この頃、思うことがあります。人を介さない社会は楽しいのか? 便利なら仕方がないとあきらめるしかないのか? ということです。現在仕事ではメールで受発注が当たり前になっています。それは解りますが、メールでこの案件は電話くださいと伝えても電話ではなくメールで返事がきます。これが今は当たり前で、上司もそれでいいと認めているのでしょう。何かおかしいと感じるのは昭和世代のせいでしょうか?
ネット、新聞、雑誌、テレビで報道されるなかで中国の自動化やキャッシュレス化があります。日本よりどんどん先に進んでいます。たとえばコンビニも無人で自動販売機がならんでいるところからスマホをかざし購入しています。車も自動運転が当たり前の社会になるのだそうです。
日本なら段階がありました。戦後の復興から立ち上がり、無法地帯から安全な社会をめざし、教育がいきわたるようにし、仕事を増やし、給与水準が上がるといったプロセスがありました。その中で生き残るには自分であり会社であり精度をあげていくのが手順だったと思います。
だからこそ過剰サービスとか働き過ぎだとか言われることもありましたが、ともかく日本は世界の中では経済大国といわれるようになりました。中国など新興国をみているとプロセスをとばし最新技術を受入れ、その技術で価値感をあとから付けるイメージです。すごい勢いですし、そのことが報道されると日本も先を越されるなと言うような空気が漂います。
でも違うと思います。もちろん大企業や技術主導の会社や大量生産をせねばならぬスケールメリットをいかすビジネスはそうかもしれません。しかし小商いではそれはできません。そこで競争しません。自動化、無人化は任せます。人とのつながりのある商いしかできません。多くの人を雇用し、必需品を安く普及するのはお任せします。少ないかもしれないが必要とされる商品を必要とされる人と、できれば対人で売っていく道を選ぶしかありません。それを自問自答していくのが小商人の才覚と考えようと思います。そうしている間にも、世の中は手の届かないくらい先に進んでしまいます。でも立っている場所はまだあります。まず、動こう!