「認める」を考える①

 世の中の基本は認められる所から始まる。それは出生から始まり、国家、性別など色んなことで認められねば、そこで生きて行くのが難しいように出来ている。きっと、社会が平和に暮らすための知恵なのだろう。最低限のしばりがあるのは良く解るのだけれども、それを特定の人が権威をもつ手段に使うのは面白くない。

 自分の興味対象は、小商いと名刺なのでそこから考えてみたい。まず、小商いも会社としてやるには登記が必要だし、役所への届出も必要だ。当然、税金も払うのも当たり前と考える。その社会に存在することで何かしら役に立ち、稼がせてもらうのだから、これらの「しくみ」はうまくできていると思う。扱うものによっては営業許可が必要なのも、しごく当然。問題はそれを管轄するのが役所の天下りの団体が多く、本来のしくみの健全性の為より、安易な金の徴収手段として、誰かが認めているということだ。

 昔、名刺にはISOなどが記載されていなかった。大きな会社、有名な会社、役所は信用されるが、小さな所は取引をするのに中々と大変な苦労があった。我々が子どもの頃はJISJASが規格として習ったのだが、いつのまにかISOになった。国際的になった事もあるが欧米との規格競争に負けたのだ。スタンダードを創るのが金になるのを欧米は熟知している。したたかである。

 今のネット社会もそうである基本の約束事は全て欧米で作られたものだ。そこで活躍しているのは、自分たちのプラットホームの約束事を認めることで参加が許されるという「しくみ」を創りだしたのだからスゴイ。認めるということがこれだけ凄い事とは普通に暮らしているとあまり感じないが、考えれば考えるほど認めるということの重大さに気付くことになる。

 自分の会社も有限会社として設立し、認められている訳だし、取り扱う名刺という商品も誰かに自分を伝えて認めてもらう為の小道具だ。そしてこれを書いているブログこそ認めるしくみの代表的存在なのだから。昔、むかし誰かが創った認めるという既存のしくみを、ネットというしくみで別な認める社会を創りだしてしまった。

 

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