空気感について思うこと

 今日で平成30年ともお別れです。何とか年越しの用意をして平成最後の31年を迎えることができそうです。平成のことはその年号が変わるときに振り返ろうと思います。今年最後のお話は「空気感」の話を書きます。

 「空気感」俗に言う処の場の空気のことです。なぜこんな話をするかというと今年は色々な場面で「空気感」を感じたことが多かったのです。その場の空気ってありますよね。解らない人には意味のない話になります。最初に申し上げておきますが空気が読めない、読めるの善し悪しの話ではありません。

 例えば職場、学校、同窓会、営業活動でと色々な場所で空気感の違うと感じる人に出会います。その時いつも思うのは、「なぜ、わからないのだろう?」です。腹立たしくも感じますが、有る意味うらやましくも思います。自分などは現場では人との空気感を気にし過ぎてしまいます。だから疲れます。

 自分にはとてもできない事なのです。世の中は不思議なもので気にし過ぎる人とそうでない人の割合が丁度よく出来ていると感じていたのですが、最近はその割合のバランスが崩れ始めたようです。色々な便利なツールが浸透したからでしょうか?我々のような敏感な心のものには住みにくい世の中になってしまったのでしょうか?それともバランスは又変化していくのでしょうか?

 今年は空気感の読めない人の年だった気がします。トランプ大統領をはじめとする世界中の政治指導者たち、ゴーンのような経済界のキレ者たちの不祥事・隠ぺい・虚偽、スポーツ界ではパワハラ・暴力と空気を読めないのか、わざと読まないのかわかりませんが、そのようなタイプの人達が注目された年だったと思います。彼ら、彼女らには敏感な人達を一生気づくことなどなく生涯を終えると思います。

 その人達が空気を感じずした今年の出来事が来る来年に良い方向へと進むことに期待をしたいのですが、どうなのでしょうか?と予測まで空気を読むのは滑稽です。きっと良い年になるに違いありません。そう決めて目の前の大掃除をします。新年は3日から書くことにします。良いお年をお迎えください。

 

 

 

 

 

 

年末の風情と小商い

平成31年も後三日となりました。昨日は月末の支払いなどで街に行きましたが思ったより銀行はすいていて助かりました。来年からは銀行のATMも三菱、三井が共同でやるとかの話が聞かれます。手数料がなくなるのは大助かりですが、どうなることやら我々小商いのものは来年も地道にやるしかありません。

 街に行くとやはり年末のあわただしさがあり、そんな中にいると安心してしまう自分がいます。商いをしているとシーンとしているよりちょっと賑やかなほうが落ち着いてしまうようです。長年の習慣は恐ろしいものです。来年は景気が上がり個人消費が大勢になってほしいものです。

 この街、東京の府中市ですが古くは武蔵の国の国府があった街です。大国魂神社のけやき並木が続く風情のある街です。毎月何かのお祭りがあり、屋台が出るといった良い感じの街なのです。残念ながら昔からの店は毎年少なくなっていってしまうようですが、まだまだ昔の日本が残る街です。

 昨日も境内のまえを行くと晦日市から初詣の準備の屋台などをみかけます。最近の若い人も以外とこの風情が好きなのではないでしょうか。小商いをするものとして考えてみなければいけません。我々の年頃になると新しい技術は使いこなすのは無理です。でも商品やサービスを工夫していくのは出来ます。ここに商機をみだしていきたいと思います。

 来年は年号が変わる年です。消費税も10%になります。働き方も変わります。外国人観光者、労働者も増えます。社会のシステムが変わらざるを得ない時代を迎えています。再来年にはオリンピックがあります。お正月は飲み過ぎずに考えてみようと思っています。まだまだ老けこんではいられません。年寄りの冷や水で結構です。我々世代には色々チャレンジしてみる最後の時代なのかもしれないのです。ともかく亥年だし動こうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

習慣も、ずいぶんと変わる

 先月だったか日経新聞の一面「春秋」のコラムに時代が昭和から平成に移る頃に役所の文章の宛名が変わりはじめ、それを「殿様改革」が進んだと書いていました。何のことかと思ったら、いかめしい「○○殿」から、やわらかな雰囲気の「○○様」へ。「ことばの行革」が進行中と当時の新聞に出ていたそうです。確かに最近はあまり殿を使ったことがないと思いながら平成最後の年賀状の表書きを書きました。

 年賀状のやり取りもずいぶん少なくなってきました。今年も喪中のハガキがかなり届きました。我々還暦を超えた世代は親が高齢になっていますから仕方がないのですが、自分と同年代の仲間が亡くなるのはショックです。年賀状の習慣も新しい時代にはもっと変わることでしょう。

 名刺や軽印刷の小商いをしていると年賀状の売上が25年前のころに比べ激減したことがよくわかります。個人もそうですが法人が年賀状を出さなくなりました。たぶん中元・歳暮も激減したと思います。我々が新入社員の頃、もう40年も前ですがこの時期は担当者の住所を聞き出すのも営業のテクニック、仕事のひとつでした。今は難しい世の中でお世話になった担当や会社に送るのをためらわねばなりません。

 年末のカレンダー、ダイアリー、手帳の名入れ、年始のタオルなども激減してしまいました。年末年始に上司と一緒に挨拶回りをしたことを時々思い出しますが、今はどうなのでしょうか?すべてがSNS、メールなどで済まされるのが当たり前と頭のデーターを書き換えるのは自分には無理なのではないかと感じています。

 この時代の流れの速さに圧倒されますが生きていかねばなりません。小商いは流れの中を安定した船があるわけではないので、浮いている流木につかまってでも呼吸しなければなりません。来年のことを言うと鬼が笑うといいますが、笑うなら笑えという気持ちでせめて筏ぐらいには乗れるように、もうひと踏ん張りしようと考えています。

 

 

 

 

 

 

愚痴を書いてしまいました

 昨日はクリスマスイブで振替休日ということもあり街はさすがににぎやでした。年末は府中のような東京都だが都心からちょっと離れた古い街でもいつもより賑やかで、それでいて都心のように人にぶつかる程ではなく丁度いいと思います。

 その中で気になることがいくつかありました。まず自転車ですが、最近のは電動アシストタイプが増えたのとかなりのスピードで歩道をはしっていることです。お母さんたちが子どもを乗せて頑張っているのはとても素敵ですが、周りは気にしないといけません。年寄りだけでなく若い人とぶつかったって大けがをさせることになります。

 それと電動の車いすにのる高齢者も多く見かけるようになりました。外に出るのは良いことなのですが、電動なので音が静かで知らないうちに後ろや横に来ている時があり、ドキッとしたことが何度かありました。国や自治体、メーカーも何か考えないといけないと思います。せっかくの良い商品なのですから。

 車イスを見ていると歩道が狭かったり電柱が邪魔だったりとインフラの遅れを感じてしまいます。バリアフリーなどないに等しい気がします。歩道の傾斜もかなりあります。自分が歳をとったので気がつくのですが歩きにくいし、車イス、自転車、高齢者のどれに対しても考えられていません。道路の工事を繰り返しやる年末、年度末でも変わる事をみたことがありません。

 最近はキャリーバックをひいている人が増えました。むかしから思うのですが、あのキャスターの音はなんとかできないでしょうか。やわらかなゴムキャスターとかでは摩耗がはげしくてだめなのでしょうか。出来ればタイヤみたいにしてほしいものです。色々なハイテク技術の競争より日本人が得意とする工夫をしてもらいたいのです。

 こんな日があってもいいやと愚痴ばかり書いてしまいました。年寄りのグチですが来年は自分で改善方法を考えてみようと思います。

 

 

 

 

 

名刺のデザインはどうしようか?

名刺のデザインを検討する際、あなたは渡す相手の事を考えますか。それとも、自分の気に入ったイメージから考えますか。どちらが正しいかということではありません。ただ、最低でもこの二つは考えて下さい。前にも書きましたが名刺の本来の目的は相手に自分を伝えることなのです。有名企業で社名とそこの所属がわかればいい名刺なら別ですが、ご自分の名前でいつか勝負するなら、良く考えましょう。

ご自分で名刺を作る時は、やはりカッコ良いものを持ちたいのは当たり前です。でも、ひとつだけ気をつけて下さい。名刺はご自分の存在を伝える小道具、武器なのです。このことを前提条件に作って下さい。どんなに素敵なデザインでも相手に伝わらなければ名刺交換の意味がありません。例えば、配る対象が高齢の方が多いのに小さな細い字でカタカナ言葉ばかりの名刺の方いませんか。まず二度と見られることはないし、記憶されることもないでしょう。

配る相手をイメージして、ご自分がどんなふうに伝わり印象に残れば、次の関係を築くステップになるかを考えてみましょう。デザインには人それぞれ好みがありますから、色々と挑戦してみてください。

自分の場合、表は基本白にイメージカラーを入れました。あとは好きな文字フォントではっきりと、名刺屋、名前、会社名、連絡先のシンプルなものにしました。写真や他の目立つ嗜好は、内向的な自分には配りたくない要素になるのです。裏面はラッキーカラーをベース色にしてその上に黒刷りで出来ること、やりたいことを表明し、ホームページ検索が記載されたものです。

職業柄いろんな方の名刺を創り、名刺交換もしますが、成功しているかどうかはその人に聞かぬと本当の所はわかりません。私見ですが成功されている人や、いきいきと生きていられる方はシンプルなものが多いように感じています。頂いた時に何か感じるものがあります。A Iが普及している時代に時代錯誤かも知れませんが、そう感じています。

まず前提になるのは相手に自分の存在を伝えること。自分が配りたくなることが名刺という小道具であり武器のデザインをする最低条件だと思います。そう肝に銘じて制作するようにしています。細かいテクニック的な事は、順次書かせていただきます。

 

 

 

副業が認められる世の中になるのか?

 年末ということもあり本屋をのぞいてみた。目に付いたのは「副業」という文字でした。雑誌、経営本、ライフワークなどいつからブームというくらい出ていた。1冊購入してしまいました。

 働き方改革はズサンなデーターの問題で止まっていますが、世間は副業に興味をもったようです。老若男女、どの年代も今の生き方、これからの生き方に確信が持てないでいるのだと思います。今、安定している職場もどうなるかは解らないし、国の100年安心なんとかも話が違うし、平均寿命は伸びているし副業を考えざるをえないのです。

 以前、ドラッカーが 「明日を支配するもの」 でパラレルキャリア(第二のキャリアの必要性)を書いていたと思いますが、まさにそうなってきました。会社の寿命より人の方が長く生きる時代なのですから第二のキャリアが注目を浴びるのは当然のことなのです。

 しかし日本のしくみは中々スムーズには進んでくれません。正社員の8割以上が興味をもっていても手をだす人は一部です。でも確実に広がると思います。そうせざるを得なくなります。新しい年号になる時代を昭和、平成の仕組みのままでは、生きのびれなくなると思いませんか。

 自分は名刺屋ですから、どういう時代になっても名刺の表現から考えるクセがあります。もし、会社が副業を認める世の中がくれば名刺の記載はどうするか。また世間では容認されても会社が認めないときはどういう記載で作ればいいか。定年後に副業というより生き甲斐のために作る人の名刺はどうしようか。とか、色々と考えてしまいます。

 いづれにしても副業、パラレルキャリアが認知されとなれば、会社 対 会社ではなく個人が表に出てくると思います。ただ単にネットの中やSNSの中にとどまらず人と人が会うことが増えるのではないかと想像します。何かの集まりでも、何かの取引でも告知はネットやSNSで実際は人と会ってから進むような仕事。アマゾンなどで形のあるものは流通し、形のないものは別な取引形態になる気がしています。

 その時どうすれば名刺交換する際に相手に自分の出来ること、したいことを伝えることが出来るかが、うちの仕事ですからがんばります。

 

 

 

キャッシュレス化?

この時期は会社勤めのサラ―リーマンはボーナスがでて懐具合も暖かいことでしょう。小商いをしていると、やはりうらやましいものです。でもその財布のひもを開いてもらうようにするのが小商いなのですが、このところずーと財布のひもは固いようです。

 先日ニュースでしたか新聞だったか忘れましたが、給料の振込がスマホになるとか出ていました。政府は日本のキャッシュレス化が遅れていることから本気でやる気の様です。色々な問題があるようですが普及してしまうのだと思って生きるしかありません。

 昔、昭和の30年代の高度成長期は現金で給料も支給されていましたから給料日のお父さんは歓迎され、子どもたちも誰が自分たちの生活を支えてくれているのかが一目瞭然でわかりました。それが40年代は銀行振り込みが主流になり、お父さんより銀行から引き出しておこずかいをくれるお母さんのほうが重要に見えだしました。

 お父さんのつらい時期が始まりました。ちなみに1968年(昭和4312月に東京府中市で起きた「三億円強奪事件」が銀行振り込み普及の転機になったと聞いたことがあります。自分は府中市の中学生で親父は東芝工場でしたから良く覚えています。ちょうどボーナスの時期でした。

 それから現金支給から銀行振り込みに日本中がなっていったのですから銀行は三億円事件に感謝しているのではないでしょうか。悪い冗談はさておき、今度のキャッシュレス化ではお父さんの地位はどう変わって行くのでしょうか?スマホで決済するのが当たり前になるということはお父さん個人の決定権がもどると言うことになるのでしょうか?個人番号などがからんでくるでしょうから、電子マネーのなかの主体は個人になるわけです。

 お父さんが家族に分配できることになるのでしょうか?それとも、もっとずる賢く何かを企てているお父さんを狙う誰かがいるのでしょうか?でも確かなことは何かが変わるとどこかが大きく変わらざるおえないということです。小商いをする身として考えていかねばなりません。

 

高齢者こそ闘う名刺を

自分も還暦を過ぎ高齢者になってきて思うのは、悩みは無くならないということです。みんなが経験することですが304050歳と歳を重ねてその歳になると自分の思っていたとは違い、なんだこんなものかという感覚があります。子どもの頃の60代の人といえば経験をかさねた人生の先達というイメージでした。

 ぜんぜん違います。日々悩みとあきらめ、そして又歩き出すという感じです。仲間と話しても似たようなことをしているようです。自分もそうですがどこか体調を崩し、身体だけは自信があったのにそんなことまで打ち崩されていきます。周囲の環境も変化してしまいます。親は後期高齢者となり病院に連れて行くことが多くなりますし、仕事も昔の考え方・やり方が通用しなくなります。

 そんなことに日々打ちのめされながらも前を向き歩きださなければ一巻の終わりです。それが我々多くの凡人の還暦過ぎの実態なのだと思います。自分などはどうせ倒れるならやりたいことはやってみようと考えて過ごしています。もともと小商いの名刺屋ですから、高齢者の名刺を広めたいと想いだしました。

 会社で作ってもらった肩書きばかりのものでなく、何がしたくて、何ができるのかを自分の言葉で語った名刺を作って欲しいのです。名刺の特徴に社会に参加しているあかし的なツールということがあると思います。そしてご自分の今までのキャリアの整理をするのも人生100年といっている時代には必要なのではないでしょうか。

 自分も小商いを30代で始めてから30年近くになりますが色々な商品、サービスを扱いながら生き抜いてきましたが、今は名刺屋が一番楽しく感じています。一般的な名刺を製作納品させていただくのと同時に「闘う名刺!」を広めたいと考えています。闘う名刺!は自分のやりたいこと、出来ることを言葉化して表明した名刺のことです。自分がそう名付けました。新しい時代、元号も来年変わります。我々も先人の造ってきた考え方、やりかたを時代に適した形にかえて伝えていきたいと思います。名刺も今が変わる時だと思います。

 

継続こそが「小商い」の肝

 「小商い」は続けることに意味があると考えています。おかげさまで25年になります。感謝です。最初に考えていたことを自戒も込めて思い出してみます。いくつかの事を決めていました。①ひとりでもできる。②自信をもって売れるもの。③高齢になってもできる。④リピートがある。⑤できれば自作のものを売る。⑥専門を絞る。⑦幸せを感じられる。この7つのことを実行するのが自分の商いの基本と決めています。

 小商いでいこうと決めたのは、自分の性格にはそれがいいと思ったからです。大きい金額や大きな組織を作るのは苦手なのです。また、それをやれる器でもありません。自分の幸せを感じられる小商いを、できればボケて迷惑をかけるまではやっていたいのです。それが目標です。

 これがとても難しいことなのです。恥ずかしながら、わかったのはやり始めてからでした。例えば小さな車で何かのお店を移動販売で始めたとしましょう。そこでお客様に恵まれ、軌道に乗ったとすると次に何を考えるのでしょうか。自分の店を出したくなります。しかし、今まで可愛がってくれたお客様には不便をかけてしまいます。こういった矛盾との闘いなのです。自分が主体になって、ひとりでやっていくとは簡単なことではありません。まして高齢までやることは色んな面で大変なことだと歳を重ねるほど感じます。

 それでも7つの基本を続けたい気持ちは変わりません。もう工夫しかありません。聞くこと、教えてもらうこと、自分で動くこと、仕事は必ず再チェックすること。そして、つづける覚悟をすることです。何でもそうなのでしょうが、簡単に見えることでも実際やってみると大変なものです。充実感があるのは、とても楽しいものです。まだまだ新しいことにチャレンジしようと思います。実はこのブログもその一環として始めました。年寄りの冷や水、おおいに結構。ということで。

 

 

昔、今、これからの営業考

 営業畑で40年仕事をしてきたが最近の営業のありかたの違いに驚くばかりです。良い悪いは別にして営業の守備範囲が極端に狭くなっているように感じます。お客様に対してより会社のマニュアルに忠実に正確に行動することが求められるようだ。だからそれ以外のことは自分の判断では動けないということが当たり前のことになりつつある訳です。

 自分たちの若いころと比べる気はありません。でもやはり営業がつまらなくならないのだろうかと考えてしまいます。決められたマニュアルにしたがって動くことで給料をいただけるのは有難いことかもしれません。それに従っていればアクシデントが起きた時も自分の責任ではなくマニュアルを作った会社の責任なのですから。

 精神衛生上はこの方が楽かもしれません。昔は営業の判断で成功・失敗があり、褒められることもあれば、大目玉をくらうことも多々ありました。それはそれなりに楽しかった気がしています。酒のつまみにはなりました。今は失敗が許されない時代なのかもしれません。それこそ精神衛生上つらいことです。

 時代によって営業も変わらなければならないのは良く解ります。ただ面白くないのも事実です。同じ事をいう人ばかりになってしまいます。注文はメールでして、メールで説明を受け、宅配便が納品します。営業の出る幕などありません。とりあえずこのエリアの担当は○○というものです。システムに不都合がでたら連絡ください。と言う感じが今の時代の多くの営業のようです。

 営業個人のパーソナリティなど入り込む余地はありません。あの人から買いたいということは無くなったようです。だから値段、スピード、広告媒体のアピールの善し悪しなどが決め手になってきます。これはAI時代の始まりになるのも仕方がないことのようです。AIが仕組んだのでしょうか?

 それとは別の世界に住みたいと願う人の為の営業になりたいと考えています。今の時代についていけないのもありますが、この時代のありかたが楽しくないのも大きな理由です。やはり営業としては「あの人から買いたい」といってもらうのが勲章のような気がしています。