つい最近、東大の学生食堂の改装で東大出身の画家の壁画が捨てられたそうだ。金額は1000万相当と言っていたが豪気なものだ、さすが東大?
捨てる指示を出した人も、解体した人も、見ていた人もその絵に価値を感じなかったのだろう。もし価値を感じる人がいれば捨てるなら自分が貰っても良いかとかの申し出があるだろうから。これが世間的に有名な絵だと違ったのかもしれない。自分も無学でその画家のお名前は存じ上げなかったので、彼らと同じだが対応は違ったと思う。もう少し確かめるだろう。
しかし価値と言うのは不思議なものだ。それを必要とする人にとっては金にいとめをつけないし、不要な人にとってはゴミ同然となる。これがその人の趣味、感性などの内的要素から欲しいという価値がある場合と世間の金銭的価値をつくる認める組織でつけられた価値なのかが解らなくなっているのが難しいところだ。
本当の価値は人それぞれで違うのに、みんな同じ価値の基準を押し付けてはいけないと思う。それが裸の王様の始まりだから。でも今回のケースは昔からそこに展示されていたというから、配慮のなさは感じてしまいます。題名は絆といっていたので当事者たちにとっては絆という価値ができるかもしれませんね。
世の中では生きて行く為に必要な価値を取引して暮らしているのだから、価値ということをもっと考えた方が良いのですね。ただ誤魔化される価値も色々ありますから気をつけなくてはいけないですよね。世界的な価値であると思っていたノーベル賞もおかしな行為をするし、おかしな候補者の名前も出ているしね。やはり価値については自分自身で、何に値があるのかを決めて生きて行くことのほうが幸せなんじゃないだろうか。金にはならないけれど精神的にはそのほうが、大きな価値を得られる気がします。