前回「江戸時代」の小商いについて調べてみたいと書きました。基本的な考え方が人はそんなに進歩していないという思いからなのです。もちろん技術的のものは変わっていますけれど、心の想いや悩みはそんなに違っていないのではと感じています。
小商いからその辺のことが見えてくるような気がしています。前に書いた質屋の変形パターンもそうですが庶民の求めているものは今の時代と相通ずるものが多いのです。現代は発達した技術はありますが心の方はそんなに変わってはいません
例えばレンタルやリースなどもあれば産直小売りもあるし寺子屋のような教育機関もあります。レンタルやリースは損料屋なるものができていて時節に合わせて購入していたそうです。ふとんなどもそうだったようです。寒い時に借り熱い時は返せば良いという考え方です。まさに合理的でクールです。
宝くじも富くじと言っていました。庶民のみる夢は同じものです。税の取り立てもあれば、金貸しもいるし、人気の○○小町の浮世絵もありました。歌舞伎や曲芸などのエンターテーメントだってスポーツは相撲もあるわけです。郵便は飛脚があったわけだから届く時間は違っても手立ては存在していることになります。
火事は火消しが消防だったし、建築は大工がいるし、飲み屋もあれば繁華街もあることになる。今と同じようなものです。病気は困るが医者はいたわけですから何かしかのことはできる。平均寿命は短いけれど長生きの人もいました。葛飾北斎などは90歳を超えていたと言いますからね。生き死には悩んだところでどうにもならぬということです。
人々、我らが祖先の庶民の貧しい人々もその中で懸命に生きてくれて繋がった今を我々は次に伝えなければなりません。歳をとるとこんなことを考えるようになりました。