これからの時代の名刺②

時代がどう変わろうと生きてきたのは事実です。名刺が変わって行くのも浮世の定めなのかもしれません。それでもそこで生きてきた想いを忘れないでいようと思っています。名刺屋ですから名刺を最初に手にした時のことや、名刺が始めて売れた時のことです。

 まず名刺を最初に手にしたのは20代前半のセールスマン時代でした。オレンジ色の台紙でした。紙も厚手のものです。1枚だけ記念にとってあります。その時の気持ちは社会人になり始めて自分の名前が書いてある名刺を手にして、まだ何もしていないのにちょっとだけステップアップしたように感じたのをおぼえています。

 それから何種類の名刺を使ったことでしょうか。何人の人に名刺交換をさせていただいたでしょうか? 今となっては大切な経験を記録していなかったことが悔やまれます。30代後半に起業して名刺家業を始めるのが解っていたならと考えたりします。

 起業してからの分はしっかりと保管してありますが、いまだ分析までには至っていません。日々の仕事に追われるという言いわけをしていますが、はずかしい限りです。

 25年前に起業して名刺が始めて売れたときの価格は3000円、別途消費税3%の時代です。片面1色でしたから、今とは違い高額です。今もこの位の価格設定ができればどれほど楽しいことでしょう。

 名刺を最初にもったあの頃の気持ちを忘れないようにしようと思います。若気の至りの、恥ずかしい限りの希望だったり、理想だったりですが、その時は確かにそう思い、信じていたことも事実なのですから覚えていようと思います。もちろんそのギャップの大きさには今更ながら気恥ずかしので話せません。

 これから時代は大きく変わり始める気がしますが、初心は一枚の名刺とともに忘れずに、これからの時代の名刺の形と格闘していくつもりでいます。

 

 

 

 

 

ことばの話です

営業が本業なので気になるのでしょうか? 最近の色々な場所でのことばが気になって仕方がありません。この間、病院に行きましたが、専門用語が並んで表記されています。良く解らないので聞くと不思議な顔をされます。

緊急はERだそうで、他にもICUとか色々かいてありますが、たまに来る自分などにとっては何のことやら良くわかりません。病院は高齢者が多いのでと思っていると、慣れて当たり前のように会話のなかに入れている高齢者もいますので、やはりこちらが覚える必要があるのでしょうか?

平成の時代を振り返る番組をみていましたら、平成になってから多く使われることばも増えたと話していました。コンプライアンスだとかダイバーシティとかよく使われていますが、もう知っているのが当然のことばなのでしょうか?

自分など営業が長いものはことばが伝わっているかどうかが大きな問題なのですが、今は相手が知らないのがいけないような話をする営業も多いと聞きます。自分が放った「ことば」が相手にどういう風に伝わるのかを考えて話さないと、まとまるものもまとまらないと考えるのは古いのでしょうか? 決してそんなことはないはずだと信じたいものです。

名刺も自分が推奨しているのは「ことばの名刺」である「闘う名刺!」なので「ことば」はパワーがあると信じていますので、尚更大切に考えたいと思います。自分の想いも、何かを頭で考えるときもことばで考えているのですから、大切にしないとそこに影響をきたすことになると思います。

最近の若者言葉とか省略して短くすることばづかいは昔から時代時代でありますから、そんなに気になりません。ああー最近は、そういう風に使うんだとか、暗号みたいだなとか、スパイになれるぜとか思うだけです。

でも伝わらなくてはダメな「ことば」もあることを解ってほしいのです。病院とか手続きごととか日常でみんなが使う場でのことばです。そのことばが本当に世間一般に周知されていることばなのか、ある程度知られていても知らない人もまだまだいることばなのかは、そこに携わる人は考えて欲しいと思います。

 

 

たわいもない話です

歳をとると頑固になると良く言います。確かに思い当たることが多い気がします。自分の想う歳の取り方をしたいものです。まあ外見はさておき、そして健康も良いに越したことはないので置いておきます。そうすると頭の中、考え方についてです。

 望ましく思うのは「柔軟な頭と心」です。確か「マインドフルネス」といいましたか。どの位までの間にそれを維持できるかはわかりませんが、乱暴にいえばマインドフルネスな頭と心をもった奴になるんだと得意な頑固な頭で思いこんだほうが幸せそうです。

 若いころだと、ひとつずつプロセスを達成して到達することが望ましいに決まっています。でも、歳をとると残りの時間も気にすると楽しく暮らすのはむずかしい。ならば、そうなるんだと自分の心に決めて毎日を生きていく方が楽しいと思う。人生で好きか嫌いか、楽しいか苦しいかは以外と大きい問題のような気がします。

 そんなこと言っているから商いも儲からないんだと小言を言われそうですが、ホントのことだから仕方がありません。あきらめることは、あきらめて次に進むのもいいのではないでしょうか。自分が子どもの頃に想像していた大人や老人は、自分がその年になると、なんとだらしないのでしょうか。きっと昔は寿命も短かったので同年代の人はもっと人生を語れたのかもしれません。

 自分にはまだまだよくわかりません。おはずかしい。自分が気づいたことは悟ることなど、どう間違ってもできないことを悟りました。しょうがないということも生きる上での方便です。あまり出来ないことを考えたり、人と比べたりせずに目の前のできることを、どうにか楽しくこなす工夫をすることが大事な事だと思います。今日はとりとめのないことを書いてしまいました。そうだ寝不足のせいにしておこうと思います。たわいもない老人の雑念でした。スイマセン。

 

 

 

 

 

名刺のことが良く出る季節です

 101日内定式を迎えた2019年春卒業の人向けに、名刺の活用方法が新聞、雑誌でとりあげられます。もう少したつと手帳の活用法、書類やデーターの管理術と決まったスケジュールで色んな場面で話題になります。

 自分でも関連があることですので、よく観察しています。名刺が本業のものとしては、名刺に過大な期待をかけていただくのは誠にありがたく、うれしい話です。その一方で何でも名刺さえ変えればうまくいくみたいな記事も時々でるようです。

 名刺だけで全てはかわりません。名刺を有効に活用するには、それなりの覚悟と工夫と作戦が必要です。ちょっと名刺を変えるだけで夢のような未来は開けてきません。若い方は特にご注意ください。

 名刺は入社すると総務や人事から配属先、名前が記載された、その会社のデザインパターンのものが渡されます。最近の傾向は各種の認定マーク、会社のロゴなどがやたらと目立つものが多いようです。

 このパターンを新人で私はこういう名刺は使いたくない、別のデザインが良いなどと言える大物は私の知る限り見たことがありません。使ってみてから解ります。なぜ名刺交換しても効果が表れないのか?アポイントをとるのがむずかしいのかなどと現実に直面してこそ、自分が望む名刺がどういうものなのか考えるはずです。

 名刺は関係ないと言う人は、営業に天性のものを持つ人か、最初から工夫をしない人だと思います。営業をしてわかりますが、世の中なかなか思うようにいくことはありません。むしろ泣きたい事の方がどれほどおおいことでしょうか。それでも前に進むしかありません。

 今使っている営業ツールを見直してみることも必要です。名刺に限りません。身だしなみ、訪問時間、営業方法など自分の性格に適したやり方をみつけるチャンスと考えてください。そのなかに「闘う名刺!」もぜひ加えて下さい。

 

 

 

 

 

これからの時代の名刺①

 これからの時代の名刺について考えてみたいと思います。名刺屋として25年やってきましたが結論はだせません。世の中の変化がすさまじいのです。時代によっては戦争や大災害、大不況などで変化がしいられる時もありますが、この25年をみてきて思うのはビジネス環境の変化、海外の変化、そして人の考え方の変化が加速度的に変化したと考えています。

 名刺は55×91ミリの小さな世界ですが、そこに記載する内容は人を証明するというか表現するものです。その用途は主としてビジネス上で、初対面の時に使われる特性があります。名刺交換という大事な場面で、知らない人に紙切れ1枚ですが、自分の名前や所属、連絡先の書いてあるものを交換しあうのです。

 この習慣は世界各国のビジネスの現場で行われています。でも最近の浮世の激変を見ていると変わって行くのが当然なのではないかと思っています。名刺屋から言わせてもらうと、今までの価格で商売ができません。ネット通販などで激安の名刺が製作できるようになってきました。名刺屋、印刷屋に頼まずともそれなりのものができます。

 また働き方改革などの政策が動き始めました。副業が奨励されたり、起業がもてはやされたり、Wワーク、フリーランスな働き方も市民権を得だし始めています。多様化が認められ始めています。今までのように固定された働き方ではなく、自分たちが選ぶことに責任をもたされる時代になり始めています。

 名刺も当然変わらざるを得ません。会社に所属すれば会社からすべてを記載された名刺をもらえる時代は終わりになるかもしれません。これからは自腹で自分が何者なのかを証明しなければならなくなります。そしてなぜ、その組織に所属して今の自分の仕事をしているのかを説明する必要がでてくるはずです。当たり前ですが組織はそれを考えてはくれません。自分で考え、想いを、出来ることを表現しなければ、自分という立場があやふやな存在になってきてしまいます。今、名刺屋としても正直悩んでいます。