景気、大丈夫?

最近、お客様のところで景気のいい話を聞きません。日本の顔のような企業は確かに報道されるのを鵜呑みにすれば好調のようです。最高益とかのことばがよくでています。実際の日本のしくみは中小・零細企業が色んな役割を果たしています。その企業が全体的に景気が上がらないというより落ち込んでいる気がします。

 これは自分が営業に回って聞く小さな範囲のことなら良いのですが、色んなところで改ざんや虚偽の不正が発覚しています。景気状況もそうでないと言い切れるのでしょうか?昔バブルのころはオフィス家具の販売をしていたこともあり移転、増設、工場建設、支店の拡大などもあり家具・内装工事などが、どこの地方都市でも目に解るように動いていました。

 先日オフィス家具大手の業績がいいとでていましたが信じていいのでしょうか?大企業が動いたということが、昔のように下の方へ流れてくるのでしょうか?今は回りません。工場の日本回帰もつかのまのことなだと考えるべきです。資本は安い労働力を探すように出来ています。

 役所関係からの見積もり依頼はくるのですが、まともな値段で採れることはまずありません。お金は一時もとどまりません。談合は本当に悪なのか?と考えてしまいます。それより政治家が税金を形をかえて懐に入れて大臣でいるほうがおかしいし、それに忖度することのほうがもっとおかしい。

 来年は消費税が10%に上がります。世の中のアンケートなどを報道でみると、財政再建のため、子子孫孫のために致し方なしという意見が多いそうですが、本当でしょうか?世論操作は無いのでしょうか?もし本当に実行するなら中小零細企業の景気浮揚策を大々的にうつことが今なされてしかるべきなのではないでしょうか。

 また来年は元号がかわる年です。あたらしい天皇の即位があります。特需効果は多少あるのでしょうが、何とか新しい御代を好スタートがきれるようにするべきだと思います。5月の即位、10月の消費税と決定しているのなら今こそ中小・零細企業への景気対策が必要なのです。働き方改革も腰折れになってしまいます。小商いをしていて感じていることを書いてしまいました。

 

 

 

 

 

 

規格をつくろう

数日前に日経新聞にビル・ゲイツ氏のインタビューが載っていました。人が輝くAI時代へというタイトルでした。①技術を使いこなす知恵を②ロボ課税が雇用を生む③人材育成が日本の課題という内容でした。内容も興味深いのですが、何より彼が本気ならAI時代の本格的到来は近いと思いました。今の始まりの段階でさえついていくのに必死なのに。

 そう感じていたら昨日の記事にEUがAIの倫理指針を作っていると一面に出ていました。ヨーロッパというのはしたたかな人間の集まりだと改めて感じます。今世の中を動かしている「しくみ」を考え、創り、国際規格にするというやり方にたけている人間たちです。

 ISO、宗教、オリンピック、国際基準、ノーベル賞、金融、ファッション、エコ、ミシュランなどなど数えたらきりがないほどです。彼らの価値感のなかで我々は適応してきています。つまりすべてが決められた土俵にあとから登ってパフォーマンスをするのですから歩が悪くなるのが当たり前なのです。

 そして今度もAIの倫理規格に目をつけました。なぜ日本は規格を世界に広めようとしないのでしょうか?ここが世界で勝ことの肝のような気がします。相手の国や人に合させる規格を日本が主導出来なければ、近いうちに日本の没落も十分にありえるのではないでしょうか。

 そうならないためには規格づくりがうまくできないといけません。これは我々みんなが考え、知恵をだしていかないと平成の次の御代は大変な時代になってしまいます。みんなで身近な規格を考えていくことをやらなければいけません。日常的な事、例えば自転車のルール、スマホ、車イスなどたくさんあります。めんどくさがらず一つづつやりましょう。自分は名刺から始めます。

 

 

 

 

 

 

 

還暦すぎても反省ばかり

還暦を過ぎると名刺を配る、名刺交換をするということがめっきり減ってしまいました。名刺屋としてとても反省しています。60歳を過ぎると今まで出会ってきた人達や会社の関係で仕事をしてしまいます。生涯現役が目標と言ってもこの年頃に考えこんでしまう仲間も多いのも事実です。

 サラリーマンなら定年延長で退職が伸びているとはいえ、今までと同じとはいえないですし、退職後のことも考えてしまいます。我々のような小商いをしていても何かが違ってきます。今までは働けば何かが見えてくると思ってやってきましたし、正解・失敗は繰り返したものの何かやることは見えていました。

 還暦を過ぎるころの数年に同級生が亡くなることが増えてきました。同窓の仲間と会うのがお葬式ということもずいぶんあります。会えば身体の衰えの話、病気の話、歳をとった親の介護の話が多く、ちょっとばかり滅入ります。

 働き方改革とか人生100年とか世間では言っていますが、現実はそんなに勇ましいものではありません。むしろ若い時より悩みは多いのかもしれません。若いころなら多少の無茶もできましたが、身体がついていかないこともあり衰えを感じてしまいます。そうすると気持ちまで落ち込むこともあります。

 それでも我々のように小商いをしていれば誰かと接していきます。昔は当たり前のように新規の人達と名刺交換をしていたのに、それが少なくなりました。新しい場に出ていないのです。新規の取引訪問や交流会、親睦会、展示会など毎月のように顔をだしていたのが少なくなっていたのです。

 ひとりで小商いをいていると自分が気づかないと誰も注意をしてくれません。歳をとったとか、還暦を過ぎたとか言っていれば置いていかれるだけなのです。そんなこと解っていたはずなのに恥ずかしい限りです。でも気がついたら変えればいいのです。それがすぐできるのが小商いのいいところです。

 新しい経験ほど、どきどきしますが生きている実感もあります。「不安常住」「無所住心」ということです。不安は無くなることはないし、どこかに心を置けばやすまることもなく、ただただ不安は共存するものと決め、できることを懸命にこなすことが凡人のできることです。どうせ悟ることはできないと悟りました。それで十分だと思っています。

 

 

 

 

 

 

何を基準にするかを考えてみよう

今日も新聞の一面には検査不正で日立化成が載っている。社長は幅広い製品での不適切な行為にはざんきの念に堪えない。甘えた社内文化が云々とでていました。この頃ずっと大企業でおこるこのような不正行為はどう考えればいいのだろうか?

 ブログで名刺の記載する認定マークの話は何度も書きました。こういう不正が何度も繰り返されているということです。確かに取引上の制約は受けることになるだろうし、損害もでる訳だがこの位の大企業ならば国がつぶさない。過去にもバブル後に大手マンションメーカーや金融、不動産などみんなそうだった。

 数年たつと日ごろの日常に追われる庶民は忘れるというより、生きることに必死で気にしてはいられない。こんな時に追っかけてほしい新聞やテレビなどのマスコミも少し経てばこれらの大企業の広告をながし収入源となります。そしてイメージを気にする会社は名前をかえて存続します。以前のミドリ十字などがそうです。

 そして国は日本に必要な、世界に必要な会社だから大目に見ます。役人の改ざん、現職の大臣たちも皆そのパターンです。それを追求するのがジャーナリストの役目であると自分は考えますが違うのでしょうか?色んなことで注目を浴びれば良いと言うように見えてしまいます。

 我々のような小商いなら即、倒産して個人や家族まで非難を浴び、その地域に住むのは難しいと思います。やはり、大企業の幹部や政治家などになる人は面の皮の厚さが我々と格段に違います。またどんな教育や道徳をうければああいう風になれるのでしょうか?

 そしてその人達が上に立ってやる政治や教育、経済などの国のしくみはどうなって行くのでしょうか?そんなことを言っていても食べていけませんので、今できること真面目に「闘う名刺!」を広めていくしかできません。そして認証や上位伝達のしくみには、嫌なことですが疑っていくしかありません。それが日本の現状なのです。

 

 

 

 

11月1日に何となく

11月1日はカレンダーには計量記念日とか色々あるらしい。そして今日は今年の一の酉です。毎年地元の大国魂神社の酉の市に行き熊手を買います。今年は二の酉に行くつもりです。夜に行くと灯りと業者の飾り付けの金色が輝いて良い感じです。購入した時の掛け声もいいものです。

 そんな11/1ですが自分にとっても忘れられぬ日なのです。7年前に親友が亡くなった命日なのです。友の死がこんなにもつらく、さびしく、喪失感が大きいとあの時知りました。彼は50代半ばで旅立ちましたが、自分は還暦をすぎてもまだまだジタバタと暮らしています。

 今日はいけませんでしたが、近々手を合わせに行くつもりです。そんな気になってしまう日なのですが、世間では昨日はハローウィンとかで盛り上がっていました。どうも何が何だかわからない行事が増えたものです。

 小商いをするものとしては、そこで考えなければならないのですが、どうして仮装とつながればいいのか考えてしまいます。歳ですね、いっしょにはしゃげないですからね。そんなことを思いながら今日はこのへんにしておきます。