「今時の対応?」

 先日ネットで毛布を購入しました。届いて使ってみるととても暖かくて気に入りました。ところが品質保証のタグのところを見ると英語、日本語の表示で書かれていたのでよく見ると日本語の表記がおかしいのです。例えばアイロンがアイロソとなっていたり、品質保証が品質保證となっていたのです。

 取扱のネットショップに連絡するとおわびのメールが届き返金するというのです。こちらはクレームというより安全性が気になったので連絡したのです。そのことについて聞くと中国の製造工場が翻訳機で間違い取り付けて出荷してしまったとのことですが代理店の管理が甘いということになります。

 今までは文句は来ていないらしいのですがネットではこういう事例が多いのだと思います。なんでも在庫はこの間違ったタグのままで出荷するそうです。大丈夫なのでしょうか?せめて書面でも入れて出せばいいのにね。

 色んな会社があるもので今と昔ではクレームの処理の対応が違います。昔ならたとえネットで注文を受けてもメールだけでおわびもありえないでしょうし、すぐに返金の話もしないでしょう。これが今のクレーム処理と言うことなのでしょうか。

 それと先日税務署へ書類を提出に行った際のことです。ボールペンで記入してくださいという際に職員の女性はボールペンを渡すのではなく30センチぐらいですが投げてきました。驚きました。もう50歳ぐらいの女性でしたが唖然としました。きっと勉強はできたのでしょうが何かを学ばなかったんでしょうね。

 今の時代はこれらの小さなストレスの多い時代ですこの時代を受入れざるをえないのが現実ですが見過ごしてはいけないのも確かなことの気がします。もちろん二件とも注意はしましたが何が注意されたのかわかっていないのかもしれません。人の感じ方というのはひととおりでないのは仕方がないのですが、商いをしているものとして、ちょっとそれはないでしょと感じたので書いておきます。

 

 

 

 

 

「これからの小商いのやり方」

今日は日曜日だが郵便局の本局は営業しているので名刺を発送してきました。最近の郵便局は色んなものを物販しています。キャラクターのハガキ・封筒はもちろんですが文房具や傘、雑貨、格安スマホなども販売しています。年賀状の販売だけでなく印刷・あて名書きもでやっています。

 自分がそれらの購入をしたことはないのですが便利と感じる人も多いのでしょう。儲かっているのかはわかりませんが、昔クリーニング屋さんがDPEの写真の現像を取り次ぎとして扱っていたのと同じ理由なのかもしれません。あれは来客頻度、新規顧客の呼び込みでやっていることが多いと聞いた記憶があります。

 その後に本屋さんにも立ち寄りましたがやはり本だけでなく本の関連商品が置いてあります。昔は手帳と文具ぐらいだったのですが今はかなりのアイテムの雑貨関連が並んでいます。ヴィレッジヴァンガードのやり方の影響でしょうか。本をメインに行くとうるさい感じなのですがどうなのでしょうか。

 昔からお店のレジの横には必ず電池、ライター、ガムなどのちょっとしたスペースでも売れそうな小物が並んでいました。今もそうです。コンビニなどのレジ横はかなりの売上なのだそうです。

 あくまで私見なのですがメインの業務のほかにバラエティにとんだものを扱う形態と、ウチはこれ一つで勝負するという形態になるのかもしれません。お客はそれの方が便利なのかもしれません。それは実店舗でもネットでもそうなのだと感じています。

 自分のような小商いは後者のこれだけで勝負を選ぶしかないと感じています。だから「闘う名刺!」なのです。名刺関係の商品を扱い、商品の効果的な使用方法などを知らせるのが重要なことなのです。すべてが消費者が自分に最適で好きな売り方をしているところを選べることが大切なことなのです。

 

 

 

 

「許されちゃうの?」

 書きたくないと思いながらやはり書いてしまいます。数日前だったか新聞を読んでいると横浜事件の国賠訴訟(事件内容は書きません)が弁護団のミスで上告却下と言う記事が出ていました。単純ミスで書類の出し忘れだそうだ。

 厚生労働省では統計についての不正が発覚した。財務省の書類の改ざんも昨年あれほど問題になり、文部省でも他の省庁でも日常的に受け継がれているようだ。それに加えて役人や警察官、自衛官、教師といった信頼されるべき人々のセクハラ、パワハラ、モラハラという記事が後を絶たない。 

 昨年、安倍首相の森友問題ではしらを切った官僚が税務署長になり、奥さんの秘書は大使館への栄転というから驚きである。どうなちゃったんだ日本人と感じているのは自分だけではないと思います。政治だ、教育だと言う前に人としての根本的なものが崩れているのでしょうか。

 近隣で起きる国際紛争もダメなことはダメなのであると思います。相手の立場を考えてとかでハッキリいわないのは弱腰とかでなく日本的な丸めこもうとする態度が通じる時代だとまだ思っているのでしょうか。差別とかでなく国民の深層心理は相当切れていると思うのは間違いではないと思います。

 経済界では偽装や不正経理を何年もに渡ってやってきた大企業がTVでCMを自粛することはありません。マスコミも広告収入がキビシイ中、スポンサーにはモノが言えないと大衆は感じ取っています。だからTV離れが進むのも当たり前なのです。

 こう書いていると次から次と愚痴を書いてしまいますのでこの辺にしておきますが、要はたいがいのことは許されてしまうのです。我々のような小商いでささやかに生きている者はちょっとしたことで心に重荷を感じますが、感じることはないのです。前に書いたような国家的な失態さえ忘れてしまう時代なのですから。許されてしまうのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「サラリーマン川柳」

 サラリーマン川柳の入選作100句の発表がでていました。応募は43691句というからサラリーマンも中々粋なものです。自分も好きなので毎回楽しみにしていますがまさに世相を映すものです。女性や妻の強さが目立つのは今も昔も同じことでから人間の本質なのでしょう。

 今回はそれに加えて働き方改革やAI、世代間の差などの句が多く見られたようです。「ゴール前 延びる定年 老い越せない」などなるほどと思う秀作がいくつもあり、考えさせられます。

 日本人は昔から川柳やしゃれなどで浮世を風刺するのが好きなようです。「ジョウキセン たった四杯で 夜も眠れず」とか明治維新前にペリーが黒船で来た時も落歌があり伝わっているのですから大したものです。ちなみに蒸気船(黒船)と上喜撰(宇治の高級茶)とがかかっています。

 庶民が作っているとしたらホントにことば遊びのレベルが高い国民だと思います。俳句、和歌、落語、ドドイツなど言葉を主にした文化を大衆が面白がるというのだから素敵なことだと思います。世界に誇れる遊びではないでしょうか。自分も遅ればせながら言葉遊びを趣味にしたいと考えています。

 サラリーマン川柳のなかで「趣味探し 定年前の 大仕事」というのがありましたが、まさに数十年頑張り続けてきたお父さんたちの本音ですね。価値観が仕事を一番に感じた世代も組織から離れて自分を取り戻さなければなりません。定年の年頃を迎えたとしてもこれからまだ20年以上しないと平均年齢に追いつきません。

 人生100年の時代と言いますが大変な時代になったものです。残念ながら悠優自適な老後というわけにはいきませんので、せめて「ことば遊び」を趣味に浮世をほっこりと過ごして行きたいものです。

 

 

 

 

「変わり始めている?」

 昨年春までにTVコマーシャルをたくさん流していた名刺管理のSANSANを最近見ないなと思っていたら、新聞広告で久々に見ました。冬眠人脈の活用というタイトルでした。ちょっと安心しました。よくTVのCMを出していたのがやらなくなると大丈夫とか思ってしまうのは浮世の常です。

 広告が出てくるというのは又春が来ているということなのでしょう。年始挨拶もすぎてこれから春になると各種イベントや人事異動といった名刺を多様する時期がやってきます。それを有効に使おうという趣旨です。名刺を仕事にしているものとして、有効活用はうれしいものなのです。

 毎年考えるのは管理して活用するのもやり方ですが、これからの時代はもっと自分の主張をした名刺に変わって欲しいと思う名です。その為に「闘う名刺!」を叫び続けています。会社の場合は大きな会社ほど自分を主張できないようです。そこに小商いの勝機があると考えるのです。

 大きな会社には大きな意義がありますが小さな会社には意味があります。その自分たちの想う存在の意味を知らせていくことこそ商機になるのです。誰もが知っている会社ではないのです。知っていると思うのは思いあがりです。やっていること、出来ることを世間に知ってもらおうではありませんか。

 今がチャンスなのです。大企業も有名企業も気が付いていないのです。時代は働き方改革、人生100年、定年延長とかに目がむいていますが、本質は働き方、生き方の概念自体が変わろうとしているのだと思います。また厚生労働省がウソ統計で話題になっているのですがあきれるよりあきらめの気持ちです。

 役人は自分がないのでしょうか?それならAIのほうがどれだけ有能なのかわかりません。取って代わられるのは役人、政治家からかもしれませんね。まさに政治改革をしようとわざと役人や政治家などの頭のよい人達の手なかもしれません。でなければこんなにも無責任で無秩序で無知な間違いが何度もあちこちの役所や政治家が起こすはずがないと考えています。

 

 

 

 

 

「こだわり」

昨日の日経新聞の「ヒットのクスリ」というコーナーにこだわり力ということで昨年日経MJヒット番付にランクインした1000円食パン(乃が美:大阪市)の話が出ていました。それを考えるのに「赤福」など老舗が生き残った理由を考えたそうです。結論は一つの商品に特化し代名詞になるような商品を作ることでした。

 次に食感はTVのレポーターを参考にしたそうで、レポーターが決まっていう言葉の「甘い」「柔らかい」を実現できる分野をさがしてみつけたのが食パンだったとのことです。スゴイと思ったのは彼が米屋さんということなのでライバルともいえるパンに手をつけたマインドフルネスな考え方です。

 世の中で何かをヒットさせるのはこだわりの商品なのかも知れませんが、その裏には頭の中のがんこなこだわりを捨て新たな観点で考えてみることが大切なのだと思います。これだという商品を発見できればその商品にこだわりをもって磨きこむ覚悟をするということだと勉強になりました。

 商品の特徴や何かについてはあえて書きません。興味のある方は調べてみて下さい。自分が言いたいことは考え方ひとつでどんな商品でも新たな力を身につけられるかもしれないということなのです。ここでも書かれていましたが消費者のこだわりは大手だけでは対応しきれないということなのです。

 高くて売れる世の中には稀なものですが、そんなものそうそうありません。日常的に「あるもの」のなかにあると書いていましたが同感です。小商いをしている人達はこだわりをもっているはずですが、そのこだわりを一度外してみて、新しいこだわりを持ってみたらどうでしょうか。

 自分ももう一度こだわりを外して自分の商売、商品などをみつめてみようと思います。もし、我々が再度考え方を変えたら新しい流れが出来るかもしれません。そう信じて挑戦してみます。

 

 

 

 

 

「いいわけ」

 昔、親父に「いいわけするな」と怒られたものです。でも懲りずにいいわけしています、残念。以前名刺交換の数が歳を重ねるとともに減っているという記事を書きました。やはり若いころの量と比較すると激減です。

 自分が若いころと言うと40年くらい前になりますが営業畑ですので、飛び込み、ルート、コンサルティング営業と色々経験しました。そのころはとにかくガムシャラに名刺交換をしていた気がします。昔の名刺を見直してみると若造がずいぶんと役職の上の決定権の有る方へ会っていたのがわかります。

 かなり無理をしていた自分が気恥ずかしい思いもありますが、頑張っていたんだなというふうにも感じます。その頃のようにはいきませんが名刺交換はしなければなりません。名刺は持っているだけでは何の意味もありません。ただの小さな紙切れに過ぎません。

 歳を重ねると自分に言い訳するのが上手になります。経験が邪魔をすることもあります。これは昔試したがダメだったとか、あの人は話を聞いてくれないとか自分に言い訳ばかりしています。昔そうだったように試してみないと何も始まらないと知っているのにです。

 人の潜在意識はやらないでおくと、あの時やっておけばとずーっと後悔し続けると聞いたことがあります。思い当たることも幾つもあります。名刺交換をして結果を出して行かないと前に進むことはできません。ダメならダメという結果をだしていかないと何度も同じところを堂々巡りすることになります。

 凡人の自分には多くの事を望むのは無理です。小さな事、出来そうなことをやって行くしかないのです。今年は一週間に1人と言いたいところですが、一か月に1人は知らない人と名刺交換をしようと思います。続ければ年間12人の新しい関係が生まれる可能性があります。こんなことから始めてみます。

 

 

 

 

「こあきない」

 「小商い」という言葉は謙遜でも卑下して使っているのではありません。あえていえば「堂々と小さな商いをできる時代が来ている」と言いたいのです。またビジネスマンというより「あきんど」でありたいと考えています。「あきんど」の自分のイメージは人を相手に工夫している姿なのです。ビジネスライクなスタイルではありません。

 大きなビジネスをするのは大企業、有名企業に任せればいいと考えています。大きな資本で、世界的な販売競争に勝ち抜いていくのは凄いことですが、自分の器量では楽しくできません。小商いで良いものを、サービスを同じ感性をもつ人達へ広めていきたいと考えています。

 今は昔と違い小商い、無店舗商売が当たり前に出来る時代なのです。我々高齢者には中々手ごわいがインターネットやSNSを若い人だけの特権と思わず慣れて行けば年寄りの世界も、想いも広がっていきます。今年は改めて教えてもらおうと考えています。

 大きなビジネスには意味もありますが、小さなビジネスには意義があります。どちらも役割があるのが面白い所で天秤にかけてもつりあうのが好景気なのだと思います。どちらかに振れ過ぎるのは経済政策をちょっと考える必要があると政治家の人達には考えていただきたいものです。

 今年は元号が変わり消費税が上がり、来年は東京オリンピックがあります。大きなビジネスは色々な話が新聞などで報道されますが、小さな商いについては中々宣伝してくれません。でも確実に変わってきているのです。それが表だってくる年になればいいなと期待しています。

 自分も小さな小さなことですが名刺の概念のなかに「闘う名刺!」を広められれば幸せです。頑張ろう。

 

 

 

 

名刺交換の効果?

 名刺の効果を最大限に発揮するには名刺交換をたくさんするしかないのでしょうか?出来ればそれにこしたことはないと思います。そしてただ単に配るのではなくて有効訪問を増やすことが営業的に会社で求められる事です。しかも効率よくです。

 そんな事が誰にも出来るのでしょうか?自分にはとても無理です。自分もトップセールを会社で続けていましたが、効率で考えると無駄な事が多かったし、喫茶店で一服しながら飛び込み訪問をしたりするのが精神衛生上良かった気がします。バブル前の話ですから昔話です。

 名刺も効率で測れないところがあります。でも確かなのは名刺交換をしなければ人と人の縁はイエスかノーの選択しかないのです。テレアポなどが良い例です。買うか買わないか、必要か不要かです。名刺というビジネスツールが人と人の間に介在すると妙なことが起こります。

 商品はいらないのに、その人と話していたいとか、そこでは売れないのに何となくその人とウマがあうといったことがあるのです。名刺交換をする際にちょっとだけ頭にいれておくと商談が成立しなくともいらだちません。これは自分だけのことではないと思います。人がAIでなく人たるゆえんだと思います。

 世の中には積極的に前へ出られるタイプの人と内向的で一歩踏み出すのに躊躇してしまう人がいます。自分などは後者なので名刺交換をするのにもかなり勇気が必要です。次から次へと名刺交換ができる人がどれだけ羨ましいかわかりません。よくそれではビジネスはダメだから直せ、変われと言う方もおられますが、それが出来るようなら苦労はいりません。

 生まれ持った性分というのは中々変えることなどできないのです。もし変えられたとしても無理をしているので心の負担は相当なものなのです。自分は変えられないのでその為に「闘う名刺!」を考え使うようにしています。闘う名刺!には出来ること、自分の想いを言葉化して表明してありますのでとにかく配ることに専念すればいいのです。

 話せるチャンスがあればもちろん話しますが、そうでなければきちっと挨拶してくるだけです。それでも不思議と繋がる人とは繋がるものです。AIであれば分析して効率をもとめて成約率をあげる努力がされるのでしょうが、残念ながら自分は昔タイプの営業しかできません。それでも何とか幸せに生きてきましたのでこれからも闘う名刺!というツールを活かす方法を考えながらやって行きます。

 

 

 

 

今年はどんな名刺と出会うのか?

毎年正月明けから名刺の注文が入ってきます。長年のごひいき頂いている法人のお客様から注文が入ると今年も頑張るぞという気になります。小商いを始めて26年目になりますが長い間ご注文を頂けるのは本当にありがたいことです。この26年は法人のお客様を中心に名刺を制作してきました。

 3年位前から個人というよりご自分の名前で生きていきたいという方達の名刺を考えてきました。それを「闘う名刺!」と名付けました。闘う名刺!は自分の想いを言葉化して表明する名刺です。ご自分は何ができ、何をしたいのかを表現する場として、名刺というビジネスになくてはならないツールを利用します。

 名刺という商品の特性として持っているだけでは役に立ちません。名刺交換をしてこそ威力を発揮するのです。そして初対面の人と紙一枚ですがお互いの名前の書いたものを交換するのです。このアナログさがビジネスにちょうど良いのです。又名刺は余程変人でない限り受取ってくれ保管してくれます。

 名刺は91×55ミリという小さなサイズですから持ち歩くのに便利ですし、色々なグッズに忍び込ませることもできます。何よりも精読率の高さです。自分の関係の分野ならもちろんですが違っても読んでくれて頭の片隅に残してくれます。これが手渡しの物々交換というアナログの効果だと自分は考えています。

 まだまだ名刺屋の自分には色々と書きたいことはあるのですが、それは次回ということにさせていただいて、ともかくこのツールで最大限に威力を発揮してもらうことの出来る世の中であればと思います。今世の中は人生100年とかで定年延長や起業、副業など様々なかたちで働く世の中にする方向で進み始めています。

 この時代に今までの概念の名刺を、ご自分の名前で生きようと思う人が使うことはリスクでしかありません。ご自分の想いを、出来ることを表明した「闘う名刺!」を持つことです。それが新しい時代に一歩を踏み出す最初の仕事です。そう信じています。そして今年はどんな名刺を創るのかを楽しみにしています。