なぜ闘う名刺!を考えたのか?

「闘う名刺!」は自分の出来ること、やりたいことを言葉化して表明した名刺の事を、そう名付けました。なぜ、闘う名刺!を考えたのかを今日は書きます。

一番の理由は自分が内向的で内気な性格であるにもかかわらず、小商いを志してしまったからです。自分で小商いをすることを目指した以上、前に出るのは当たり前のことです。実社会で15年の間セールス、営業を勉強させてもらいました。性格は変わりませんが、収穫はありました。内気でも売れました。工夫することでトップセールスにもなれました。このことは矛盾ではないのです。内気でも、内向的でも工夫すれば出来ることがわかりました。でもダメなことも解りました。組織になじめませんでした。組織人にはなれないことと、納得のいかない仕事はできないことの二つはダメでした。

そんな自分が小商いをやっていくには、まずは人と会うこと。名刺交換をたくさんすることだと思いました。名刺を作成したのですが、今までと同じようなタイプのものでした。それだと、その場だけの挨拶程度にしかなりませんでした。そりゃそうですよね、どこの誰だか初めて会う人とすぐに取引が始まる訳はないのですから。そこで、せめて第一印象と何ができる奴なのかは伝えようと思って考えたのが闘う名刺!でした。

特別なものではないのです。初対面に期待をかけすぎないようにしないと、内向的な人間のハートは持ちません。とにかく、印象と出来ることです。それさえ伝われば良いと思いました。そう考えて色々工夫してみたのですが、自分が積極的に配りたくなるものでないと名刺交換がしづらくなります。

自分の場合は派手なものは配りたくないのです。写真やイラストの入った名刺も違和感がありました。本当に面倒な性格です。でも仕方ありません、この性格と一生付き合うのですから。そんな自分が社会で闘う、自分の心と闘う為に考えた名刺が「闘う名刺!」です。言葉の名刺です。自分が何屋なのか名乗り、何ができるかを解りやすく書いた名刺を作りました。その工夫などについて恥ずかしいのですが、今後書いていこうと思います。もし同じような性格の人の目にとまり参考になれば幸せです。

 

 

 

なぜ?闘う名刺!なのか?

「闘う名刺!」は自分の出来ること、やりたいことを言葉化して表明した名刺の事を、そう名付けました。これを創るには自分の経験上、まず自分自身のことを省みることから始めるのが効果的です。なぜなら自分を再考したうえで、自信を持って名刺交換をしてほしいからです。(その為のシートを作りました)

そうすることで自分が考えていることや忘れていた想いを整理することができます。そのなかには出来ること、やりたいこと、やりたいけど出来ないこと、出来るけれどやれば心に負担がかかりすぎることなどが見えてきます。時間の問題も考えることができます。今なのか、半年後なのか、1年後なのか、10年後なのか、定年後なのかというふうに具体的に考えることができます。

そういう自分の心と向き合いながら自問自答しながら出来ることを言葉化してみてください。やってみると中々難しいもんですよ。そして言葉化したものを名刺で表明するのです。ですから極端にいえば名刺交換で配るだけで、あなたはあなたの出来ること、やりたいことをひとつ実践したことになります。

あなたが自問自答して決めたことが名刺交換をしたことで、初対面のキーマンになるかもしれぬ人に渡り、その方の名刺も頂いたということは、あなたの表明した「何かが」動き出したということになります。空想ではなく何かが実践されたのです。これってスゴイことだと思います。

あなたは内面的にも、外面的にも目標に向かって一歩を踏み出したことになります。あなたの持っている可能性と共に闘うことができます。可能性はいくら待っていても踏み出さぬ限りは空想にすぎません。もし失敗しても実践したという事実は心に残りますから、あのときやっていればという後悔は圧倒的に減ることになります。繰り返しでてくる後悔は少ない方がいいに決まっています。

 

 

 

闘う名刺!は言葉の名刺

闘う名刺!とは自分の出来ることを言葉化して、表明した名刺を創ることを、そう名付けました。なぜ闘う名刺!を考えたのかというと、この名刺は、いわば弱者の名刺です。この名刺は自分の想いを言葉で伝えることで、まさに自分の相棒なのです。

ここで言う弱者は大企業、有名企業、有力企業などの大きな資本・組織・人材・技術・仕入販売ルートなどを持つ会社組織に対して個人・零細・小商い・起業・副業・フリーランスなどの人達。又は外交的で積極的に前に出れる人達に対して、内向的で一歩引いてしまう、自分も含めた人達です。

我々が皆と同じ一般的な名刺を配っても、強いものにはかないません。どんなに素敵なデザインの名刺を配ってみても、知名度のない何の会社かわからない人の話を聞いてくれるような善意にあふれた人達はいません。もし、いたとしても取引に至るのは稀なことです。そこであきらめたらつまらない。そう思える人達の名刺です。

なぜ名刺かといえば、いくら世の中がITだ、AIだ、SNSだと言っても人と会わない社会はまともな社会とは思えません。人と会うというチャンスにキチッと自分を伝えることのできるツールが名刺です。初対面の人でも受取ってはくれるし、一瞬で読めて精読してくれるから、とてもありがたいビジネスツールである。それを工夫して使わずに弱者が強者と戦うのは無謀としか思えません。

しかし、今までは強者の土俵の上の常識で勝負するのがあたりまえの習慣となっていたのです。それが少しずつ変わり始めました。たとえば副業を認める企業が増えています。起業を奨励する企業もでてきています。個々人の働き方も、考えかたも変わろうとしています。いわゆる幸せの概念が変わろうとしているのかもしれません。色々な変化が日々なにげなく変わっている様な気がしています。

そんな時代のなかで今までとは違ったアプローチの仕方がでてくるのは当然のことなのに名刺はあまりにもポピュラーなので、単に今までどうりに住所録にロゴ、ISOマークなど刷ったもの作っています。我々のような弱者が変えられる、数少ない武器です。みなさんがそれぞれの闘う名刺!を工夫して創る時代だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

新しい時代には『ことばの名刺』を持ちましょう

 新元号が決まり、思っている以上に好感を持っている人が多い気がします。令和の時代は明るく穏やかであると良いのにと思います。商人たちも色々と新元号令和関連の商品やサービスを打ち出しています。久々なのではないでしょうか。

 思い出すのは昭和から平成の時のことです。あれから31年が経ってしまったんですね。あの時は崩御での変更でしたから、世間は喪に服すという風潮が浮世を覆いました。何をするにも自粛が求められました。景気はあがるわけがないのですが、それなりにバブルの最後と言う時期でしたからやっていけたのでしょうか。

 今回は天皇陛下のご意思が反映され新しい時代をみんなで祝える風潮のようです。たいしたものです。やはり歴史に名を刻まれる方は違います。ありがとうございましたと心から思います。そしてお疲れさまでした。

 そんな風潮というか時代に乗らない手はありません。消費税や中国の景気というリスク要因はありますが生き延びなければなりません。今こそ自分の名前で生きていく道を考えましょう。失敗を恐れず一歩まえに出ましょう。失敗をしても大丈夫です。誠実な前向きな失敗なら何とかなるものです。

 あなたがあなたの名前で勝負するにはあなたのことを相手方に知らしめる必要があります。その時『闘う名刺!』が絶対に必要なのです。ことばの名刺が必要なのです。新し時代に何かを発信しましょう。

 名刺もその一つなのです。旧対前の名刺では勝負どころか参加さへ、おぼつきません。会う人、皆に話しているのは『ことばの名刺を持ちなさい』ということなのです。

 

 

 

新元号:令和に決まる

今日の浮世は盛りだくさんです。4/1と言えば年度替りで新入社員が日本中で働き始める日です。働き方改革も開始ということになります。良い結果に期待するしかありません。

 そしてエイプリルフールの日でもあります。可愛い気のきいたうそならいいのですが、このご時世オレオレ詐欺や最近はアポ電による詐欺という具合で物騒でなりません。対策はとにかく悪い輩は捕まえることです。

 今日は外に出ると桜が満開でまさに春満開といった感じです。これで花粉症さえなければと毎年願って何年がたったことでしょうか?この時代になぜこれまで時間がかかるのでしょうか。

 そして今日のメインは新元号の発表があったことです。新元号は『令和』『REIWA』『れいわ』『レイワ』に決まりました。なんでも中国の書からでなく日本の万葉集の中の一首からとりあげたそうです。遅きに逸す観がしますが、良いことです。日本の元号なのですから。

 来月5/1から令和の時代になりますから、どうやら昭和・平成・令和と三世代を生きれらることになりそうです。各時代にそれなりの想いはありますが令和は自分にとって締めの時代になるでしょうから良い時代になることを切に願います。

 戦争、大災害などが起きない時代でありますようにと誰もが思っていることでしょう。この時代は人類がまだ見たことのない進歩の時代です。ついていくのは大変な事ですが、傍観者の立場に立つのはイヤです。最後の締めの時代になるのですから、どれだけプレイヤーとして過ごせるかを考えていかなければなりません。

 歳をとるとできないことも増えますが、見えてくることも増える気がします。そこが現役として生きていくポイントだと考えています。もう恥ずかしがる歳ではないのでどんどんチャレンジしたいと思います。人生が旅ならば旅の恥は、はき捨てでいいのではないかと思います。あまり良い言葉ではありませんがやろうと思ってせずに後悔は絶対に面白くありませんから。