「言葉を中心にした名刺」

 「ことば」を中心にした名刺を広めたいと考えてどのくらい立ってしまったのでしょうか?ただただ自分の行動力のなさを思い知ります。でもあきらめていません。「ことば」中心というのは「想い」中心ということで、キャッチフレーズとは少しニュアンスが違ってきます。

 相手に対してインパクトを与えたいというよりは「自分の出来ることを正確に伝える」と言ったほうが近いかもしれません。だからデザインは大切ですが想いの方を優先して創りたいのです。いくら洗練されたデザインでも文字が小さすぎたり、認定マークばかりが目立つものとは違います。

 よく似顔絵やイラストなどをいれるほうがいいというコンサルタントの方がいますが、それでやりたいこと出来ることが相手に本当に伝わるかが問題なのです。又ご自分で名刺交換をなさるとき配りたい気持ちになるかどうかが一番のポイントと考えています。

 名刺は名刺交換をしてこそ商品価値があるものです。もっているだけでは単なる紙切れにすぎません。知らない人と紙切れ一枚ですが何かを交換するという今時にアナログな世界が大きな効果をうみます。又、この習慣が根付いているのは、ビジネスのツール、しくみとして「ちょうどいい」のだと確信しています。

 今までは自分の会社で作ろうと考えていたのですが、やめました。なぜなら今の若い人とたちの能力は凄いのです。特にSNS、パソコンなどでどんどん表現していけるのです。しかも安く、高品質、クールです。ただ何を作るにも基本が必要なのは言うまでもありません。

 私どもは長年名刺づくりに携わってきたノウハウを売ります。デザインではありません。どうすれば相手に伝わる言葉を紡げるか、名刺の基本は何かを売ることにします。これを「闘う名刺!」と名付けました。日本人には言葉を大切にする国民性があります。ほかの国にないニュアンスを大切にしてきました。それを国際的ではないから、他の国のひとにわかりにくいから簡単にすると言うのは間違いです。本当に伝えたいことが伝わりません。

 

「最近の名刺事情?」

長年、名刺の小商いをしていますと色々なパターンに出くわすものです。例えば何十年の取引をしている会社もあれば、値段だけで変わって行くお客様もおられます。会社の事情もありますが個人の力量で人間関係が変わってしまいます。経費削減は消耗品からが多いからです。確かに無駄はよくありません。

 名刺を無駄と考えている会社でうまくいっている処はあまり知りません。だって初対面の取引の可能性のあるところに無駄だから名刺交換をするなという会社の上層部はどれほど力量があるのでしょうか?

 最近多いのは首からぶらさげるIDを名刺代わりにしているところです。しかも接客でです。自分はこういうものですと見せるわけです。覚えるわけがありません。こういう処とは取引をしないほうが良いですよ。たとえば役所の場合がこれが多いのです。ですから責任をとりませんを前提に接客しているわけです。思い当たることがありませんか。

 のびている会社は名刺をよく使います。結果使用量が多いのです。考えてみればわかります。もし営業に名刺を渡してからリピートが来ないときは退職したか、よほどうまくさぼっているか、天才的営業かです。

 二月と言う時期は色々な展示会などが多いのです。そのなかで見ているとやはり名刺をうまく使う処が商機を見出します。最近の名刺はカラフルなものが多いのですが文字が小さくて読めません。若者だけを相手にする御商売ならともかく、高齢者にも購入してもらいたいのならデザインはもとよりですが文字を大きくしたほうが効果かがあがります。

 なんで最近の名刺は文字が小さくなりロゴばかりがやたら大きいのでしょうか?個人でなく会社の信用だけでは物を売るのが難しくなっているのが見えないのでしょうか。これからは名刺で個人が主張していくことが大切なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「初午って知ってる?」

 早いものでもう2月です。23日は節分、豆まきですが府中大国魂神社には毎年稀勢の里が来ています。今年は初場所で引退したのでどうかなと思っていたら来てくれるようです。また人がたくさん集まることでしょう。(ちなみに夕方の部です)

 節分はよく知られている行事ですが、22日の初午(はつうま)はご存知でしょうか?二月になって最初の午(うま)の日に行われる稲荷(いなり)神社の祭りのことです。日本の行事は五穀豊穣を願うものが多いのですがこれもその一つだときいた覚えがあります。(子供の頃)

 あまり一般にメジャーではないのですが、我々が子供の頃は(50年前位)まだ豊かではなかったのですが、初午には近くのお稲荷様を祀っている方が(有力者が多い)甘酒だったり、おでん、お菓子と色々近所の子供たちにふるまってくれていましたので、あちこちに行ってお相伴にあずかった思い出があります。今もやってくれている処はあるのでしょうか?

 聞くところによると府中はお稲荷様を祀る家が多い土地なのだそうです。むかしからの国府だった街ですから大国魂神社を中心に武蔵野の大地にも恵まれたからなのでしょうか。また豊かな農家も多かったのでしょう。江戸時代は徳川家康の保護もあったようです。

 行事とはおかしなもので記憶に残ったりするものと、全く忘れているものがあります。初午は自分のおなかの事情から忘れずにいますが、本当はもっと詳しく調べると面白い話題にできるのかもしれません。このおなかの記憶が悲しいかな凡人の現状です。

 話は変わりますが行事やしきたり、常識みたいなことは以外と明治以後のものが多かったりします。神代の昔から存在しているように思うのは間違いのようです。今常識といわれる考え方もそうなのです。戦前ぐらいに始まったことを大袈裟に歴史があるようにもったいぶっていることが多いのです。その時々の人々が都合よく使っているだけですから常識にとらわれず自分の考え方で生きるほうが気が楽です。