最近感じていることを一言で表すならば「理屈で考える癖」をどうにかしたいということである。
頭でなんでも考えることは良い意味合いの言葉だと哲学的であるとか、理論的であるとかいう言い方をするが、悪く言えば頭でっかち、理屈っぽいということになる。
この理屈で考える癖というのは厄介でなんでも物事に意味を求めたり、疑問を持ちすぎる傾向がある。
哲学者やそれを仕事に結びつけている一部の人ならいざしらず、これを突き詰めすぎると、全ての物事、自分の行動に何も喜びのようなものを感じられなくなってしまうように思える。
私の場合、長く人生に悩み、神秘学、心理学、哲学、宗教学、その他文学などの芸術にも答えを求めたが、どの分野においてても確たる意味でこれが必要であるとか、自分のしていることがこの世の中や人のために必要かという意味は見いだせなかったような気がする。
こういうとても絶望的に感じられるがたぶんそれは「ない」のである。
ではどうすればいいかと言えば、はっきりした答えは見いだせないが、少なくとも私の場合は、理屈や正しさだけではなく単に物事を「楽しめるか」ということに主眼を置こうかということに至った。
好きなら物事にチャレンジしてみるし、嫌だったりつまらなければなるべくしないのである。
これほど長く悩んできた結果がたったこれだけのことと悲しくもなるが、どんなに理屈で物事の意味を考えても答えはないことが分かったので、今、できる判断法はただこれだけである。
そう考えるとあまり意義を見出せずに頓挫したことももう一度やってみることができる気がしてきた。
今はまだ完全に理屈で考える癖が抜けていないが、いつかまた子供の時のように心で楽しんだり、素直に表現できる日が来るといいと思っている。