょうね。だれかが何かのきっかけで始めたことを誰かがいいなと感じ、自分もやってみる、人に話す、今ではSNSで拡散するということなのでしょう。

ブームや気は過ぎ去ると静かになりますが、そこに価値を見出した人達は新たにファンになりその物事の底辺が広がります。そして残るものと無くなるものも出てきます。浮世の風はどこに吹き、どこへ流れるかは常人ではわからないものです。今も存在している物事はそうして残ってきたのでしょう。

今存在していても次の時代に無くなってしまう物事も当然でてきます。その中でも懸命になって生きていくのが浮世の定めなのでしょう。今自分がしている名刺の小商いもどうなるかなど考えてもわかりません。それでも好きなら小商いなりに工夫をして変化してついていこうと令和の初めに考えています。

 

 

 

 

令和になった

5/1令和元年となりました。令和に何をしようと考えてみました。平成は壮年期でしたから成果はともかく良く働きました。令和は自分にとっての老年期です。働くのは何と言われても好きですから続けますが、昔と同じ働き方はできないので好きな事に絞っていきます。

今まで趣味といったものが特になく生きてきましたが、仕事の有る部分を切り捨てると趣味になる気がしています。つまり売るという発想から自分が楽しいという発想に切り替えたいと思います。

楽しいと思うことは散歩、歴史、商い、絵、文字、ことばなのですが、今までの商いのなかでも関連があるのですが自分本位で調べたり、見たり、描いたり、歩き回ろうと思います。何かを集めることも残すこと有りません。人から見ると何が楽しいのだろうと思われるのが趣味の醍醐味です。

「小商い」このブログもサブタイトルに小商いと名刺から浮世を眺めるとしていますが、自分にとっての「小商い」は成功しているか否かではありません。1人で続けているかどうかです。業態、業種、年商などは関係ありません。生業をたてていて続けているかどうかが基準です。

そんな「小商い」をしている商人、職人、Wワーカーなどのことを知りたいのです。自分の小商い(名刺屋)に役立てる為ではありません。とにかく調べてみたいのです。いつから、なぜ、どこで始めたのか、なぜ続けているのか、なぜその屋号なのか、どうしてその文字でそのデザインなのかと聞きたいことが山ほどあります。

そのことを自分のことばや心象風景をイラストで描いたりしてみたいのです。どうすればいいかも解らないのですが、令和は自分にとって限られた時間の時代となるのは仕方がないので、ともかくこういうことを始めたと宣言することから始めようと文章にしてみました。