内向的な人の起業はあり?

 起業や独立をするのは積極的な外交的で元気がある人だけではない。今までのイメージからするとそんな風に考えていました。人と積極的にアポがとれ、話題豊富で、グイグイ前に進める人、心が強く精神的にタフな人、そんな人が起業・独立の基本条件と思っていました。もちろん、こういう魅力的なリーダータイプの人が多く、チャンスをつかむのも事実です。自分は起業して25年になりますが、全く逆な内向的なタイプです。

 人と会う時はドキドキするし、前に一歩出るのが苦手だし、精神的にもへこたれやすいし、リーダータイプでもありません。ただやる気はあります。昔から起業したいと考えていたのですが、ゼロから始める程の才覚はなく、修行のつもりで就職し会社でセールス、営業畑で15年勉強させてもらいました。世の中は不思議なもので苦手な営業でも、かなりの成果もだしました。でも、組織には違和感を感じ続けていました。この辺が内向的な人の特徴なのではと思います。

 当時はバブル崩壊後で色々ありましたが、この空白の20年といわれる時代をただよいながらも生きぬいてきたのも事実です。当時はSOHO(スモールオフィス、ホームオフィス)などというのも流行りましたが、今はどうでしょうか? ネットで、SNSで、簡単に仕事を始めることは出来ます。でも、うまく軌道に乗せれるかどうかは今も昔も変わりません。ただ、特別な人が起業・独立をするのではなく普通の我々が今のインフラを利用すれば生計を得る手段として、起業が一般的な選択肢になればいいと考えています。

日本では起業に無関心な人が72%(経産省2017の調査)とのことです。アメリカにはフリーランサーとして働く人が労働人口の1/35500万人)いるとでていました。この差が良いのか悪いのかはわかりませんが、日本では就職=生計の手段ですが、起業やフリーランスで働くということが気軽にでき、失敗しても再チャレンジできる「しくみ」と社会になるほうが良いのではと思います。幸い今の若い人たちは我々の時代とは違う感覚を持つているのがオリンピックや将棋その他でも判ります。

高齢化も一つのチャンスです。内向的でいままであきらめてきた人も最後のチャレンジができる時代なのかもしれません。その時は内向的な人達の名刺を、ぜひうちで創らせていただき名刺交換したいと思います。

 

若い人たちアッパレ!

冬季オリンピックのフィギアスケートで羽生が金、宇野が銀をとってくれた。あのプレッシャーの中ですごい、見事、立派である。日本人というより最近の若者は大したものである。卓球も男女とも試合での力の出し方といったら、ビビる我々昔世代と人種が違うようだ。野球、サッカー、水泳 等々。自分のしたい事を遠慮せずに、恐れずに進む人たちが増えているようだ。日本、大丈夫だ。

それと今日、将棋でも中学生棋士の藤井五段が羽生名人に勝って決勝に駒を進めたとのことだ。価値観が変わっていく時なんだと改めて思う。勝負の世界だけなく色々なところで、すでに地核変動は始まっている。ビジネスでも会社、社会生活でも男女間でも多岐にわたり動き始めてしまったということに向き合っていこうと思います。

何はともあれ金メダルあっぱれでした。

小商人(こあきんど)の小商い

 今日新聞にサラリーマン川柳の入選100句がのっていた。毎回、時代を反映している作品が多いので切なくも、楽しく拝見させていただいている。今年はAIや忖度など盛り込んだ作品、毎回ある妻や供、上司・部下との話など、自分だけじゃないんだなとニヤリとしてしう。その中に「AIが 俺の引退 早めそう」「制度より 働き方は 風土から」などは、そのとりと思ってしまう。中高年も辛いんだよ。

 働き方も色々あってサラリーマンが一般的だけれど職人、農林水産業などの他に「小商い」というのも注目しても良いのではないかと思う。小商い、小商人をマイナーなイメージでとらえるのではなく、別な価値観で生計を立てたいと思う人達も共存したほうが社会生活は面白く、選択肢も増える。

 戦後サラリーマンが当たり前のような社会構造だったが、団塊の世代の退職や若い人の人口減があるのだから考えかたを変えていくしかない。昭和の初めまで位はお店で働くとか、何かを自分で商う人は相当数いたと思う。大正、明治、江戸とさかのぼってもそうだ。時代劇でみると侍と大商家で働く人達はサラリーにあたるものを貰っていたが他の大多数の人達は自ら生計を立てていたし、今はネット、SNSだってほとんどの人達のインフラとして使える訳だから。

 若い人達にはサラリーマンとしても、公務員も、起業も、海外でも働くことも、チャンスはたくさんある。その選択肢のなかに昔の小商いの概念でない今の小商いを考えてもらえないだろうか。我々中高年も定年後にまだ相当使える時間が残っているのだから小商い起業も増えるだろうが、なにせ頭はかたい。新しい日本のライフスタイルを創りだすのは限られてしまう。ここはフレッシュな頭で中高年に「ああ、こういう生き方もあったな。うらやましいな。」と言わせて欲しい。その人達の名刺を一緒に考えて創りたい。小商いの名刺屋はそんな風に思っています。

 

名刺も色々ありますね

 名刺といってもいろんなタイプのものがあります。みんなが一般的に名刺といえば想像するのは住所録に会社のロゴやISOマークなどが記されたものだろうか。銀行員が配る名刺は顔写真の入っているものが多いかな。でもネットで検索すると、まあ色々でてくる。その多さにビックリします。

 名刺を作ろうと思う時まず何を考えるだろうか?仕事のために作る人が多いとは思うが、組織に入っていればその所属している会社なりが制作して渡されるのがほとんどなのでネットで検索する人は起業する人、既に使用しているものをバージョンアップしようと思ってる人、最近ならフリーランスで仕事をしている人などだろうか。ともかくチャンスを掴もうとしている人達が多いのだと想像する。

 名刺も価格で探す人、デザインで探す人、あまり考えず発注しやすさで選ぶ人、そのほかのこだわりで探す人と千差万別だと思う。業者もとにかく安いことを売りにしているところやデザインのひな型を提示している所、業種にこだわりを持っている所などともかく色々です。

 名刺は配らなければただの紙切れだ。とにかく配るのが一番なのだが、中々それを躊躇している人もいるのではないかと思う。なぜなら自分がそういうところがあるので、いわゆる内向的な傾向の人は外交的な人には想像できぬ心の葛藤があるのです。そんな自分が名刺屋をやって,なんとか暮しているのだから感謝しかない。色んな人がいるけれど自分の様な内向的な人が配りたいと思えるような名刺を創って行こうと思います。その創り方や考え方を伝えていきます。

 

起業、副業の名刺はどうするか?

政府は今後の日本の働き方を変えるとズイブン大きな声で宣伝している。起業を増やし、定年延長を促進し、女性の雇用を増やし、海外からの就労を増やし、副業も認めてダブルワーカーも増やす、etc それに伴う色々な政策も実行していくと言っている。企業に通達をだし、普及を促したり、保育園や介護施設を増やしたり、就労ビザを長くしたりすると新聞などでは頻繁に話題になっている。

これが実際に動き出せば大したものだ。ぜひ、半分でもスピードアップで進めて欲しいものだ。日本は転換期というのは誰でも判っていることだが世界はそれを待ってくれるほど甘くない。技術の進歩は凄まじいし、発展途上の国々の台頭も目覚ましい。ダイバーシティだ仮想通貨だと価値観の転換が現実に起きている。高齢化、年金崩壊、人口減少と日本は課題山積のままで、ゆっくりしてはいられない。

ビジネスでも起業、副業と簡単にいうけれど簡単なことではない。まず、今までの社会習慣を切り替えていかねばならない。小さなことから変えていくしかない。その一つが名刺だと考えている(自分が名刺屋だから)。今すぐに各人が自分が出来ることから始めるしかないと思います。政策に期待はしても中々進まないのが日本の仕組みですから。

名刺でいうと今まではどこかのグループに所属していたので、その頭の名前の信用を借りてデザインすれば良かったけれど、今後はそうはいかない。より相手に自分が何者で、何をしたくて、何が出来るのかを伝えられる名刺でないとダメ。住所や連絡先は他の手段でいくらでも伝えられる。しかし、自分自身のビジネスに対する想いは名刺交換というアナログな習慣で初対面という絶好のチャンスの時に伝えるべきである。どんな時代になっても人が人と良好な関係を持つことの大切さは変わる事がない。それを信じよう。

名刺にはパワーがある

 名刺にパワーがあるのは確かである。しかし万能ではない。大切なのは名刺という道具をどう使って人とのご縁を広め、自己実現をして行くのかだ。名刺はそのイントログッズなである。有効な販促品であり、単なるバラマキではない。かと言って、とてつもない効果をうたう名刺もあるようだが惑わされないで欲しい。

 人は社会人となり名刺を持つと何かを自分の中に感じるのだと思う。会社からみると所属させたということで仕事に対して責任を持ってのぞめと伝達する効果がある。個人で考えると誰かに認められている。組織というバックアップができた。この紙を交換することが初めての相手と何がしかの取引をする入口になる。

 世の中おかしなもので、この一枚の紙の交換が色々な事の始まりとなる事は事実なのだ。だから信用のおける大会社や有名企業、銀行、役所などの名刺は良く皆が知っている社名、製品名、ロゴ、キャラクター、ISOなどを全面にだす。要はウチと取引すれば安心ですよ。だましませんよ。というわけである。だから、本人の名前はやたらと小さいデザインが多い。高齢化で老眼の多いこの日本でだ。そして同じパターンのデザインが多くなる。

 名刺は会う人に無意識に信用を判断する材料を提供する小道具に使われている。世間も常識としてその習慣を便利に使う。それは社長どうしでも、新入社員でも同じように。この瞬間にも気の遠くなるほどの数の交換がされている。まさに丁度いいビジネスの小道具なのである。なのに同じパターンのものしか使わないのか?

 前記したような大企業などはそれでも取引がこまることは無いのだろうが、個人や我々のような小さいところはそういう訳にはいかない。工夫しなければ生き伸びる事はできない。何ができて、何をしたいのかを伝えなければ名刺交換という初対面の人とのチャンスをつかむことは難しい。できるだけ我々のような小さいところが名刺交換でチャンスをつかめるような工夫とかをブログで紹介したいと思っています

 

なぜTVなどでCMがあれほどできるのか?

最近、名刺管理システム(Sansan)のテレビCMを見ない日がない。どうして高額なテレビでのCMをながし続けることが出来るのだろうか? それだけ儲かるということなのだろう。数年前から色々なビジネスショーで出店していたので内容は知っていたのだがこの一年位のTV、新聞、雑誌等々の取り上げ方の多さはすごい。

 2007年に「人と人の出会いを資産に変え、効果的に人が出会う仕組みをつくりたい」と起業したクラウド型の名刺管理システムの会社と日経新聞の1月の記事にも掲載されていた。それによると6000社が法人向けサービスを導入していると書かれている。確かにすごい勢いである。名刺情報を会社で共有の資産としたいと考える会社がこれほどあるのは日本の中で取引はどんなふうになっていくのだろうか?

将棋や囲碁の世界ではAIと人との対局が話題になる。AIが進化していくと、これらの情報はどんな風に人に役立つことになるのだろうか?この会社は何度も色々な人がコンタクトをとっているが取引がないので何種類かの違う方法を提示し、どれを選択するかと確率を示しながらAIと相談するという社会になるかもしれない。いや既にそうなっている。

スタートアップ企業はどんどん投資を集めCMし、社会に今まで気づかなかった価値観を急速に広めていく。その流れが一つの時代であり、正しかろうが、間違いであろうが止めるのは人為の及ぶところではなくなります。AIAIと何かを進めていくのではなく、そこに人が介在して制御できることを切に願うのは、時代おくれな事になってしまったのでしょうか。

自分にできない事をいくら考えても仕方がないので、自分は人が「ほっこり」できるものを商っていきたいと思います。

 

なぜ名刺なのか?

我々が社会人として名刺を持った40年前は、厚手の紙でタテ型タイプが主流でした。内容は社名、所属、役職、名前、住所、電話が書かれたもので、それを鉛の活字を一文字づつ拾い制作する活版印刷でした。パソコンも携帯もFAXだって無いし、コピー機だって、そうは普及していませんでした。リピートはともかく新しい注文は単価が安くて、儲けは少なくとも打合せに行かなくてはならないので営業は大変でした。そんな時代の中で名刺交換はとても大切な仕事のルールの一つでした。そこで信用してもらうのに必要なのは、どこの会社の所属で、実際ちゃんと存在しているのか? 何の為に来た誰なのか? 名刺を調べられても大丈夫な社会人ですよという事だった気がします。

時代は流れFAX、携帯、パソコン、SNS等々、会社はもちろん個人、それも小学生でも扱えるインフラとなりました。その進化は驚くばかりです。それに伴い名刺に記載される事項も増えました。FAX、携帯、メール、ホームページ、LINEISOマーク、郵便番号、英文表記、写真 バーコード等々どんどん増えていきました。名刺もヨコ型タイプの薄手のカラー印刷が主流になりました。もちろん、これだけの情報量を記載するので文字は小さくなり、老眼の我々は解読するのが大変です。

印刷技術も活版からオフセット、オンデマンド印刷と多様になりました。納品のスピードも変わりました。昔は最低一週間位あたり前でしたが、今は翌日出荷の所も多くなりました。そして注文先も印刷屋・文具屋さんからネット通販の文具、印刷だったり、大企業の場合は広告代理店経由だったりと多岐にわたり、デザインや紙質も色々流行りがあります。ではなぜ、この目まぐるしく変化する時代の中で、いまだに名刺は生き残って存在しているのでしょうか? 名刺交換という行為は、IT社会、SNS全盛、AI化というこの時代にどうして存在しているのでしょうか?また進化していくのでしょうか?

人と人が実際に初めて会ってビジネスのきっかけだったり、自分の大事なキーパーソンになるかもしれない。その時にアナログな名刺交換という風習、ルールが存在している。それは思うに、ナマの感覚というか緊張感、今まで会ったことない人と会話して、紙一枚だが相手の持ち物と交換するという行為自体が意義のあることなのだ。考えてみると単にデーターの交換なら今の時代は色々ある。なぜ、名刺なのだろうか? 人と人が出合い、何かの縁が始まるかもしれない時に形のあるものを交換しあうという行為が理屈ではなく人には安心感、緊張感、直観だったりを与えてくれるのである。それは丁度いい習慣、距離感で我々世代からすると、これが人と仕事をしているのだという「ほっこり」を感じられる。

 

虫の夢占い

昨日はあまり寝覚めのよくない夢を見た。

その夢はたくさんの虫や幼虫が出てくると言った非常に気味の悪い夢だったのである。

夢の中で私はそれをベランダに出し、駆除するといった内容であった。

虫の夢は夢占いによれば吉夢のこともあるが、気味が悪いと思った場合、凶的な意味が強まるそうである。

虫の夢は悩みがある時にも見やすいのだとか。

確かに私は最近悩みをかかえがちだったので、それが恐ろしい夢となって表れたのかもしれない。

自由の女神の・・・

私は前にも少し話したことがあるが、不思議な夢を見ることがある。今回はそんな夢の中でもちょっと怖い夢についてである。

その夢はアメリカの自由の女神が出てくる夢なのだが、その上の空から何か不気味な色の液体が流れ落ちてくる夢なのである。

私はこの夢の印象としては、危機というよりは「自由」というものが透明性を失っていくという風に感じた。また、自由の女神は、もともとフランスの象徴でもあるから、フランスがということなのかもしれない。

この二つの国は異なるが、ともに民主主義を代表するようなイメージのある場所である。

他には正義、自由、民衆…などといった言葉が思い浮かぶが、もし夢が何かを告げているというお告げ的視点でものを見るならば、今の時代はやはり転換期であり、今まで問題はあるにしろある程度の落ち着きを見せていた社会や国家のシステムが失われようとしているのではないかと感じる。

ちなみに都市伝説系の番組によく登場する未来の出来事を表しているのではないかと言われる「イルミナティカード」にも一枚自由の女神が顔を覆って泣いている物がある。

自由とか正義というものは確かに主張するには痛みも伴うため、簡単に何が正しいかは断言することはできないかもしれない。

ただ今までのしくみと人間的な生き方を取るか、それとも身を守るためにこれらを捨てるか、私達は今まさに選ばされている気がする。